どうかあなたで満たしてくれ

けい

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序.例えば、■■

開花

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◇◇◇

 先の見えない闇の中を落ちていく。
 死というものをここまで明確に感じたのは初めてで、なるほどこれをひとは恐れるわけだ、と思った。果てのない喪失感と本能的な恐怖に圧し潰されてしまいそうな。 
 それでも、ヒューゴの胸の中には、それを消しさってなお余りある光があったのだ。だって自分にもできた。なにかを選んで、それを貫くことが。
 ここで終わることをよしとできるほどの満足だった。
 そう思ってしまえば簡単で、一層その暗闇は濃くなって、もはや死は変えようのない結果なのだろうと悟る。
 
 ───きらり。

「……?」

 閉じているのかひらいているのか分からない視界の中で、それでもかすかな青い光をみつける。まるで氷の破片のような、冬の夜空にひとつ輝く星のような。
 ちかちか、とそれが瞬く。ヒューゴを呼ぶように。

「ああ」

 そのうつくしさにため息をついて、無駄だとわかっていても手を伸ばしていた。それくらいの夢を見たかった。
 瞬間。
 青の光が強さを増す──光点の数が増え、奔流となって流れ出したそれが身を包む。息を呑んだ。吹雪のなかにいるような、全身を叩く雨の中にいるような、そんな感覚。
 そして。
 声が聞こえる。ひかりのはじまりのほうから。
 呼ばれている。
 それに応えた。失うことを恐れてしまったから。

「────────まだ、いきて、みたい」

 光が強まって。伸ばした手の孤独を、自分よりも大きな手が埋めてくれた。


 ───開けた視界は歪んでいた。それが涙によるものだと気付くのには時間がかかって、頬も変に濡れた感覚があった。
 横から声がする。
 
「目が覚めたか」

 あおいひかりのはじまりから、ずっと呼びかけてくれていた声だった。 

「皇帝、陛下……?」

 頭だけはどうにか動かせた。どうやら自分は寝台に横になっていて、その隣にはエレヴィスの姿があった。
 彼の表情には心做しか安堵が滲んでいる。

「なに、が……私は、死ぬはず、では……」

 口にして、はたと気付いた。息苦しさがないのだ。魔力で満ちた空間で呼吸した時の、あの肺を貫くような苦しさも、全身を魔力圧に圧し潰される痛みもない。
 エレヴィスが、すこし迷ったように目を伏せる。
  
「端的に言えば、おまえを……私たちと同族にした。契約魔法の応用で、おまえの心臓に術式を埋めて、全身に魔力が巡るようにして、な」

 エレヴィスの手が、徐ろにヒューゴの左胸に触れた。

「だから、しばらくすればからだのほうに魔力が馴染む。あれから三日が経っているころだから、あと四日ほどすれば、おまえは、傍から見れば完璧に魔神だ」

 脈打つ心臓には違和感などないが、たしかにそこはかとなく感じていた気だるさのようなものがなくなっているように思った。
 おそるおそる上体を起こしても特に問題はなく、ゆったりと息ができることに感動すら覚える。三日眠っていたようだから、当然からだの節々が痛むが、それ以外は問題なく動くようだ。
 エレヴィスが、ぽつりと告げた。
  
「身勝手だったと思っている。───それでも、私は、おまえが死んでゆくのを、ただ見ていることは到底できなかった」 
「……!」

 驚きとともに彼を見つめる。彼はすこし困ったように眉を下げていて、なにか言わなくては、と思うのだ。
  
「……うれしい、です。流石ですね、皇帝陛下」

 口から滑り出た言葉は、エレヴィスへの賛辞と素直な情動だった。率直なそれを受けて、エレヴィスはかすかに口角を上げる。
   
「回路自体はひらかれていたから、そう難しい話ではない。……ただし、上手くいくかはわからなかった。成功したのは、お互い、神のご加護というやつかもしれないな」

 エレヴィスは言い切って、心底安心したように、ようやく微笑みを明確なかたちにする。
 これが褒賞、対価なのだろうか。彼の命を救ったことに対する、あまりにも大きな。

「今後、如何様にでも私をお使いください。あまりに大きなものを頂いてしまいましたから……」
「……おまえは一国の主の命を救ったのだ。褒賞を与えなくては、君主の名折れというものだろう? だから素直に受け取っておけば良い」
「それは、そうかもしれませんが……」
「それに。生きたいと願ったのはおまえだろう」

