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第四章『この私が狼の牙をへし折ってご覧にいれますわ』

故郷の町の大掃除

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カーラは森を立ち去って宿屋へと帰ろうとしていたが、先程の木の元でまだあの少女が泣いていたことに気が付いた。
先程勢いよく叩かれたことで、転けてしまったのだろう。シクシクと泣いていた。カーラは令嬢の嗜みとして常に持っているハンカチを懐から取り出し、それを差し出しながら優しい声で言った。

「大丈夫でして?」

だが、少女は答えない。体を体育座りの体系にして啜り泣くばかりである。
このまま放っておくことも可能であっただろう。だが、話を聞きたかったカーラを視線を合わせ安心させるように優しい声で言ったのだった。

「……はっきりと申しますと、私は一部始終を目撃致しましたの。一言だけあなたに言いたくて来たんですの」

少女は相変わらず体育座りの姿勢のまま頭を屈めて答えようとしない。
カーラは無視して話を続けていく。

「あんな酷い母親の元からは去った方がよろしゅうございますわ。実の娘に対してあんな酷い暴力を振るう母親なんて……」

「違うッ!」

予想外の少女の剣幕にカーラは思わず両肩を強張らせてしまっていた。

「違う、違うよ。ママは本当はとっても優しいんだもん。エミリーだってママが一晩かけて縫ってくれたんだもん」

少女の頭の中には母親と過ごした温かい思い出が思い起こされていた。
少女はカーラに向かってその思い出を一つ一つ丁寧に教えていく。

かつて自分が風邪になってしまった時に寝ないで看病をしてくれたことや人形のエミリーも交えて、三人で父親や部下の盗賊たちが出払っている間にままごと遊びをしていたことなどだった。
涙を交えながら語っていく少女の姿を見て、カーラも思わずもらい泣きをしてしまっていた。

「パパがママに酷いことばかりするからママがあんな風になっちゃったの」

少女はあくまでも母親を愛している。最終的には実の母親と殺し合うことになった自分とは対照的だ。
そのことを踏まえればやはり、オリビアを駆除するべきではないのかもしれない。
カーラはそのことを胸に抱きながら森の外へと出ていくのであった。

森の外へと出ていき、それからエドマンドの運営する宿屋へと戻っていく。
エドマンドとレキシーはカーラの話を聞くうちに真剣な表情を浮かべ、どうした対策をとっていくのかを食事をとりながら語り合うことになった。

「なるほど、そういうことでしたか」

エドマンドはナイフとフォークを巧みに使いながらこの街の郊外で採れた鹿のソース煮を切り分けながら納得したように言った。

「えぇ、そうなんですの。盗賊どもは教会の奥深くの家に潜んでおりますわ」

「こうなると厄介だねぇ。どうしたもんか」

「私に妙案がございますわ」

カーラの計画というのは翌日に店を訪れる赤い髪の男を仕留め、見取り図を奪った後に警備隊にコネを作ったエドマンドの元へと持っていき、それを証拠として採用してもらい、警備隊にアジトの中へと踏み込ませるというものである。
問題はジョーの始末だ。ジョーの始末は代表してレキシーが行うというものになっていたが、最悪の場合は手伝いであるカーラが行うことになっていた。

計画としては何らかの方法でジョーを外に誘き寄せ、そのままジョーの喉元に短剣を貫くということになっている。
ジョーを仕留め終えた後は建物から抜け出し、森の中を逃げていく。
そして、森の入り口に待機させている警備隊に見つからぬように教会の裏側。もしくは近くの木の陰などに隠れるという算段になっていた。

もちろんレキシーのみに任せるのは酷だということで、カーラも何らかの形で参加することになっていた。
話す分にはこのようにまとめるだけでいいのだが、問題はどうして計画を実行していくかということである。

一連の出来事をここまでは淡々と記してきたが、万が一ジョーの始末にしくじればカーラもレキシーも盗賊の魔の手によって呆気なくその命を散らされてしまうだろう。
それにジョーの始末に成功したとしても手下に捕まってしまえば一巻の終わりだ。よしんば手下から逃れたとしても警備隊に捕まってしまえば駆除人だということが明るみに出る可能性もある。
エドマンドのコネも無効になってしまう。そればかりではない。仮に作戦が成功したとしても手下たちがカーラやレキシーのことについて語ってしまえば二人の素性が割れてしまうのだ。

こうして一つ一つの欠点を記していけばあまりにもリスクや穴の大きな計画となってしまっていた。
だが、そんな多くのリスクを踏まえた上でもカーラはこの計画を実行し、あの少女を助けてやりたかった。
あの少女に優しい母親を再び見せてやりたかったのだ。

