ベノムリップス

ど三一

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罪人探し編

第45話 夜の馬車

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馬車に辿り着いたニス、ギャリアー、グンカは、大分馬車が少なくなった停留所の海猫運輸の馬車の前で姉妹と馬を待っていた。辺りは暗く、振り返ると町の光が遠く見える。

「そうだ、これ…」

箱に入れられたガラス玉を取り出すと、暗い停留所をゆらゆら揺れる中の火が柔らかく照らす。ガラス玉を回転させると、絵付けした部分が影となり、地面にニスの描いたホタテと繋ぐ蛇の線の形が浮き上がる。ギャリアーとグンカは、ほうと地面の絵柄を見て、自分のガラス玉を取り出した。

「うむ…ほんのり青い光になっているな」
「ちゃんと輪郭が出てるな…上出来だ」

3人で光と影の芸術を楽しんでいると、近くで馬の鳴き声がした。それと、ベンガルの焦った声も。

「こ、この…おねえちゃんばかりに擦り寄って!」
「いつもお世話しないと忘れられてしまうわよ?最近夜通し服を作っていたから」
「いや、絶対相手を見ています!憎たらしい顔をしています!」

騒がしく近付いて来る姉妹と馬二頭。3人はこちらだとガラス玉を手に持って夜空に向かって振った。

「ん?火の玉?」
「あれはニス達じゃないかしら。夜店で売ってるお土産をもっているんじゃない?」

馬の手綱を引いてベンガルが先に急ぐ。引っ張られている馬は、ベンガルの言うことを聞きたくないが、仕方なく着いて行っているという風に顔を背けながら足を進める。海猫運輸にいる中でベンガルに寛容な馬は、生まれた頃に飼い出した老馬の一頭だけである。

「それ、どうしたんですかー?」
「絵付け体験というやつだ」
「3人で初めて演劇鑑賞に来た記念に」
「これ…」

3人揃ってベンガルの前にガラス玉を見せる。

「ちょっと子どもっぽかったかもな」
「いいなーいいなーあたしとおねえちゃんも一緒にやりたかったです!」
「わあ可愛い!皆上手ね」

遅れて合流したライアもガラス玉を眺める。馬達も光を放つ玉が気になるのか、鼻を近づけて臭いを嗅いでいる。ニスは初めて近くで見る馬の顔をじっと見て、河童かそれ以外か判断に迷っていた。その視線の意味に気が付いたギャリアーが、「食べちゃ駄目」というと、静かに「河童ね」と呟いた。

「あら?ギャリアーさんの…後ろにも何か描いてあるわね」

ライアが横から覗き込むと、パアっと花が綻ぶような笑顔になった。

「ベンガル、ここ、見てみて」
「むぅ?」

ギャリアーの側に立って後ろの絵を見ると、ベンガルはわあっと喜びの声を上げた。ガラス玉に描かれている姉妹のデフォルメされた絵をきらきらとした目で眺めた。

「可愛いっ!流石あたしのお婿さんです!」
「ふふ…私達をこんなに可愛らしくしてくれて……、え…待って…スタアのペンとサイン入りのパンフレットも…!?」

スタアを身近に感じた感動を思い出したのか、ライアはうるうると涙ぐんだ瞳が灯りに照らされる。いち早く察したベンガルがライアの横腹を擽る。するとライアは感動の涙ではなく、くすぐったさで涙をにじませた。

「おねえちゃん、皆さんを無事に送り届けなきゃですよ?クールダウンです、クールダウン」
「…ふう…ふう……ありがとう、ベンガル…ふう……落ち着いたわ」
「すいませんね、もし危なそうだったらあたしが御者をしますので」

ベンガルはきっと眉尻を上げて胸を叩いた。



「じゃあ、出発するわよ」
「はーい!」

ベンガルが元気に返事をすると、馬達が足を進めて弱冠馬車が揺れ始める。中の四人は一列に並び、馬達が曲がると中の4人も身体が斜めになる。背の高いベンガルは斜めになるとグンカに体重がかかる。さらに横いるニスにもその圧力は伝わり、ギャリアーとグンカの間に座ったニスは、2人の肩で挟まれた。

「ニス、場所変わるか?」

ギャリアーがそう申し出るが、ニスは大丈夫と言って首を振った。外の景色が見えるこの席が気に入っていた。リリナグに着く間、遊び疲れたベンガルは3人の向かいの席に横になって眠ってしまった。いつもならニスかギャリアーの膝を強請る所ではあるが、3人も同じく眠そうに目を細めている様子を見て1人向かいの席に移動した。横になるとすぐに気持ちよさそうな寝息を立てる。それを見て、3人はやはり15歳の子どもだなと話した。

