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11.外の世界と獣人
⑤
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最寄りの村の唯一の宿で、「今日泊まりたい」と申し出たクレイドとリオンに、宿の女将は申し訳なさそうな顔をした。
「すまないねえ、空いている部屋はもう一つしかないんだよ。一人用の部屋だし寝台が一つしかないんだけど……」
話をしながら、女将はクレイドの顔と胸元のブローチにちらちら視線をやっている。フードを深くかぶったままで顔がよく見えないので、不審に思っているのかもしれない。クレイドは特に気にした様子もなく頷いた。
「その部屋で構いません。いいですよね、リオン様」
クレイドに聞かれ、リオンは「……うん」と頷いた。
どう考えても泊まる以外の選択肢はなかった。外は桶をひっくり返したような土砂降りの雨だし、リオンもクレイドも雨で濡れそぼっている。野宿よりはましだと思わなければならない。
案内された部屋は二階の角部屋だった。狭い一人用の部屋で、中には寝台が一つ、小さなテーブルと椅子が一つずつ。小さな窓の外はうす暗く、強い雨がガラスに叩きつけている。
リオンは部屋の入口に立ち尽くした。わかってはいたが、やはり寝台が一つしかないという光景は衝撃だった。
(ここで一晩、クレイドと過ごすなんて……)
そっとクレイドの方を見ると、同じように衝撃を受けたような顔をしている。
「これは……予想以上に狭いですね」
「……うん」
「まずは……着替えてしまいましょうか」
「……そうだね」
雨が激しく打ち付ける中を馬で駆けてきたので、リオンもクレイドも全身濡れていた。盥にお湯をもらい、それで体を拭き清めながら借りたシャツとズボンに着替える。
「……っ」
お互い背中合わせになり狭い中で着替えていたので、腕と腕がぶつかった。しっとりと湿った肌の感触に、リオンは思わずびくりと肩を揺らしてしまった。クレイドがはっとしたように距離を取る。
「――すみません」
「ううん、こっちこそ……」
リオンはどうしてよいかわからず、顔を伏せて急いで着替えを済ませた。
「リオン様、隣に食堂があるようですよ。行ってみますか?」
クレイドに聞かれたが、リオンは首を振った。食欲は少しも湧かなかった。
「僕は大丈夫。お昼にたくさんご馳走になったからお腹が空かないみたい。クレイドは気にせずに食べてきて」
そう言うと、クレイドは心配そうに眉を寄せた。
「具合が悪いのですか? 長い時間雨にあたっていたので、身体が冷えて風邪を引いたのかもしれません」
「ううん、違う。具合が悪いわけじゃないんだ。ちょっと疲れただけ」
クレイドは少しのあいだ黙り込んでいたが、やがて「わかりました」と頷いた。
「それでは私は食事に行ってきます。何か軽く食べれるようなものがあったら買ってきますね。身体が冷えて疲れがたまっているでしょうから、温かくして先に寝台でお休みください」
「うん、そうさせてもらうね」
リオンはそのまま寝台にもぐり込んだ。「おやすみなさい」と声を掛けてクレイドが部屋の外に出て行く。かちゃんと鍵の閉まる音が聞こえ、ようやくリオンはほっと息を吐いた。
クレイドと同じ部屋に泊まるという状況に、普段のリオンならどきどきと胸を高鳴らせていただろう。だけど今はそんな余裕もなかった。
さっき生い立ちの話を聞いてから、クレイドのことがよくわからなくなってしまったのだ。クレイドを好きな気持ちが変わったわけじゃない。だけど胸の中に小さなしこりのようなものが出来てしまい、どう接していいかわからないし、目を合わせることが出来ないのだ。
もともとリオンは人との交流が極端に少なかった。母親以外にまともに接したのはクレイドとオースティンくらいだ。それなのにクレイドにあんなに過酷な過去があると聞き、この気持ちをどう処理していいかわからなかった。
リオンは寝台の中でぎゅっと丸まって目を瞑った。
(僕はどうしたらいいんだろう。わからないよ)
クレイドの心の中には、きっと大きな穴が空いているのだ。そこから落としてしまったものがたくさんあって、もしかしたらクレイドの心の中は、リオンが思うよりもっと虚ろなのかもしれない……。
少し横になるだけのつもりが、いつのまにか本格的に眠り込んでしまったようだ。次に目を開けたとき部屋の中は真っ暗だった。
雨も風も収まったようで窓の外は静かだ。寝台の横のテーブルの上で、ランタンの小さな光が揺れている。
(えっ、もしかしてもう夜なの? クレイドは?)
