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第五部
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「イナリ……」
イナリは走ってわたしの元へときて、わたしの腕を引っ張って立たせたかと思うと、わたしとシャシカさんの間に入る。
「シャシカ、なに、を……」
イナリの鋭かった声は、だんだんと尻すぼみになっていく。彼の背後にいるので、その表情は見えなかったが、おそらく、シャシカさんのぼろぼろな姿に気が付いたんだろう。
イナリの言葉に、シャシカさんは何も言わない。ただ、無表情でこちらを見ていた。
「――帰る」
シャシカさんは何を言うでもなく、ただ一言、ぽつりと、そう言った。
わたしも、イナリも、その様子に、何も言えない。
「ど、どうして――」
なにもしないなら、どうして声をかけたの。そう言いたくても、最後まで言えなかった。彼女が一瞬、泣きそうな顔をしていたように見えたから。
同情のつもりじゃない。ただ単純に、驚いて、言葉が詰まったのだ。この人が、泣く姿を想像できなかったので。
「――アタシ、もう、アンタを殺せないんだ」
泣きそうだったのは気のせいだったのか、と言わんばかりに、彼女の顔には、なんの感情もなかった。
わたしを殺せない。一体、どういうことか。
――もしかして、わたしを殺すなと、脅された結果が、その怪我なのか? でも、仮にそうだとして、誰に脅されたんだろう。
侵入者があった一件は、一応、皆に軽く説明している。だからって、フィジャやイエリオがシャシカさんに暴力をふるう姿も、これだけボコボコにできる可能性も、全然思いつかない。
イナリはこれだけ驚いていれば違うだろう。
あるとすればウィルフだけど……。えっ、ウィルフ?
そんな馬鹿な、と思う半面、消去法で考えれば、彼しか思い当たる人物がいない。だって、他にこの件を知っている人物と言えば、ルーネちゃんか警護団の人だ。
でも、ルーネちゃんが暴力で脅しなんかするイメージはないし、警護団の人が何を言ってもシャシカさんは従わないイメージしかない。
ウィルフが彼女を殴って脅す姿を想像してみるが、全然しっくりこない。だけど――ウィルフじゃないなら、一体誰が?
「でも、いざ、アンタとイナリの顔を見ると――どうしても、諦めが付かない」
そう言い残して、シャシカさんは脚を引きずりながら帰っていった。
わたしも、イナリも、その背中を見送るだけで、何か言ったり、行動したりすることは出来なかった。
彼女の姿が見えなくなると、イナリの肩から少し力が抜けたのが見て取れる。
「怪我は? 大丈夫?」
イナリが振り返って、わたしに問うてくる。
「うん、怪我はないけど……。うわ、こんな時間!?」
わたしはちらりと、公園にあった時計で確認する。イナリに会いにくい、と思いながら、考えごとをしていた結果、約束の時間を三十分過ぎていた。今のやりとりを考慮しても、約束の時間に、待ち合わせていた喫茶店に間に合わなかったのは確実である。
「ご、ごめん……」
わたしが謝ると、イナリに溜息を吐かれてしまった。本当に申し訳ない。
「……まあ、何もなくてよかった」
イナリが、ぽつりと呟く。
何も、とは言い難いが、まあ、確かに怪我はしていない。
「帰るよ」
イナリはわたしにそう言いながらも、シャシカさんが帰った方角に、ちらりと一瞬、顔を向けた。
イナリは走ってわたしの元へときて、わたしの腕を引っ張って立たせたかと思うと、わたしとシャシカさんの間に入る。
「シャシカ、なに、を……」
イナリの鋭かった声は、だんだんと尻すぼみになっていく。彼の背後にいるので、その表情は見えなかったが、おそらく、シャシカさんのぼろぼろな姿に気が付いたんだろう。
イナリの言葉に、シャシカさんは何も言わない。ただ、無表情でこちらを見ていた。
「――帰る」
シャシカさんは何を言うでもなく、ただ一言、ぽつりと、そう言った。
わたしも、イナリも、その様子に、何も言えない。
「ど、どうして――」
なにもしないなら、どうして声をかけたの。そう言いたくても、最後まで言えなかった。彼女が一瞬、泣きそうな顔をしていたように見えたから。
同情のつもりじゃない。ただ単純に、驚いて、言葉が詰まったのだ。この人が、泣く姿を想像できなかったので。
「――アタシ、もう、アンタを殺せないんだ」
泣きそうだったのは気のせいだったのか、と言わんばかりに、彼女の顔には、なんの感情もなかった。
わたしを殺せない。一体、どういうことか。
――もしかして、わたしを殺すなと、脅された結果が、その怪我なのか? でも、仮にそうだとして、誰に脅されたんだろう。
侵入者があった一件は、一応、皆に軽く説明している。だからって、フィジャやイエリオがシャシカさんに暴力をふるう姿も、これだけボコボコにできる可能性も、全然思いつかない。
イナリはこれだけ驚いていれば違うだろう。
あるとすればウィルフだけど……。えっ、ウィルフ?
そんな馬鹿な、と思う半面、消去法で考えれば、彼しか思い当たる人物がいない。だって、他にこの件を知っている人物と言えば、ルーネちゃんか警護団の人だ。
でも、ルーネちゃんが暴力で脅しなんかするイメージはないし、警護団の人が何を言ってもシャシカさんは従わないイメージしかない。
ウィルフが彼女を殴って脅す姿を想像してみるが、全然しっくりこない。だけど――ウィルフじゃないなら、一体誰が?
「でも、いざ、アンタとイナリの顔を見ると――どうしても、諦めが付かない」
そう言い残して、シャシカさんは脚を引きずりながら帰っていった。
わたしも、イナリも、その背中を見送るだけで、何か言ったり、行動したりすることは出来なかった。
彼女の姿が見えなくなると、イナリの肩から少し力が抜けたのが見て取れる。
「怪我は? 大丈夫?」
イナリが振り返って、わたしに問うてくる。
「うん、怪我はないけど……。うわ、こんな時間!?」
わたしはちらりと、公園にあった時計で確認する。イナリに会いにくい、と思いながら、考えごとをしていた結果、約束の時間を三十分過ぎていた。今のやりとりを考慮しても、約束の時間に、待ち合わせていた喫茶店に間に合わなかったのは確実である。
「ご、ごめん……」
わたしが謝ると、イナリに溜息を吐かれてしまった。本当に申し訳ない。
「……まあ、何もなくてよかった」
イナリが、ぽつりと呟く。
何も、とは言い難いが、まあ、確かに怪我はしていない。
「帰るよ」
イナリはわたしにそう言いながらも、シャシカさんが帰った方角に、ちらりと一瞬、顔を向けた。
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