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第一部『悪魔と人』

最上真紀子の場合ーその①

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最上真紀子もがみまきこは自身の美しさと頭の良さを自覚していた。
彼女の自身の評価は高かった。同時に彼女は自惚れが強く性格が悪かった。
他の奴らは全て馬鹿で不細工。出来損ないが服を着て歩いているかのようだという評価が彼女の人間性を表しているだろう。
真紀子は前述の通り性格は悪かったが、なにせ他のスペックが他を圧倒しているので男子生徒の取り巻きを自身の机の周りに侍らせる事は彼女にとっては朝飯前であった。
皮肉な事に溶けたような顔をした取り巻きたちが側にいればより一層真紀子の美しさが引き立っていく。

男連中は単純だ。彼らは女王の信任を得るために媚を売る従者たちの様だった。或いはボス猿の関心を得ようとする猿山の猿の様であったかもしれない。いずれにしろ誰もが真紀子をモノにしようと媚を売り言う事を聞くのだから。
それこそ真紀子が「死ね」と命じれば、それくらい難なくこなしてしまうだろう。
そんな優しい取り巻きたちに囲まれた真紀子は得意そうな顔を浮かべて一人の男が持ってきた飲み物を手に取る。無論男の自腹である。

男はブレザーのネクタイを解いており、息を切らしている事から休み時間が始まると共に全力で駆けて真紀子のために飲み物を渡したのであるという事を悟った。
それに対し小さな声で「ありがとう」とだけ告げて、飲み物を受け取る真紀子。
取り巻きの男子たちに飲み物の蓋を開けさせる真紀子の姿を見て、周りの女子が鋭い眼光で私を射抜く。

だが、真紀子は気にしない。冷ややな顔を浮かべて無関心を装い、渡された飲み物を一気に飲み干す。
目の前でニコニコと穏やかに笑う四角い眼鏡をかけた男が好意を得るために買ってきたのだ。
この地味な風貌の男には信じられないがかつては彼女がいたのだ。だが、彼女が自慢としている豊満な両胸を擦り付けて、甘い声で囁けば直ぐにそのその彼女の元から離れてしまった。

それが面白かった。かつてのその男の彼女が休み時間の度に真紀子の事を眼光で頃さんとばかりの表情で睨んでくるのだが、それすらも愉悦に思う事がある。
休み時間のたびにこの光景が見せつけられるのだから、彼女からすればたまったものではないだろう。
だが、真紀子にはそんな配慮など感じない。

いずれこの優越感が消えたら、あの男を見放してやろう。その時になって人の良さそうな眼鏡の青年はどんな表情をするだろうか。
そんなくだらない事を考えていると、チャイムの音が鳴り響いて授業が始まった。
男どもは不本意な表情を浮かべながらも自身の席へと戻っていく。

今回もいつものように退屈極まる授業の始まりである。
単純な方程式と公式を用いた数学の問題だろうか、わかりきった理化学の問題だろうか。はたまた覚えて後は応用するだけしかない古典の授業だろうか。
どんな授業であったのかは興味がないので覚えていない。
だが、いずれにしろどれも欠伸が出るほどに退屈な授業であるというのはわかる。

適当に今日の授業の論点をノートの上に纏め終えると、真紀子は退屈そうに窓から外の景色を眺めていた。
授業が終わると、そのまま先程と同じ様に男どもを侍らせようとしたのだが、前の時間の飲み物が影響したのか、真紀子はトイレに行きたくなった。
彼女がトイレに入り、個室の中で用を足していると、外から話す声が聞こえた。

