上 下
75 / 135
第三部『終焉と破滅と』

最上真紀子の場合ーその14

しおりを挟む
真紀子は目の前に現れた弁護士を観察していく。言葉が発せないというのは時に有利である。なにせ初対面の挨拶に回す手間隙をこうして人間観察に使えるのだから。年齢は既に中年に差し掛かっているのだろうか、よく見れば髪の毛に白髪が混じっている。顔にもほうれい線の様なものが目立っている。それでも顔の素体そのものはいいのか、彼女は中年であっても絵になっていた。
そこまで考えていたところに京子が心配そうな目で真紀子を覗き込んでいる事に気が付いた。
京子は真紀子が不安がっているのだと勘違いしているらしい。先程とは対照的に優しい声で話し掛けた。

「安心して、私はあなたの味方だからね。弁護士はいつだって弱い人の味方なのよ……だから、あなたも遠慮なんてせずにーー」

京子はここで真紀子の口元に口枷がはめられている事に気が付いたらしい。同時に京子が看守を呼ぶためのボタンを鳴らし、複数人の看守を呼び出させた。
慌てた看守たちが独居房の中に入ると、京子はヒステリックな声を上げて看守たちを怒鳴り散らしたのであった。

「ちょっと!あなたたちッ!何考えてるの!?事もあろうに未成年の女の子に口枷を咥えさせるなんて……これは人権侵害ですッ!」

「で、ですが、これは規則でしてーー」

「間違った規則ならばそれが規則であっても悪なんですッ!仮にも同じ人間にこんな事が許されていいんですか!?」

「同じ人間?最上真紀子が?」

弁護士の声に答えたのは真紀子の首を絞めた例の看守の女性である。
彼女は鼻を鳴らした後に京子を強く睨みながら言った。

「あいつは化け物ですよ。同じ人間だなんて考えてはいけない。あいつのせいでどれだけ大勢の人間が殺されたと思うんですか!?」

看守の女性が掴みかかっていく中でも、京子はあくまでも毅然としていた。
それから法律と道徳という絶対的な正義を盾に京子は看守の女性を睨む。
その剣幕に看守の女性が怯んでいた時を見計らい、彼女は弁護士になる過程で身に付けた話術を用いて看守たちに向かって語っていく。

「いいですか?彼女は人間なんです。ましてや未成年なんですよ。あなたはこの国にどうして少年法があるのかご存知ですか?それは失敗を犯した少年少女たちに機会を与えて、更生を期待させるためなんです。あなたも看守の一人ならばその事は理解でしていますよね?それなのにあなたはこの子を“化け物”だなどと言い張って、彼女の名誉を毀損されました!通常であるのならばこれはーー」

看守の女性はこれ以上弁護士からの説教が続く事を忌避して、いち早く謝罪の言葉を述べた。それから不本意ながらも最上真紀子の口枷を外したのである。
真紀子は久し振りに自分の口が自由になった事を口から吸い込む独房の空気で確認した。真紀子は天才であるが、呼吸に関しては大多数の一般市民と同じく鼻呼吸を用いている。故に普段は口で息を吸い込む事などしないのだが、この時ばかりは自由になった口を用いてその空気を味わいたかったのである。
暫く、真紀子が空気を吸うためにパクパクと口を動かしていた。
その姿を見て、京子は安堵の表情を浮かべるのと共に拘束衣によって繋がれている真紀子の元に近付いて涙を零しながら言った。

「……酷い。こんなの人権侵害よ。未成年の女の子の口を防いで、体を拘束衣で拘束するなんて……人間のやる事じゃあないわ」

真紀子はこの言葉を聞いた瞬間にこの弁護士を自分の脱獄のための手駒とする事に決めたのである。
だが、あまり時間は掛けていられない。手の拘束さえ解く事ができれば、自分は自由の身となるのだ。次の招集の時までには自由になりたい。
真紀子の中にはそんな思いが渦巻いていた。真紀子が脱獄計画に思いを馳せていると、今度は弁護士が自分の肩を強く持って、力強い言葉を掛けてきた事に気がつく。

