御伽葬儀

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一章

千草の夢

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 『ピピピピピ!ピピピピピ!』
 無機質で高い音が狭い空間の中で響き渡る。目覚まし時計が、神経に触る声で主人を起こそうとしているのだ。その時刻はきっかり午前7時を示している。暖かな優しい日差しが東の窓から寝室に差し込みんできた。腹立たしくも清々しい秋の朝だ。
 「んんぐっ……うっ…」
 そんな中、シングルベッドの掛け布団からは何やら変な声が漏れ、もぞもぞと動き出した。そして気怠けそうに左手だけがひょっこりと掛け布団の隙間から出て、辺りをたたきだした。
 『パン、パン、パン………バシッ!』
 鈍い音が鳴って、主人はやっとアラームを止めることに成功したらしい。
 再び蠢く布団の中から寝ぼけ眼の彼が這い出てきた。フラフラした足取りでなんとかベッドから降りて直立し、両腕を天井に向けて大きく伸びをした。深く息を吸いこみ、吐くと同時に欠伸も自然とした。彼の黒髪は寝癖が盛大に付き、顎周りも少し青くなっている。
 いかにも間抜けに見て取れてしまうこの青年は「春河千草」という。千草は目を擦りながらパジャマのまま寝室からキッチンへと歩みを進めた。辿り着くとすぐに袋に詰められた食パンを一枚取り出してトースターで焼き、電気ポットでお湯を沸かし始めた。その間に自分の体は洗面所へ持っていき、顔を洗って青くなった髭を剃り、ボサボサの髪も整髪料をふんだんに使って、くしで入念にとかしたのだ。すると、先刻までの自堕落そうな見た目に反して好青年が形成されてしまった。洗面所で全てを終えると、丁度『チンッ!』とパンが焼けた音が鳴った。お湯も湧き終わったようで、キッチンに戻り朝食の準備をいそいそと始めた。きつね色に焼き上がったパンにバターを塗って、沸騰したお湯はインスタントのコーンスープ粉に注ぎ、冷蔵庫からサラダと牛乳を取り出した。フォークも食卓に載せる。
 「いただきます」
 この部屋には千草一人しか住んでおらず、それでも几帳面に両手を合わせそう言った。
リビングのベランダからは雀たちが忙しなくピッピ、チュチュンとお喋りを楽しんでいる。
 千草は早々に朝食を取り終わると、歯を磨き、着ていたパジャマを脱ぎ捨て、洗濯機に投げ込んだ。続いてリビングにあるクローゼットを開けて糊のきいたYシャツにスラックス、ベルトとネクタイ、それに上着を、慣れた手つきで着こなした。ネクタイなどは、クルクルと弄ぶように首に巻き付けていたけれど、最終的には一線の狂いもなく真っ直ぐに、真っ直ぐに縛ってみせたのである。身支度を整えると、 次に毎日仕事場に持っていく鞄の中身を整理した。その黒鞄の取手を掴み、最後にはガスの元栓やら窓の鍵やらを確認し始めた。ここから千草がとても、几帳面でいて心配性であるということが分かるだろう。全てをチェックし終えて満足した千草は、これでもかという程に磨かれたローファーを丁寧に履いていく。
 「行ってきます」
 行ってらっしゃい、と返事をしてくれる声もないと分かってはいるのだが、毎度毎度言ってしまうのはどうにも不思議なことに思えて仕方がない。それでも千草は言わねば気が済まないのだろう。マンションのドアの鍵を閉めると、三回ドアノブを回すことでしっかりロックされているのか確かめた。
 住処の建物から脱していつもの仕事場へと、しっかりした足取りで向かう。まだ朝早いせいか道を歩いている人はほとんど見当たらない。時々見かけたのは犬の散歩をしている人や、公園内でウォーキングを楽しんでいるご老人くらいだった。昨晩は雨が降ったのか、アスファルトの地面は濃い藍色に染まり、芝生にも露が多く、今にも垂れそうになっている。
 千草の仕事場は徒歩15分で着いてしまう程近い所に立地している。黙々と歩き続けると例の建物の前にいた。木製のドアを開くとカランカランと涼しいベルの音が鳴り、そこは古風なお屋敷…いや、お屋敷のような事務所があった。全体をアンティーク調で揃えた家具に、朱色の絨毯、天井には眩しいほどのシャンデリアが施されている。扉を開けた直線上に大きな木製の机が置かれていた。その机の上に足を乗せ、大っぴらに新聞紙を開いて読んでいる人物が居る…。千草は迷いもなく人物の方へ進む。
 「おはようございます。御鶴さん」
 千草の声に反応したのか、読んでいた新聞紙をバサッと机の上の乗せていた足に落とした。
 「やぁ、千草くん。おはよう」
 御鶴と呼ばれた男性は柔らかく頬を緩め、愛想よく笑ってみた。しばらく間があって御鶴は何かを読み取ったのか、千草の顔をまじまじと観察し始めた。
 「……また、夢を見たんだね」
 そう言ってふぅ、とため息混じりの息を漏らしたが、御鶴の瞳は爛々として興味深く視線を彼に向けている。
 「ご明察です。やっぱり分かりましたか?」
 「そりゃあね、君の顔を見れば分かるよ」
 苦笑しながら千草は頭を掻いてた。
 「で、どんな夢を見たんだい?」
 御鶴は腕を組み、千草は一呼吸置いてからゆっくりと口を動かした。

 「アリスが、死にました」

 「今日、アリスと思われる誰かが転落死します」

 春河千草、23歳。どこにでもいる、平々凡々な青年。だが彼の見る夢は、予知夢である。外れたことは…一度たりとも無い。
 そして今日、『必ず誰かが死ぬ』という未来を見たのであった。
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