慰めの山宿

ど三一

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 雪を踏み締める音がした。しかもそれは不規則で、音の間隔的に複数でなければ辻褄が合わぬものであった。扉の隙間からは、まだ足音の主は見えない。だが、確実に接近している。熊は限界まで目を見開き、白雪に紛れる何者かは居ないか探す。獲物であればもう一度狩をして己が糧に、敵であったならば手に持った斧で追い払うくらいの事は出来るだろうか。そう考えて斧の刃を見る。昨夜の狩の血の跡が残っていた。
 じっと息を潜めて様子を窺っていると、次第にチラチラと雪が舞い始めていた。熊は隙間から手を伸ばし、フワフワと落ちてくる一つの結晶を掌に迎えた。結晶は斧の柄の直径程もあり、今日のような風のない日では、ゆっくりと降り積もるだろう。扉が開かなくなる前に一度外に出て雪を払わねば、そう考えていると、いよいよ足音が半町程(約50m)の距離まで迫って来た。熊の寝ぐらがあるこの開けた雪野原の手前は、緩やかな坂路となっており、その正体を目にする時には、相手にも寝ぐらが見える位置である。熊は三寸程(約9cm)開けていた隙間を一寸にした。自分の臆病に呆れる、それは初めてのことではない。しかし、回数を重ねたから開き直れる程、熊の心は納得していない。まだ、過去の栄光ある自分へと戻る、一筋の糸が繋がっているのではないかと足掻いている。執着がその糸を離さない。その糸に雁字搦めにされている事を知っていても、若さ、強さへの悲痛なまでの貪欲は、我が心に傷を負っても手を伸ばし続けている。

 静かな雪山に、かんじきを履いた男衆6人が大荷物を背負って傾斜面を登ってゆく。編笠の上には雪が降り積もり、かんじきを雪から引き抜く度にさらさらと滑り落ちる。山の麓、登り始めまでは、軽口を叩き、この真冬の雪山に登らせた元凶について文句も吐けたが、中腹まで来ると、寒さと疲労が口を重くする。汗は風の無い今日でもあっという間に冷え、肌から体温を奪ってゆく。先頭を歩く者の足取りが徐々に遅くなり、背後の者達も手を使って太腿を何とか上げて前に進む。そんな中、男衆の1人が背負う荷物だけが、元気に口を開いている。

「だから捨てるなら春にしてって言ったのに。あんた達も今頃家で囲炉裏でも囲んでいる筈が、こんな冬山で荷運びとは運が悪いねぇ。あの姑は血も涙もない鬼婆だよ、全く」

男衆の荷物の中には女が居た。足にはかんじきを履きながら背負子に座り、6人の男衆の中で一番年若い男が女を背負って雪山を登っている。女を背負う男は遂に耐えかねて、雪に足を取られて前に転んだ。女は身体を雪に投げ出されて、ひゃあ、と声を上げて柔らかな雪に半身が埋まる。運んでいた男は何度目かになる泣き言を他の男衆にぶつけた。

「はあ…はあ…いい加減にしてくださいよぉ…!俺の脚はもう、鉛でも下げられたみてえに重くて仕方ねえ…!代わってくださいよ、兄さん方ぁ…っ」
「弱音を吐くな、元治。我らとて同じだ…この米俵を代わる代わる担いでおる。この一俵より、お前の荷は軽い筈だぞ」
「軽いったって、動かない米俵の方がマシだよぉ…!姉さんったら、態と体重を掛けたり、左右に動いたりして、転ばないよう余計に踏ん張ることになっちまって、俺にゃもう無理だぁ…」

男衆は元治の疲れ切った様子にため息を吐き、冷たい冷たいと元気に騒ぐ女に、なけなしの良心を期待する。

「なあ、おぬいよ…お前の境遇に同情はするが、そろそろ己の足で歩いてはくれぬか…?」
「嫌だね、あたしが好き好んでこの冬山に入った訳じゃない。この丈夫な足は、食糧を転がしながら、この雪山を下って人里に帰るまで休ませておくんだ。元治、もう一息だ、頑張りな」

お縫と呼ばれた女は雪の上に立つと、ざくざくとかんじきで雪上を歩き、居場所である元治の背負子に腰を下ろした。すると元治は悲痛な叫びを上げて男衆に縋りついた。

「も、もう嫌だ、兄さん方…!俺は姉さんを背負うのも懲り懲りだが、人殺しの片棒も担ぎたくねえ!元はと言えば、あの旦那が……うわああん!」

おいおいと雪を抱いて泣きだす元治と、その背中で頑張れと言ってカラカラと笑うお縫いに、男衆は顔を見合わせてほとほと困った様子であった。






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