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第五章『例え、激闘が起ころうとも、旋風が巻き起ころうとも、この私が竜となり、虎となり、全てをお守り致しますわ』

激闘の予感が見えた時

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その日ガーネットが舞踏会の終わりにアイラに向かって森林ギルドのギルドマスターリロイを守るために動き出したことは偶然ではなかった。
嫌な胸騒ぎがしたのだ。それは今日の舞踏会でなぜかカーラが意味深な笑みを浮かべていたのだ。

あの時に浮かべていた笑みは嬉しいとか楽しいとかそうした純粋な感情からは遠くかけ離れているような邪悪な笑みに見えた。
敢えて無理矢理に例えるのならばならば悪事を働く人間がどのように動けば利益を生じさせることができるのかを計算しているかのような目であった。
その目がひどく不気味に感じられた。ガーネットがカーラの浮かべた奇妙な目のことについて自身の主人であるアイラへと報告すると、アイラは首を捻りながら今夜の舞踏会におけるカーラの妙な動きを思い返していく。

カーラは舞踏会の会場において多種多様な雑談を行ってはいたが、その中に必ずホワインセアム公爵家から領地の収入を報告するために訪れた森林ギルドのギルドマスターについてのことが含まれていたのだ。
なぜ、カーラが森林ギルドのギルドマスターについてのことを尋ねていたのだろうか。
アイラはそこが引っ掛かってならなかったのだ。

前国王の暗殺に携わったレキシーの義娘とされるカーラが無関係であるはずがない。前国王の毒殺に何かしらの関係があるのかもしれないし、もしかすれば彼女も害虫駆除人とやらなのかもしれない。
そこでアイラはお付きのメイドであるガーネットへと武器を携えながらギルドマスターの様子を窺ってくるようにに命令を下した。

もしカーラが駆除人であったのならば森林ギルドのギルドマスターは駆除されているかもしれない。
下手をすれば口封じでガーネットも始末されてしまうかもしれない。

だが、ガーネットがどのようになろうともそれが証拠となる。
このことを公の場において追求すればカーラとてひとたまりもないだろう。
身分剥奪どころか、森林ギルドのギルドマスターを害した罪によって縛り首になるかもしれない。

アイラは自身が身に纏っていた青色のドレスのため特別に作らせた青色の手袋を握り締めながら勝ち誇ったような笑みを浮かべていく。
あの『人面獣心』もこれで終わりだ。後悔するのならば冥界王の秤の上だろう。
だが、その時には既に秤は魔犬が食べようとしている方向へと向けているに違いない。

いずれにせよカーラに未来はない。すっかりと気をよくしたアイラは勝利の美酒を手に取った。
貴族の人々が飲むために施された酒であるため口当たりがよく飲みやすいことはいうまでもないことであるが、その日はいつも以上に酒が喉を通っていた。














ガーネットは夜の道の中を右腕の中にアイラより手渡された品が入ったバスケットの籠を下げながら『カリオストロ』を目指して歩いていた。普段は右手に持っているランプを左手で持つというのは妙なものであったが、両腕のすごいところはそのことに関して違和感を持たせないことであった。

ガーネットは夜道をなんとか進み終えると、二階に滞在する森林ギルドのギルドマスターリロイの部屋の扉を叩いて呼び出していく。
リロイは面倒臭そうな表情を浮かべながら突然の来客への応対を行なった。

「なんだ。あんたは?」

眠っていたところを起こされてしまったためか、少し不機嫌な様子でリロイは答えた。
突然の来客対応と寝不足によって圧が含まれたリロイの表情を見てもガーネットは少しも動揺する様子を見せず丁寧な一礼を行い、自身が訪れた理由を詳細に語っていく。

「ホワインセアム公爵家からの使いの者です。本日アイラお嬢様より森林ギルドのリロイ様にお渡しするものがあるということですので、こちらの方へと参らせていただきました」

