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第三部『終焉と破滅と』

姫川美憂の場合ーその⑨

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最上真紀子ときたら大したものだ。美憂は感心せざるを得ない。多少の皮肉は混じっていたものの、これは紛い物ではない本当の賞賛の気持ちも混ざっていたのである。屋敷の中でテロリストと殺し合いを行う真紀子を見つめながら思った。
依然として有利なのは真紀子の方である。彼女は大きく剣を振りかぶってテロリストを弾き飛ばしていく。
一方で、クローを備えたテロリストは防戦一方であった。
つい先日までは真紀子を圧倒的に倒していたというのに。
兜の下で悔しそうな顔を浮かべているであろう正彦とは対照的に真紀子は余裕を持った表情を浮かべているのだろう。楽しそうにまるでリズムを奏でるかの様な足取りがそれを象徴していた。
正彦は真紀子のリズムに翻弄されている。兜の下に激昂している姿が容易に想像できる。真紀子はそんな正彦をあしらい、あろう事かわざと距離を取り挑発の言葉を投げ掛けていく。

「ほいよォ!ほいよォ!鬼さんこーちら。ここだよ!捕まえてみなッ!」

真紀子は尻を叩く真似こそしなかったが、兜の下で馬鹿にしているには違いない。美憂は兜の下で苦笑いしていた。
正彦が真紀子の挑発に乗り、懐へと近付いてきた時だ。真紀子はそのまま左斜め下から勢いよく斬り上げていく。
今の真紀子は無敵であったといってもいいだろう。それから真紀子は倒れて込んだ正彦に向かって剣を振り上げていき、その鎧に完全なるダメージを与えた。正彦の鎧に大きなヒビが生じていく。

「これであんたも脱落だなぁ、まぁ、あんたは暴れ過ぎたんだよ。その報いを受けなよ」

「……ふざけるなよ、おれはまだやらなくてはいけない事がーー」

「まだ生きるつもりかよ?あんたはもう目的を果たしてるじゃねーか、ならもう心残りはねーだろ?とっとと成仏しやがれッ!」

真紀子は躊躇う事なく、剣を突き立てていくのであった。正彦は短い悲鳴を上げて、暫くの間手足を動かしていたのだが、次第に動かなくなっていき、最後には地面の上へと倒れ込む。
完全に事切れてしまったらしい。真紀子は武装を解除した後に美憂に向かって笑い掛けた。

「よぉ、気分はどうだい?」

「……あまり良い気分じゃあないな」

美憂は皮肉を効かせながら言った。

「そうかよ。まぁいいさ」

真紀子はクックッと笑う。それから希空に向かって丁寧に頭を下げて言った。

「賊はこの手で討伐致しました。ご安心を。希空様」

希空は黙っていた。だが、それは恐怖からではない。怒りからだ。怒りの理由は様々だ。砂浜に流れ込む波の様に次々と様々な理由の怒りの念が湧いては消え、湧いては消えという事態が続いていくのだ。
なぜ自分はサタンの息子になれない。どうして自分はみすみす父を死なせてしまった。どうしてこいつらは屋敷が襲撃された際に家に居なかった。真紀子はその事を知っていたのではないのか。
姫川美憂もそれに同調したのではないのか。
こいつら二人はグルで自分を今の地位から引き摺り下ろそうと画策しているのではないのか。
希空の心はそんな怒りが集中した。今すぐにこの場で二人を処刑してしまうのがいいだろう。
いや、敢えて二人を自分に背かせ、正々堂々とした勝負で叩きのめすというのが得策だろう。希空はそうした結論に達し、敢えて真紀子が、美憂が自分に歯向かう事を狙ったのである。

「じゃあ、あたしたちそろそろ帰ってもいいでしょうか?不穏分子も取り除いた事ですし」

真紀子がいけしゃあしゃあと言ってのける。
希空は本当ならばその場で射殺してやりたいほどに憎らしかったのだが、反乱を叩きのめすという計画を実行させるために敢えて、寛大な態度でそれを許してやったのである。

