可愛い義妹が婚約破棄されたらしいので、今から「御礼」に参ります。

春先 あみ

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1巻

1-3

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 第三王子はミーマニ王国で生まれ育ったが、彼の瞳は赤みを帯びた茶色――戦時中、何度も王国に進軍させた「首切り王」、隣国の先代国王と同じ色だった。
 そのため市井しせいはもちろん、社交界でも王城内でも、第三王子は畏怖の目で見られていた。
 それどころか侍女や護衛騎士、教育係まで第三王子に陰湿ないやがらせを繰り返した。
 食事が運ばれてこない、教科書に小さな刃が挟まれている、改ざんされた古い内容を暗記させられて恥をかかされるなど、一人一人のいやがらせが積み重なり、第三王子は毎日の食事すら満足に取れないまま、侮蔑の言葉と視線に耐えながら、厳しい王太子教育を受けなければならなかった。
 その頃国王と正妃は流行り病の弊害で荒れた国の情勢に翻弄され、側妃は遠く離れた離宮に隔離されていた。手紙もすべて改ざんされ、第三王子の現状を正しく理解する者はいなかった。
 そして、彼が立太子して一年、第三王子は亡くなった。
 原因はただの風邪。
 栄養を摂り、体を温めてゆっくり休めば、三日とかからず治ったことだろう。
 しかし、誰一人食べ物も水も運んでくることはなく、部屋の鍵は外から閉められ、冬だというのに暖かい毛布もなく、暖炉には灰すらなかった。
 その状態で一週間放置された第三王子は、やせ細り冷たくなっていた。
 彼の部屋に残された日記には「僕が何をしたというんだ」という言葉がびっしりと書き込まれていた。
 部屋の惨状と日記を見て、国王が問いただし、立太子してから彼の身に降りかかったことがようやく明らかになった。
 誰もが口をそろえて「死なせるつもりはなかった」と訴えた。
 誰かが食事を運ぶだろう、誰かが毛布を運ぶだろう、王子なのだからきっと……皆がそう思って。その降り積もる悪意に潰され、彼は死んだのだ。
 不幸は続き、彼の母である側妃が離宮で自ら毒をあおって息子の後を追った。
 彼女にとっても離宮での生活は快適なものではなく、それでも息子が王太子として頑張っていると信じて一年間耐えてきたのだ。
 王子の死を、彼が受けていた仕打ちを知り、絶望した王女は迷いなく毒を口にしたという。
 隣国はその仕打ちに対して、王女の輿入れとともに所有権を譲った鉱山の返却を求めた。
 鉱山は希少な鉱石が採掘できることから国に大きな利益をもたらしていたが、それに否を唱えられるはずもない。和平条約の解消とともに軍事介入されてもおかしくない事態だ。
 ミーマニ王国は鉱山を返却し、そこで働いていた王国民はすべて解雇された。
 三人の王子の死によって、国は大きな不安に包まれ、王家に対する民の支持率は下がる一方だった。
 流行り病を退け、国の滅亡を防いだにもかかわらず、相次いだ王族の死。
 人々の心に巣食う不安と不満は言葉となり、あちこちで飛び交う。
 そんな時、王城からフィベルト家に遣いがやってきた。
 下されたのは「第四王子であり、次の王太子となるオズワルド王子と、マーガレット・フィベルトの婚約を命ずる」という国王からの勅命であった。
 オズワルドは第二側妃の息子で、唯一生き残った王子だ。彼を名家フィベルト公爵家の令嬢であり、そしてなにより聖女マリアの娘であるマーガレットと婚約させることで、公爵家を後ろ盾につけ、同時に失墜した王家への信頼を回復させようという魂胆は見え透いていた。
 国王の勅命は公爵家といえども覆すことはできない。
 オズワルドは国境付近の離宮で、母親と限られた侍女だけに囲まれ、生まれた時から完全に俗世とは隔離された箱庭で育った。
 そのため流行り病のことも、自分の腹違いの兄たちに起こった悲劇のこともまったく知らなかった。
 国王は第三王子の件がよほどこたえたのか、オズワルドの願いはなんでも叶えた。
 欲しいというものはなんでも与え、いらないというものは遠ざけた。
 おそらくは、彼を甘やかすことで心のなかの罪悪感を拭おうとしたのだろう。
 オズワルドは勉強をいやがっては婚約者のマーガレットに押しつけ、王太子としての公務もすべてマーガレットにやらせた。
 マーガレットは王太子妃としての過酷な教育を強いられて、寝る時間すら満足に取れない日が続き、文字通り血を吐きながら努力をしてきた。
 その結果、皮肉なことに彼女は素晴らしい知識と、誰もが見惚れる王族としての振る舞いを身につけ、他国からも高い支持を得る次期王太子妃となった。
 他国からの客人はこぞってマーガレットに会いたがり、逆に、他国のマナーを面倒がり挨拶すらろくに学んでいないオズワルドは、何度も恥をかく羽目になる。
 彼がその苦い経験から学ぼうとするならよかったが、一度ついた怠け癖は簡単に治るものではない。むしろ精神が子どものまま体だけが成長してしまった彼はわがままが強くなり、さらになんでもかんでもマーガレットに頼るようになった。
 それでいて自分が恥をかけば、マーガレットに「自分を立てろ」「女のくせに可愛げがない」と癇癪かんしゃくを起こす。
 甘やかされ、王子として生きるための武器を何一つ身につけないまま大きくなってしまった王子と、王子の責務をすべて肩代わりしてきたマーガレット。
 オズワルドもある意味では被害者なのかもしれない。同情心はまったく湧かないが。