「オレに?」

訪れた理由が貢ぎ物の献上であったことからか、すっかりと気を良くしたリロイは満足そうな表情を浮かべながら答えた。
だが、ガーネットとしてはリロイの心境など知ったことではない。
彼女はメイドとして仰せつけられた使命を果たすだけなのだ。

「えぇ、こちらです」

と、ガーネットは無表情のまま持ってきたバスケットから芸術品のように形の良い短剣を取り出して渡す。

「この短剣は……ま、まさか、オレに自害しろとでも?」

リロイが驚くのも無理はない。古代には忌むべき部下に短剣を送ることで自害を促すということもあったのだ。
そんな彼の誤解を解くためガーネットは先ほどよりも優しい声で答えた。

「自害?そんなことをわざわざお伝えするために私が参ったとでも?」

「じゃあ、なんだ?」

リロイは声を震わせながら問い掛けた。短剣を贈られたために不審な動きをしてもおかしくはない。
気の毒には思ったが、ガーネットがそうした感情を表に出すことはなかった。

「それは護身のためにお使いになられるようにとのお嬢様からのお達しでございました」


「護身だと?」

予想外の言葉にリロイは両眉を上げていた。

「……なんでもリロイ様は害虫駆除人に命を狙われておられるとのことですので」

ガーネットの発した害虫駆除人という言葉にリロイの顔が変わった。見るからに狼狽えた様子を見せ、落ち着きなさそうに辺りを見回していた。そうしたあからさまな動揺をガーネットは見逃さなかった。
畳み掛けるようにリロイの悪事を追求していく。
毒を吐きつつもリロイは自身の行いを顧みて、どのような理由があって狙われてしまったのかを語った。

「た、頼む!助けてくれ!オレは何も悪くない……せっかく縛り首になるところを免れたというのに、害虫駆除人なんぞに冥界王の元へ送られるのは真っ平ごめんだッ!」

藁にも縋り付く思いでリロイはガーネットのエプロンドレスの裾を掴んで泣き叫びながら命乞いを行なっていく。
どこまでも醜い人物だ。ガーネットは心の中で侮蔑の情を向けながらもアイラより命令されたことを語っていく。

「ご安心なさい。そのために私がきたんですから」

ガーネットは自らがどうして派遣されてきたのかを語っていく。
それは害虫駆除人の捕獲に協力するためである。標的となっているリロイを救い、害虫駆除人であるカーラを捕獲して縛り首にさせるというのが今回の最終目標でもあるのだ。

何者にも邪魔はさせないという公爵家からの確固たる意思が伝わってくるかのようだ。
この瞬間リロイは自らの手元に百万の軍隊が加わったかのような安堵感を感じたのである。
これでしばらくは枕を高くして眠れるに違いない。

以後のリロイは緊張感もなく、『カリオストロ』の宿屋に大量の酒や食い物、それから音楽隊などを呼び入れて侮蔑の目を向けるガーネットを他所に遊び呆けていた。
夜もリロイは男女二人だけで構成される音楽隊を呼び寄せ、酒宴に耽っていた。
この時ガーネットは一度報告のためホワインセアム公爵家へと戻っており、留守にしていたのだ。

もし彼女がいたのならば決して二人だけの音楽隊を部屋の中へ招き入れさせるような真似はさせなかっただろう。
しかし酒に酔っているリロイの中にはそんなことは関係なかった。自身の気を良くすることができればそれでよかったのだ。その証拠に二人だけの音楽隊は音を上げリロイの気を良くさせ、彼の気持ちを昂らせていたのだ。
やがて二人だけの音楽隊のうち怪しまれないように女性だけがリロイの元へと近寄り、その首元に近付いていたのだ。

酒を浴びるほど飲んでいたせいか、リロイは自身の元へと迫り来る針の存在に気が付かず、ヘラヘラとした薄ら笑いを浮かべていた。
そんな中で扉が開き、慌てた様子のガーネットが音楽隊の中にカーラが混じっていることを看破して叫んだのである。

