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第二部『共存と憎悪の狭間で』

コクラン来る

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 人間と魔族との共存を望むリタ・フランシスという少女が魔族に襲撃されるという事件を聞き、魔界執行官が出てくるようになった。
 コクラン・ネロスは助手であるレイチェル・バーグと竜人族リザードマンの少年ジオを引き連れてヨーイの地を訪れたのである。

「魔界執行官、コクラン・ネロスだ。あんたが訪れた時の話を詳しく聞かせてくれ」

「はい」

 コクランの問い掛けにリタはあっさりと答えた。

「私を襲ったのはマンドレイク族のイブリンという女性でした。苗字は確か……カーペンターだと言ってました」

 リタはぽつりと言った。

「そいつの名はイブリン・カーペンターだな。わかった」

 コクランはメモを開き、名前と苗字、そして種族のことについて書き記していく。
 十人十色に富んだ人間の顔とは異なり、マンドレイク族に関しては顔の区別というものがほとんど存在しない。

 それ故にコクランは種族名を明記するだけでよかった。
 メモを取り終えた後にコクランはもう一度リタを見つめながら問い掛けた。

「それで、あんたはどうやってあの場から逃れることができた?」

「……あの時たまたま下宿先のおばさんがやって来てくれて助かったんです。音が煩ったって言って、怒鳴り込んできたんです。それでその時に異変に気がついて、別室にいる他の下宿人たちを呼んでくれたんです」


「そうか、運が良かったんだな」

 コクランの言う通りだった。もしあの時に婦人が怒鳴り込んでくれなければ、或いは怒鳴り込むタイミングが少しでもズレていればリタは殺されてしまったのだろう。
 本当に運が良かった。リタは大きな溜息を吐いていく。

「まぁ、あんたが無事で何よりだ」

 コクランの言葉は本音から出たものだった。コクランは自分の代わりに魔族と人間との共存を訴えるリタに期待を寄せていたのである。
 それ故に出せた言葉であった。

「ありがとうございます」

 リタは取り調べを行ったコクランに向かって丁寧に頭を下げた。リタはそのまま帰ろうとしたのだが、帰ろうとするリタを呼び止め、コクランはイブリンが捕まえるまでの間は自分たちが護衛としてくっ付くことを言った。

 その言葉を聞いて、リタは目を輝かせていた。自分を狙ってくる刺客のような相手から身を守る存在ができるばかりではなく、自身の旧友や親近感を感じた年上の女性と過ごせるということが堪らなく嬉しかった。

 その日は交流会ということもあり、『ヨーイ』の周辺にある酒場で共に食事を行うことになった。

 リタは酒とつまみを交互に口にしながらコクランやその助手たちと今後のことや互いの過去のことなどを話し合った。
 コクランやレイチェルとの話が終わると、ようやくジオとの話が行われることになった。
 元々は友人なので自然と会話も弾む。そのため雑談を交わし、他愛のない話で盛り上がった後にジオとはお互いの近況を話し合っていく。

 この会談でリタはジオが誘拐され、そこでコクランたちに助け出されたという話を知ったのである。
 ジオは自身を誘拐した組織が自身と同族の存在であることや誘拐された後に地下へと放り込まれ、そこでまたしても同族である男女と交流を深めたことなどを話していく。

 しかしその後のことはどうしても涙で言葉が詰まってしまい話すことができなかった。

「な、何があったの?」

 リタはそんなジオに心配そうな目を向けて問い掛けた。

「……そっとしておいてやれ。ジオにも話したくないことがあるんだぜ」

 コクランは酒を片手に言った。だが、その鋭く尖った目はリタを牽制するように睨んでいた。
 リタは小さく頭を下げて謝罪の言葉を口に出していく。

「いや、いいんだ。でも、ごめん。詳細はもう語りたくないな」

「もういいだろ?こいつは込み入った事情の末に俺の助手になったンだよ」

 コクランはこれ以上リタが何も言わないように忠告の言葉を発していく。コクランの両目からは無言の圧のようなものが感じ取れた。

「……わかりました」

 リタの口調には若干の申し訳なさのようなものが感じられた。
 余計なことを聞いてしまったということに対する罪悪感もあるのだろう。

「取り敢えず、もうこれで安心だと思います。ありがとう」

 リタはコクランたちに微笑むと、そのまま酒場から立ち上がり、下宿先へと戻っていく。この時コクランたちがその道中に同行し、左右を固めている。
 少し窮屈だったかもしれないが、王族や貴族になったようで心地がよかった。

 その後部屋の中に入ることは流石になかった。唯一、中に入ることができたのは同性であるレイチェルのみだった。
 レイチェルは弓矢を装備したまま扉の前に背中を預けていた。

