ベノムリップス

ど三一

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灼熱の祭典編ー後

第88話 消えた砂

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翌朝いつもより早く起床したニスは、眠っている2人を起こさない様に身支度を終えて、漁の仕事に向かった。家を出て空を見ると、昨日のような灰色の雲は無く、絶妙な色合いの朝焼けが静かな町を照らしていた。向かいの喫茶うみかぜのドアには臨時休業の看板が掲げられ、朝早く仕込みをしているウォーリーも今日ばかりはとゆっくりと眠っているのだろう。ニスは帰りの日差しを避けるために麦わら帽子を今から被り、海岸沿いを歩いて行く。

(昨日の砂像も仕事が終わったら調べないと)

丁度砂像の正面の道を通りかかった時、ニスは矢張り気になって砂浜を見た。昨夜はほぼ無風であった為、風で砂像の崩れるという事はないとわかっていたが、肝心な顔の部分が風化していたらと思ってそちらを向いた。するとニスが最初に思ったのは、砂浜を間違えたということ。

「……ない?」

昨夜3人で一緒に見に行った砂像は、もしや別の場所であったのかと自分の記憶を疑ってみるが、暗いとはいえギャリアー宅から一番近くの砂浜である。間違えた、という可能性は著しく低い。ニスはいつも通りどこからか流れ着いた漂流物が散乱する砂浜を見て首を傾げた。

「大きな波が来て、崩れた?それとも…流木とか、サーフボードが…当たって砕けてしまった…?」

ニスは砂浜に降りて痕跡がないか探したかったが、ナガルと約束した漁の時間が迫っている。心残りであったが一旦そこから離れて船の出る港へ向かった。念の為他の砂浜も目視で確認したが、昨日と変わりない景色であり、そのどこにも獣の砂像はなかった。

ニスが漁を終えて家に帰ると、2人は丁度起きた所で寝床の片づけをしていた。ぼさぼさの髪を何となく直しながら家のドアが開いた音がして振り返った。グンカはたっぷりと睡眠を取ったのだろう、すっきりとした顔でおはようと挨拶をする。反対にギャリアーは大きく欠伸をしながら目をシパシパとしている。眠気がまだ抜けないようだ。

「おはよう…ニス。お疲れ様…ふあ」

その声には疲れが滲んでいた。ニスの記憶では、昨夜は工房での夜の作業はしていなかった。早朝も静かな寝息が聞こえていた為、朝早くに起きて作業していたという訳でも無いのだろう。ニスは荷物を下ろして帽子を所定の場所に掛けると、冷蔵庫を開けてギャリアーの酒が入ったボトルを見る。

(減ってる……寝酒は飲んだけど、効かなかったのかしら…)

半分より少し上まであったワインは、4、5センチ程減っていた。ニスはついでに冷蔵庫の中の食材を確認した後、愛用しているエプロンを付けた。

「朝は何が良い…?」

グンカはパンが良いと答えて脱衣所に向かう。ギャリアーは「あー…」と間延びした声を出してぼんやり考える。体調が悪いという程でもないが、身体が気怠い。あまり味の濃い食べ物は遠慮したい気分だ。

「う~ん…あっさりの…食べやすい……あ、やっぱり、同じのでいいよ」

本当は茶碗蒸しや、あっさりとした野菜のスープを入れたいと思ったが、途中でニスが大変かと思いグンカと同じメニューでと意見を変えた。ニスは何となくそれを察し、赤い髪を高い所で束ねた。

「私も……あっさりした物が食べたいから、言って。それに今日は海も静かだったから、体力にも余裕があるし」
「じゃあ……野菜のスープか、茶碗蒸し」
「ええ、わかった」

ギャリアーはベッドの上で作業着に着替えながら、ニスの調理する後姿を見る。たまごを沢山出して、カチン、カチン、と1個ずつ割ってボウルに入れる。砂糖と塩と醤油を台の上に出して、引き出しからチャムから貰ったレシピを糸で束ねて一冊にまとめた冊子を取り出した。そこからパラパラとページを捲り、目的のページを探し出すと、丸めた状態で持ちながら、調味料をボウルに加えていく。他の調味料も全て加えたら箸で混ぜて陶器の器に流し入れる。

「……」

じーっと見ていると、脱衣所から出てきて別人のようになったグンカが、「待たせたな、空いたぞ」と声を掛けた。ギャリアーは、おう、と返事をしてベッドから立ち上がる。まな板に包丁が下ろされるトントンとした規則的な音を扉越しに聞きながら整えていると、何も食べなくてもいいとまで思っていた腹が、不思議と空腹を主張しだす。