「あ、あなたはカーラ!やはり、やはりあなたは害虫駆除人だったのね!?」

ガーネットはそう叫ぶなり、リロイを守るためカーラへと飛び掛かっていく。
この時ガーネットは突き飛ばされてしまい、絡み付くことはできなかったが、リロイを逃すことだけには成功した。
リロイは自身の元に迫っていたカーラを押し除け、扉から外へと出ようとしていた。

だが、そこに一人の剣を持った男が立ち塞がった。
男は逃げようとしたリロイを一刀両断の元に葬り去ったのである。
ガーネットはここぞとばかりに悲鳴を上げた。悲鳴を上げることで従業員や他の部屋に泊まる客などを呼び出し、カーラたちを捕えさせる算段にあったのだ。

これ以上叫ばれては不味い。カーラは咄嗟にガーネットの元へと飛び、針を用いて眉間に突き刺すことでガーネットの口を永久に防いだのである。
それからアルフィーと共に窓を使ってその場から逃走を図ったのである。

二人で入ってきたのは幸いであった。
もし他の音楽隊と混じって部屋に侵入していたのならばその音楽隊の面々も口を塞がなくてはなるなかったからだ。
なんにせよこれで一旦は安心だ。カーラとアルフィーは酒場の前で一息を吐きながら言った。

「なんにせよ、これで無念の思いで散っていった木こりの方々の敵は討てましたわ」

「その通り、無念の思いで冥界王の元へ旅立った木こりたちも喜んでいるだろうさ」

「お前さんたち、よくやってくれた。これは報酬だ」

ギルドマスターはバーカウンターの前に大金の入った袋を置き、二人にそれぞれ後金を払っていく。
カーラはその金を受け取りながらどのようにして自分とアルフィーの二人がリロイの元へと忍び寄っていったのかを語っていく。

もともと真夜中に『カリオストロ』の中へと忍び込み、リロイを始末する三段であったのだが、その前にアルフィーの調べでリロイが朝っぱらから音楽隊を呼んで派手に遊んでいることを突き止め、二人で音楽隊に扮して侵入することを決意したのである。
そこから先はトントン拍子に駆除が進む予定であったのだ。

だが、予定が狂ったのはホワインセアム公爵家のメイドであるガーネットが部屋に入ってきてからのことであった。
彼女は自身の正体に勘付き、リロイの駆除を止めるためぶつかってきた。
それでも敵わないと判断すると、今度は悲鳴を上げて人を呼ぼうとしていた。
それ故に彼女を駆除せざるを得なかったのだ。

こうした出来事を語っていたカーラであったが、自分たちのギルドマスターがどこか芳しくないことが窺え見えた。
カーラが問いかけると、ギルドマスターは神妙な顔を浮かべながら、

「実はちょいと引っ掛かることがあってね」

と、妙に難しい顔を浮かべながら言った。

「引っ掛かること?」

「あぁ、ガーネットとやらの存在だ。たまたま居合わせたにしちゃあ手際が良さすぎると思ってな」

ギルドマスターの声にアルフィーが反応を見せた。

「確かに、それは引っ掛かっていましたね。まるで、何者かがこうなることを予測して仕組んでいたかのように……」

「考えたくもございませんが、まさかホワインセアム公爵家はこちらの動きを察して……?」


「可能性としては十分に考えられます。以前の『ジャッカル』との抗争の際向こうの手駒となって動いたのはホワインセアム公爵家の嫡男クリストフ卿でした。
ホワインセアム公爵家がそのことを根に持って、オレたちを狙っていたとするのならば……」

