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お店経営編
第二章 105話『『現』プロの殺し屋、巨漢と対峙する』
しおりを挟む遠くまで見聞きできる程の爆音と閃光。
それは鉄鉱平原全域に轟く程で、開戦の合図である魔力の塊が打ち上げられた鉄鉱平原中央部以外にもしっかりと伝わっていた。
ククルセイの聖騎士とコルネロの騎士の戦いはどこも苛烈を極め、それ故にどこも同じような状況だった。
剣、槍、斧、盾――。
これらによる接近戦から始まり、魔法や魔道銃器による後方支援。
レリックがククルセイへと派遣した冒険者達が聖騎士よりも群を抜いた戦果を残しているが、コルネロの騎士団員も負けじと応戦する。
人数と技術的な面で言えばコルネロが圧倒的に有利だったハズの戦況は、レリックが派遣してきた冒険者達によってひっくり返されそうになっている。
だがそんな中でも、一際目立った人物が戦場を蹂躙している。
両腕を使用せずに足と口に咥えた短い剣の刃だけでククルセイの聖騎士を次々に打ち倒していく。
血飛沫が舞い、視界を邪魔するが、彼女にとってそれは過去の日常であり、その場にいた誰よりもその事に慣れていた。
「―――ッ」
魔法を放とうとしていた聖騎士を踏みつけにし、口に咥えた刃で斬りつけた後、その女は周囲を見回して再び走り出す。
くっそ、キリねぇな。人数だったらこっちが圧倒的に有利だったハズなのに、よりにもよってレリックの冒険者がいるってなったせいでそれなりに時間食っちまった。両腕が本調子だったらもっと動けんだが――ッ!!
ふと背後から迫ってきた巨大な剣を躱し、それを振りかざしてきた小さな体の冒険者の後ろへと立つ。
「くそっ!今のを避けるのか……!」
体格と似合わない大剣を振り回している少年は地面を抉った大剣を触れずに動かして見せる。
恐らく魔法か何かの力で動かしているに違いなかった。
「邪魔だクソガキ……!!」
メイは一瞬にして少年の懐に潜り込み、顎を蹴り上げる。
しかし、メルナスとの戦闘の後遺症か、あまり強く踏み込めずに、少年が大剣でその蹴りを防ぐのを許してしまった。
「ちっ……!!」
「あっぶな……!受けてたら死んでたよ……」
舌打ちをして少年を睨みつける。
メイの一撃が素早く、そして強力だった事に一瞬怯んだ様子を見せた少年だったが、当たれば即死かもしれないという緊張感と高揚感で笑顔を浮かべる。
「さぁ、ここからどうするのかな――ッ!!」
少年は腕を振り上げて大剣を空へと高く上げる。
メイはその隙を突いて再び迫るが、彼女の上空からもまた、巨大な大剣が落下し、彼女の頭を狙っている。
そして、メイの頭頂部へ大剣が落下する刹那、メイは体を少し横へと動かし、落ちてきた大剣を軽く押す。
すると大剣は一瞬にして崩れ去り、冒険者の少年はギョッとして青ざめた顔でメイの目を見つめる。
だが、メイに対して恐怖するには、その少年はあまりにも遅過ぎた。
メイの口に咥えられた建によって少年の腕は血塗れになり、その場に膝から崩れ落ちた。
鎖骨の下へ彼女の刃が潜り込み、腕神経叢が斬り裂かれたのだ。
「安心しろ。神経は斬っちゃいるが、すぐには死なねぇ。さっさと治してもらうんだな」
「ぐぅ……!!」
少年は悔しそうに腕をだらけさせ、メイの元から姿を消した。
その後メイは空を見上げてポツリと思う。
無関係の人間がいたら、きっとアミナは殺さねぇよな。……私の自己満でここまで面倒になるなんてな。
きっとアミナだったら、ククルセイの聖騎士以外は殺さない。そう考えたメイは冒険者のみは戦闘が続行不可能になる程度に痛めつけ、聖騎士だけは確実に殺す事にしていた。
冒険者を全く傷つけずに見逃せば、コルネロの騎士へと攻撃の矛先が向くかもしれないし、無理に自身へと挑みにきた者を殺さざるを得ない状況になってしまうかもしれなかったからだ。
大剣を蹴った時にある程度破壊できるようにしたのは、冒険者の少年を無力化する為だった。
あれが屈強な男だったのならば、もっと強めに痛めつけても良かったが、念の為にと神経を斬っておいた。
