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20.愛
④
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(あれは……)
オースティンの視線の先にあったのは、以前見せてもらったリオンの純白の衣装だった。代々ブルーメが着ていたという伝統の長衣が、寝室の壁にぽつんと掛けてある。
「あの衣装……兄も同じものを着ていたんだよ」
「――え?」
膝をついて深く頭を下げていたクレイドが、不意を突かれたように顔を上げた。オースティンの視線を追い、壁に掛かった純白の衣装へと目を向ける。
(お兄さんってそういえば……)
リオンは先日の話を思い出した。オースティンの兄も同じ衣装を着て、隣国のギランに嫁いだという話だ。
「兄はとても優秀な人だった。アルファと比べても遜色がない能力を持っていたのに、ブルーメとして生まれたために一生の道を決められてしまった」
オースティンは衣装を見つめたまま、苦しそうに小さく息を吐く。
「兄は……言っていたよ。『いくら逃げようとしても、己の身体を流れる血からは逃げ切れない。でも自分を形作ってくれたものを俺は憎みたくない』と。そう言って兄は、あのブルーメの婚礼衣装を身につけてギランに嫁いで行った。だから僕はそのとき決意したんだ。人の涙で成り立つ国はもう終わりにしよう、ブルーメの人間が犠牲になる世の中を変えようと……そう思っていた」
初めて聞くオースティンの繊細な心の裡に、リオンは驚きを隠せなかった。
クレイドは固唾を呑むような息遣いで一心にオースティンの顔を見上げている。だがオースティンはじっと白い衣に視線をやったままだ。
「でも現実は甘くなかった。最後のブルーメが消えたノルツブルクは、どんどん弱体化していった。もうこの国は持たない……そう覚悟したとき、リオンの存在を知った。すぐにリオンを僕の番として迎え入れる話が出てきて――僕はその話を撥ね退けるべきだったのに、どうしても出来なかった」
「オースティン! それは国王として当然の判断です!」
クレイドが声を上げ、ようやくオースティンがクレイドを見た。少しだけ微笑みながらも首を振る。
「いいや、撥ね退けるべきだったんだ。ブルーメのリオンを犠牲にして国を延命させても結局結末は同じだろう」
「オースティン……?」
「クレイド……僕は今決めたよ。ブルーメの力に頼ることなくこの国を立て直す。たとえ王族の中で一人孤立しようとも、最後まで決して諦めない」
力強い言葉で締めくくったオースティンは、随分とすっきりとした顔をしていた。それまで彼を覆っていた悲しみや切なさが消えて、琥珀色の瞳が力強く光っている。
その顔を見た瞬間、リオンは悟った。
(そうか……オースティン自身もずっと板挟みになって苦しんでいたんだ……)
ブルーメに依存する国をあり方を続けようとする王としての自分と、ブルーメを犠牲にしたくないと願う自分の良心との間に挟まれ、オースティンは苦悩していた。
だからオースティンには言動に躊躇と矛盾があったのだ。
リオンに『番になって欲しい』と言いながらも何度もリオンやクレイドに「本当にいいのか?」と聞いてきたり、いざリオンとの初夜の日取りが決まりそうになると「早すぎる」と先延ばしにしようとしたり。優しいオースティンはどちらの方向にも振り切れなかったのだろう。
「正直に言うと、僕は今少しほっとしているよ。国のために誰かの人生を犠牲にしなかった。間違った道に進まなくて済んだから。心の底では、こうなることを望んでいたのかもしれないな。――可愛いリオンを諦めるのは悔しいけどね」
いつのもおどけた笑顔でリオンに笑いかけて、オースティンはクレイドの顔を見た。
オースティンは寝台から立ち上がると、クレイドに向かって手を差し伸べた。
「祝福するよ、クレイド。君が自分で見つけた唯一の番だ。決して離してはならないよ」
「オースティン……」
クレイドの背中がぶるぶると震え出した。ぐっと息を詰めるような音が何度も聞こえ、背中の震えがどんどん大きくなっていく。
オースティンは無言でクレイドの手を強引に引き立ち上がらせた。そのまま嗚咽を漏らすクレイドの身体を抱擁し、ぱんぱんと手荒に背中を叩く。
「オー、ス、ティン……俺は……俺は……」
嗚咽で声を詰まらせるクレイドに、オースティンは笑いを漏らした。
「……ちょっと泣きすぎじゃない? まぁしょうがないか。小さいころからお前は泣き虫だったものね」
オースティンにからかわれても、クレイドは反撃の言葉すら言えないようだ。ただ嗚咽を必死に抑えるような息遣いだけが聞こえる。
オースティンは呆れたようにため息を吐いてリオンに目くばせをしてきた。
「クレイドったら離してくれないよ……やれやれだね」
オースティンの顔を見たら、ふいに感情が高ぶって耐えられなくなった。
「オースティン――」
リオンは抱擁しあっている二人に駆け寄り、がばりと抱き着いた。