カーラの言葉を聞いたアルフィーが咄嗟に自身の頭の中に浮かんだことを口に出していく。
短期間の間でここまでのことを口に出せるというのは流石ともいうべきだろう。

「メイドを派遣して、様子見ってところか」

ギルドマスターがそこまで語り終えて言葉を切ると、神妙な顔をして腕を組んで考え込んだ。
お互いの話を打ち切り、語り終えたところで違和感のようなものを感じたのだ。仮にこちらの動きに気が付いて手駒を派遣するというならばいくらでも私兵を動かせるはずだというのにどうしてメイドを派遣したのだろうか。
いくら考えてもしっくりとくる理由が思い付かない。

いくら頭を捻っても回答が出てこなかったことから二人は回答を放棄することに決めたらしい。
ギルドマスターは元の仕事に戻り、アルフィーは酒を啜る作業に戻っていた。
だが、唯一カーラだけはこの中で考えることを投げ出してはいなかった。

悩みに悩んだ末にどうしてあの場所にガーネットが居合わせたのかという理由を思い起こしていくのである。
カーラは人差し指を掲げながらガーネットが少し前の舞踏会で自身の姿を見るなり、グラスを割ってしまったことを二人に語りかけた。

その後は仮説を交えながらどうしてガーネットが部屋に居たのかという理由を説明していく。
カーラの仮説によればリロイはいいや、ガーネットでさえ囮に過ぎなかったというのだ。
真の狙いは自身が害虫駆除人であることを炙り出して正体を明かさせるということにあった。

もちろん口は防いだので証拠にはならない。だが、証拠にならなくてもアイラに確信を抱かせるのには十分であったということなのだ。
カーラの主張を要約すれば、今回の一件で自分たちはホワインセアム公爵家そのものを敵に回してしまったということに他ならないのだ。

ネオドラビア教の時といい、『ジャッカル』の時といい非常に厄介なことになったものだ。
カーラの呟きにその場に集まった駆除人たちが一同に首を縦へと動かす。
その時だ。ギルドの扉が開いてレキシーの姿が見えた。

「あれ、どうしたんだい?みんな暗い顔をしちゃって」

場の読めない能天気な問い掛けに暗い表情をしたカーラが何があったのかを語っていくのであった。
レキシーはカーラから話を聞くなり、鉛のように重い溜息吐いたのであった。

「……今度はホワインセアム公爵家まで敵に回しちまうなんてね。あたしたち本当についてないね」

そう口に出してはいたものの、不思議なことにその目は笑っていた。
人の中にも不思議な人はいる。例えば追い詰められれば追い詰められるほどなぜか笑ってしまうような人だ。
それがレキシーであった。これには仲間たちも一目を置かざるを得ない。

そんな仲間たちを放って、レキシーはギルドマスターに次の依頼について語っていくのであった。
ギルドマスターも『それはそれ、これはこれ』の精神で話を切り出すことにしたに違いない。
ギルドマスターがレキシーに出した依頼というものはとある一家の駆除であった。

ただの一家ではない。噂によれば各地で数々の一家を食い物にして用がなくなれば冥界王の元へと送っていった人でなしの盗賊一家であった。
盗賊一家のやり口というのが非常に悪どいものであり、胸の悪くなるものであった。
主なやり方として犠牲の対象となる一家へと擦り寄っていく際にまずは優しげな一面や食事を奢るといった一面を見せ、自分たちと親しくさせる。
そうした仲良くなった後で自らの家族を紹介し、被害者となる一家の家族と合わせる。
こうすることで家族ぐるみのお付き合いと呼ばれるものが形成されていくことになるのだ。これで搾取の第一形態は完了したというべきだ。

対象の一家が泣きを見るのはその後だ。家族ぐるみの付き合いが始まってから急に態度を豹変させ、関係を対等なものから支配下へと置くという一方的なものへと変えていくのである。
そこから先に待つのは悲惨という言葉で表すのには生ぬるいほどのものとなっていくのだ。

