オドゥールは君のなか

えいぬ

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オドゥールは君のなか

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 まだまだ子供でいられると思っていたあの日から、幾年月ほどが僕らの心と体を通り過ぎていったのだろう。たったの数年、ほんの数年と大人たちは思っているかもしれない。
そうであったとしても、子供から大人へと、心と体が変質していく僕らにとっては、たったの数年、ほんの数年は、長く、楽しく、鮮やかで愛おしい香りの染みついた特別な幾年月だった。
 
 そんな『特別』は、離別の年月と共に記憶が薄れていくものの、鼻をくすぐる、甘く懐かしい香りが、心の記憶をほのかに呼び起こしてくれる。季節がいくつか通り過ぎても、それは変わらない。

 『君にきっと、会いに行くよ』
 離別の時、俺が放った言葉を思い出す。顔も忘れてしまった記憶の君に、どこかで会えるだろうか。そもそも向こうは覚えているだろうか。
 ああ、それとも、顔を忘れてしまったことを、薄情と思われてしまうだろうか。
 懐かしい街並みを遊歩しながら、そんなことを考える。
 そもそも、まだこの街に住んでいるのだろうか?
 ……それすらもわからない事に気づき、そこからは思考することを辞めてしまった。

 黄色く乾燥した落葉は足元を彩り、シンとして張り詰めたような青い空は果てなく頭上に広がる。
 甘く懐かしい香りが心を通り抜けていった。

──

 「諒くん、今日もよろしくね」
 そう声をかけられた青年は、よろしくお願いしますと軽く会釈をした後、白いシャツに着替え、首元に慣れた手つきで、黒いスカーフタイをするりと巻き付ける。
 挨拶主の男性は、穏やかな笑顔を浮かべつつ、青年のいつもと変わらぬ様子を確認すると、思い出したかのように付け加えた。
 「あぁ、それと来週から新しいスタッフの子が一緒に働くことになるんだけど……」
 男性の穏やかな笑顔に、少しだけ変化が訪れる。
 「働く前に、どんな仕事をしているのか知りたいらしくってね。今日、お客さんとして遊びにくることになったんだ~」
 「へえ、勉強熱心な子ですね。……何かこっちでしておくことありますか、店長。」
 今まで働いていても、そういった行動をする子は見たことがなかったため、青年は素直にそう思い、口に出したのだ。
 「う~ん、そうだねぇ…特にこれと言ってはないかな~?普段通りの接客をしてくれればそれでオッケーだよん」
 いつもの軽い調子で店長は応対しつつも、その表情と口調から、内心浮足だっているように見受けられる。何かあるのだろうか?
 「……店長、その新しいスタッフの子と何かありました?」
 「いやっ! とくには何もないよ~? まあ明るくていい子はそうだし、働く前に親睦を深めるのいいよネ~と思ってるだけだよ~」
 「軽い……」今までそんなことした事なかったじゃないかと内心では思いながらも、諒は黙っていることにした。
 「えへっ、そうかな~? まあいいじゃない、僕のお店だしね? とりあえず少しだけ気にかけてあげてね、諒くん~」
 「はい、了解です」
 にんまりとした笑顔を微かに浮かべる店長に、やはり疑問と違和感は感じつつも、無駄に掘り下げるのも億劫なのもあり青年はスルーを決め込んだ。
 店長は白く長い尻尾を、大きくゆっくりと振りながら、興味津々と言わんばかりに笑顔を浮かべてた。
 
 支度を済ませた青年は、タイムカードを打刻し、ホールへと足を運ぶ。お店の敷地はさほど広くもないため、更衣室からホールまではすぐの距離だ。
 レトロチックな細工が施された扉を押し明けると、芳しい紅茶の香気が鼻を通り抜け、胸に広がる。後を追うように漂う焼き菓子の香ばしい香りは、ほんの少し、諒の食欲を刺激する。いつもと変わらないお店の空気。
 スンッと少し鼻を鳴らした諒はいつもと変わらない空気とは別に、甘い香りが微かに漂っていることに気づいた。
 (新しい菓子でも焼いているのか……?)
 新作のお菓子であれば、特に珍しくもない。そうであれば、バイト終わりに試食させてくれるだろうか。
 ほんの少し、期待に胸を膨らませた諒は、バーカウンターに入り込み、店内をぐるっと見渡す。
 カウンターにパラパラと感覚を開けて座る犬人、窓際の席には近所の主婦であろう猫人2人組、ソファー席の物静かな淑女。磨き上げられたガラス窓から差し込む、暖かな色見。いつもの馴染みの風景に、諒は少しだけ居心地よく感じた。
 そんな見慣れた店内で、カウンターからもよく見える窓際のソファー席には、見慣れない猫人の高校生が、店内をきょろきょろと見渡している。手元にはメニュー表はあるが、それよりも気になることがあるのだろうか。
 そこまで考えたときに、店長との会話を思い出し、諒はそれが例の「お客さん」であることを察した。
 それとほぼ同時だろうか、その「お客さん」との視線が合うこととなった。クリっとした丸い瞳は、暖かな日差しが差し込むガラス玉のような橙をしており、ほんの少しだけ、諒は目が奪われてしまった。
 ほんの一時、見入ってしまったものの、視線の合った猫人が、手を少し上げてこちらを呼んでいることに気づくのには、そう時間は掛からなかった。
 諒はバーカウンターを抜け、足音は控えめに、猫人の元へと足早に向かう。
 来週から一緒に働く子で間違いないだろうか。店長は「親睦を~」などとは言っていたが、でもまあいつも通りの接客をすれば問題ないだろう。
 そう思い、次の行動に移ろうとしたタイミングとほぼ同時に、猫人の高校生は、くしゃりとした笑顔を浮かべ、口を開いた。
 
「諒ちゃん、だよね?久しぶり!……俺のこと、覚えてる?」

 いつも通りのフレーズを口から発しようとした諒の言葉は、ただの吐息となり口から抜けていくこととなった。
 猫人のガラス玉のような瞳と、その笑顔に多少の既視感を感じつつ、甘く懐かしい香りが、諒の鼻をほのかにくすぐっていった。
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