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第四章『この私が狼の牙をへし折ってご覧にいれますわ』

予想外の事態が引き起こされまして

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「クリストフ様ッ!私に隠れてガーネットなどという小娘と密にされているというのはどういうことですの!?」

強い声を上げながら若いメイドがクリストフへと迫っていた。彼女の名前はキンズリー。ホワインセアム家のメイドであり、ホワインセアム公爵家の下につくウロブラー侯爵家の長女である。
現在は花嫁見習いという名目でメイドとしてホワインセアム家に仕えているが、彼女はクリストフの愛人であった。

彼女とクリストフの愛人関係は5年以上も前から続いていたといってもいい。
クリストフは婚約者がいる裏側でメイドとして彼女を呼び寄せ、密接な関係を結んでいたのだが、あのガーネットという地味な令嬢に惹かれ始めてからクリストフの中ではキンズリーとの関係は急速に冷え込みつつあった。

だが、クリストフにとって離れられぬ事情があったのだ。
それは常人には理解もできないような複雑なものであったのだ。

「あんたッ!私を捨てるつもりなのねッ!いいわッ!なら、5年前のことをゴシップ誌にぶち撒けてあげるッ!」

クリストフはその言葉を聞いて顔を青くしていた。メイドであるにも関わらず対等な口を利いたことを窘める余裕さえも失われていた。
クリストフの記憶は過去へと舞い戻っていた。5年前。忘れられるはずもない。彼女が実の兄を殺めた記憶だ。
その動機はただ一つ。自分との関係をより密接に近付けるためである。

5年前。当時のウロブラー家の長男クリストファーは妹キンズリーと自身の主家の嫡男クリストフとのただならぬ関係に勘付き、郊外の林に鹿狩りという名目でクリストフを呼び出したのであった。
当時クリストフは知らぬ存ぜぬを貫いていたのだが、そのようなものが通じるはずもない。その際揉み合いになったのだが、その時にキンズリーからもらった香水の瓶が地面の上に落ちたのも大きかった。バレては仕方がない。

クリストフは謝罪するふりをして、相手の不意をついて剣を抜いた。そのまま両手に握った剣でクリストファーの心臓を貫こうとしたのだが、剣の腕前はクリストファーの圧勝であった。
クリストファーは相手が自身の家が仕える主家の嫡男であるにも関わらず、手加減などを行わず、剣を抜いて反撃を行い、妹をたぶらかした男を抹殺しようとしたのだ。
あと少しで剣がクリストフの前に振り下ろされる瞬間にザクっと何処かから音がした。クリストフが慌てた表情で振り返ると、そこには短剣を持って兄の背中を貫く妹キンズリーの姿があった。

クリストファーは信じられないと言わんばかりの表情を浮かべながら地面の上へと倒れ込む。短剣は真っ直ぐに心臓を貫いていたので、クリストファーは苦しむ暇もなかったと思われる。
絶命したクリストファーを密かに土に埋めて以来、クリストフはキンズリーを大事にせねばならなかった。自身の命を助けられたということも大きかったが、何より自家の派閥において一番の力を持つ侯爵家の長男を殺めたとあればウロブラー家が離反するのは自明の理。
一番の力を持った家が離れた責任を父親に取らされクリストフも公爵家から追い落とされるかもしれない。それ故にキンズリーとは離れることができずにいたのだ。
故に彼は宥めの一手にかけた。務めて穏やかな口調で子どもを諭すように柔らかな言葉で慰めの言葉をかけたのであった。

「わかっておる。オレにとって大事であるのはお前だけだ。天上界におわす神々には感謝しておるのだぞ」

普段であるのならば優しい口調と顔を浮かべれば引っ込んでしまうはずであった。
しかし、今日のところは違った。いつにも増してヒステリックな様子で机を叩いてクリストフに顔を近づけていく。

「嘘ばっかりッ!本当は私のことなんてなんとも思っていないくせにッ!」

両目から涙を溢し、クリストフを叩いていく。ポカポカなどという生易しいものではない。強い力で精一杯にクリストフの肩を叩いていたのだ。

まるで、乳児だ。クリストフは肩を叩かれながら思った。自分が叱られた理由も分からず、ひたすら乳母ばかりを責める幼稚な児童だ。知性の欠片も感じられない。クリストフは嫌悪感を感じながらキンズリーを見つめていたが、キンズリーはそんなクリストフからのマイナスの感情を感じ取ったのか、両目を見開きながら今度は首を力強く締め上げていく。

