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第五章

康永金夢楼(七)

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 ずい、と ずい、と唐回とうかいが前に出てきて、さらにその取り巻きも現れた。全員昼間と同様、亡者もうじゃまとったまま柳葉刀りゅうようとうを抜いて構えている。くるわで一番広い太夫の部屋が、人で一杯になっていた。

(やるしかない)
 その瞬間、燕青も腹を決めた。目をすうっと細め半眼はんがんになり、わずか膝を緩めた。

「昼間、あなたが何やら術を使っていたのを見ていたんですよ。さぁ、大事なお得意様にとり憑いた亡者どもを祓いなさい。そうすれば命だけは助けてあげ」

 皆まで言わせず、燕青はいきなり目の前の若い衆の胸板むないた蹴倒けたおす。多勢たぜいを頼りに油断して下卑げびた笑いを浮かべていた廓の男は、たまらずうしろに吹き飛び、三人ほど巻き添えにして倒れ込んだ。

 別の若い衆が殴りかかってくる。燕青は顔面に伸びてきた拳を払いのけ、下から金的を狙って足を跳ね上げる。男は慌ててそれを防ごうと手を下ろした瞬間、燕青の右足が、飛燕のごとくひるがえり、下を向いた男の左側頭部を蹴り飛ばした。失神して男が吹き飛ぶ。 

この下段から上段への蹴りの変化は燕青の得意技で、これを防いだとしても、さらに跳び上がって体を捻りながらの左踵ひだりかかと回し蹴りがくる。最低でも三段蹴り以上の連携技につながるのである。
 
さらに燕青は蹴り飛ばした脚を下ろさず、そのまま踵から別の若い衆の側頭部を蹴りに行った。男は慌てて腕を上げ防御しようとしたが、今度は防御の直前に上段からがら空きになった脇腹へと脚が翻り、強烈な踵蹴《かかとげ》りが男の肋骨をへし折り、たまらず男はその場に転がりのたうち回る。

「ぐわっ!」
 燕青の後ろで叫び声がしたかと思うと、からんと何かが落ちた音がした。
 振り返ると、手の甲に深々と飛刀の突き立った男が跪き、その前に柳葉刀が落ちている。
 四娘の飛刀が炸裂したのだ。
「助かった!」燕青が叫ぶと、飛刀を構えた四娘が親指を立ててみせる。

 それと見た他の唐回の手下が一斉に柳葉刀を振りかざし斬りかかってきた。
 先頭の男が振り下ろす刀を躱して側面に回り込み、横から足裏で膝の関節を踏み砕いた。膝関節は横からの衝撃に弱い。いとも簡単に男の膝はあり得ない方向に折れ曲がり、男が絶叫した。

 同時に、男の刀を握った手首をひねりあげ、擒拿術きんなじゅつで押さえた手首と肘の関節をへし折り、奪った刀で身近な唐回の手下に襲いかかった。

 首、手首、太股ふとももの内側、腕の付け根と、太い血脈けつみゃくが通る所ばかりを狙い、血しぶきをあげながら正確に切り飛ばしていく燕青の姿は、四娘が初めて見る憤怒ふんぬの表情、修羅しゅら所業しょぎょうである。

 切られた唐回の手下はみな致命傷である。そして彼らが動きを止めるたびに、その手下にとり憑いていた亡霊たちは姿を消していった。

 更に店の若い衆も、落ちた刀を拾いあげて燕青に斬りかかったが、素人剣術がかなうはずもなく、刀を取り上げられたうえ、膝の関節を蹴り砕かれたり、肩の関節を外されたりと、身動き出来ず倒れ伏して呻くのみ。

 唐回と洪泰元は、次々に手下たちを斬り殺されたり、戦闘不能にされる様をみて、腰を抜かしへたり込んでしまった。

 燕青は素早く駆けより二人のあごの関節を外した。助けを呼ばれないように、である。次に二人のひざ関節を踏み砕く。一切の情けも手加減もなく、淡々と、まるで流れ作業で鶏を絞めるようにこなす燕青を見て、さすがの四娘も青ざめ、太夫もその場にへたりこんでしまった。

