【完結】愛玩動物

匠野ワカ

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25_三日後

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「それで、三日、ですか」

 呆れを誤魔化すつもりもないエリクレアス施設長の視線に、ティフォは顔を上げられなかった。



 地球人に攫われてから三日。
 連絡一つ入れずに、それはそれは濃密で淫らな時間を過ごしたティフォは、ようやくムームからの許しを得て宇宙船に戻っていた。

 そして事情を聴取され、今に至る。




 人払いされたこの部屋には、部屋の主であるエリクレアス施設長と、安堵のあまり泣き出してしまったカヤ、そしてティフォの三人だけだった。

「どれだけ上層部と警護部隊を宥めるのに私が苦労したことか。本当に、大変だったのですからね」
「誠に、申し訳なく……」
「まぁ賢いムーム君なら、そう無茶なことはしないと信じて待ってはいましたが。それにしても、三日」
「本当に、すみません……」


 小さく触手を縮こめるティフォを庇うように、カヤがエリクレアス施設長にくってかかる。

「主任は悪くないでしょう! きっとあの性悪地球人に、無理矢理……っ! 見てください、こんなにも暴力を振るわれて!」


 ティフォの首に点在する青いうっ血痕を指さして、カヤがまくし立てている。
 思わずここ数日の卑猥なムームを思い出してしまい、ティフォの青い体液が体中を活発に巡り出す。動悸と血圧の上昇によって、顔を青くした。地球で言うところの赤面だ。


「いや、これは決して暴力などではなく、あの、その、地球人にとっての、あ、愛撫と、いいますか……」
「愛撫」
「愛撫」

 繰り返さないで欲しい。ティフォは顔から火が出そうだ。

「それでは皆様、お元気で」


 羞恥に耐えきれなくなったティフォが逃げ出そうとするのを制止して、エリクレアス施設長が話を進める。


「分かりました。分かりましたよ。つまりティフォ君は、地球に残るのですね」
「はい」
「はぁ。油断していた私にも責任はありますが、有能な人材をまさかこんな形で奪われるとは」
「最後までご迷惑をおかけして、誠に申し訳なく思っております」
「待ってください。こんなこと、許されていいはずがないでしょう!」
「カヤ君……」


 ティフォには憤るカヤにかける言葉が見つからない。自分の欲求を優先し、仕事を途中で投げ出すなど、自他共に認める社畜としては考えられないことだった。
 なによりも母星を捨てるということは、言葉も通じずムーム以外に頼る知人もいない地球で、一人寂しく暮らすことになるかもしれない。ケプラー惑星群に比べ文化の劣る未開の星であるのだ。きっと不自由も多いだろう。懸念をあげればきりがない。

 それでもムームからの狂おしいほどの愛を知ってしまったティフォには、もう離れることなど考えられなかった。
 ムームの星で、ムームのそばで、生きていきたい。


「たしかにカヤ君の言うことには一理あります。地球で職員が一人失踪となれば、各方面に支障が出ますからね。ある程度は大義名分が必要となるでしょう。その点に関しては私にも考えがあります」

 エリクレアス施設長は、前もって考えていたのかと思わせるような、詳細な案を提示してみせた。まさかこうなることを予想していたのだろうか。


「まず第一に、地球人の返還は始まったばかりです。どうせこれからも地球とのやりとりが必要となるのですから、ティフォ君には地球語の翻訳を引き続きお願いします。それなら在宅で仕事ができますからね。仕事をしている限り、保護施設の職員であることに変わりありません。地球惑星への正式な派遣という形にすれば、惑星協定宇宙法にのっとり、駐在官としてティフォ君の身の安全を確保できるでしょう。
 あとは地球人返還の対応や、地球人の要請に対する現地窓口として、これからもしっかり働いてもらいます。ティフォ君の真面目な仕事ぶりはみんなもよく知っていますので、きっと議会の認証も下りるでしょう」
「はぁ」


 なんともいえない顔をするティフォの反応を見て、エリクレアス施設長が笑顔で尋ねた。


「何かご不満でも?」
「あ、いえ、とんでもない。ありがたい提案です。ただ、その、……ムームが言っていたことと、あまりにも類似しておりましたので。少し、驚きました」
「ムームさんと?」
「はい。ムームが言うには、地球には永世中立国と呼ばれる政府の一形態があるらしく、他のどの国にも中立で、独立と領土保全を全うするそうです。ムームはこの島を二星間の永世中立国、つまり双方の星の橋渡し的な機関として独立をさせればいいと考えていました。主な業務は、地球人返還の対応や、通訳、あとは惑星協定宇宙法による国家認証に向け、地球の国際機関を相手にアドバイザーの仕事をすれば、生活には困らないだろう、と」
「ムームさんは、そこまで考えていましたか」
「はい、私も驚きで」
「惑星協定宇宙法による国家認証がなされれば、他星の生物、異種族間の国際結婚も可能になりますね」
「え、いや、その、まぁ」
「それは働きがいがありますねぇ」
「……はぁ」