オースティンは驚いていたようだったが、リオンの背中に手を回し、ぽんぽんと優しく叩いてくれる。
オースティンの優しさが胸に染みて辛かった。
一度は番になることを承諾しておいて、最後の土壇場になって拒絶するという最低な逃げ方をした。許されることじゃないのに、オースティンはこうして祝福してくれる。
大きな愛を持って、オースティンはすべてを赦そうとしてくれているのだ。
胸が痛かった。
切なくて悲しくて心が千切れそうなのに、心の底から温かい感情が溢れてくる。
(ああ……これも愛なんだ……)
クレイドへ向ける唯一の愛ではないけど、リオンはオースティンのことを愛しているのだ。そしてクレイドも、リオンに向けるものとは違う形でオースティンのことを愛している。
そうかと思った。
愛はいろんな形があるのだ。
母親がリオンに与えてくれた、存在のすべてを受け入れてくれるような無限の愛。
クレイドと出会い恋をして知った、燃え上がる炎のような強く激しい唯一の最愛。
エルのように、自分の心をちぎってでも分け与えようとする献身の愛。
そしてオースティンがリオンとクレイドに与えてくれた、太陽のように温かい慈悲の愛。
世界には、こんなに愛が溢れている――。
「すばらしいご決断です、陛下」
突然第三者の声が聞こえたのはそのときだった。
リオンたちがはっと扉の方を見ると、ドニが立っている。どうやらずっとそこに立って三人の様子を見ていたらしい。
観察されていたような気まずさと恥ずかしさに、リオンたちは抱擁を解いて離れた。ドニはそんな三人の様子を見ながら寝室へと入ってくると、オースティンの前に片膝をつき最敬礼を取った。
「陛下のご覚悟、まことに感服いたしました。このドニ、いかなる道でもお供いたします」
大袈裟な仕草と言葉に、オースティンは戸惑ったように目を瞬く。
「あ……ああ。ありがとう。だがそんなに感激されるようなことをした覚えはないけど……」
「いえいえ! 本当に陛下は素晴らしい国王になられた。ああ……本当に良かったですよ。クレイド隊長が寝室に乗り込んでいったときには肝が冷えましたが」
その言葉に、クレイドが複雑な顔つきになる。オースティンははははっと笑った。
「確かにね」
「本当にどうなることかと思いましたが、まとまるところにまとまりましたね。これでようやく……あのことをお話しすることが出来ます」
意味深な言葉に、オースティンは眉を寄せた。
「あのこと……? 何のことだ、ドニ」
ドニは微笑むと、リオンの方を見た。そして驚く言葉を口にした。
「そこにいらっしゃるリオン様のことです。彼はノルツブルクの王家の血筋を継ぐブルーメ様ですよ」
オースティンの視線の先にあったのは、以前見せてもらったリオンの純白の衣装だった。代々ブルーメが着ていたという伝統の長衣が、寝室の壁にぽつんと掛けてある。
「あの衣装……兄も同じものを着ていたんだよ」
「――え?」
膝をついて深く頭を下げていたクレイドが、不意を突かれたように顔を上げた。オースティンの視線を追い、壁に掛かった純白の衣装へと目を向ける。
(お兄さんってそういえば……)
リオンは先日の話を思い出した。オースティンの兄も同じ衣装を着て、隣国のギランに嫁いだという話だ。
「兄はとても優秀な人だった。アルファと比べても遜色がない能力を持っていたのに、ブルーメとして生まれたために一生の道を決められてしまった」
オースティンは衣装を見つめたまま、苦しそうに小さく息を吐く。
「兄は……言っていたよ。『いくら逃げようとしても、己の身体を流れる血からは逃げ切れない。でも自分を形作ってくれたものを俺は憎みたくない』と。そう言って兄は、あのブルーメの婚礼衣装を身につけてギランに嫁いで行った。だから僕はそのとき決意したんだ。人の涙で成り立つ国はもう終わりにしよう、ブルーメの人間が犠牲になる世の中を変えようと……そう思っていた」
初めて聞くオースティンの繊細な心の裡に、リオンは驚きを隠せなかった。
クレイドは固唾を呑むような息遣いで一心にオースティンの顔を見上げている。だがオースティンはじっと白い衣に視線をやったままだ。
「でも現実は甘くなかった。最後のブルーメが消えたノルツブルクは、どんどん弱体化していった。もうこの国は持たない……そう覚悟したとき、リオンの存在を知った。すぐにリオンを僕の番として迎え入れる話が出てきて――僕はその話を撥ね退けるべきだったのに、どうしても出来なかった」
「オースティン! それは国王として当然の判断です!」
クレイドが声を上げ、ようやくオースティンがクレイドを見た。少しだけ微笑みながらも首を振る。
「いいや、撥ね退けるべきだったんだ。ブルーメのリオンを犠牲にして国を延命させても結局結末は同じだろう」
「オースティン……?」
「クレイド……僕は今決めたよ。ブルーメの力に頼ることなくこの国を立て直す。たとえ王族の中で一人孤立しようとも、最後まで決して諦めない」