「新聞に昨日の芸術祭の特集記事が載っているな。ほう…前年よりも、来場客が1、4倍…」
「パンはどれがいい?」
「ああ、食パンだな。待て、俺が切るからいい」

新聞の捲れる音、どたどたと立ち上がる音、日常の景色と付随する音がもやもやとした頭の霞を晴らしていく。鏡に映っていた情けない顔は、脱衣所を出る頃には幾らかましになっていた。


「今日の朝見たら、昨夜3人で見た砂像が無くなっていたの」

ニスは今朝見た光景について2人に話した。

「日付が変わったと同時に壊したのか…?」
「砂だから、一瞬の切なさを表して…等意味があるのではないか。風に晒され、波に晒され、儚い芸術であるからな」

食卓には焼きたてのパンが3枚。湯気立つ優しい味の茶碗蒸しに、食卓の中央には蒸した複数の野菜と根菜。それに賭けるソースはお好みで。ついでにスモークしたハムも横の皿に何枚か乗せて、食べたい人が食べるという方式にしている。ニスは食事中、ギャリアーがちゃんと食べているか気にしていた。心配をよそに、ギャリアーはパンの上に蒸し野菜を乗せて、マヨネーズを掛けてホットサンドイッチにして美味しそうに頬張っていた。あっさりしたものが良い、と言っていたが体調が好転したのだろうか?ニスは同じ様にサンドイッチを作ってもぐもぐと食べながら様子を見ている。

「後で砂浜に行って見てこようと思うの」
「そうか…。あ、それならこの後で海猫運輸に依頼書を持って行ってくれるか?表の作品を運搬してもらうんだ」
「ええ」
「場所は後で地図書いて寄越す。広い道で分かりやすい建物だから、迷う事もないだろうけど、町人なら誰でも知ってるから聞いたら答えてくれる」
「そんなに有名…?」

唇についたマヨネーズを拭きながらニスが質問すると一足先に食べ終わったグンカが答えた。皿には醤油マヨネーズの痕跡が残っており、蒸し料理を美味い美味いと言って食べていた。

「会社と自宅が兼用でな。社員寮の代わりに自宅に住まわせているから、かなり大きな建物だ。運送会社だから、表にその日の馬車を引く馬を待機させる小型の牧場もある。…看板を見たら一目瞭然だ」
「そうなの……確か、2人の実家だったわね」
「今日、リリナグリリィは営業予定であったな。ベンガルの学校は長期休み中だが、居るかはわからん」

グンカは流しで皿を洗うと、出勤の準備を手早く済ませて家を出た。ニスはギャリアーに体調が優れないのかと聞くと、ギャリアーは頭を振って大丈夫だと答える。

「茶碗蒸し、美味いよ。ありがとな」
「うん……」

ギャリアーは朝食を終えると、表に飾ってある展示作品を一旦店に仕舞い、運搬用の梱包を施す。ニスに届けてもらう紙には、明後日までには届けたいと希望を書き記している。また別のニスへ渡す道案内用の紙に目印の建物と交差点、何処から行ったらわかりやすいかを考えながら地図を完成させていく。海猫運輸の場所に丸で囲んで目立つ看板ありと加えて、皿を拭いて仕舞っている所のニスに渡した。

「これ地図。海岸沿いから行った方がわかり易いかな」
「……うん、何となく場所は把握した。海猫運輸は何時から開いているの?」
「朝早く…4時には配達に動いてる。受付もしてるからそこに渡してくれ」

ニスはなるべく早く届けてしまおうと、店の前の掃除を終わらせた後、地図を手に持ち依頼書を鞄に入れてお使いに向かった。


警備隊詰所では、早朝勤務の隊員達が集まり始めて、賑やかな朝となっていた。深夜勤務の隊員達が申し送りをしていると、マスクで顔を隠したランがこっそりと出勤してきた。

「…おはよう。おはようございます、おはよう…」

どうにも声に元気がなく周りの隊員達にする挨拶の声は弱弱しい。グンカは自分の直ぐ近くに腰かけたランが弱冠顔を逸らして「おはようございます…」と挨拶をするのを見て心配する。体調不良も問題であるが、ランは2人きりで何かを話したい様子が以前から見られた。溜めこんだものを吐き出さねば乗り越えていけない程、過剰に心労が溜まっているのかもしれないと考えたグンカは、勤務表を見て事情通の隊員であり彼女の双子の姉ユンの勤務を調べる。