 そう言われてしまえば立つ瀬がなかった。だってそうなのだ。エレヴィスが伸ばしてくれた手を取ったのは紛れもなく自分だった。
 口をつぐむほかないヒューゴの様子に、はたして彼は満足したのか、ひとつ頷いて立ち上がる。

「おまえのからだにも不調はないようだし、私は公務に戻るとしよう。またなにか痛みがあったらトリスに言うと良い、あれにも多少の魔術の心得はある」
「ありがとうございます、陛下」

 彼はそのまま背を向けてしまう。
 揺れる金色の髪を見ていたら、それが無性に惜しくなった。どくん、と心臓が跳ねる。いまさら全身に回る熱を帯びた血流のような魔力を知覚して、それと同時に頭の中で声がする。
 ──────このひとに跪きたい。褒められたい。愛されていたい。
 目の前が眩む。
 その声はどんどん大きくなって、ついに手を伸ばしていた。

「ぁ、お待ちを、へい、か……!」

 くるりと振り返ったエレヴィスの、その表情が、一瞬驚愕に揺れた。
 
「ヒューゴ、おまえ、まさか」

 思わずこぼしてしまった、というくらいの、かすかな声。それは薄ぼんやりとした世界の中で聞こえていて、ヒューゴとはいえば頭の中でする声に翻弄されていた。
 ひゅうひゅうと喉が鳴っている。頭が割れるように痛む。ずっと涙をこぼしていて、どうしたらいいのかわからないのだ。
 あなたに跪きたい。なぜかはわからない。ただ、本能がそうせよと叫んでいる。この強者の前に膝を折れ、と。

「、ぁ、なに、こわい、……!」

 落ちていくような。心臓がいやにうるさく鳴っている。
 エレヴィスの金色の瞳と、ついに目が合った。
 
「ヒューゴ、落ち着け。……────

 ヒューゴが目を見開く。ひゅ、と浅く吸った、自分の息づかいが聞こえた。ひどい動揺をそこに滲ませて、しかし本能がエレヴィスのもとへ身体を運ばせる。
 その声に逆らえないどころの話ではない。全身がそれを待ちわびていたかのような。

「そうだ、。よくできたな」

 ずっと近くなった距離で、こどものように頭を撫でられてしまえば、もうヒューゴとしては目を蕩かすしかなかった。なに、どうして、と口からはこぼしているが、そんなことはどうでもよくなるくらい心地が良い。
 たとえば張り詰めていた糸を緩めさせられたような。

「そうか。おまえは、月光種セレナドルになったのだな」
「あ、なに…? 陛下、なに、」
「ヒューゴ、私に合わせて、ほら……」

 吸って、吐いて。気付いたら彼の腕に縋っていて、過呼吸気味だったそれも安定していく。
 そうしてヒューゴがまともに息をしているのを確認して、エレヴィスはもういちど微笑んだ。


「へいか、わたし、は……」
「一旦落ち着け。まずそこに座りなさい」

 指差されたソファに身体を落とす。すとん、と、考える前にからだが動いているのだ。
 エレヴィスが隣に腰掛けて、ひとつ深呼吸するのが見えた。らしくもないと思うと同時、彼の目元から頬にかけてがわずかに赤いのに気付く。
 彼は、迷いをにじませつつ口を開いた。

「ヒューゴ。月光種セレナドル太陽種ヘリオドルについて、しっているか」
「……ッ、しらない、です」
「ああ、大丈夫だ。怒りなどしない。知らないならいまから学べば良いだけだ」
「はい」