力強い言葉で締めくくったオースティンは、随分とすっきりとした顔をしていた。それまで彼を覆っていた悲しみや切なさが消えて、琥珀色の瞳が力強く光っている。
その顔を見た瞬間、リオンは悟った。
(そうか……オースティン自身もずっと板挟みになって苦しんでいたんだ……)
ブルーメに依存する国をあり方を続けようとする王としての自分と、ブルーメを犠牲にしたくないと願う自分の良心との間に挟まれ、オースティンは苦悩していた。
だからオースティンには言動に躊躇と矛盾があったのだ。
リオンに『番になって欲しい』と言いながらも何度もリオンやクレイドに「本当にいいのか?」と聞いてきたり、いざリオンとの初夜の日取りが決まりそうになると「早すぎる」と先延ばしにしようとしたり。優しいオースティンはどちらの方向にも振り切れなかったのだろう。
「正直に言うと、僕は今少しほっとしているよ。国のために誰かの人生を犠牲にしなかった。間違った道に進まなくて済んだから。心の底では、こうなることを望んでいたのかもしれないな。――可愛いリオンを諦めるのは悔しいけどね」
いつのもおどけた笑顔でリオンに笑いかけて、オースティンはクレイドの顔を見た。
オースティンは寝台から立ち上がると、クレイドに向かって手を差し伸べた。
「祝福するよ、クレイド。君が自分で見つけた唯一の番だ。決して離してはならないよ」
「オースティン……」
クレイドの背中がぶるぶると震え出した。ぐっと息を詰めるような音が何度も聞こえ、背中の震えがどんどん大きくなっていく。
オースティンは無言でクレイドの手を強引に引き立ち上がらせた。そのまま嗚咽を漏らすクレイドの身体を抱擁し、ぱんぱんと手荒に背中を叩く。
「オー、ス、ティン……俺は……俺は……」
嗚咽で声を詰まらせるクレイドに、オースティンは笑いを漏らした。
「……ちょっと泣きすぎじゃない? まぁしょうがないか。小さいころからお前は泣き虫だったものね」
オースティンにからかわれても、クレイドは反撃の言葉すら言えないようだ。ただ嗚咽を必死に抑えるような息遣いだけが聞こえる。
オースティンは呆れたようにため息を吐いてリオンに目くばせをしてきた。
「クレイドったら離してくれないよ……やれやれだね」
オースティンの顔を見たら、ふいに感情が高ぶって耐えられなくなった。
「オースティン――」
リオンは抱擁しあっている二人に駆け寄り、がばりと抱き着いた。
オースティンは驚いていたようだったが、リオンの背中に手を回し、ぽんぽんと優しく叩いてくれる。
オースティンの優しさが胸に染みて辛かった。
一度は番になることを承諾しておいて、最後の土壇場になって拒絶するという最低な逃げ方をした。許されることじゃないのに、オースティンはこうして祝福してくれる。
大きな愛を持って、オースティンはすべてを赦そうとしてくれているのだ。
胸が痛かった。
切なくて悲しくて心が千切れそうなのに、心の底から温かい感情が溢れてくる。
(ああ……これも愛なんだ……)
クレイドへ向ける唯一の愛ではないけど、リオンはオースティンのことを愛しているのだ。そしてクレイドも、リオンに向けるものとは違う形でオースティンのことを愛している。
そうかと思った。
愛はいろんな形があるのだ。
母親がリオンに与えてくれた、存在のすべてを受け入れてくれるような無限の愛。
クレイドと出会い恋をして知った、燃え上がる炎のような強く激しい唯一の最愛。
エルのように、自分の心をちぎってでも分け与えようとする献身の愛。
そしてオースティンがリオンとクレイドに与えてくれた、太陽のように温かい慈悲の愛。
世界には、こんなに愛が溢れている――。
「すばらしいご決断です、陛下」
突然第三者の声が聞こえたのはそのときだった。
リオンたちがはっと扉の方を見ると、ドニが立っている。どうやらずっとそこに立って三人の様子を見ていたらしい。
観察されていたような気まずさと恥ずかしさに、リオンたちは抱擁を解いて離れた。ドニはそんな三人の様子を見ながら寝室へと入ってくると、オースティンの前に片膝をつき最敬礼を取った。
「陛下のご覚悟、まことに感服いたしました。このドニ、いかなる道でもお供いたします」
大袈裟な仕草と言葉に、オースティンは戸惑ったように目を瞬く。
「あ……ああ。ありがとう。だがそんなに感激されるようなことをした覚えはないけど……」
「いえいえ! 本当に陛下は素晴らしい国王になられた。ああ……本当に良かったですよ。クレイド隊長が寝室に乗り込んでいったときには肝が冷えましたが」
その言葉に、クレイドが複雑な顔つきになる。オースティンははははっと笑った。
「確かにね」
「本当にどうなることかと思いましたが、まとまるところにまとまりましたね。これでようやく……あのことをお話しすることが出来ます」
意味深な言葉に、オースティンは眉を寄せた。
「あのこと……? 何のことだ、ドニ」
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