「……いいわ。グリーンチケットの新幹線を用意してあげる」

希空はそういうと二人に背を向けて去っていく。
後日、二人の下宿先であるデイリーマンションに二枚の大阪行きのグリーンチケットが入った封筒が送られてきた。
真紀子はそれを開いて、美憂に渡して二人で新幹線の中へと乗り込む。
封筒に同封されていた希空の手紙にはボディガード兼侍女の給料は振り込まれているらしく、後で確認しておけという事であった。
何はともあれ、伊達正彦という凶悪極まりないテロリストを打倒し、二人であの恐ろしい天堂希空の元から生き抜いたのである。これだけで十分に賛美される事ではないだろうか。
美憂は安眠用にグリーン車の座席にもたれ掛かっていく。これまでの悪い夢を忘れるかの様に美憂は眠りたかったのだ。
そのために車内での会話は皆無であったといってもいい。駅に着くなり、特に感動もなく別れたためにドラマもない。
二週間近く同じ屋根の下に暮らしていたというのだが、それだけである。
美憂はそのまま両親の待つ家に帰ると、そのまま入浴を行い、家のベッドで眠る事にした。
眠って全てを忘れたかったのだが、そういうわけにもいかなかったらしい。
真夜中に美憂を呼ぶ声が聞こえたのだ。その声の主はヒュドラ。自身が契約した悪魔である。

(起きろ、起きろ)

「あたしは眠いんだ。寝させてくれ」

美憂はヒュドラに頑なに両目を閉じて眠ろうとしていたのだが、ヒュドラは切羽詰まった声であったので、無視するわけにもいかない。
仕方なく美憂はヒュドラの言葉に耳を傾ける事にした。

(そういうわけにもいかない。今日はお前に重要な事があって知らせにきたのだ)

「それは睡眠を遮ってまで喋らなくてはならない事なのか?」

(あぁ、サタンの息子が増えたのだ)

「増えた?それはゲームの進行上の上ではなんの問題もない筈だろ?」

(問題はその男が自分で呼び出し、契約した悪魔を使って、ゲームに参加した事なのだ)

「……つまりあんたらが選んでいない悪魔とその契約者が無理矢理にゲームに参加した、そう言いたいわけだな?」

(そうなるな。参加協定を結んでいない悪魔に、選ばれていない契約者……このゲームに番狂わせが発生したのだ。そんな事は許されんッ!ただちにこのイレギュラーを取り除くのだッ!」

「生憎だが、面倒臭い。日常生活に、ゲームへの参加、それに加えて天堂グループとの確執まであるんだ。わざわざそんなものに付き合ってなんぞいられん」

美憂はそう断言して掛け布団を被り、ベッドの中に潜り込もうとしたが、ヒュドラはあくまでも引き留める。
あまりのしつこい態度に美憂が呆れていた時だ。ヒュドラが放ったとある一言に美憂は従わざるを得なかった。

(お前が従わなければ、我は契約を破棄し、別の契約者の元へと去ろうではないか)

その一言に美憂は発狂しそうになってしまう。もし、ヒュドラに去られてしまっては自分は天堂グループと戦うための武器を失ってしまう事になるのだ。

「わ、わかった!」

美憂の苦し紛れの一言にヒュドラは了承したのであった。
ヒュドラはその後、新たに参入した悪魔とその契約者の名前を告げて黙ってしまった。
美憂は溜息を吐いてからそのまま掛け布団を被って眠る事にした。
翌日久しぶりの学校は鬱そのものであった。相変わらず女子からは無視されたり、嫌がらせを行なわれたりしたが、休んでからはその事をネタに虐められ始めたのである。

「おい、姫川。お前学校二週間も休んで何やってんだよ?」

「やめなよ、あたしは知ってるんだよ。二週間の間に姫川はーー」

「おい、そういう事を言うなよッ!」

男子陣からの罵声が飛ぶ。再び戦闘が始まるかと思われた時だ。教師が教室に入り、対立は一時中断せざるを得なかった。
不穏な空気が漂う中で朝のショートホームルームが始まったのである。
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