金や家を取られるのは序の口で、それがなくなれば自分たちの家へと強制的に引き寄せられ、支配下に置かれて暴力の嵐に襲われることになる。
そして暴力の末に支配下となった一家を冥界王の元へと送ってしまうのだ。

ここまでの話を聞いてしまうと、到底悪質などという表現では収まるはずがなかった。
カーラは話を聞き終えるなり、先ほどまでのホワインセアム公爵家に対する懸念も忘れ、怒りに震えながらレキシーに向かって言った。

「れ、レキシーさん、私はそいつらをまとめて『血吸い姫』としての裁きにかけてやりたくなりましたわ。そのお方はどちらの方にいらっしゃいますの?」

「そいつはこれから話すよ、ねぇ、マスター?」

マスターは首を小さく動かし、盗賊一家のことについて語っていく。
ギルドマスターによれば盗賊一家は現在王都の酒場を中心に夜の街を遊び回っているらしい。
もちろん遊ぶために使っている金は全てどこかの哀れな家族から巻き上げた金なのはいうまでもあるまい。

レキシーはその下調べとしてこれから夜の街へと向かうつもりであったらしい。
カーラはそこに共をするつもりだった。
レキシーはカーラのお供をあっさりと許し、自身の背後にくっ付いてくるように指示を出した。
こうしてカーラはレキシーと共にその一家の行方を追うことになったのである。

聞き込みによると、盗賊一家は博打が相当好きなようで、よく非合法の博打場に打ちに出てはその帰りに酒場へ寄って豪遊を行うという生活を繰り返しているのだそうだ。
二人が潜入してみると、確かに盗賊一家と思われる一家が夜の街で派手に遊んでいた。

中でも酒場の下に作られた違法賭博場においてはどこで見た顔よりも盛況な姿を見せていた。
サイコロを派手に投げ回し、金をせしめていく姿に参加している全員が呆れ果てたような顔を浮かべていた。
一家の中心と思われる壮年に入りかけの白髪が混じった女性を中心に賑やかな様子を見せていた。
女性は派手な花柄のドレスに身を包んでいたのだが、年齢や風貌と似合っていないことから酷くミスマッチに思えた。

だが、中には納得がいかない様子の人物もいるらしい。
短い黒髪に抜けた歯の目立つ柄の悪い男が盗賊一家の中心と思われる女性に食って掛かっていくのであった。

周りから「先生」と呼ばれていることから店で雇った用心棒であるのは明白である。
彼が立ち上がったのは用心棒としての仕事からだろう。
それでも子分を何人も引き連れた女性に立ち向かえたのは流石というべきである。

「おい、お前!あれイカサマだろ!?サイコロになんか細工をしたに違いねぇ!」

「そんなバカな。あたしはね、サイコロに細工なんぞしちゃあいないよ」

自分で見て見ろと言わんばかりに中年の女性は男の頬へとサイコロを投げ付けた。サイコロは万有引力の法則に従い、男の頬の下へとサイコロが滑り落ちる。
慌てて男が拾った財布を確認すると、それはいわゆるゾロ目しか出ない仕組みになっているイカサマ専用のサイコロであったのだ。
このような舐めた真似を見せられ用心棒として黙っていられるわけがない。眉間に皺を寄せた男は腰に下げていた短剣を抜いて盗賊一家の中心と思われる女性に襲い掛かっていくのである。

だが、女性は動じる姿を見せるどころか、正反対に余裕を含んだ笑みを見せていた。
女性は背後に控えていた大男に大きな声で命令を下す。

「おいッ!マーサッ!こいつに痛い目を見せてやりなッ!」

マーサと呼ばれた大男が女性の前に現れたかと思うと、腰に下げていた山刀と呼ばれる大型のナイフを抜いて、男を一刀両断の元にせしめたのである。
あまりの気迫と恐ろしさにこれまで修羅場を潜り抜けてきたと思われる裏社会の男たちも恐れ慄いていた。

