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第七章 トリックの答え合わせ
第2話 夜の推理室――ロックされた謎
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午後八時半。
捜査が一段落した二十階のレストランには、非常灯だけが残っていた。
白い光の下、安由雷は一人、テーブルに腰を下ろして缶コーヒーを飲んでいた。
静寂が、冷めた金属のように空気を満たしている。
自動ドアが開く。
「先輩」
悠真が入ってきた。手には同じ缶コーヒー。
「署長に、一報を入れてきました」
「……」
安由雷は視線だけを上げ、静かに相手を見た。
「何か言ってたか?」
「はい、いつも通りです」
「ハハ、いつも通りか」
安由雷が鼻の頭を軽くこすり、苦笑をこぼした。
「壊したものはないか。
パトカーは無事か。
担当所轄からクレームは貰っていないか――それだけです」
「なるほど。……たしかに“いつも通り”だな」
賞賛もねぎらいもない。
署長の関心事はいつだって、“始末書”が出るかどうかだけだった。
二人の間に、しばし静かな時間が落ちた。
悠真の缶を開ける音が、遠い残響のように響く。
悠真が口を開く。
「先輩は初めから、本郷が犯人だと分かってたんですか?」
「そうだな」
安由雷は短く答える。
「馬場への電話で“奥さん”がどうとか――容疑者の中で既婚者は、彼だけだからな」
「ふーん……なるほど」
悠真が頷きながら、コーヒーを一口。
「僕、まだ事件の全容がつかめてません。
でも、先輩――あの玄武警部補が書いたホワイトボードの中に、答えがあるって言ってましたよね?」
「……ああ」
安由雷が目を細める。
「あれ、たしか――、
A:自殺説、B:本郷説、C:吉川説、E/F:三木塚説①、②の、五つの仮説でしたよね」
「いや」
「え?」
「答えは――最後の“G”だよ」
安由雷が缶を置いた。金属がカチリと音を立てる。
「……“G”ですか?」
その瞬間、悠真の手が止まった。
ペン先が、ページの余白に触れたまま動かない。
「あれ、もう消されてましたよね。たしか……」
悠真は、慌てて手帳をめくりながら、眉を寄せる。
「――本郷が馬場を地下に呼び出して、十三階から“8号機”に乗った。
そして、エレベーターの中の『行先ボタン』を、一階ではなく、地下一階を押して下りた。
でも、そうなると、一階の『上行ボタン』で“8号機”はロックされない。
だから、あの仮説は消されてましたよね?」
安由雷は小さく頷く。
「ああ。それが俺の中でも、最後まで残った、唯一の矛盾だった」
「……先輩でも、悩むことあるんですね?」
「ふふ。人を殺すより難しいのは、偶然が作る気まぐれな“共犯者”を読むことだ」
冗談とも本気ともつかない声。
そのまま、安由雷は言葉を継いだ。
「覚えてるか? エレベーター管理者の話」
「あ、……はい。何でしたっけ」
「本郷は十三階から“8号機”に乗って、行き先を地下一階に設定した。
一階ホールでは天宮たちが『上行ボタン』を押した。
理屈の上では、“8号機”は地下一階へ向かう設定だから――
一階は素通りするはずだろ」
「ええ、そうですよね!」
悠真の目が大きく見開かれる。
「地下一階を押してるなら、一階の『上行ボタン』の優先順位は最後になります!」
「だよな」
安由雷がわずかに笑った。
「でも、実際には本郷の乗った“8号機”が――一階にロックされた」
「ええ……?