クリストフもそこでようやく命の危機を感じ取り、慌てた口調で言い訳の言葉を述べていく。

「ま、待て!そんなことは思っておらぬ。どうかな?今度何かしらの形で埋め合わせをしよう」

「よくもそんな心にも思っていないことをッ!殺してやるゥ!」

この時たまたまガーネットに案内されたエミリーが部屋を訪れなければクリストフは確実に殺されていただろう。
キンズリーはエミリーとガーネットの二人によって引き離される形でようやく部屋を後にしたのであった。
その後にクリストフは婚約者であるエミリーと茶会を行うことになったのだが、どこか落ち着かない様子であった。
心ここに在らずと言わんばかりの顔でどこか遠くを眺めているような気がした。
そんな婚約者の存在が気になったのか、エミリーが優しい声で婚約者を気遣った。
普段ならば頭のおめでたさに辟易するばかりであったが、今ばかりはエミリーのおめでたさに救われた。
クリストフはいつもならば絶対に見せない弱気な声を出して言葉を返した。

「すまぬ。オレとしたことが……」

この時のクリストフの表情は沈んでいた。
婚約者とお付きのメイドの両名は鎮痛な表情を浮かべていた。顔には同情の色さえ浮かんでいる。
なんとも言えないという顔を浮かべていた時だ。ふと、エミリーがパァッと明るい顔を浮かべて言った。

「ならばうってつけの方法がございますわ!」

エミリーはクリストフの耳元である方法を囁いていく。それは危険な賭けであったが、同時に他のどんな方法よりも丸くその事態を片づけられる方法であったともいえた。
エミリーが耳元で囁いた言葉はたった一つ。以前オークスから聞いた駆除人ギルドの話を思い出したのであった。
















「言っておきますが、私どもが駆除するのはどうしようもない奴ら、生かしておいてはためにならないような奴……害虫だけですよ。お分かりですかな?」

駆除人ギルドのギルドマスターは応接室の長椅子に腰を掛けながら相談に訪れた男を鋭い目で睨み付けながら言った。
相手はさる高貴な家からの使者であり、尚且つその家の嫡男の代理人だということであるが、ギルドマスターの目に怯えなど見えない。
駆除人ギルドを訪れる限りは誰であろうと平等なのだ。

『ブラッディプリンセス』を一度注文し、応接室の長椅子に腰をかけるからには身分など関係ない。
それがギルドマスターのいや、駆除人ギルドそのものの方針であった。
さる高貴な家もといホワインセアム公爵家から訪れた使者は己の顔を隠すため派手な仮面を付けていたが、仮面の目からは動揺の色が見受けられた。

ギルドマスターの剣幕に驚いているのだろう。両肩をすくめながらもうんうんと小さな声で適当な相槌を打っていた。
ギルドマスターはその姿を見届けると、小さく溜息を吐いて自身が考えた結論を相手に出した。

「……いいでしょう。あなた様からのご依頼をお引き受け致しましょう」

「本当か!?」

男の声が上がる。それほどまでに興奮しているのだ。
喜び勇む男をギルドマスターは手で静止し、男に向かって自身の語る条件を提示していく。

「しかし、お引き受けする条件としてもう少し詳しい事情をお聞かせ願えませんかな?キンズリー嬢はいかなる理由をもって始末されねばならぬのかをお聞かせ願いたい」

「さ、先ほども申したであろう。この女は畏れ多くもメイドの身でありながら大恩ある公爵家から金を搾り取ろうとーー」

「あなた様の言葉からは嘘が漏れておりますな。本当はどうした理由なんで?」

代理の男は焦っていた。本当の理由を話せば公爵家が秘めたる秘密を駆除人ギルドへと晒してしまうことになる。
そうなれば自分の身が危うい。しかし、話しておかねば目の前の男は駆除を許可しないだろう。そうなれば公爵家は延々とキンズリーに脅され続けてしまうことになる。
それだけは避けねばならなかった。代理の男はやむを得ないと割り切って、ギルドマスターに一部を隠しつつも本当の理由を話していく。