 ローゼリアは、幸せがゴッソリと逃げていくような大きなため息をついた。
 馬車のなかは、人さえいなければため息を思い切りつけるところが何よりの利点だと思う。
 姿勢を正したローゼリアの視線の先に、懐かしい門が見えてきた。
 王立貴族学園……ロベルトとローゼリアの母校でもある全寮制の学園だ。

「ローゼリア・ドラニクスと申します。こちら、許可証ですわ」

 門番に簡単な挨拶を済ませて入校許可証を見せると、マーガレットの部屋の鍵を渡されてなかに通された。
 ちょうど昼休みらしく、廊下は生徒たちで賑わっている。

「まあ、賑やかだこと」

 校内は懐かしく、ついつい見渡してしまう。
 広々とした廊下には、生徒たちのおしゃべりが響き渡っていた。

「おい! そこの女! ……私を無視するとは不敬罪で殺されたいのか!? おい!」

 わらわらと集まる男子生徒のなかの一人が、不躾にもローゼリアを指さして怒鳴りつけてきた。
 実は先ほどから話しかけてきているのは気づいていたのだが、あえて無視していたのだ。

「まあ、これはオズワルド王太子殿下ではございませんか。お目にかかれて光栄ですわ」
「先ほどから私が直々に呼んでやっていたのだぞ!? 気づかぬとは、貴様はそれでも貴族か!」

 美しい金色の髪に青い瞳。それは王家の血統の証だ。
 ――その美しい外見は、内面の美しさと反比例しているに違いない。
 ローゼリアはうやうやしく頭を下げると、彼女の最大の武器である鉄壁の微笑みを浮かべた。

「大変申し訳ございません、殿下。周りのお友達の背が高いもので隠れてしまって……殿下の美しい御尊顔が見えませんでしたの」
「っ……貴様らのせいで恥をかいたではないか! この木偶でくぼうども!!」

 オズワルドは周りの取り巻きたちにやつあたりをし始めた。
 ローゼリアの調べ通り、年の割に背が低いことを気にしているらしい。
 伸ばすべき場所はほかにあると思うのは、おそらくローゼリアだけではないだろう。

「ところで殿下、私のような者に何か御用でしょうか? 王太子殿下からお声がけいただけるとは大変な名誉でございます。なんなりとおっしゃってくださいませ」
「ふん、話がわかる女だな」

 女、と呼び続ける様子を見ると、ローゼリアの名前どころか家名もわからないのだろう。
 仮にも婚約者だった女性の親戚にあたる貴族の家名程度も覚えられないとは、と頭を抱えたくなりながら、鉄壁の笑顔はまったく崩さない。

「マーガレットを知らぬか? あやつめ、いつまでも逃げ隠れして姿を見せぬのだ」

 危うく崩れそうになったが、笑顔のまま答えた。

「マーガレットとは、殿下の婚約者であらせられるマーガレット・フィベルト公爵令嬢のことでしょうか?」
「まあ、今はそうだ。父上が隣国から戻り次第、婚約は破棄してやるし、公爵家からも追放してやるがな」