ビルのシステム上――地下一階を押しているエレベーターは、
一階より“下”を目的地にしているため、『上行』には反応しない仕様なのに」
「だけど、地下一階を押している“8号機”が、一階の『上行ボタン』で『最も早く一階に到着するエレベーター』として選ばれた。――おかしいだろ」
悠真が額に手を当てる。
「そうですね……。“8号機”が地下一階を押してなければ一階で止まる。
押していれば、一階は素通りする。
――じゃあ、なんで“8号機”が選ばれたんですか?」
安由雷は缶を傾け、最後の一口を飲み干した。
金属音が静かに響く。
「そして、実験のときも、一階でロックされた俺の乗ったエレベーターは、一階では止まらず、お前が待つ地下一階へ行っただろ。――これが今回の、最後の謎だ」
彼はわずかに口角を上げた。
「ああ、たしかに。 ……けど、なんで? なにが起きているんだろう?」
悠真が首を傾げる。
非常灯の白光が、二人の缶の銀面に淡く反射した。
捜査が一段落した二十階のレストランには、非常灯だけが残っていた。
白い光の下、安由雷は一人、テーブルに腰を下ろして缶コーヒーを飲んでいた。
静寂が、冷めた金属のように空気を満たしている。
自動ドアが開く。
「先輩」
悠真が入ってきた。手には同じ缶コーヒー。
「署長に、一報を入れてきました」
「……」
安由雷は視線だけを上げ、静かに相手を見た。
「何か言ってたか?」
「はい、いつも通りです」
「ハハ、いつも通りか」
安由雷が鼻の頭を軽くこすり、苦笑をこぼした。
「壊したものはないか。
パトカーは無事か。
担当所轄からクレームは貰っていないか――それだけです」
「なるほど。……たしかに“いつも通り”だな」
賞賛もねぎらいもない。
署長の関心事はいつだって、“始末書”が出るかどうかだけだった。
二人の間に、しばし静かな時間が落ちた。
悠真の缶を開ける音が、遠い残響のように響く。
悠真が口を開く。
「先輩は初めから、本郷が犯人だと分かってたんですか?」
「そうだな」
安由雷は短く答える。
「馬場への電話で“奥さん”がどうとか――容疑者の中で既婚者は、彼だけだからな」
「ふーん……なるほど」
悠真が頷きながら、コーヒーを一口。
「僕、まだ事件の全容がつかめてません。
でも、先輩――あの玄武警部補が書いたホワイトボードの中に、答えがあるって言ってましたよね?」
「……ああ」
安由雷が目を細める。
「あれ、たしか――、
A:自殺説、B:本郷説、C:吉川説、E/F:三木塚説①、②の、五つの仮説でしたよね」
「いや」
「え?」
「答えは――最後の“G”だよ」
安由雷が缶を置いた。金属がカチリと音を立てる。
「……“G”ですか?」
その瞬間、悠真の手が止まった。
ペン先が、ページの余白に触れたまま動かない。
「あれ、もう消されてましたよね。たしか……」
悠真は、慌てて手帳をめくりながら、眉を寄せる。
「――本郷が馬場を地下に呼び出して、十三階から“8号機”に乗った。
そして、エレベーターの中の『行先ボタン』を、一階ではなく、地下一階を押して下りた。
でも、そうなると、一階の『上行ボタン』で“8号機”はロックされない。
だから、あの仮説は消されてましたよね?」
安由雷は小さく頷く。
「ああ。それが俺の中でも、最後まで残った、唯一の矛盾だった」
「……先輩でも、悩むことあるんですね?」
「ふふ。人を殺すより難しいのは、偶然が作る気まぐれな“共犯者”を読むことだ」
冗談とも本気ともつかない声。
そのまま、安由雷は言葉を継いだ。
「覚えてるか? エレベーター管理者の話」
「あ、……はい。何でしたっけ」
「本郷は十三階から“8号機”に乗って、行き先を地下一階に設定した。
一階ホールでは天宮たちが『上行ボタン』を押した。
理屈の上では、“8号機”は地下一階へ向かう設定だから――
一階は素通りするはずだろ」
「ええ、そうですよね!」
悠真の目が大きく見開かれる。
「地下一階を押してるなら、一階の『上行ボタン』の優先順位は最後になります!」
「だよな」
安由雷がわずかに笑った。
「でも、実際には本郷の乗った“8号機”が――一階にロックされた」
「ええ……?
ビルのシステム上――地下一階を押しているエレベーターは、
一階より“下”を目的地にしているため、『上行』には反応しない仕様なのに」
「だけど、地下一階を押している“8号機”が、一階の『上行ボタン』で『最も早く一階に到着するエレベーター』として選ばれた。――おかしいだろ」
悠真が額に手を当てる。
「そうですね……。“8号機”が地下一階を押してなければ一階で止まる。
押していれば、一階は素通りする。
――じゃあ、なんで“8号機”が選ばれたんですか?」
安由雷は缶を傾け、最後の一口を飲み干した。
金属音が静かに響く。
「そして、実験のときも、一階でロックされた俺の乗ったエレベーターは、一階では止まらず、お前が待つ地下一階へ行っただろ。――これが今回の、最後の謎だ」
彼はわずかに口角を上げた。
「ああ、たしかに。 ……けど、なんで? なにが起きているんだろう?」
悠真が首を傾げる。
非常灯の白光が、二人の缶の銀面に淡く反射した。
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