マーサは店にあった適当な布切れで大型のナイフを拭いそれを腰に下げると、また中心と思われる女性の背後へと下がったのである。
女性は満足げな笑みを浮かべながら突然の出来事に固まってしまっている男たちに向かって言い放った。

「このことを警備隊にでも訴え出るかい?それともあんたらで報復に出るかい?こっちはどちらでも構わないよ。けど、そんなことをしたら痛い目を見るのはあんたらの方だよ」

この言葉は正論であった。王政の下では博打は違法であるし、仮に彼らがこの男の報復に出たしても先ほどの男に勝つことは難しいだろう。
そればかりではない。盗賊一家を自称するだけのことはあり、大勢の手下を揃えている。
これだけの数を相手にするのは流石のならず者たちでも難しいと見るべきだろう。

考えたものだ。女性もそれを分かっているのか、絶対的な勝者がうかべるような笑みを浮かべながら挑発的なことを口にしたのであった。

「仕返しにはいつでも来なッ!このイザベラとその一家が相手になってやるよッ!」

どうやら盗賊一家の中心である女性の名前はイザベラというらしい。
イザベラは高らかな笑いを浮かべながら自らの手下を引き連れて違法賭博場の外を出ていくのである。

「……厄介な方々ですわね」

盗賊一家が出ていくなり、口にした一言は小さな無音の賭博場の中に聞こえる大きさとしては十分過ぎたらしい。
賭博場に集まっていた男たちが口を揃えて同意の言葉を出していた。
その中でも違法賭博場の管理人だと思われる男性はあの一家に対する不満が積もっているらしく、わざわざ向こうからやってきて一家に対する情報を与えてくれたのである。

「本当ですよ。全く、こっちは用心棒の先生を雇っていたというのにこの有様でさぁ。全部あのマーサとかいう男のせいだ」

「マーサというお方はそれほどまでにお強いんですの?」

カーラは目を輝かせながら問い掛けた。無論これはカーラによる演出である。
それでも男は気をよくした様子で楽しげに答えてくれた。

「もちろんさ、こいつは噂話だがね、別の賭博場でマーサ対策に猛獣を借り入れていたんだが、全滅だ」

「全滅って?」

レキシーが興味深そうに問い掛ける。

「あぁ、マーサの山刀の前にやられちまった」

男の話によれば全てマーサが操る山刀の前に敗れ去ってしまって全滅してしまったのだという。
それこそ一頭も残らずに潰されてしまい、その違法賭博場の主人は口止めやら何やらで余分な大金を支払わなくてはならなかったのだという。

以降はどこの賭博もイザベラたちの不正を見て見ぬ振りしなくてはならなくなったのだという。
違法賭博場を後にして二人は話し合いを行うことになった。

本来であるのならばあれだけ多くの敵がいるのだから本当は二人で組まなくてはならないつもりでいるのだが、ガーネットの一件もありカーラは当分の間自由に動くことができそうになかった。
それ故にそれまでのことはレキシーが調べておくより他になかった。

大掛かりな駆除と影の王家ともいわれる巨大な公爵家の相手。
どちらか片方だけでも大変だというのによもやこの二つが合わさることになろうとは思いもしなかった。

両者が交わるようになった切っ掛けはつまらぬ用で王都の城下町へと繰り出したホワインセアム公爵家の次男テディの馬がイザベラが可愛がっているという義娘のミアと接触したことであった。
とはいってもミアの着ていた派手な赤い色のドレスと馬の毛が触れ合っただけに過ぎないのだが、イザベラの怒りというのは凄まじいものであった。

大勢の手下を引き連れ、次男テディを囲んだかと思うと、一斉に打撃を浴びせたのである。中には刃物で斬りつけた人物さえもいた。
そんな中でテディは自らをホワインセアム公爵家の次男にして嫡男だと名乗り、イザベラを驚かせたのである。