驚きながらリオンは部屋の中に視線を彷徨わせる。
クレイドは寝台の足側の方にいた。壁沿いに置いた椅子に腰かけて、身動きもせずにじっと床を見つめている。
(起きてる……)
リオンはじっと目を細めてクレイドの顔を見た。
クレイドは静かに凪いだ表情でじっと一点を見つめていた。その顔にはいつもの生気も穏やかさもない。心を持たない人形のような静かに佇む姿を見た瞬間、リオンにはわかってしまった。
凪いだように静かな表情をしながらも、今クレイドの胸の中を満たしているのは孤独と寂しさだ。
どうして自分はさっき、『クレイドの心には穴が空いている』だとか『そのせいで心の中が虚ろなのかもしれない』などと思ったのだろう。
そんなわけがない。
クレイドは何でもない顔を装いながら、その胸の奥深くに、真っ暗な感情を押し込めていただけなのだ。
どうしようもなく悲しくて胸が軋んで、リオンは起き上がり「クレイド」と声を掛けた。
「すまないねえ、空いている部屋はもう一つしかないんだよ。一人用の部屋だし寝台が一つしかないんだけど……」
話をしながら、女将はクレイドの顔と胸元のブローチにちらちら視線をやっている。フードを深くかぶったままで顔がよく見えないので、不審に思っているのかもしれない。クレイドは特に気にした様子もなく頷いた。
「その部屋で構いません。いいですよね、リオン様」
クレイドに聞かれ、リオンは「……うん」と頷いた。
どう考えても泊まる以外の選択肢はなかった。外は桶をひっくり返したような土砂降りの雨だし、リオンもクレイドも雨で濡れそぼっている。野宿よりはましだと思わなければならない。
案内された部屋は二階の角部屋だった。狭い一人用の部屋で、中には寝台が一つ、小さなテーブルと椅子が一つずつ。小さな窓の外はうす暗く、強い雨がガラスに叩きつけている。
リオンは部屋の入口に立ち尽くした。わかってはいたが、やはり寝台が一つしかないという光景は衝撃だった。
(ここで一晩、クレイドと過ごすなんて……)
そっとクレイドの方を見ると、同じように衝撃を受けたような顔をしている。
「これは……予想以上に狭いですね」
「……うん」
「まずは……着替えてしまいましょうか」
「……そうだね」
雨が激しく打ち付ける中を馬で駆けてきたので、リオンもクレイドも全身濡れていた。盥にお湯をもらい、それで体を拭き清めながら借りたシャツとズボンに着替える。
「……っ」
お互い背中合わせになり狭い中で着替えていたので、腕と腕がぶつかった。しっとりと湿った肌の感触に、リオンは思わずびくりと肩を揺らしてしまった。クレイドがはっとしたように距離を取る。
「――すみません」
「ううん、こっちこそ……」
リオンはどうしてよいかわからず、顔を伏せて急いで着替えを済ませた。
「リオン様、隣に食堂があるようですよ。行ってみますか?」
クレイドに聞かれたが、リオンは首を振った。食欲は少しも湧かなかった。
「僕は大丈夫。お昼にたくさんご馳走になったからお腹が空かないみたい。クレイドは気にせずに食べてきて」
そう言うと、クレイドは心配そうに眉を寄せた。
「具合が悪いのですか? 長い時間雨にあたっていたので、身体が冷えて風邪を引いたのかもしれません」
「ううん、違う。具合が悪いわけじゃないんだ。ちょっと疲れただけ」
クレイドは少しのあいだ黙り込んでいたが、やがて「わかりました」と頷いた。
「それでは私は食事に行ってきます。何か軽く食べれるようなものがあったら買ってきますね。身体が冷えて疲れがたまっているでしょうから、温かくして先に寝台でお休みください」
「うん、そうさせてもらうね」
リオンはそのまま寝台にもぐり込んだ。「おやすみなさい」と声を掛けてクレイドが部屋の外に出て行く。かちゃんと鍵の閉まる音が聞こえ、ようやくリオンはほっと息を吐いた。
クレイドと同じ部屋に泊まるという状況に、普段のリオンならどきどきと胸を高鳴らせていただろう。だけど今はそんな余裕もなかった。
さっき生い立ちの話を聞いてから、クレイドのことがよくわからなくなってしまったのだ。クレイドを好きな気持ちが変わったわけじゃない。だけど胸の中に小さなしこりのようなものが出来てしまい、どう接していいかわからないし、目を合わせることが出来ないのだ。
もともとリオンは人との交流が極端に少なかった。母親以外にまともに接したのはクレイドとオースティンくらいだ。それなのにクレイドにあんなに過酷な過去があると聞き、この気持ちをどう処理していいかわからなかった。
リオンは寝台の中でぎゅっと丸まって目を瞑った。
(僕はどうしたらいいんだろう。わからないよ)
クレイドの心の中には、きっと大きな穴が空いているのだ。そこから落としてしまったものがたくさんあって、もしかしたらクレイドの心の中は、リオンが思うよりもっと虚ろなのかもしれない……。
少し横になるだけのつもりが、いつのまにか本格的に眠り込んでしまったようだ。次に目を開けたとき部屋の中は真っ暗だった。
雨も風も収まったようで窓の外は静かだ。寝台の横のテーブルの上で、ランタンの小さな光が揺れている。
(えっ、もしかしてもう夜なの? クレイドは?)
驚きながらリオンは部屋の中に視線を彷徨わせる。
クレイドは寝台の足側の方にいた。壁沿いに置いた椅子に腰かけて、身動きもせずにじっと床を見つめている。
(起きてる……)
リオンはじっと目を細めてクレイドの顔を見た。
クレイドは静かに凪いだ表情でじっと一点を見つめていた。その顔にはいつもの生気も穏やかさもない。心を持たない人形のような静かに佇む姿を見た瞬間、リオンにはわかってしまった。
凪いだように静かな表情をしながらも、今クレイドの胸の中を満たしているのは孤独と寂しさだ。
どうして自分はさっき、『クレイドの心には穴が空いている』だとか『そのせいで心の中が虚ろなのかもしれない』などと思ったのだろう。
そんなわけがない。
クレイドは何でもない顔を装いながら、その胸の奥深くに、真っ暗な感情を押し込めていただけなのだ。
どうしようもなく悲しくて胸が軋んで、リオンは起き上がり「クレイド」と声を掛けた。
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