 なぜだろうか。笑顔のエリクレアス施設長からの圧がすごい。

「でもまだティフォ君は保護施設職員ですからね。簡単には手放してあげませんよ。公私混同ですけれど。ムームさんに奪われたあげくに地球人にまで取られたら、私が悔しいですからね」
「悔しい、ですか?」
「そりゃあね。ゆくゆくは私の右腕にと、あなたを大切に育てていくつもりでしたから」
「それは、身に余る光栄です。しかし、エリクレアス施設長は私を買いかぶりすぎで」
「あなたのその自己肯定感の低さも、ムーム君ならそのうち何とかしてしまうのでしょうね。とにかく今は胸を張りなさい。愛する人とつがうのでしょう」
「……はいっ!」


 愛する人とつがう。これほど喜ばしい言葉があったのかと目を輝かせるティフォに、カヤは固い声で反論をする。


「嫌です。私は断固反対です。地球人は、あんなに弱く短命じゃないですか。主任だって、エリクレアス施設長だって、ご存じでしょう? 主任はこんな辺鄙な星で、そう遠くない未来、いつか一人で残されてしまうんですよ。そんなのあんまりだ。なんで受け入れているんですか? 私は主任を絶対に諦めませんからね!」

 背を向け泣くカヤに、それでもエリクレアス施設長は動じなかった。

「残念ですが、今のあなたではムームさんに太刀打ちできないでしょうね。幼子のように泣くだけのあなたは、ムームさんの足元にも及ばない。考えてもみなさい。ある日突然密猟され、言葉も分からない星で殺処分されそうになりながらも、決して諦めず策を弄し、愛する人を手中に収めたんですよ。ムームさんは、驚くほど強かで賢い。いっそのことこちらがスカウトしたいくらいです。
 ですからね。ティフォ君は気にせず行きなさい。残された時間が短いからこそ、今の幸せだけを考えるんです。ティフォ君の代わりに、カヤ君のことは私が育ててあげましょう。大丈夫。カヤ君の言うように、私たちの寿命は長い。これからいくらでも成長できますよ」



 エリクレアス施設長のその大きな優しさに、ティフォは感謝の気持ちで頭を下げた。

 宇宙船内で急遽行われた政府会議でおおむねの承諾を得られたティフォは、あとのことはこちらで何とかしますからというエリクレアス施設長の言葉に甘えて、ムームの元へ急いだ。









 夕日が肌を刺す。
 メラニン色素を持ち合わせていないティフォの肌は、紫外線に弱く、少しの日差しでチリチリとした痛みを感じる。
 なるべく日陰を選びながら、ティフォは洞窟へと向かった。



 夕日を背に、愛するムームが波打ち際で立っている。ティフォはそれを目ざとく見つけると、日差しをものともせず、ムームの元に走った。

 触手生命体のティフォには、愛玩動物としてのかわいい容姿も、綺麗な鳴き声も、陽気な性格も持ち合わせていない。それでもティフォには、長年培ってきた社畜根性がある。飼い主に従順な性格なら誰にも負けない自信があるのだ。
 走るティフォの脳裏で、最後に投げかけられたカヤの言葉がよみがえる。
 寿命がなんだ。種族がなんだ。言葉がなんだ。そんなもの、きっとこの愛の前では些末なことにすぎないのだ。触手で走るにはあまりにも適さない砂浜にムキになりながら、ティフォは真っ直ぐに走った。






 じたばたと暴れているようにしか見えない異形の姿を見つけたムームもまた、ティフォに向かって走った。

 めったに見かけないムームの慌てた様子に、そんなに離れていたのが寂しかったのだろうかと、ティフォはくすぐったい気持ちになった。そしてムームを抱きしめようと触手を広げた。



 しかし、抱きしめんと伸ばした触手を反対に掴まれ日陰まで連れて行かれたティフォは、日射しに焼かれた触手を心配するムームにこっぴどく叱られたのだった。



 恋人との抱擁、感動の再会、愛を誓う二人。ティフォの頭の中にあった乙女な妄想は、ムームの鋭い眼光に霧散していった。
 思ってたのと違うと、ティフォはひっそり泣いた。








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