 そこまで言うと取り巻きたちが「今はまだ伏せておきましょう」「こやつに騒がれても困ります」と今さら止めている。
 ローゼリアは怒りを通り越して呆れ果てた。
 王族といえども、公爵家の人間をそこまで好き勝手できるわけがないと知らないのだろうか?
 それも証拠も証人もいない、冤罪とも言えないただの言いがかりで突きつけた婚約破棄など通るはずもない。
 そこまで知恵が回らないから、あんな馬鹿騒ぎを起こしたのだろうが……
 怒りがスーッと冷たくなっていくのを感じて、そのまま笑顔を凍りつかせてやる。

「私は本日、親戚の用事で立ち寄っただけですわ。お役に立てず誠に申し訳ございません。ですがマーガレット様に、殿下がどのような御用件がおありなのかお伺いしとうございます。何かお役に立てることがあるやもしれませんわ」
「ふむ……では適当に私の言葉を伝えておけ。マーガレット、いい加減に罪を認めて私の前で頭を垂れろ。いつまでも逃げ隠れするとは罪人にはふさわしいが、私も忙しいのだ! とな」
「殿下のお言葉、確かに拝聴致しました」
「貴様、なかなか優秀だな。また会う時があれば使ってやってもいいぞ」
「身に余るお言葉でございます」

 凍った笑顔のまま淡々と応対すると、オズワルドは満足したのか、取り巻きをぞろぞろ引き連れて去っていった。
 ――おやつにリンゴを持ってきて正解だったわ。ちょっとお行儀が悪いですが握り潰してジュースにしましょう。喉が渇いたから、三つほど潰しましょうか。
 それにしても、わかってはいたが、すべて手紙に書かれた顛末の通りだったようだ。マーガレットを即座に公爵家へ送り届けた令嬢の判断は正しかったと証明された。
 これで彼女の家に正式な御礼ができる。
 どんな贈り物をしようか、手紙の文面はどうしようかと考えながら、ローゼリアは先ほどの耳障りな雑音を必死に脳内で抑え込んだ。


 学園の寮には、四人部屋、二人部屋、個室の三種類がある。
 部屋分けは爵位や学園内の素行で決められており、マーガレットは広々とした日当たりのよい個室だ。
 荷物はきちんと整理整頓してあったため、箱に詰めなおすだけで済んだ。
 本来なら荷物の整理といえども、貴族の令嬢の部屋の扉を開けっ放しにすることはありえない。
 なのでローゼリアは、わざと扉を開けっ放しにしておいた。
 部屋に入る時に、何やら面白そうな気配を感じたため、釣ってみようと思ったのである。
 どうやら釣り針にかかったようだ。

「この不届き者め! マーガレット様のお部屋で何をしている!?」

 今にも抜刀しそうな勢いで飛び込んできたのは、美しい赤毛をポニーテールにした少女だった。
 騎士学部の制服を身にまとい、腰には使い込まれた剣を下げている。
 彼女はローゼリアの姿を見るとしばし固まり、すばやく膝をついて頭を垂れた。

「ローゼリア公爵夫人とお見受け致します!! 軽率な行動と言動をお詫び申し上げまする! マーガレット様の義姉あね君に対しての不敬……このスカーレット、末代までの恥! お許しを頂ければこの首、この場で断ち切り献上つかまつりまする!」

 少女は腰の剣をすらりと抜き取り、騎士の作法に乗っ取った自刃じじんの体勢に入った。
 ローゼリアが思った通り、面白そうな娘だった。

「こちらこそ、扉を開けっ放しにして誤解させてしまったわね、ごめんなさい。私にも非があるのだからそんなことはなさらないで」
「首がいらぬとなれば、この腹を開きお詫びを致したくグハッッ!!」
「首も腹も切るんじゃない馬鹿!!」

 スカーレットと名乗った少女の頭に、分厚い辞書が思い切り振り落とされた。
 辞書を構えたもう一人の少女は、髪を短く切りそろえて文官学部の制服を身にまとっていた。

「マーガレット様のお部屋をアンタの血で汚す気? 馬鹿じゃないの!?」
「む、確かに!! では、外に出て首をはねますゆえ、メアリ殿に我が首を託します、献上を頼みまする」
「首なんか渡されても困るでしょ!? 何度もマーガレット様に止められたんだから懲りなさいこの脳筋!!」