(…被ってはいるが)

ユンが居ればこっそりと事情を探ることも出来るが、この日ユンは昼からの勤務である。部下の管理は上司の仕事であると、意を決してグンカはランにマスクをしている理由を聞く。

「ラン、マスク等珍しいな。風邪でも引いたか?」
「い、いえ…元気です!元気なのですが…」

ランは問題ないと手を振るが、声は沈んでいる。

「……この1か月とても忙しかったからな。疲労の蓄積で体調が芳しくないのも、心労が溜まるのも無理はない。勤務変更が必要な場合は申し出てくれ。代わりに出るから少し休んで…」
「ち、違うんです!本当に元気なんです!昨日ケーキを沢山食べたので!」
「しかし…」
「マスクも別の問題です!本当に心配しないでください!いや、心配してくださるのは…とても嬉しいのですが…」

彼女の染まった頬も、マスクが邪魔をしてグンカには見えない。

「ならば何故マスクを?」
「その……」
「怪我をしているのか?」

ランは段々と心配が深くなっていくグンカの様子に、居心地が悪く思った。何故なら彼女は本当に元気であったから。寧ろ、普段より元気である。それは偏に、先日の芸術祭での催しで食した大量のケーキの為。栄養も糖分もたっぷりと補ったその身体では、過剰な栄養に対する反応が表出していた。ニキビである。

(ぷつぷつぷつぷつと…忌々しいニキビめ!口の端は赤くなって口を開けると痛いし、大きな声が出せん。隊長が心配そうに此方を見ている…見せたくはない…隊長にこの有様を見せたくない!欲をかいて大量のケーキを食し、挙句の果てに持ち帰り用のケーキも買って帰宅したその夜に平らげてしまった…!私は愚か者だ…稀代の愚か者だ…!)

芸術祭の夜、夕食と晩酌を楽しんでいた双子姉妹。彼女たちは酒が入ると腹が減るタイプであった。特に脂っこい食べ物を欲し、2人して冷蔵庫にあったサラミを無くすと、ジャガイモをスライスして揚げようと提案するユンを諌めて寝床に寝かせた。1人になったランはコップに残った酒をちびちびと飲みながら、妙に腹が減っていた。

(あれだけケーキを鱈腹食べたと言うのに、何か食べたい……昼抜きで参加したのが今頃になって効いてきたのか?無性に食べたい…)

ランはチラッとサラミの乗せられていた皿を見る。そこにはサラミの脂身と肉が少量付いた欠片が残っていた。ランはそっと手を伸ばして1センチ程のサラミの欠片を手にして、音を立てないようにゆっくりと噛む。ユンに気付かれたら面倒な事になると知っていた。

(美味い……ゆっくり食べると、ご飯が欲しくなる…ほぼおかずじゃないか、こんなの…)

ランはこの欠片をゆっくりと食した事で余計に食欲が増進された。皿に複数あった欠片も頂戴して、何でもいいから食べたいと冷蔵庫を漁り出す。勿論冷蔵庫の開閉の音には細心の注意を払っている。

(きゅうりならば、明日に響かないか?セロリをそのまま食べるのもいいな…)

野菜コーナーを探して一本きゅうりを発見すると、それを片手に持って他には何があるか探る。流石に肉を焼いたらユンが臭いで起きてしまうので諦めて、その上の段を見ると、持ち帰り用のケーキの箱があった。明日食べようと大事に仕舞っていたものである。それを目にし、中身を想像した瞬間、ランの舌と胃袋が急激にケーキを欲する信号を受信し始めた。

(ケーキ!ケーキ…ケーキ…ケーキ…!)

駄目だとは思いつつ、手はきゅうりごと箱をそっと包んでいる。

(食べない!食べないがっ…中を見るだけ!私が食べるのは、このきゅうりのみ…っ)

マヨネーズもそっと持って冷蔵庫を閉める。手に持った誘惑者達をテーブルの上に一つずつ置いた。そして箱を開封する。

(ああッ…美味しそう!フルーツがキラキラして…っ、宝石のようッ…!)

ランはきゅうりとケーキを見比べて、ごくりと唾を飲んだ。結果は翌日起床した顔に表れていた。ランの悲痛な叫びで起床したユンは、その顔と軽くなったケーキの箱を確認して何があったか察した。ランはその日、グンカからの心配の視線を浴び続け、居た堪れない思いをしながら勤務をする事になる。
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