25件目の完全犯罪 ―動く密室に挑む天才刑事―

握夢(グーム)

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第七章 トリックの答え合わせ

第3話 弁当理論の逆襲とチョイすご先輩

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安由雷は、両肘をテーブルにつき、指先をピラミッドのように合わせた。
非常灯の白光の中で、その長い指が鼻先の影をつくる。

「――この最後の謎を解くカギは、おまえの一言だった」

その指先を、静かに悠真へ向ける。
切れ長の目が、意味ありげに細められた。

「僕の言葉……ですか?」

「ああ」
安由雷は、わずかに口角を上げた。
が、悠真はまだピンと来ていない様子で、首を傾げる。

「おまえが言っただろ。
 “弁当の注文の変更は、買う前なら有効だけど、買った後は無効にしたい”って」

「はい、本音ですけど」

「本郷が乗った“8号機”じゃなく――一階に呼ばれている“8号機”に本郷が乗ったんだよ」

「……え? どういうことですか?」

安由雷は笑みを浮かべ、静かに続けた。

「『買った後は無効、でも買う前なら有効』。
 エレベーターも同じだ。
 中で《地下一階》を押した後に、一階ホールの『上行ボタン』を押しても無効。
 だが――一階の『上行ボタン』でロックされた後に、そのエレベーターに乗り込み、地下一階を押すことは《有効》になる」

悠真の目がぱっと開かれた。
「つまり、……本郷は、一階に呼ばれて“下りてきた8号機”に途中から乗り込んだんですね!」

「そういうことだ」

安由雷の声は穏やかだった。
「たぶん、十五階か十六階などの上にいた“8号機”が、一階ホールで天宮たちの『上行ボタン』でロックされた。
 その途中で、本郷が十三階ホールの『下行ボタン』で止めて乗り込み、地下一階を押した。
 その偶然が、あいつの“完璧なアリバイ”を作り上げた。
 ……そして、俺たちは、さっきの実験で、それを崩してみせた」

悠真は感嘆の声を上げ、椅子を軋ませた。
「へぇ~っ、そういうことだったんですね!
 一階に呼ばれた方が早かったのか……スゴイ!」

彼は完全に納得したというより、ただ純粋に尊敬していた。

「やっぱり先輩はスゴイや!
 でも、今回は僕の助言がなかったら詰んでましたよね?
 つまり、僕、完全に超えたってことですよね」

安由雷は小さくため息をついた。
「……はぁ」

「先輩は“チョイすご”だけど、僕は“マジすご”ですよね!」
悠真は大きくガッツポーズを作り、自分で頷く。

「そうだ、チョイすご先輩!」と続ける。

「まだ僕には、ひとつだけ疑問があるんですよ――
 あの実験のとき、一階で“6号機”のドアが閉まらないようにしていた捜査員に向かって、
 先輩、“グッドジョブ”って言ってましたよね。あれ、なんですか?」

「……ああ、あれか」
安由雷が少し意味ありげな笑みを浮かべた。
「あれはあんまり気にするな」

「えー、気にするなって。
 やだなぁ、それじゃあ余計気になりますよ。
 ――先輩、教えてくださいって」

安由雷は長いまつ毛を伏せ、静かに言った。
「実は。――あの実験、最後に“もう一つの登場シーン”を考えてたんだ」

「もう一つの……登場シーン?」
悠真が聞き返すと、安由雷はゆっくりと頷いた。

「一階ホールに、先に帰った犯人役の本郷が“6号機”で最初に登場する。
 次に、おまえ――被害者役の悠真が一人乗った“10号機”が一階に着く。
 そうすれば、当日の状況そのままになる。
 本郷が先に着き、被害者があとから到着する構図だ。

 そして――本郷が降りて、“6号機”のドアが閉まる。
 全員が唖然としている中、“チン”とチャイムが鳴り、
 その“6号機”のドアが、再び静かに開く。

 ……その中から俺が、『何かありましたか?』という顔で降りてくる。
 ――それが最初に考えていた演出だった」

悠真の目が丸くなる。
「えっ、それって……本郷の背後でドアがまた開いて、
 “6号機”に乗って先に出発していた先輩が、少し遅れて、何食わぬ顔で降りてくるってことですか!?
 まるで、“6号機”に二つの箱があって、
 先輩がタイムスリップの寄り道をしてきたみたいじゃないですか!」

