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第六章 お手並み拝見

第5話

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現場の捜査が一通り終わって、安由雷は、二十階の非常灯だけになった薄暗いレストランホールのテーブルに座って、缶コーヒーを飲んでいた。他には誰も居ない。


「先輩」
と、自動ドアが開いて、悠真がレストランホールへ入って来た。

「署長に、電話で一報を入れてきました」
「……」
安由雷が顔を上げると、悠真が片手に缶コーヒーをもって、正面の椅子に向かい合って腰掛けた。

「署長、何か言ってたか?」
「はい、いつも通りです」

「ハハハ、いつも、通りか」
安由雷が、人差し指で、鼻の頭を撫でて笑った。

「はい、壊したものはないか。パトカーは無事か。担当所轄に迷惑を掛けてクレームを貰ってはいないだろうな、……と」

「そか、たしかにいつも通りだ」と、安由雷が、缶コーヒーを一口飲んだ。
毎度のことながら、賞賛や、ねぎらいの言葉は一切ない。署長の関心ごとは、この二人が動いた時の、パトカーが無傷で戻って来る事と、始末書の有無だけなのである。


悠真が、缶コーヒーのタブを引き抜きながら、
「先輩は初めから、本郷が犯人だと判っていたんですか?」と聞いた。

「そうだな。馬場に電話が掛かって来た時に奥さんがと、……容疑者の中で既婚者なのは彼だけだしな」
「ふ~ん」と、悠真が頷いた。

「だけど、今回は一つだけ、最後まで解けない事があった」
「えっ、先輩でも、解けない事が?」と、悠真が聞き返した。

「悠真、エレベーター管理者の話を覚えているか」
と、安由雷が、悠真の顔をまっすぐ見ながら言った。

「エレベータの、……話ですか」と、悠真は首を傾げた。

「本郷が、十三階から8号機のエレベーターに乗り込んで、の行先ボタンを押した。同じ頃に一階ホールで天宮が、上行ボタンを押しただろ。8号機は地下一階を指示されているので、天宮が上行ボタンを押したのなら、一階は素通りする……」

「ああ、一階の上行の呼び出しには、地下一階へ向かう8号機は、優先度が一番最後になりますよね」
「だよな。でも、本郷の乗った8号機は一階にロックされたんだよ。一階ホールの上行ボタンだと、地下一階が押されている8号機は、最も優先度が低くなるはずなのに」

「ああ、本当だ。これはおかしい!?」
悠真が、クリっとした目を見開いた。

「本郷が、エレベーターの中で、地下一階の行先ボタンを押していなければ、エレベーターは一階に止まって、天宮たちの目の前でドアが開いてしまう。もしも押していれば、今度は一階は素通りするので、一階ホールの上行ボタンには、8号機以外の他のエレベーターが選ばれてしまう」

「じゃあなんで、一階の上行ボタンに8号機はロックをされたんですか?」
と、悠真が大きく首を傾げた。
天宮の聴取では、一階ホールで押したのは上行ボタンだけで、下行ボタンは押してはいないと言うことだった。

「なぜ、8号機はロックされたのか。今回の犯行が地下一階であることは判っていたけど、この謎が、おれの頭の中で、最後まで引っかかっていた」と、安由雷が、もう一度悠真の顔を見た。
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