話を聞いた当初ギルドマスターは両眉を上げていたが、やがていつも通りの無表情に戻り、最初に男が机の上に出したお金を懐へと納めたのであった。
どうやら駆除は引き受けられたらしい。『なるべく早く』と期限を設けたので駆除はすぐにでも行われるに違いない。

代理の男はウキウキとした様子で駆除人ギルドを後にした。
そんな男をギルドマスターは黙って見つめていた。
酒場へと戻るように促しにきたヴァイオレットはいつもより神妙な顔を浮かべる叔父の姿が気になったのか、堪らなくなって声を掛けたのであった。

「どうしたんですか?おじさん?」

「……あの男どうも引っ掛かるな。このまま放っておいたのでは駆除人ギルドの存亡に関わるような気がする」

駆除人ギルドの存亡とは大きく出たものである。予想だにしない言葉を聞いてヴァイオレットは後をつけるように申し出た。
ギルドマスターはそれを了承し、ヴァイオレットに店を休ませた。
ヴァイオレットは自身の得物である青い宝石のついたネックレスをスカートのポケットの中に仕舞うと、先ほど酒場を出ていった仮面を付けた男の後をつけた。

元は腕利きの駆除人であるヴァイオレット。彼女は昔からこのネックレスを用いて田舎で害虫駆除の仕事を行なっていた。
ネックレスの中心に飾られている青い宝石は開閉式となっており、宝石に見せかけた小物入れの中には駆除に必要な小さな針が用意されている。
この針はカーラが扱う裁縫針よりも小さな針であった。ヴァイオレットはこの小さな針を使って酒場などで眠りこけている相手の首元に針を突く技を得意としていた。

そればかりではない。ネックレスのスライドアジャスターの部分にも吊り糸が仕込まれており、これで相手を吊り上げる技も得意としていた。
どちらの方法を用いるのかはまだ分からぬが、優秀なギルドマスターである叔父が危険だというのだからどちらかの方法を持って始末せねばならぬのだ。

ヴァイオレットが夜の闇と物陰とを上手く利用しながら男の後をつけると、先ほどの男は郊外に聳え立つホワインセアム公爵家の屋敷の門をくぐっている姿が見えた。
と、なると今回の駆除はホワインセアム公爵家絡みの駆除ということになる。
ヴァイオレットは帰還後にその旨を伝えると、叔父は難しそうな顔を浮かべていた。

使者がホワインセアム公爵家からの人間であるのならば話は別だ。
ホワインセアム公爵家は『ジャッカル』との繋がりが高いとされ、これが本当ならば自分たちを罠に仕掛けるつもりであるかもしれない。

だが、その一方で話に聞くキンズリーなるメイドを放っておけないのも事実だ。
多少の誇張があったとはいえキンズリーも生かしておいてはならない人物であることには違いない。
この場合は誰に向かわせるべきだろうか。ギルドマスターが頭を捻っていると、酒場の扉が開く音がした。

酒場を開いて現れたのは短く整った赤色の髪にしっかりとした目鼻に色白な肌をした美女であった。
彼女の名前はマルリア。今年で二十二になる腕利きの駆除人である。
表稼業は花売りであると聞く。花売りというのは売れない場合がほとんどであるが、彼女の場合は別であるらしい。

眉目秀麗、しっかりと蒼白く冴えた肌に、駆除人であることからも分かる痩せた体型。男が放っておかぬはずがない。
マルリアは酒場の上に着くと、蜂蜜酒をリクエストしたのであった。
ギルドマスターは無言でグラスを取り出し、その中に蜂蜜酒を注いでやる。

マルリアはそれを飲み干し、先ほどまでの自分がいかような目に遭ったのかを語っていく。
マルリアは表稼業である花売りの仕事を終え、翌日の花を買いに行くため業者の元へと向かっていた時だ。
不意に背後から気配を感じたかと思うと、見知らぬ二人の男に襲われたのだという。

直前に殺気を放たなければ分からぬほどであったという。マルリアは駆除人としての技能を駆使し、なんとか複雑な路地を利用して相手を巻いたのだという。
ギルドマスターは顎の下を親指と人差し指で摩りながらマルリアの話を感心した様子で聞いていた。