「だろ」
「けど、……そんなことが出来るんですか?」

「ああ」
安由雷は苦笑しながら続けた。

「地下一階で本郷を“6号機”に乗せて一階へ行かせたあと、
 “10号機”にはおまえ一人で上に行ってもらう。
 それから俺は、地下一階の『上行ボタン』を押して、一階にいる“6号機”を呼ぶ。

 玄武たちが乗って一階に降りて来たエレベーターは、十一階のボタンを押して、最初の位置にでも戻しておいてもらえば、地下一階へ一番早く着くのは、一階にいる“6号機”になるからな。 

 ――そうすれば、“再登場のトリック”は成立する」

悠真は感嘆の声を上げた。
「おお! すごい! 
 なんで、それにしなかったんですか!?
 最後の《エンディング》としては、そっちの方が完璧じゃないですか!」

「そうだな」
安由雷はカップを指で軽く回した。

「ただ――もし本郷が降りたあと、気を利かせた捜査員が
 “6号機”のドアを“開けたまま”にしていたらどうなる?」

悠真が瞬きをする。
「……降りてこない?」

「そう。“6号機”は永遠に一階に留まったまま。
 俺は地下に取り残されて、登場できない」

「ああ!!」

安由雷はコーヒーをひと口。
「まぁ、その時は、非常階段を駆けのぼって、非常口から華麗に登場する事はできるけど……。
 ――息切れしていない振りをして、説明をするのは、ちょっと切ないだろ」

悠真は吹き出しそうになりながら笑った。
「それで! ――あのとき、“6号機”のドアを閉じないようにしていた捜査員に“グッドジョブ(予想通りに良くできました)”って言ったんですね!」
悠真は大きく頷いた。

安由雷は、捜査にはどうでもいいようなことにも周到であった。

――◇――

安由雷は、静かにコーヒーを飲み干し、窓の外へ目を向けた。
ガラス越しに、横浜の夜景が滲んでいる。
ランドマークタワーの赤い点滅が、規則正しく瞬いていた。

「……じゃあ、そろそろ行くか」

安由雷が立ち上がる。
悠真もそれにつられて立ち上がり、
安由雷の空き缶を受け取って、ホール端の回収ボックスへ小走りに向かった。

――二〇階のエレベーターホール。

本庁へ報告をするために地下に止めてある車へ戻ろうと、二〇階のエレベーターホールに出たところで、三人の捜査員と立ち話をしている辰巳警部と出くわした。 

辰巳警部は一瞥すると、二人へ向かってゆっくりと歩いて来た。

「おまえたち、ここにいたのか。そろそろ帰るのか」

「はい。いまから本庁へ戻ります」
安由雷が答える。

辰巳警部は頷き、
「今回はよくやった。ご苦労さん」と低い声で言った。

その言葉に、悠真が小さく肩を張る。
安由雷が、横の悠真に首だけ傾ける。

「――悠真!」
「はい?」

「いつものやつ――」

「え? あ、はい!」

一瞬ためらったが、悠真は胸を張って前に出た。
警部の背後にいた捜査員たちが、何が起きるのかと目を向ける。

「警部殿!」

「ん?」

「今回の犯人は、確かに頭の切れる人でした。
 でも――たった一つ、大きなミスを犯しました」

辰巳警部が眉を上げる。

「それは、僕と先輩――いや、先輩と僕がこの事件の担当になることまでは、予想していなかったことです。以上!」

悠真は深々と一礼し、颯爽と安由雷の隣に戻った。

安由雷は苦笑しながら、悠真の腹を軽くグーで叩く。
「ぐおぉぉぉ!」
悠真は大げさに腰を屈めて、痛がって見せた。

――◇――

エレベーターのドアが閉まり、二人の姿が消えた。

「あっ……」
辰巳警部が小さく声を上げる。

本郷を県警へ護送するのに同行した奈々花から、悠真に渡してほしいと頼まれていたメモを思い出した。
――白い紙には、十一桁の数字が書かれている。

「……まあ、いいか」



辰巳警部は、天井を仰ぎ、ひとつ深く息を吐いた。

「……『24時間のアユライ』――か」

その名を反芻するように、唇がかすかに動く。

笑顔を滅多に見せない辰巳警部だが、
エレベーターホールのガラス窓に映った横顔は、
夜景の光を受けて――静かに、満足げな笑みを浮かべていた。

まるで、終わった夜を見送るように。
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