 「さてまず洪さんよ。王扇太夫は落籍ぬけさせてもらうぜ、もちろん身代金なしだが、なんか文句あるかい?」
 血脂まみれになった刀を捨て、床に落ちていた別の柳葉刀の切れ味を指先で確かめながら、視線も合わさず静かに問うてくる燕青に、あがあが言葉にならぬ返事をし、青ざめて汗だくの顔で、何度もなんどもうなづく洪泰元《こうたいげん》。

「あーそういえばお前さんさっき、命だけはどうだこうだ言ってたよな?」
 ものすごい勢いでうなづき、額を床に擦りつける洪泰元と唐回。

 そんな二人を燕青は睨みつけ、
「だがなぁ、てめぇみてぇに金のためならくるわの法もねじ曲げる、仁義孝悌忠信廉恥じんぎこうていちゅうしんれんちを全部忘れた忘八ぼうはち野郎を生かしといちゃあ、このさき廓の御女郎おじょろうさんたちのためにならねぇ。だから、おれは命だけもらっておくぜ、あばよ」

 柳葉刀一閃りゅうようとういっせん。洪泰元の首は、あんぐりと口を開けたまま宙に飛んだ。

 それを見届けてから燕青は持っていた柳葉刀を、からりと放り捨て、唐回の両肩に手を置き、
「さて、唐回とうかいだっけ?全ての元凶はてめぇだ。まさか今さら命乞いはしないよな?」

 涙、鼻水、よだれ、汗と、顔面のありとあらゆる所から、水をダラダラ滝のように流しながら、唐回は首を横に振り続ける。

「じゃぁお慈悲じひだ。すぐには殺さねぇ、もう少し生かしておいてやる」
 それを見て、ぱっと希望の表情を浮かべた唐回の、両肩の関節を一気に外し、胸板を蹴り倒して仰向けになったその股間こかんを、足裏でずしり、と踏みつけた。
 毎日一刻(二時間)の、「馬歩站椿まほたんとう」で鍛えてきた、「錬気れんき」の籠もった踏みつけである。なんでたまろう、ぶちゃりっ、という嫌な感触とともに、唐回の男根だんこん睾丸こうがんは、薄紙のごとく平べったく踏み潰されたのである。

 かはぁぁ、と悶絶の表情で息を吐き出し、手足の関節が動かないまま胴体だけでのたうち回る唐回。

 激痛の波がいったんいったん引いたのをみて、燕青はさらに、両前腕部の骨を踏みつけて砕く。続いて上腕部。次に下腿骨かたいこつ大腿骨だいたいこつと次々に踏み砕き、最後に腹部を思い切り踏みつけると、内臓のあらかたが肛門から吹き出し、血と糞尿ふんにょうまみれで、やっと唐回は絶命した。

 見れば、唐回にとり憑いていた亡者の姿も、一つ残らず見えなくなっていた。
「お望み通り、祓ってやったぜ。大盤振おおばんぶいだ、この祓いは無料ただにしてやらあ」

 返り血だらけの姿で、燕青はぼそっとつぶやいて、身動きができずに床でうごめいている金夢楼きんむろうの若い衆にむかって叫んだ。

「いいかお前ら、命だけは助けてやる。だがこの先追っ手を出したり、役人に余計なことしゃべりやがったらかならずこの金夢楼みせを潰しにくるからな。その覚悟でいろよ!」

 そう吐き捨て、二人を手で招いた。
 われに返った四娘しじょう王扇太夫おうせんだゆうは、吐き気を押さえつつ死骸を飛び越えて燕青を追い、馬小屋へと向かった。

 途中で何人かの金夢楼の者が襲いかかってきたが、すべて燕青が投げ飛ばし、殴り飛ばし、蹴りつけて道を切り開いた。

 馬房に出て大急ぎで白兎馬はくとばに鞍をつけ、王扇太夫を乗せそのうしろに四娘を放りあげ、
「白兎、大急ぎで千住院せんじゅういんに戻れ!お前なら道がわかるだろ!」

 尻をひとつひっぱたくと、白兎は猛烈な勢いで走り出した。燕青も急いで隣にいた馬に鞍をつけ、二人の後を追って走り出した。
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