「大きい子どもだな」
「でも…大分サブリナの町を歩いたからかな…俺も眠くなってきた」

ギャリアーが両腕を上げて伸びをすると、外で御者をしているライアが中に向かって声を掛けた。

「ちゃんと家に着いたら起こすから、3人とも寝ていていいのよ」
「いや、悪いよ」
「ベンガルの相手をしてくれてありがとうね。籠の中に布もあるから、一枚ベンガルにかけてあげて」

ニスが立ち上がり、隅に置いてあったバスケットから大きめの布を取ってベンガルにかけてやる。布はもう4枚あるので、ニスは2人に必要か聞いた。

「御言葉に甘えるとするか」
「帰宅してから眠れなくなるぞ」
「少しだけなら大丈夫だ。10分20分なら…」
「はい」

ニスはギャリアーに一枚布を渡した。そして一応持ってきた、グンカの分も本人に渡す。

「……眠り過ぎないように」
「寄りかかってうとうとするだけさ」

ギャリアーは身体全体に布を掛けて俯き目を瞑る。

「グンカは…?」
「…枕が無いとあまり眠れなくてな、俺は起きてる。着いたら起こしてやるからお前は眠っていろ」
「私は座ったまま眠れるけれど………膝、使う?」

ぽんぽんと膝を叩くと、グンカは少し動揺して横を向いた。ニスはそれを覗き込んで、「どうする?」と聞いた。

「御言葉に……甘える」
「ええ……どうぞ」

馬車はカタカタと上下し、夜の道を進んでいく。ニスの膝は人肌の暖かさが衣服に移っており、柔らかく暖かい太ももに横顔が沈み、すぐに睡魔が襲ってくる。寝つきの良い方であるグンカは、傾眠のつもりが本気で眠ってしまいそうなのを何とか堪える。

「寝ては駄目だ…寝ては…」

ニスは膝に加えて、自分の分の布をグンカにかける。下半身上半身両方温まってしまえば、睡魔は優勢となる。目を瞑りそうになりながら、グンカは徐々に薄れていく意識のなか、先程の夜店での出来事をニスに話した。

「ハナミが…悪かったな」
「……いえ」
「あれでも…サブリナ警備隊の……刑事部門の長だ。何か考えがあっての……ことだと、思う…。俺と…前の…関係を…気にして……」
「……わかっているわ」
「……楽しかったな」
「……うん」

そう呟いて、グンカはすうすと眠った。
ニスは指先でその短い髪を弄び、窓の外を見る。

故郷とは違う景色は、かつて友人が望んだ海の向こうの景色。
華やかな役者達が煌びやかな衣装を身に纏う演劇を、夜でさえ煌々とし光ある町並みを、未知の味を夢見ていた。

(私は…海の向こうになんて興味は無かったのに……)

やるべき事があるというのに、3人で過ごす穏やかで可笑しな生活を楽しんでしまっている。
本来霧の海で失われるはずだった命を燃やして。
ニスは窓の向こうの海を見る。月光が柔らかく道を作り、馬車の3人を照らしている。
酷く、酷く、穏やかな月夜だ。これからやろうとしている事とは正反対の静けさだ。

(2人とも……失望するかしら……やっぱりって…)

眠るギャリアーとグンカの顔を見る。その顔が怒りや悲しみ、軽蔑に変わる様を想像して胸が痛む。

(…優しい2人)

ニスは自分の胸に手を当てて、中にある硬い感触を確かめる。
胸に仕舞った装飾貝の中身、猛毒の紅を使う時、この2人がその場に居合わせない事を月に願った。


リリナグに入ると、地面を走って揺れていた馬車が、石畳になった事により安定する。幾分か気温が上がり、もう布は必要ない。グンカが寝苦しそうに布を除けるのを見て、ニスはその布を畳んで隙間に置いた。静かになった町中をパカパカと馬の蹄の音が通り過ぎてゆく。軽快な音が一定のリズムを刻み、ニスもまた眠くなってくる。この町に流れ着いて暫くは眠れない日々が続いていたが、3人で暮らすようになっていつしか朝まで熟睡するようになっていた。不眠の時に現れていた幻は夢の中の深部に沈み、魘されて起きるのも週に一度程となった。不思議な事に、その悪夢を割るのは、グンカの寝相の悪さだったりもする。