レキシーもエドマンドも他に妙案が思い付かないことから一時はカーラの案を受け入れようかと考えていたらしいが、エドマンドはカーラの計画の中にもう一つ別の計画を思い付いたのだった。
それは警備隊にこそ知らせるものの、一定の時刻までは動かないようにという指示を出し、その間に警備隊の制服に身を宿した町の駆除人たちを動員し、応援に向かわせるというものであった。

突入の時間よりも早くにジョーやその手下たちを片付ければ万事はうまくいく。
少なくとも、先程のカーラの提案よりは物事がスムーズに進むはずだ。
カーラはエドマンドの出した計画を受け入れ、計画に臨むことになった。
計画を語り終え、会食を終えようとするエドマンドにカーラは切実な願いを訴え出た。

「お願いがございますの。よろしければジョーのパートナーであるオリビアさんとその娘さんには温情をかけてあげるように頼んでくださいませんか?」

「……わかりました。証拠を届ける際に警備隊にはそう言っておきましょう」

エドマンドの了承を聞いたカーラは和かな笑みを浮かべ、部屋へと戻っていく。
翌日の大計画の準備を行うためには時間を無駄にしてはいられないのだ。
翌日カーラは朝食もそこそこに身支度を整え、レキシーと共に診療に向かう。

その際にカーラは手洗いを名目に何度も席を外し、売り出す前の服の間に隠れながら赤い髪の男を待ち伏せていた。
ようやく赤い髪の男が姿を見せたのはその日のお昼に近い頃合いであった。
何食わぬ顔で店を訪れ、商品を物色した男は店員として潜り込んでいるオリビアから代金を渡す際に見取り図を受け取っていた。
カーラはそのまま売られている服を使って、巧みに裏口まで移動し、赤い髪の男の後を追った。

カーラは後を追う中で、人混みが少なくなる郊外、教会が近くなり舗装された道がなくなり、自然にできた道に差し掛かったところで男の延髄に向かって素早く針を突き立てたのだった。
男は悲鳴を上げる暇もなく地面の上に倒れ込む。地面の上に倒れた男は何が起きたのかわからないという表情を浮かべていた。

カーラは周りに人がいないことを確認し、男の懐から見取り図を入手したのである。
カーラは見取り図を懐の中に仕舞い込むと、そのまま商店へと戻っていったのだった。
それから裏口からこっそりと商店に戻ると、何食わぬ顔でレキシーの診察を手伝っていたのだった。

診察を終えた後はお茶の時間となる。そして、今日のところはこの後に商談があるという主人に代わり、オリビアが二人を見送ることになっていた。
その際にカーラはオリビアに手紙を手渡したのだった。それはオリビアに対する警告の手紙に他ならなかった。

『今晩十文字の傷のジョーは雷神の怒りを買い、その裁きを受ける身となります。あなた様も雷神の怒りに巻き込まれたくなければ、お子様と共に十文字傷のジョーの元からお離れませ』

カーラからの手紙を読んだオリビアは慌てて口元を抑えた。あの少女には自分と仲間の正体が破られてしまったのだ。
雷神の怒りというのは警備隊の暗喩であるに違いない。
手紙を閉じるやいなやオリビアは娘のために自分が捕まってしまうことだけは避けなくてはなるまいと誓ったのだった。
オリビアは娘を助け出すことを決め、夜になるのと同時にこっそりと商店を抜け出し、森の中にある家へと向かう。

血相を変えた様子で慌てて扉を叩いていたので、手下たちもただ事ではないと判断したらしい。
慌ててオリビアを家の中へと招き入れた。家の中には衰弱して人形のエミリーを握り締めたまま倒れている娘の姿が見えた。

オリビアは慌てて駆け寄ろうとしたのだが、そんなオリビアをジョーは容赦なく叩いたのである。

「テメェ、大事な仕事の前にどうしてこんなところに顔を見せやがったんだッ!」

「あの子が心配だからだよッ!いけないのかい!?」

「いけないに決まってるんだろッ!テメェがそんなんだからあのガキがいつもオレが折檻してやるたびにピーピーと朝の訪れを告げる鳥みたいに泣き喚くんだろうがッ!」

「この卑怯者ッ!天下の大盗賊だなんて謳っていながら抵抗できない弱い相手にしか手をあげられないのかい!?」

「いいやがったなッ!」

ジョーの眉間に皺が刻み込まれた。その声にも怒りの念が満ち溢れている。
先程自分が殴られても倒れないのはジョーがまだ手加減をしていたからだろう。
今度こそ手加減のない本気の拳がくるだろう。