 対照的な二人のやり取りに、ローゼリアは笑い転げてしまった。
 ころころとした笑い声にはっとした二人は、慌てて姿勢を正して頭を下げる。

「お目汚し、大変申し訳ございません。ローゼリア・フィベルト公爵夫人閣下」

 深々と二人そろって頭を下げられ、ローゼリアも優雅に礼をする。

「こちらこそ、驚かせて本当にごめんなさいね? 改めて、ローゼリア・フィベルトよ。貴女たちはマーガレットのお友達かしら?」

 一瞬、返事をしかけてから二人は顔を見合わせて、深く礼をした。

「公爵夫人閣下に先に名乗らせてしまったご無礼をお許しください。私はメアリ・ポッドと申します。両親はともに平民ですが、この学園に通うため、遠縁のポッド男爵の養子となり名をお借りしています。マーガレット様は貴族とも呼べない私を、お茶会に招いてくださったり、貴重な本をお貸しくださったりと、寛大なお心で接してくださり、素晴らしい時間を共有させていただきました」
「自分はスカーレット・バードでございまする! 父は男爵にございまする! マーガレット様は、自分が騎士学部の男どもに乱暴されそうになっていたところを、私の友人に手を出すならフィベルト家を敵に回すと思いなさい、と庇ってくださいました! あの勇ましくも美しく凛々しいお姿は、自分のまぶたの裏にしかと残っておりまする! マーガレット様のためならば、溶岩を泳いで向こう岸に渡ることもしてみせまする!!」

 二人の男爵令嬢、メアリとスカーレットは誇らしげにマーガレットとの思い出を語ってくれた。
 友人だと聞いて二つ返事ができなかったのは、身分の差を気にしたからだろう。

「そう、こんなに素敵なお友達がマーガレットにいたなんて嬉しいわ。私は学園で親しい友人はいなかったから、羨ましい」

 二人はキラキラと瞳を輝かせた。

「さ、さすがはマーガレット様が淑女のかがみとおっしゃっていた御方……」
「マーガレット様が天使なら、ローゼリア様は女神でありまする!」

 ローゼリアの美しい微笑みに、二人は目が眩むような心地がした。


 ローゼリアは、メアリとスカーレットを招き入れて、マーガレットの部屋でお茶会を開いた。
 メアリは紅茶をいれるのがうまく、ローゼリアも思わずお代わりをしてしまったほどだ。

「マーガレット様のお荷物が、ローゼリア様の手で持ち帰っていただけるなら安心ですわ」
「自分たちもこれでお役御免でありまする。安心して退学届けを出せまする!」

 メアリとスカーレットの言葉に、ローゼリアは耳を疑った。
 この学園は、国で唯一の教育機関。
 家庭教師を呼べる上位貴族と違って、男爵令嬢の彼女たちは退学してしまえば、独学するしかなくなってしまう。

「なぜ、退学を? あのお馬鹿様のせいなの?」
「半分くらいは、そうですね」
「しかし、悔いはありませぬ!」

 二人の話を詳しく聞いて、ローゼリアはついに頭を抱えた。
 お馬鹿様……オズワルドはマーガレットとの婚約破棄騒動を起こした後、他国を巡っている国王陛下にマーガレットとの婚約破棄と、エンジェラとの婚約を認めてほしいと手紙を送ったそうだ。
 返事を要約すると、「マーガレットとフィベルト公爵家に頭を下げて謝罪するように。婚約破棄は認めない、頭を冷やしなさい」という内容だったという。
 エンジェラは男爵令嬢。当然正妃にはなれないし、そもそもマーガレットとの婚約は王家の名誉挽回のために仕組まれたもの。
 国王としては、破棄などとんでもない話だろう。
 ちなみに、なぜスカーレットとメアリが手紙の内容を知っているのかというと、オズワルドが校舎の中庭のど真ん中でわいわいぎゃあぎゃあと手紙を読んで騒いでいたからだそうだ。

「私たちは例のパーティに招かれませんでしたけれど、次の日の朝礼で全校生徒を集めて、自分たちがしでかしたことを武勇伝のように誇らしげに語っておりました。マーガレット様があの娼婦もどきにいやがらせをしたなどと妄言まで……」
「信じているのは彼奴きゃつに取り入ろうとする金魚の糞くらいでございまするぞ!! マーガレット様が他人にいやがらせをするなど、魚が空を飛んだというほうがまだ信じられまする! そもそも悪いのは不貞を働いた自分だというのにマーガレット様に対してあのような仕打ち……腹立たしいことこの上なしにございまする!!」