「もう、感心している場合じゃないよ!後少しでこっちが始末されちまうところだったんだからねッ!」

「わかってる。わかってる。すまなかったな」

マルリアは不満気に酒を啜っていた。その時だ。カーラとギーク、それにゲイシーの三人がギルドを訪れた。
マルリアはカーラの姿を見るなり、嫌悪の目を向けていた。
余程嫌っているのだろう。マルリアはカーラの姿を見るなり、軽い罵声を浴びせてからギルドを後にしたのであった。
カーラはそんなマルリアをパチクリとしながら見つめていた。

「あら、マルリアさんはどうなさったんですの?」

「逃げちまったんだよ。あの子、お前さんが嫌いらしいからね」

「それはなぜですの?」

ギルドマスターは新たに用意した三人分のグラスに酒を注ぎながらマルリアがカーラを嫌っている理由を語っていく。
マルリアはすれ違い様に花の茎の中に仕込んだ針で相手を駆除するという技法を持つ駆除人である。

だが、彼女には優しさがあった。それはいくら悪人であったとしても極力相手を苦しませずに仕留めるというものである。
この点カーラやレキシーとは対照的であったといってもいい。それ故両者は方針をめぐって対立することが多かった。

マルリアは『血吸い姫』などとあだ名されるカーラを一方的に嫌い、駆除人ギルドでは目も合わせないようなことが多かった。
酷い時にはカーラへ罵声を浴びせたり、足を踏んだりもしていた。

常人ならば会うのを嫌がるほどのいやがらせであったが、カーラは余裕のある笑みを浮かべてそれらの嫌がらせを交わしていったのである。
実の両親や血の繋がらない妹、屋敷の使用人たちから数々の嫌がらせを受けてきたカーラにとってマルリアからの嫌がらせなど大したものではなかったのだ。

その証拠にカーラは余裕を含ませた笑みを浮かべながら酒を楽しんでいた。
そんなカーラの姿を喜ぶべきか、はたまた恐ろしいと思うべきかギルドマスターには分かりかねた。
この質問はどうもよくない気がする。ギルドマスターは話を変えることにした。

「そういえばお前さん、身分を剥奪される前は舞踏会やら園遊会やらにも参加していたね?よかったらホワインセアム公爵家やクリストフについてもう少し詳しく教えてくれないかい?」

「えぇ、よろしくてよ」

カーラは酒の入ったグラスを片手にクリストフやホワインセアム公爵家について説明していく。
ホワインセアム公爵家は王家の血筋を組む由緒ある一族であることやクリストフが文武に優れた人物であり、社交界で評判を集めていたことなどを語っていく。

ギルドマスターはそれを聞くと、またしても顎の下に手を当てて考え込む様子を見せた。
カーラが気になって声を掛けると、ギルドマスターは納得したような顔を浮かべて一人頷いていた。
それからカーラに目を向けて、自身の考えを述べていく。

ギルドマスターはカーラの話を聞いた後で頭の中で色々なことを整理していたらしい。
ギルドマスター曰くクリストフの評判は過去のものになっているかもしれないというものであった。

その理由は明白である。フィン国王という新たな英雄が生まれたからである。
王国を邪教の魔の手から救った英雄が社交界の婦人の耳に入らぬはずがない。
逆にいえば邪教との戦いで何もしなかったようなクリストフの評判が落ちるのは自然だといえた。

ギルドマスターが下した結論というのはそうした評判を打開するためクリストフが起死回生の一手に打って出てもおかしくはないというものであった。
その上で、ギルドマスターは男爵夫人として貴族に返り咲いたエミリーを通し、『ジャッカル』と知り合っていたのならば今回の依頼は『ジャッカル』に対して有利に歩を与えるかもしれないと結論を下したのである。
確かに筋は通っている。全てが憶測に基づいてしまっているのがもったいないと言うほどの説得を帯びたものであった。

ギルドマスターの結論を聞いたカーラはしばらくの間は険しい表情を浮かべていたが、やがていつものような令嬢に相応しい穏やかな笑みを浮かべながら言った。

「お任せくださいな。この私が卿とエミリー嬢を纏めて始末してご覧にいれますわ。その上でギルドに安寧をもたらしてさしあげますわ!」

カーラは胸を張って言った。その言葉の端々からは自信というものが満ち溢れていた。
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