ジョーは盗賊の親玉を務めるだけはあり、格闘家を思わせるような巨漢なのだ。
実際に筋肉を触ったことがあるが、全身が鎧に身を纏っているかのように固い。それに加えて、剣や拳を振るうために腕を日常的に鍛え上げている。

ジョーの拳は丸太のように太い拳なのだ。オリビアが思わず両目を瞑り、ジョーの拳を防ごうとしていた時だ。
扉を叩く音が聞こえた。ジョーが手を止める。
それから手下の一人に命じて、扉の応対をさせに行った。

「へい、どちら様で?」

「あっ、私旅の者ですけれども、ここに大盗賊と誉の高い十文字傷のジョー様がおられるとお伺いして、こちらに参りましたの。よろしければご案内いただけなくて?」

「あんた、何者だい?」

「……裏の世界の者ですわ。私どうしてもジョー様のお側にお仕えしたくてたまらないんですの。よろしければ一目だけでも会わせていただけませんこと?」

案内に向かった手下から話を聞いたジョーは興味津々な様子で顎の下を撫でていた。
手下の話を聞くにその女性は透き通った歌手のような素晴らしい声をしていたらしい。
ならば実物はもっと素晴らしいのだろう。ジョーは不敵な笑みを浮かべながら扉を開けた。
そこには青い瞳に長い金髪をたなびかせた美しい少女とその保護者と思われる中年の女性の姿が見えた。

母娘で入ろうということなのかもしれない。ジョーが扉を出て、その女性に近付こうとしていた時だ。
中年の女性から短剣を突き立てられたことに気がつく。大方、喉でも狙ったのだろう。
だが、大盗賊の自分にそんなものは通じない。ジョーが余裕を持った表情を浮かべて、どう報復してやろうかと笑っていた時だ。

何の前触れもなく、華麗な少女の手によって自身の胸元に針が突き立てられた。何が起きたのか理解できずに心臓に刺さった針を凝視するジョーに追い討ちをかけるように腹部へと短剣が突き上げられていく。
先程突き損ねた短剣を針に気を取られている隙にそのまま腹部へと突き刺したのだろう。

ジョーは咄嗟に悲鳴を上げようとしたが、少女によって咄嗟に口を手で防がれたことによって悲鳴を上げる暇もなくその場に倒れ込んだ。
即死であった。幸いなことに駆除は上手く行えたので、今のところは追手が迫る気配もない。カーラとレキシーは慌てて森の中へと向かい、盗賊たちの根城の前から姿を消した。

カーラとしては女性の敵のような男をもっと苦しめて仕置きすることができなかったのが唯一不満であった。
しばらくしてから根城の中で酒盛りをしていた盗賊たちがなかなか返ってこない親玉を心配して玄関に迎えに行ったのだが、そこには変わり果てた親分の姿があったのだった。

親分を殺されて慌てふためく盗賊たちの間にやってきたのがエドマンドの報告を受けた警備隊の兵士たちであった。
「手向かうものは斬る」と断言しての検挙である。盗賊たちはなす術もなく拿捕された。
その際にオリビアとその娘である幼い少女も共に拿捕されたが、その扱いは他の盗賊たちとは雲泥の差であった。

縄もつけられなかったし、何より捕縛に向かった兵士たちが丁寧に話し掛けたのだ。
その態度から二人の将来はそう暗いものではないということが示唆されていた。

「あの二人も事情が事情だということから温情がかけられるみたいです。そうですねぇ、あの二人に下される刑罰は最悪でもこの街からの追放刑で済むみたいです。そりゃあオリビアさんはいけないことをしましたが、やはりジョーに脅されていたのが大きかったですしね」

翌日の夕食の席におけるエドマンドの言葉に嘘偽りはないだろう。カーラの中には限りない喜びが満ち溢れていた。
これでまたあの少女は優しい母親の姿が見られるだろう。そしてもう二度と叩かれることがないはずだ。

この街から追放されることは間違い無いが、それでもどこかで母娘仲良く平穏に暮らしてほしいものだ。
酔うような喜びに打ちひしがれているカーラの前に大金が入った袋が置かれた。

「こいつは後金です。どうぞお納めを」

レキシーが代表してその金を受け取った。
カーラはレキシーに向かって心地の良い笑みを浮かべながら言った。

「しかし、レキシーさん。こんなにも心地の良い駆除は久し振りですわね」

「だねぇ、墓参りに来て本当によかったよ」

レキシーは目の前に置かれた蜂蜜酒を一気に飲み干しながら答える。
カーラも養母に釣られて、手元の蜂蜜酒を飲み干す。
体中に心地の良い酔いが染み渡っていく。カーラは酒と心地良さの両方で有頂天になっていた。
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