 その日から生徒たちは、元々遠巻きにしていた王太子一行をさらに遠ざけるようになったそうだ。
 そして行われるようになったのが、下位貴族へのあからさまな差別。
 テストの改竄かいざんに悪質な虐め、そして授業料を払えと取り巻きたちから金を巻き上げられる。
 教科書を盗まれる、取り上げられる、燃やされる。
 購買部の販売員は王太子に金を積まれたらしく、伯爵以下の者には鉛筆すら買わせない。
 逆にエンジェラはろくに授業も出ていないのに成績トップ。
 噂では、エンジェラにはあらかじめテストの答えを教えてあるとも言われている。

「なんでも、あの娼婦もどきのエンジェラさんの成績がトップになれば、陛下も考えを改めてくれるのではないかと考えたそうです。過去に、非常に優秀だった男爵令嬢が正妃として迎えられたという記録が残っておりますから、それを真に受けたのかと……」
「あらあら」

 ローゼリアは広げた扇子の陰で小さくため息をついた。
 その記録は確か百年ほど前のことで、その頃は戦争の影響で女児が少なく、王妃の爵位にかかわらず貴族であるかどうかだけが重視されていた。
 彼女が優秀だったというのは、後づけだという説もある。

「こんなところでは勉強になりませぬ……! 下位貴族の生徒はすでにほとんどが退学しております。自分たちはマーガレット様のお荷物を守るために残っておりました! ここ一週間、毎日誰かしらが盗みに入ろうとしていて超引いたでありまする!」

 ローゼリアはかつての母校への思いが消えていくのを感じながらお茶を飲み干した。
 ここまで腐敗しているならば、教員たちも王太子に買収されているのだろう。
 後は退学届けを出すだけなら実家まで馬車で送らせてほしいと、ローゼリアは二人をなかば無理やり馬車に押し込んだ。
 二人とも何度も頭を下げて、侯爵家の馬車に乗るのは初めてだと大はしゃぎしていた。

「ローゼリア様。誠に恐縮なのですが、この手紙をマーガレット様に渡していただけますか?」
「自分もぜひ、お願いしとうございまする!」

 男爵令嬢である二人は、マーガレットに手紙を送れない。
 メアリは退学後、ポッド男爵との養子縁組を解消し、診療所を営む両親を手伝いながら薬師を目指す。
 スカーレットは、実家の領地を巡回する騎士に任命された。彼女の領地では女性初の正式な騎士となるのだという。
 その旨と、マーガレットへの感謝を綴った手紙だ。
 ローゼリアは二人を抱きしめた。

「私の可愛い義妹いもうと、マーガレットの素晴らしい友。メアリ、スカーレット、貴女たちの幸福を祈ります」

 こうして、ローゼリアの母校見学は終わった。
 おそらく、もう足を踏み入れることはないだろうが、最後に素晴らしい少女たちと出会えたことだけが何よりも嬉しい収穫だった。
 メアリとスカーレットを送り届けた後、ローゼリアはドラニクス家の領地に向かった。

「父上、母上。ただいま戻りました。馬車をお返しに参りましたわ」
「まあまあローゼリアちゃん、おかえりなさい」

 迎えてくれた母、リアロッテはにこやかに微笑み、馬車を引いてきた馬たちにたっぷりの水ととびきりの牧草を山盛りに用意した。

「ローゼリア、馬車はしばらく使ってよいと言っただろう?」
「父上、そうは参りませんわ。私はフィベルト公爵家に嫁いだ身。ドラニクス家のものはあくまでも借りるだけです。ケジメはつけなければなりません」

 厳格な父は眉間の皺をさらに深くして、屋敷に引っ込んだ。
 わかりづらいが、自分は嫁いだ身だと娘からはっきり言われたことがショックだったのだ。
 寂しい男親の心は娘に伝わらない。
 リアロッテは「マーガレットちゃんに食べてもらって!」と大量の焼き菓子を持たせてくれた。
 そしてローゼリアは、愛馬シュナイダーにまたがりフィベルト家への帰路につく。


「ただいま戻りました、ロベルト様」
「おかえりなさい、リア。疲れただろう? 湯浴ゆあみの用意をさせておいたからゆっくり温まっておいで。その後、みんなでご飯にしよう」

