上 下
62 / 365
第二部『アナベル・パニック』

再利用(リサイクル)

しおりを挟む
青山俊一郎失踪事件は日本全国に広く知れ渡った。何せ、教団の暗部を暴こうとした連邦捜査官が突如姿を消したのたのだ、世論が騒ぐのも無理はない。ましてや、人々は3年前に発生した宇宙究明学会事件の事を鮮明に覚えていた。過敏とも言える反応を取るのも自然な事かもしれない。
そのために、教団の施設の前には子供を取られた親たちや教団に入れ込んだために、別れざるを得なかった恋人を取り戻すために訪れた人間もいた。更に加わったのは大勢の数のマスコミ。
彼らはこの一連の騒動に便乗して、自分たちの手でバプテスト・アナベル教を瓦解させようと言う目論見であった。
マスコミはビルから現れた教祖ーー大樹寺雫にインタビューを試みた。
信者たちに抑えられている家族たちが地震に向かってクレームを叫ぶ中で、雫は穏やかな様子でインタビューに応じた。
「ええ、青山俊一郎氏の失踪事件に関しましては、我が教団としましても、コメントに困ると申しておきます。彼が我々に何をしようとしていたのかは今になって知りましたが、我が教団は彼が連邦捜査官であると言うニュースは先日仕入れたばかりでして、口封をしようにも、できません」
「ですが、彼があなたの教団をかぎ回っていた事は確かなんですよ!それを危険に感じて、あなたが指示を出したんじゃないんですか!“殺せ”と!」
詰め寄るような口調で雫に質問を浴びせたのは、大勢のマスコミの中でも一際目立っていた中年の女性だった。
茶髪のポニーテールの女性は語気を弱めることなく質問を続けていく。
だが、雫はその質問に怯える事なく、毅然とした態度で質問に臨む。
「こちらから逆に質問するようで悪いんですが、どうしてあなたは『殺せ』と私が言ったと仰るんですか?もしかして、何の根拠も無しに推測でそう話したんですか?すごいですね。なかなかできる事じゃありませんよ」
雫は口元の端を吊り上げて、質問をした女性記者を冷笑してみせる。
プライドを傷付けられた記者は全身を微かに震わせて、雫を睨み付けていた。当然だろう、下手をすれば親子と言ってもいい程の歳の差の相手なのだ。その相手に馬鹿にされたとなれば、彼女のプライドはポッキリと折れたと言ってもいいだろう。
雫はそんな記者とは正反対の落ち着いた体勢で質問に臨む。
「その週刊誌から拾ったような安いネタ以外に質問がなければ、質問を打ち切らせていただきますけれど」
雫の言葉に他の記者たちが詰め寄っていく。彼らは週刊誌やいわゆる拾った情報に頼らずに独自の取材で集めた質問を雫に浴びせていく。
だが、その一つ一つの質問に的確に答えていく雫。記者たちは肩透かしを喰らって退出していく。
満足げな顔で腕を組み、すごすごと帰っていく記者たちを見送っていると、ただ一人帰らない記者を発見する。
取りこぼした唐揚げのようにずっと留まる彼女の姿に雫は思わず眉根を寄せてしまう。
と、ここで中年の女性記者は雫にマイクを向けて質問を浴びせた。
「大樹寺さん!先程はわたしが週刊誌から取ったネタだと言いましたが、あれは全て真実なんです!分からないんですか!あなたの所業により苦しめられている人々の声がッ!」
中年の女性記者が尚、雫に詰め寄ろうとする中で、雫は流石に付き合いきれないと感じたのか、付き人に命じて、記者を教団の敷地外へと摘み出すように指示を出す。中年の記者は何やら絶叫を飛ばしながら腕を掴み上げられて、摘み出されてしまう。
雫は厄介払いが終わったところで、自身の付き人である老齢の男性に次なる手の事を尋ねる。付き人は丁寧に頭を下げて、
「ご安心を、白籠市に存在する教団の支部が囚人たちのケアにあたっております。刑務所や少年院に派遣される牧師と偽って……」
その言葉に雫は口元を大きく歪めた。2年ほど前に、彼女は白籠市にて面会した刈谷阿里耶の言葉を思い出す。
不治の病に感染した自分はもう長くないと言う言葉を。何の縁があって、単なる興味本位で、面会に訪れた彼女にこの手紙を渡したのかは分からないが、刈谷阿里耶の遺書とも言える内容が雫の手に渡ったのは、彼女の大和民族救済計画書に鮮やかなる一筆を加えさせた。
マインドコントロールを施した囚人たちを決起させて、首都圏に混乱を巻き起こし、その隙に教団が中央政府を奪い取ると言う手段は元は刈谷阿里耶の考えていた計画である。
雫はいわば隠し玉とも取れる囚人たちの親玉として利用できると考えたのは、先程、多くの容疑で捕縛され、精神に影響があると診断されて、拘置所から精神科に移された岡田武人だ。
雫はメンタルケアを施す牧師に変装した、幹部の報告を楽しみにしていた。




「初めまして、吉田稔と申します。以後、お見知り置きを」
吉田稔と名乗る男が毎日のように岡田武人の面会に訪れ始めたのは、彼が中村孝太郎の手によって検挙されてから、僅か一週間後の事だった。
初めは武人も相手を警戒して何も喋らなかったが、徐々に稔のトークに引き込まれていき、彼からアナベル人形とキリスト教の重要性を説かれ、彼の話す教えというのに引き込まれていく。
武人が完全なる信者となるのに時間は二週間とかからなかった。
彼は精神病棟の狭い面会スペースで話していくうちに、彼はとうとう稔からアナベル人形を譲り受け、自身の牢獄のような見張りの厳しい病室に飾る程にまでなってしまう。初めは少し不気味に感じたアナベル人形であったが、今ではこの人形を抱き締めなければならない程、武人の心の支えとなり始めた。
アナベル人形を持ちながらのトークで、突如、稔は妙な事を言い始めた。自分を閉じ込めたこの世界が憎くないかと。
武人は荒れた唇を開き、
「勿論さ!美穂を殺したこの世界が憎い!暴対法なんてものを考え付いた竹部が憎い!」
「なら、竹部を殺したいと私が誘っても後悔しませんね?」
牧師の妙な言葉に武人は言葉を失ってしまう。奇妙な牧師は顔を弛緩させて、
「できるんですよ。この世界への復讐が……私なら、直ぐにでもこの病院を抜け出せる方法をあなたに教えさせてあげられますよ。あなたの地震の魔法もでは、宝の持ち腐れですからね、全能なる神の御子、イエス様にあなたも仕えるのです。そのイエス様の敵である、日本政府をあなたの手で打ち倒すのです」
武人は感銘を覚えて、吉田稔の右手を手に取る。ここに、最終準備は整ったとも言えよう。
しおりを挟む

処理中です...