「今は…大人しく寝ているのに…何で家ではあんなに寝相が悪いの……?」
「不思議だよなぁ…」

ニスの独り言に寝ていた筈のギャリアーが返事をした。

「起こしてしまった…?」
「気にするなよ、もうすぐ家に着くだろ…?ほら、ここ…乾物屋の近くだ」

ニスが常連になった珍奇世界商店はまだ灯りがついており、店の前には店員と思わしき白装束の男が店の中に何かを運び込んでいる。

「……怪しいが、ただの閉店作業か仕入れ…だよな?」
「夜に乾物を配達して欲しいって店とか、お客さんもいるとか…」
「…どんな客なんだよ」

ニスとギャリアーが話していると、馬車は波音が聞こえる海の側に近付いて来た。あと数分で家に着くだろう。ニスはそろそろグンカを起こそうと身体を揺する。しかしグンカは身じろぎもせず、くうくうと寝息を立ててどっぷり眠りに浸かったままだった。困ったニスはグンカの耳元で声を掛ける。ベンガルを起こさないように小声で名前を呼んだ。

「……ん」

耳がこそばゆいのか、ニスの膝の間に顔を背ける。横で見ていたギャリアーは、眉尻を下げて困ったように笑った。

「グンカ……グンカ……」
「……なんだ」
「家に着くよ…」
「家…?」

怪訝な顔をしたグンカは、枕と思い込んでいるニスの膝に頬を摺り寄せ、また眠りに入ろうとしている。

「こいつ…態とじゃないだろうな…」
「…そんな人じゃないと、思う…けれど」
「おい、起きろ…!家に着くぞ」
「む゛…」

ギャリアーの声を聞くと、嫌そうに眉間に皺を寄せた。仕方なく背中をバシバシと数回叩くと、漸くグンカの脳が覚醒を始めた。目を少し開けると、正面にはベンガルの横顔があり、すやすやと眠っている。窓から見える空は夜、確か演劇を見て馬車に乗って…と記憶を辿っていく。最後付近は、ギャリアーが眠りについて、それからニスに膝を借りて…と思い出し、仰向けに向き直る。耳元で名前を呼んでいたニスの顔と至近距離で向き合った。

「あっ…起きた」
「……」
「まだ朝じゃないぞ。本格的に寝るのは家に帰ったらにしてくれ」

ニスとギャリアーの言葉が耳に入り、状況を判断できる程に脳が覚醒してゆく。突如頭に浮かんだ「起きなければ!」という声が、グンカの身体を動かした。

「いだっ!?」
「ニス!?」

グンカは何の前触れもなく起き上がった。ニスの額に自分の額をぶつけ、ごちんと鈍い音を響かせて。額を押さえて痛がるニスに対して、グンカはじんじんとする額もなんのその。それより膝枕をギャリアーに見られていた事が恥ずかしかった。

「俺が膝をかせと言った訳ではないぞ!ニスがッ…膝を叩いて…!」
「あー…わかったから…」

一気に騒がしくなる馬車の中、ベンガルはすうすうと眠っている。
グンカは上気した頬を見られぬようにそっぽを向き、小声でニスに謝った。

「…後で氷嚢を作ってやる」


ライアの到着を知らせる声で、3人は馬車から降りた。リリナグの熱帯夜は、海からの潮風で幾らか涼しい。

「それじゃあお休みなさい」

3人が礼を言うと、ライアはそう言って夜の町を静かに進み出した。馬車で眠るベンガルが落ちてしまわないように、ゆっくりと走る様馬を操って。

「家に入ったら換気しないとな」
「ああ、きっと地獄のように暑いぞ…。ニス、その鞄の中の飴は、直ぐに冷蔵庫に入れるように」
「わかった……!」

ギャリアーが家の扉を開けると、中から熱された空気が外に放出され3人を通り抜けてゆく。

「あっつい…!」
「もう直ぐ盛りだからな~…!夕方から夜にかけても締め切ってると暑いんだよな」
「い、急いで窓を開放するぞ!」

3人はほぼ同時に家に上がると、ギャリアーは台所の窓、グンカはトイレと風呂の窓を開けに、ニスは買い物鞄の中の大して減っていない飴を急いで冷蔵庫に詰める。出来たら一箇所に集めたかったが、冷気が特に必要な生ものもあるので、飴は冷蔵庫の中に散り散りになってしまった。

「……冷えたら美味しいかも?」
「はあ~暑い…ニス、冷蔵庫から水のボトルを出してくれ」
「はい」

ギャリアーは服の首あたりをパタパタとさせながら、3人のコップをスタンドから取って、ボトルの中の冷たい水を注いだ。

「水分補給」
「ありがとう……ふう」
「生き返るな…」

3人は開け放たれた台所の窓の側で一息付く。
翌朝には、3人の記念のガラス玉が棚の上に飾られていた。


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