「安心して、私が必ずあなたを救ってあげるから」

取り入るのは今しかあるまい。この時の真紀子は淑女でも素の自分でもない別の自分で対応する事にしたのである。
それはこの世の全ての人々から虐められ、石を投げ付けられているという哀れな少女という新たな像であった。
真紀子は自分が未成年である事などを利用して弁護士の同情を買おうとしたのである。

「ありがとうございます。先生……あたし、あたし……先生しか頼れる人がいないんです。お父さんもお母さんも事故で死んじゃったし、それまであたしを助けてくれたひいおばあちゃんも死んじゃって、弟からも引き離されてしまったの……お願いします。あたしを助けてください!ずっと、拘束衣で繋がれてて辛いの……苦しいの……お願い」

真紀子は偽りの涙を流しながら精一杯の演技を行なっていたのである。
京子はそんな真紀子の態度に心を打たれてしまったらしい。拘束衣の真紀子を優しく抱き締めたのである。

「……心配しないで、私があなたを助けてあげるわ」

京子は真紀子の頭に神の使徒のように優しい口付けを与えると、そのまま親の仇の様でも睨むかの様な目で看守を睨んだ。

「私は今から彼女の担当弁護士となりますッ!その弁護士としてあなたたちに当然の権利を要求しますッ!彼女の拘束を外し、私と二人っきりで接見させなさい!」

「し、しかし、これは上からの指示でーー」

「彼女に対する不当な拘束は人権侵害ですッ!出るところに出てもいいんですよ!」

「わ、わかりました」

弁護士を敵に回すのは得策ではない。看守たちは真紀子の拘束を解き始めたのである。拘束衣から囚人服に着替えさせられた真紀子はそのまま独居房にて二人っきりの面会を許されたのである。

「さぁ、これでもう安全よ。さぁ、全部私に話して頂戴。いい子だから」

「ありがとうございます。弁護士さん」

真紀子は涙を流しながら弁護士に感謝の言葉を述べたのである。
真紀子はそれから自分が冤罪である事や看守から嫌がらせをされた事を誇張して話していく。
全ての供述が終わると、京子は涙ぐんでいた。

「そ、そんな事が起きていたなんて……」

「これまでは弁護士さんすら来なくて……あたしはこの独居房の中で不当な虐待に遭わされていたんです。その事をどうか外にいる人たちに伝えておいてください」

「わかったわ。可哀想な真紀子ちゃん」

京子が真紀子の涙を拭うために真紀子の元へと近付いた時だ。真紀子は豹変し、京子の首筋に向かって強烈な空手チョップを喰らわせて、彼女をその場に横転させた。それから彼女から財布と弁護士記章とを奪ったのである。
それからサタンの息子としての武装を身に付けると、そのまま独居房から抜け出し、看守室に向かって機関銃を乱射して一通りのお礼参りを済ませると、そのまま奥でデスクワークをしていた看守に向かって銃口を突き付けながら言った。
彼女は間違いなく入ってから自分を虐めていた女性である。
真紀子は機関銃の銃口をその額に突き付けながら言った。

「最後に言い残す事があるんだった言いなぁ、短いけど濃い付き合いだったからなぁ、遺言くらいは聞いてやるぜ」

「……あ、あたしの妹は看守になって罪を犯した青少年たちの更生を助けたいと言っていたんだ。そんな素晴らしい人間をお前は身勝手な理由で殺したんだッ!」

「更生を助けたい?寝言は寝てから言えよ、テメェの妹にあたしがどンだけいびられてか知ってんのか?それとも姉貴の前では『本当は拘束された青少年を看守という立場から怒鳴り付けるのが好き』とか言えなかったのかな?」

「……黙れッ!妹を愚弄するなッ!」

「……そうか、じゃあ、妹さんにあの世でよろしく言っておいてくれやッ!」

真紀子は苛立ちのままに看守を射殺したのである。
それから看守の部屋に置いてある鍵の束を取って出口へ向かって歩いていくのであった。
しおりを挟む

処理中です...