この瞬間にイザベラは次の犠牲者を見定めたというべきであった。
イザベラは負傷したテディを連れて公爵邸の扉を叩いたのである。
この時公爵側にとって不運であったのは公爵夫妻が留守にしていたことや長女アイラが事情で家を空けていたことだ。

遊び好きの次男テディを家の中に放り投げ、イザベラは手下を引き連れて公爵家に居座ったのである。
間もなく公爵夫妻が帰宅したのだが、イザベラは手下がいることを理由としてその場から動こうとはしなかった。

それどころか公爵夫妻にテディの教育が悪いと怒鳴り散らし、二人に再教育を行うように書類を作成させたのであった。
これに激怒したのがアイラである。アイラは公爵邸に駐屯している私兵を引き連れ、イザベラとその手下に公爵邸から出ていくように命令したのである。

だが、逆にイザベラはその処置をひどく気に入ったらしい。両手を叩きながら今度は先ほどとは真逆の気持ち悪いまでの笑みを浮かべながらイザベラへと近付いていくのであった。

「偉いッ!影の王家だのなんだの言われてるけど、この家は腰抜けばっかりだったよ。けど、あんたは違うねぇ。あたしに対して臆することなく向かってきて……本当に偉いよ、うん立派だ」

と、感心したように褒めそやしていた。

「生憎だが、平民なんぞに褒められても嬉しくはない。さっさとどこにでも行ってしまえ」

アイラはいつもより強い口調で言ってのけた。だが、イザベラは臆することなく笑顔を浮かべながら話を続けていく。

「まぁ、そう言わないでおくれよ。風の噂によればあんたのお兄さん駆除人たちとやらの罠に嵌って決闘させられって話を聞いたんで、役に立つ情報を与えてやろうと思っていたんだからさ」

「……それは本当か?」

アイラの感情が揺れ動く。その証拠に彼女は複雑な目をむけていた。万が一、この一家が害虫駆除人に関する情報を持っていたとするのならば多少のことには目を瞑ってでも話を聞いておく必要があるだろう。
そんなアイラの決心を後押しするかのようにイザベラは言った。

「そうだよ、けど、情報を教えるからにはこちらのいうことも聞いてくれないとねぇ」

「こちらのいうこと?」

「そうだよ、あたしたちをここの私兵として雇っておくれ、そうすれば話してあげるから」

「断る」

即答であった。当然であろう。これまでのやり方を見れば拒否するのは当たり前だ。
アイラの剣幕にイザベラはたじろぐばかりであった。
説得を試みようかと考えたものの、アイラの固い瞳を見ればとりつく島もないのは確かだ。やむを得ずに条件を変えるしかなかった。

「そしたらさ、別の家にあたしたちがお世話になる時にその後ろ盾になっておくれよ、あたしたちの背後に影の王家がいるとなれば警備隊だって手も出しにくいだろうさ」

大きい条件を出した後で小さい条件を出して相手に条件を呑ませるというのは交渉の常套手段である。
イザベラは長年の経験からそのことを熟知していた。それ故に平然と別の条件を口にできたのだ。
これに関してはアイラやホワインセアム公爵家にはなんの損もないので、受け入れるより他になかった。

その後アイラは害虫駆除人の基本的な規則などの他にこれまで駆除人たちが手掛けたと思われる事件についてのことを耳に入れ、カーラたちの弱みを握ることに成功したのである。
イザベラから聞いた事件の中には明らかにカーラでなければ成し遂げることが不可能な案件も存在しており、このことを追求すればカーラの失脚は難しけれども信頼を失わせるには十分な一件もあった。

イザベラたちから聞いた話は予想以上の成果を見せていた。
一方でイザベラたちもホワインセアム公爵家という最強の後ろ盾を手に入れ、ますます今後の哀れな生贄狩りに精が出てきた。
両者にとってこの取り引きは満足のいくものとして終わることになったのである。
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