 どこから話そうか、とでも言いたげに視線を彷徨わせ、そしてエレヴィスは息を吸った。

太陽種ヘリオドル月光種セレナドルというのは、例えるなら男性と女性という、性の区分のようなものだ。第二性と呼ぶこともあるくらいだからな」
 
 突然なにを語り出したのかわからず瞬いてしまう。構わず、エレヴィスは続けた。

「太陽種とは、支配したい、という欲求をもつもの。月光種はその逆……つまり、支配されたい、という欲求をもつものだ。お互いにそのを満たし合うことができる存在でもあるというわけだ」

 それを聞いた瞬間、頭の中の声が腑に落ちた。支配されたい、つまりは、太陽種に跪きたい、ということなのか、と。

「だからこそ、なかには月光種だというだけで下に見るものもいるが、本質的には、太陽種こそ月光種がいなくては生きてはゆけない存在だ」
「それは、なぜ?」
「月光種は、己を支配する権利を太陽種に信託する。そして太陽種はそれを受けとり、お互いの信頼のもとで行為に及ぶ。……私たち魔性のものは、このを発散しなくてはならない。からだに不調が顕れるからだ。だから、どちらか一方だけ、という世界では生きて行けないだろう?」
「……成る、程。では、私は……」

 落ち着いてきた呼吸と、それに伴っていくぶんか回るようになった頭で情報を咀嚼する。がんがんと頭が鳴っていたのもいまは落ち着いていて、そういう欲求のひとつだと言われれば納得がいった。
 そして、お互いの信頼、ということばは悪いものではないように思うのだ──そこで気付いた。

「ま、待ってください、陛下。では先程下さったは……!」
「そうだな。おまえの同意を得ずに、」
「ぁ、いえ、違うのです。そうではなくて!」

 自覚した途端、脳内に、いままで体験したこともないほどの幸福感が溢れてきて、自然涙をこぼしていた。ぽたぽたと、膝の上で握りしめた手の上に、涙の落ちる感覚がある。
 エレヴィスが瞬いた。どうした、と問われる前に先んじて言う。

「私の、権利を、陛下は、受け取ってくださった……ということでは、ありませんか」
 
 あるいはそれに値するということ。
 
「……そうだな。そうなるか」

 エレヴィスが瞬く。ふ、と、綻ぶようなかすかな笑顔を見せて、ヒューゴの頭に触れる。そのまま慣れない手つきで撫でられてしまえば、ヒューゴとて目を溶かすほかない。

「ぁ……あ、あ……」

 そうしてエレヴィスは、しばらくヒューゴの頭を撫で続けていた。

「ヒューゴ。ヒューゴ、
「……はい」

 知らず知らずのうちに肩口に押し当ててしまっていた額を離して、エレヴィスの瞳を見上げる。
 常に金属片のようなつめたさをしていたそこは、いまは蜂蜜のような柔らかい色合いに染まっていた。
 
「とりあえず今日はこのままこの部屋にいるように。部屋から出てはだめだ、どんな危険があるかわからないからな。……おまえには、酷なことかもしれないが」 
「いえ、構いません。承知、いたしました」

 エレヴィスがからだを離す。
 言葉では了承しておきながら、それが無性にいやで、さみしくて、彼の服の袖を掴みかけてしまって──しかし手を離した。さすがにこれ以上みっともないところを見せるわけにもいかなかったからだ。
 それに、やはり迷惑かもしれない、と思うのだ。
 
「ぁ、う……」
「明日の夜また来る。そうしたら、また話すとしよう」

 エレヴィスがもう一度だけと言わんばかりに頭を撫でる。それに言葉もなく首を縦に振るだけになってしまって、しかし彼には伝わったか、そっと手が離れていった。
 そうしてエレヴィスの姿が扉の向こうに消えて、部屋を静寂で満たした。
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