「ねぇねぇ、隣にクラスにいる最上真紀子って子の事、知ってる?」

「知ってる。知ってる。クラスの女子共通の敵、いや、この学校全体の女子共通の敵でしょ?うちの友達があいつに彼氏を取られたって」

「そうそう、しかもあいつさぁ、すごい頻繁に男とヤッてるらしいよ。マジヤバくね?」

「あぁ、知ってる!知ってる!隣のクラスの女子から聞いたんだけどさ、着替えの時にすっご派手な下着履いてたらしいよ。やっぱり、あいつクソビッチだよね」

真紀子を嘲笑する声がトイレの中で響き渡っていく。
真紀子は無言で用を足し終えると、扉を開いて二人の間に割って入り、両手で二人の肩を強く掴む。

「よぅ、あたしがその最上真紀子本人だぜ。悪かったな。クソビッチで」

「あ、あぁ……最上さん」

「そ、その、聞いてたの?さっきの話」

「あぁ、聞こえるよ。テメェらのお粗末な会話なんて、全部丸聞こえだ。このクソボケどもが」

私はそう言うと、肩に込める力を強めていく。あまりにも強くなりすぎたのか、鏡に映る二人の顔が苦悶に満ちていくのがハッキリと見えた。

「覚えてろよ。テメェら……塾とか習い事とかで外に出る時は気を付けな。夜になったら、あたしの知り合いのこわーい先輩方が何するのかわからねぇぜ」

「ちょ、ちょ……やめてよ」

「じゃあ、金輪際、悪口言うんじゃねーぞ」

真紀子は不機嫌そうに吐き捨てると、二人を乱暴に突き飛ばして教室へと戻っていく。
あの悪口が引っ掛かってか、その日は結局あまりいい思いができずに過ごした。
真紀子は神通恭介の様に自身が通う川の近くの高校と自宅との間では電車で通っていた。

普段ならば、歩いている間に気分も晴れるのだが今日ばかりはどうも気分が乗らない。
高校から六駅ほど過ぎたところにある並寂れた駅の上に降りていく。
そしてそのまま田んぼと家々とが並び合う地方の街を歩いて行き自身の家の中へと入っていく。
真紀子が陰鬱な顔でインターホンを鳴らすと、同じく陰鬱そうな表情を浮かべた長い黒い髪をした中年の女性が気怠そうな表情で扉を開ける。

「帰ってこなくてよかったのに」

「るせぇよ。クソババァ。あたしはあんたに大切な弟がいじめられてねーか、姉として監視する義務があるんだよッ!」

真紀子は声を荒げて母親に向かって絶叫する。ここで良識を持つ人たちは真紀子の態度に眉を顰めるだろう。あるいは責め立てるかもしれない。
だが、彼女からすれば目の前の中年の女性は本当の母親ではない。なので彼女は心の中にあるわずかな良心さえそれを叱ろうとはしなかったのだ。
正確には真紀子と弟の二人の本当の母親ではないというべきだろう。
なにせ真紀子と真紀子の弟の本当の両親は真紀子が5歳の頃に弟を産んだ直後に事故死してしまっているのだから。

彼女はそんな血の繋がらない母親を肉食動物が敵対する動物と接触した時の様な鋭い目で睨む。
血の繋がらない母親は目の前で未だに若さを保とうとしているのか、艶のあるよく手入れの施された黒髪を見せびらかすクリーム色のセーターを着た中年女性に声を荒げるのは真紀子は自身に与えられた当然の権利であるとさえ思っていた。殆どの人は私の境遇に同情し、この行為を正当化するだろう。そうに違いない。
真紀子の心中はどこまでも身勝手なものがあった。
育ての母親がヒステリックに怒鳴るの横をすり抜け、玄関で靴を脱ぎ、二階にある用意されている自身の部屋へと入り込む。
部屋の中はシンプルな白色のベッドに子供用の勉強机。そして、真紀子の所有鋭い豊富な衣装を仕舞い込むためのクローゼットが置かれていた。

真紀子は制服を脱ぎ、私服へと着替える。家用のシンプルな私服に袖を通すのは何日振りだろうか。
真紀子はベッドの上で大の字になり、寝転んでいると、頭の中に一軒家が浮かんでくる。
いや、一軒家というよりは家の大きさといい庭の広さといい並の小学校などよりも広大である。単なる一軒家ではなく豪邸と評した方が早いかもしれない。

大きな塀と門。そして様々なオブジェクトの付いた池付きの大きな二階建ての日本家屋。
それはかつて真紀子と弟と彼女の曽祖母とで暮らしていた家だ。
その家は鳥取県の山々に囲まれた『あかつき村』と呼称される小さな村の中央に聳え立っており、小さな村落の中では一際目立つ存在であった。

いや目立ったのは家ばかりではない。真紀子の曽祖母もまた地元の村の中では目立つ存在であった。
大戦後の混乱やGHQの農地改革に乗じた曽祖母は辺りの田んぼや山を手に入れ、戦後には大地主として君臨したのである。
曽祖母も曾孫の真紀子と同様に姓には奔放な性格であったと聞いている。祖母はそんな奔放な曽祖母を反面教師としてか、貞操を固く守り抜いていた。
その真面目な祖母が設けた唯一の息子である二人の父は優しいとかいい人だとかいう話が流れて周囲からの評判も良好だったらしい。
そして、そんな優しい性格をした父と同様に母も優しい性格の人物だったと聞く。

