行き遅れた私は、今日も幼なじみの皇帝を足蹴にする

九條葉月

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「私も入らない方がいいですか?」

 一応琳玲さんに確認する私。

「本を求める者を、蔡家の人間が止めることはありません。どうぞ、自らのお覚悟で」

 責任は一切取らないと。いい性格してるわー。

 さて。

 小さな部屋の中心にあるのは、閲覧の際に使うであろう長机。四人座ればもうキツいくらいの大きさだ。

 そんな机の天板には、鮮やかな緑色をした線がいくつか残されていた。あの患者さんが本を天板の上に置いて写本していた際、表紙がこすれて塗料が移ってしまったのでしょう。

 そう、鮮やかな緑色。大華国の染料にはない鮮やかさ。
 いや、出所の怪しい骨董品を扱ったとき、ああいう色を見たことがあるから……何百年前とか何千年前には存在したのかもね。

 一歩、部屋の中に入る。

「お、おい嬢ちゃん! 大丈夫なのか!?」

「大丈夫ですよ、私なら」

 なぜなら私は神仙術士――仙人なのだ。

「……まぁ、嬢ちゃんが言うならそうだろうけどよぉ」

 孫武さんが納得してくれたところで室内をズンズンと進み、本棚の前へ。机に残された塗料と同じ色をした本を見つめたので、視て・・みる。

「……ほほぉ」

 これは珍しい。
 そして危険な。

 ――何とも鮮やかな、緑色をした表紙の本。宝石の绿翠玉エメラルドを思わせる美しさだ。

 まぁ、この色を出すために使われているものがとんでもないのだけど。

「凜風殿。その本が『呪いの本』なのですか?」

 維さんから質問されたので、振り向きつつ答える。

「えぇ、そうですね。この表紙――ヒ素を塗料として使っています」


                  ◇


「欧羅ではシェーレ・グリーンとも呼ばれていまして」

「しぇえれぐりぃん?」

「はい。錬金術研究の副産物として生み出され、その鮮やかな緑色から壁紙やドレスの染料として広く用いられていたのです。もちろん、一部の好事家が本の表紙を染めるためにも使用していました」

「……しかし、『ヒ素』とは毒ではなかったのですか?」

「えぇ、毒です。けれど当初はその毒性が分かっていませんでしたので……大規模な中毒事件が起きてやっと危険性が知れ渡り、今では使用中止となっているはずです」

「そんなものがなぜ大華国に?」

「うーん、欧羅ではすでに製造中止になっていますし、この本もかなり古いものですから……過去、シューレ・グリーンによく似た塗料が作られた可能性はありますね。もちろんヒ素を原材料として」

 まぁこの塗料ってすぐに黒ずんでしまうはずなのだけど……鮮やかさを保っているわね。保存状態が良かったのか、あるいはシューレ・グリーンとはまた違う塗料なのかもしれない。さすがに塗料の化学式を視ても違いを理解できないのだ。ヒ素が使われていることは分かるけど。

「あ、近づかないでくださいね。触れるのも危険ですし、周辺のホコリに付着したヒ素を吸い込んでしまう可能性もありますから」

「吸い込むとあの学者のようになってしまうと……。なるほど、まさしく『呪いの本』ですな。凜風殿、処分をお任せしてもよろしいでしょうか? 我々では触るだけでも危険でしょうし」

「えぇ、もちろん――」

「――なりません」

 と、話に割り込んできたのは琳玲さん。『秘書監』という地位に相応しい姿勢と目力ね。やはりこちらが本質か。

 そんな目力で見られている維さんは困り顔だ。いくら宰相とはいえ、秘書監であり蔡家の娘でもある琳玲さんに強く出られないのかしらね?

 ……あるいは、『秘書監』としての琳玲さんを初めて目にして面食らっている可能性も? さすがに宰相でも全部の官吏と深い親交があるわけじゃないでしょうし。

「し、しかし蔡殿。実際に被害が出ているのですから……」

「なりません。高祖(初代皇帝)との約定です。蔵書楼に収められた書籍の取り扱いは蔡家に一任されると」

 まぁ、約束したならしょうがないわよね。

「それはそうですが……しかし実害が出る本というのは……」

 維さんとしては宮中に危険な本があるのは見過ごせないのでしょう。こっちも気持ちはよく分かるわ。

 そんな維さんに対し、琳玲さんはニッコリと微笑んでみせた。

「それとも、皇帝陛下は焚書坑儒をなさるおつもりですか?」

 おー、ズバッと言ったわね。
 ちなみに焚書坑儒とは始皇帝がやったとされる思想弾圧で、簡単に言うと反抗的な儒学者を生き埋めにしたり、儒学の経典を燃やしてしまったものだ。庶民の間でも始皇帝による愚行・暴政として伝えられている。

 まぁつまり、琳玲さんは本を燃やそうとする維さんだけでなく、その主君である梓宸までも巻き込んだというわけだ。やっぱり神経図太すぎない?


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