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船橋事変編

斑目綺蝶の反論

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凛とした表情。美しい顔立ち。万人が羨む肉体。それらの全ては彼がかつて惚れ込んだ彼女の父、斑目明蝶そっくりだった。
仕草さえも彼に似ている。彼はかつての記憶を思い出して、自分に明るく笑い掛けていた明蝶の笑う姿を思い返していく。
あの豪快な笑顔。格好の良い仕草。堪らない。
騎士団の団長、黒崎玲太郎は己の愚かさを悔やみながら、目の前の少女とかつての彼の親友の姿とを重ねていく。
彼女の口から開くのとは恐らく同意の言葉。賛同の意思。
そうに違いない。彼は胸を躍らせながら、目の前の少女が口に出すのを待っていた。
まるで、恋焦がれる乙女が初めての逢瀬の待ち合わせの場所で待っている時の様に。
だが、彼に告げられた言葉はあまりにも非情。そして、彼のこれまでの人生を踏み付けるに等しい言葉だった。
「……父が本当にそんな事を望んでいるとお思いですか?」
彼女はそう言うと、同時に親の仇でもあるかの様に自分を睨む。
黒崎は目の前の事態が信じられなかった。なので、彼女に向かって官憲と対魔師とが手を結ぶ可能性を提示したのだが、彼女は聞き入れない。
それどころか、一層軽蔑した表情を浮かべて、
「我々、対魔師は過去の時代。まだ朝廷が大和王朝と呼ばれていた時代からこう言い伝えられてきました。『世俗のものとは一切関わるな』……と」
彼女はそう言うと、刀を突き付けて言った。
「そう言い伝えられていたのにも関わらず、あなたはその対魔師の力を世俗の中に引き入れました。先程の戦雲玄竜なる男もそうなのかは知りません。ですが、あなたはその禁忌を犯しました。私は到底、あなたを許せません」
八の字の髭を蓄えた男は完全に言葉を失っていた。同時に、目の前の少女からその言葉を突き付けられた瞬間に、彼の親友に自分の提案を否応無しに下げられた時の事を思い返す。
『目を覚ませ、黒崎!お前がやろうしている事は禁忌を犯す事だッ!それがどれだけ愚かなのかは分かるだろう!?」
それを聞いた瞬間に彼は親指の爪を噛む。どうしてなのだ。どうして分かってくれない。
黒崎はその瞬間に、斑目へのやるせない気持ちが心の中を満たしていく。
だが、彼は首を横に振ってサーベルを振り回しながら、綺蝶に向かっていく。
「違う!違う!違う!私のこの提案は日本を妖鬼の魔の手から救う最後の方法なんだァァァ~!!」
彼はサーベルに泥を纏わせて彼女に向かって斬りかかっていく。
「第一の破魔式『泥固め』!」
彼がそう叫ぶのと同時に、彼のサーベルの刃に纏わり付いていた泥が綺蝶の元へと流れていく。
通常ならば、この泥で妖鬼を拘束し、動けなくなった妖鬼の首を刎ねるという破魔式。
勿論、妖鬼だけではなく人間にもその高い効力を発揮するだろう。
だが、その人間が自分と同じ破魔式を使えたならば話は変わってくるだろう。
斑目綺蝶は躊躇う事なく闇の破魔式を使用して第一の破魔式『暗黒星雲の彼方』を利用して彼の破魔式を防ぐ。
泥は全て闇の中へとかき消されてしまったのだが、サーベルの刃に纏わり付いている泥はまだ残っている。
その泥を利用するのだ。黒崎は大きな声で次の手を叫ぶ。
「第二の破魔式『泥人形』!」
彼の泥から小さな泥の人形が生成されていき、綺蝶の真下へと向かう。
この泥人形、実はただの人形ではない。一癖も二癖もある厄介な人形なのだ。それは対象の相手の足を絡め取り、相手を転ばせるというもの。
彼の破魔式にはそれがあった。そして、この破魔式で多くの妖鬼は足を取られた。
今回も勝てる筈だ。彼には確実に勝てる算段の様なものがあった。
だが、それは悪い意味で裏切られてしまう。
彼の破魔式から生成された泥人形は彼女の第二の闇の破魔式『黒雲白雨』の前にかき消されてしまう。
彼女の真上から出る闇の雨の前には流石の自分の手下たちも勝てなかったらしい。
彼が第三の破魔式を放とうとした時だ。綺蝶は黒崎を捕らえるために、第四の破魔式を利用して彼を闇の中に閉じ込めようと試む。
だが、彼はその危機をいち早く脱し、闇の檻を回避すると、そのまま彼女に向かって斬りかかっていく。
そして、回り込んだ所で第四の破魔式を唱える。
「第三の破魔式!『泥団子』!」
彼の刀から大きな泥の団子が綺蝶の脇めがけて飛んでいく。
これでは流石の闇の破魔式でも回避できまい。
黒崎がそう、ほくそ笑んだ時だ。彼女は何も躊躇う事なく、巨大な泥団子を先程、黒崎を閉じ込める筈であった黒い闇の檻の中へと閉じ込めていく。
彼は驚愕しつつも、第四の破魔式を唱えようとした時だ。
彼の首元に闇を纏わせた刀を突き付けて彼女は言った。
「貴方の負けです。サーベルに頼るになってから、いや、昔話をした時からあなたには覇気がなくなりましたね?」
負けただと?いいや、違う。俺は負けていない。
黒崎はそう言って心の中で激昂し、自分を奮い立たせたが、単純な破魔式の戦いでは彼女の方が上だと証明されたばかりだ。
それに、刀を突き付けられては次の打開する機会は永遠に失われたも同然。
彼は黙って唾を飲み込む。次に紡ぐ言葉がこの事態を打開する大きな機会に繋がる事は明白。
問題は何を言えば良いのかだ。思えば、この少女は世俗と対魔師とが結び付かない事を強調してきた。
彼女はそれが気に食わなかったのではないか。ならば、自分の考えた案の詳しい事情を教えてやってはどうだろう。彼は空咳を繰り返して、
「どうかね?斑目くん。ここらで誤解を解いておこうじゃあないか」
「誤解……とはどういう事でしょうか?」
「キミは自分たちの所属する討滅寮の対魔師が世俗の争いに巻き込まれてしまう事を危惧しているのだろう?それならば、心配はいらないよ。対魔師が関わるのは最初だけなんだ。後は対魔師から教えを受けた巡査たちが勝手に破魔式を扱っていくよ。これならば、キミの誤解もーー」
だが、彼女は黒い笑顔を浮かべてその彼の主張を途中で遮っていく。
「あなたは何か勘違いをなさっておられる様ですから、言っておきますが、対魔師がなんですよ!」
彼女はその言葉と共に彼の首元に突き付けている刀の力を強めていく。
このままでは自分の喉から血が溢れ出て止まらないのかもしれない。
黒崎はつくづくこの娘の内に秘めた恐ろしさが父親に似ている事を確信して思わず苦笑してしまう。
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