真紀子の中にある記憶は今では朧げなものではあるが、実の両親は優しい顔をしていたのは覚えている。
具体的にどの様な事をしてもらったのかはハッキリとは思い出せないが、今一緒に住んでいる中年の女性とは異なり、実の母も幼少期の真紀子には優しくそれでいて甘かった。
それは弟が産まれてからも変わらずに続いており、お陰で真紀子は弟を憎まずに済んだ。


このまま順風満帆に事態が進んでおれば最上真紀子という少女の人生は“田舎のいいところのお嬢さん”くらいで終わっていただろう。
だが、神は真紀子からそんな人生を奪い取ったのである。

それは一種の不幸であるといえるだろう。真紀子が5歳の時、彼女の父親は提案したのだ。出産の疲労を癒すために温泉にでも浸かりに行こう、と。
そのため5歳の真紀子と産まれたばかりの弟は流行病で少し前に亡くなった祖父母の代わりに父にとって唯一の身内であった曽祖母に預けられた。
そして温泉旅行に行く途中で事故に遭って死んでしまったのだ。
くだらない衝突事故であった。前方不注意の車にぶつかって死んでしまったのだ。この時の真紀子に残されたのは半分呆けたような曽祖母と赤ん坊の弟の二人だけだった。
母方の家にも祖父母はいたのだが、そこに行くという選択肢は初めからなかった。なにせ母は結婚に反対する両親を押し切って結婚し、二人を盛大に怒らせて勘当となってしまっていたのだから。
その怒りは例え孫が産まれても変わる事はなかった。

だが、真紀子のメンタリティというのは予想以上に強い。鋼の様に。
そんな逞しい心を持った真紀子からこそ、即座に頭を働かせて両親が死んだその日のうちにこっそり、ある計画を一人で立案していたのだった。

それは子犬のような可愛らしさを持つ弟を上手く手元に置きながら、大人になるという計画。
事細かに記せば呆けた曽祖母を自身と弟の保護者に仕立て上げ、一人で実家の豊富な財産や両親の保険金。更には村における家の力を活用し、成長していくという壮大な計画であった。
彼女は自身があった。私は天才だ。無理のない計算ではない。そう自惚れていた。
実際に小学、中学までは上手くいっていた。

けれども神の悪戯なのか、それとも、天才である真紀子に神が嫉妬したのか、彼女の計算が狂うのは予想以上に早かった。
中学三年生の時に頼みの綱の曽祖母が亡くなったのだ。脳卒中というあっけない形で。
今現在は大阪という日本で二番目の都市の中に遠い親戚が紹介した養父母と共に住んでいる。そんな彼女にとって鳥取での出来事や5歳の頃から考案していた壮大な計画は夢の様な出来事に思えてならない。

二人を紹介した親戚というのはどこか遠くに住んでいる二人の遠縁を名乗る夫婦の事である。その二人によって家や財産を奪われたという至極単純な流れであったのだ。
遠縁の親戚を名乗る夫婦は真紀子と弟とを養子縁組に出し、巧妙に地元から遠く離れた大阪という地に追い出したのである。
一応、追い出される前に遺留分は請求して通帳に祖母の保険金を貰う事ができたのだが、それだけである。

今部屋のクローゼットの奥にしまってある呆けた祖母の保険金だけが真紀子にとっての唯一の財産であったといえる。
全くイライラする。堪らなく不愉快だ。今繋がりがある怖い先輩方の力があればあんな奴らなど逆に追い出してやったというのに。
真紀子はここでようやく正気に返り、自身がベッドの上で無意識に拳を作り上げている事に気がつく。

敵愾心というのは厄介である。自制しなくてはなるまい。そうでなくては折角いい顔と頭を持っていても上手く活用できないだろう。
真紀子が暫くの間呆けた表情で天井を眺めていると、階下から血の繋がらない父親が自分を呼ぶ声が聞こえた。
真紀子は部屋の中で面倒臭そうに返事を返した後に階段を降りて、居間へと向かっていく。

血の繋がっていない両親と食事をするなど不快でしかないが、それでも弟をあの両親の前で愛でれるのならば安いものである。
真紀子は嫌がる脳に向かって必死の命令を出し、居間へと繋がる扉の把手を回させた。




【追記】
友人より最上真紀子の挿絵をいただいたので貼らせていただきます。



https://twitter.com/ikoraih02_wan?s=11&t=KAccsJrZAgCBaaEuYYmAZA

↑挿絵をいただいた友人のTwitterリンクですので、よかったらフォローの方お願い致します!
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