 リタはそのまま机の前で課題を行なっていた。分厚い本を開き、哲学者の意見を引用していく。

 それに関する自身の意見を記していた時だ。ふと、自身の文章が感情的になってしまっていることに気が付いた。
 リタが消しゴムを使って文章を消していた時だ。

「そういえば、レイチェルさんは貴族の家の出って聞いたんだけど、哲学とかは学んでたの?」

「どうかな?リーデルバウム王国において哲学は基礎教養の中には含まれないからね。哲学は傍でやるものだっていう印象が強かったから……」

 レイチェルはぽつりと呟くように言った。その口からはそれまでの人生において哲学にあまり関心がなかったことが伝わってくる。

「そう?じゃあ、ちょっと触ってみない?」

 リタは空いている資料をレイチェルへと渡す。退屈がてらにレイチェルはその本をパラパラとめくっていた。
 本の中でも一番興味深かったのは「人間は何を恐れるのか」というテーマだった。

 本の中には人間が恐れるものが列挙していた。その中でも人間が一番恐れるのは『もしも』というものだった。
 なぜ、人が『もしも』を恐れるのかといえば自分たちの地位が脅かされる、もしくは自分たちの命が危ぶまれてしまうというからだった。

 本の通り、人界における支配者というもののを明確に上げるするのならば間違いなく人間だった。
 そこから地位が転落し、人間たちには奴隷のようなものになるなど耐えられないだろう。

 人界の中でも良識を持つ人からすれば、これまで魔族たちにしてきたことへのツケを払うということで終わる。

 だが、大抵のそのことを自覚していない、或いは認識のない一般の人間たちからすれば自分たちの地位が失われることなど耐えられない。自分たちの家族に石が投げられ、奴隷のように使われ、命を奪われるということなど想像するだけでも恐ろしいに決まっている。

 それを恐れているからこそ必要以上に魔族たちに対して辛くあたるのだろう。
 そんなことを考えて、レイチェルは本を閉じた。
 このまま部屋に居るだけでは何も起こらない。平穏な時間が続いていくばかりだ。

 レイチェルがリタの差し出してくる哲学者を読むのにも飽きてきた時だ。
 扉を叩く音が聞こえてきた。

「コクランだ。何が異変はあったか?」

「いいえ、特に異変はありません」

 レイチェルは扉の向こうで丁寧に頭を下げながら答えた。

「そうか、ならよかった。引き続き警戒にあたってくれ」

「畏まりました」

 このまま平穏にやり取りが終わるものだと思っていたが、そうもいかなかったらしい。
 突然コクランの声が鋭くなった。

「そのまま扉を閉めておけッ! 」

「は、はいッ! 」

 リタも廊下の外で起こっているただならぬ事態を察し、警戒のため扉のノブを強く握り締めていく。

「な、何があったの!?」

 机の上で自主学習を行っていたリタは咄嗟にレイチェルに向かって問い掛けた。

「あいつが来たみたいッ! 」

 その一言はリタはを怯えさせるのには十分だった。リタは思わず腰を抜かし、両耳を両手で塞いでいた。
 視線はといえば真っ直ぐと下に向いている。恐怖のあまり現実を直視できなくなってしまっているようだ。

 危機から逃げてくれるというのならば助かるが、精神まで逃走してしまっては意味がない。こちらとしては守りにくくなってしまう。
 そんな事情もあり、体育座りを行いながら両足を震わせているリタに向かってレイチェルは大きな声で叫ぶ。

「現実から目を逸らすなッ! 」

 レイチェルの強気な一言はリタの目を覚させた。リタはいつでも逃げ出せるように扉の側に待機した。
 レイチェルは空いた方の手で弓を握り締め、万が一の事態へと備えていた。
 扉の外で戦っているコクランが負けるようなことがあればそれは自分たちの死を意味する。

 ただ、それは最悪の場合の話だ。もしもの事態が起きるようなことがあればレイチェルは自らの身を呈してリタを守るつもりだった。

 それが魔界執行官助手であり、コクラン・ネロスのメイドである自分に課せられた責務だと信じていた。
 自然と弓に込める力も強くなっていった。

「安心して、私はこんなところでは絶対に死なないから」

 リタは笑っていた。その顔からは絶対に屈さないという確固たる意志のようなものを感じさせられた。
 レイチェルもまた決意した。絶対にリタを守ってみせるという高潔な騎士のような精神からきたものだ。

 二人は極限の状態において互いの絆を固めていったのである。











あとがき
本日は多忙のため投稿が遅れます。誠に申し訳ございません。
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