 ロベルトの言葉に甘えて、たっぷりの湯に浸かり、疲れた体をほぐしてから食堂に向かうと、マーガレットが席についていた。

「おかえりなさいませ、ローゼリアお義姉ねえ様。私のためにお忙しいなかお手間を取らせてしまって……申し訳ございません」
「まあ、マーガレットったら。私たちは家族なんだから、そんなことで謝らないでちょうだい? あら、今日は川魚の香草焼きね。とてもおいしそうだわ」

 食卓にメインとして置かれているのはローゼリアの好物、川魚だ。
 香草の香りが川魚の生臭さを消し去り、食欲をそそる香ばしさに変えている。

「では、頂こうか」

 ロベルトの言葉で手を合わせ、神への感謝を捧げてから和やかな食事が始まった。
 魚は新鮮で皮がパリッと香ばしく、身は柔らかくて口当たりがいい。
 疲れていたからか、塩気が身に染みるようでどんどん食べてしまう。

「ローゼリアお義姉ねえ様、お魚はおいしいですか?」
「ええ、とても。最近はお肉が多かったから、格別においしいわ」

 結婚式があり、ここ一年は挨拶回りや客を招くのに食事会を開くことが多かった。
 王国では祝い事に食べるものは肉が定番となっている。
 ローゼリアは川魚が好物なのだが、貴族は泥臭い平民の食べ物だと嫌う者が多く、市場には滅多に出回らない。
 自分で釣りに行こうにも時間が取れなかったため、川魚をゆっくり味わうのは本当に久しぶりだった。
 マーガレットも楽しげに食事を進めている。
 婚約破棄の騒動からしばらくは、自室で食事を摂るようロベルトが命じていた。
 食卓に招くと、心配をかけまいとローゼリアたちと同じものを残さず食べて、後から吐いて倒れることを繰り返していたためだ。
 自室でスープなど消化によいものをゆっくり食べる。食べたくない時、体調の悪い時には無理をして食べないという訓練がようやく実を結び、こうして楽しく食事ができるようになったのだ。
 ロベルトがクスクスと笑うと、フォークとナイフをそっと置いた。

「マーガレット、その魚は君がリアのために釣ったものだといつになったら言うんだい? お義姉ねえ様に喜んでもらうんだとあんなに嬉しそうにしていたのに……」
「お、お兄様!」

 マーガレットは真っ赤になって立ち上がった。
 後ろに控えていたメイドが咳払いをすると、大人しくちょこんと座る。

「まあ……このお魚はマーガレットが釣ったの?」
「え、ええ。ロベルトお兄様が気晴らしにと綺麗な小川に連れていってくださって……お魚が泳いでいたんです。それを見て、お義姉ねえ様が川魚をお好きで、最近はお肉を召し上がることが多かったから、喜んでくださるかと……」
「僕は使いの者に釣り上げてもらおうかと言ったんだけどね。でもマーガレットが、今日も自分のために出かけてくれたお義姉ねえ様に、私も自分の手で何か差し上げたい、お料理はジャックの作るご飯が世界一おいしいから、代わりに私は新鮮なお魚を釣ります! って頑張ったんだよ」

 ちなみに、ジャックとはフィベルト家の専属料理人で、今のロベルトの言葉に急いで厨房に下がり「マーガレットお嬢様!! 身に余る光栄でございます!!」と泣き叫んでいる。

「ひどいわマーガレット! もっと早く教えてくれたらゆっくり少しずつ味わって食べたのに、もうほとんど食べてしまったわ!」

 マーガレットが真心込めて釣ってくれたという最高のスパイスが……空腹に任せてガツガツ頬張っていた数分前の自分を殴りたい。

僭越せんえつながら、ローゼリア様」

 手を挙げて発言したのはメイド長、アンナだ。

「このアンナ、マーガレットお嬢様を赤子の頃から見守ってまいりました。恥ずかしがってなかなかご自分の手柄だと言い出せないだろうとも予想しておりましたので……」

 エプロンのポケットから瓶詰めを取り出して掲げる。

「勝手ながらマーガレットお嬢様のお釣りになった魚を一匹、オイル漬けに致しました。三ヶ月は保ちますわ」
「アンナ! 貴女は最高のメイド長よ!!」

 こうして、フィベルト家は久しぶりに楽しい夕食の時間を過ごしたのだった。


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