「まぁあの程度、回復薬でもありゃ治るだろ。本人次第でもあるがな」
メイは、自身の服の裾を静かにめくり上げた。
布の擦れる音すら、やけに大きく感じるほど、空気が澄んでいる。
そこには特に目立った異常はなかった。
戦場で鍛え抜かれた肉体美と、白磁のように滑らかな肌が露わになる。
だが、ただそれだけの光景ではなかった。
メイは知っている。誰にも見えないその肌の奥深くに、決して消えない「記憶」が刻まれていることを。
過去の敗北と、痛み。
彼女は指先で、腹部のある一点をそっとなぞった。
指が触れても、傷の感触はない。それでも、そこには確かにあったのだ。
あの日、アミナと出会った瞬間。
言葉すら交わす暇もなく、両者は刃を交え、共にいた男を無力と見誤り、やがて――腹に大きな風穴が空いた。
呼吸するたびに焼けるように痛み、視界は赤く染まり、意識は遠のいていった。
死を覚悟した。それでも、彼女は生き延びた。
それは、アミナが手ずから与えた回復薬によるものだった。
敵であるはずの彼女が、躊躇なく膝をつき、血まみれの彼女の身体を支え、その命を救ったのだ。
その薬は、肉体の傷を跡形もなく癒した――まるで最初から何もなかったかのように。
しかし、心に刻まれた記憶は決して消えなかった。
彼女と出会ってからも、何度も敵と戦った。何度も命を賭けて刃を交えた。
そしてそのたびに、彼女の中に巣食うあの痛みが疼く。
己の未熟、力の差、抗いきれない運命。
それでも、何よりも焼き付いているのは――あの時、彼女が見せた、優し過ぎる程の眼差しだった。
「………」
メイは息を吐いた。
その吐息に混じるのは哀しみか、憧憬か、それとも悔しさか。
自分でもわからない。
ただ、この痛みと共に、自分は今日まで立ってきた。
あの日の敗北を背負ったまま。あの視線を、忘れぬまま。
時折、夜にふと目覚めると、無意識にその部位に手を当てていることがある。
何もないハズの肌の上に。
そこに感じるのは、皮膚の下に眠るアミナの存在そのものだった。
いつしかメイは、それを「誇り」だと思うようになった。
敗北が、悔しさが、そして救われた事が、自分の一部であり、変わるきっかけであり――今も尚、進み続ける理由だと。
だからこそ彼女は時折こうして、その見えない傷跡を確かめる。
誰にも見せない、誰にも語らない、己だけの祈りの儀式のように。
「……お前が満足するなら、私はいくらでも……」
その言葉が誰に向けられているのか、自分でもよくわからない。
アミナなのか。過去の自分なのか。
あるいは、未来の戦場に立つ誰かか。
だがその言葉は、確かに胸の内から零れたものだった。
やわらかく、苦く、しかしどこか甘やかな痛みを帯びた、魂の片割れのような言葉。
いつもの表情。いつもの冷静な瞳。
けれど、その奥には確かに、ひとつの傷跡が眠っている。
そしてきっと、それが彼女の力になっているのだと。
メイが一言そう呟いていると、不意に背後から大きな気配を感じ取った。
物理的に大きい事もあったが、それよりも他の冒険者とは一線を画す程の威圧感を放っている大きな影がメイを包み込む。
ぴんと張り詰めた空気の中、乾いた土を踏みしめる音がひとつ響いた。
「……ようやく、それなりのヤツが現れたか」
静けさを切り裂くように、メイは呟いた。
振り返るその動作には、焦りも戸惑いもない。ただ、待っていたものを確認するような、静かな決意だけがあった。
そこにいたのは、鍛え上げられた巨躯の男。
褐色の肌には幾つもの古傷が刻まれ、無骨な戦士の風格が漂っている。
肩まで伸びた黒髪は風に揺れ、端正な顔立ちは逆にその肉体の異様さを際立たせていた。
男は一歩前に出る。地面がわずかに軋んだ。
「お前だな。こっちにいるコルネロ帝国のリーダーは」
視線はまっすぐメイへと向けられている。
その眼差しは、見下すものではない。だが、まるで対等だとも思っていない。
己の力に揺るがぬ自信を持つ者の、当然の問いかけ。
その一言に、メイは鼻で笑うような小さな息を吐いた。
そして、ほんのわずかに肩をすくめて返す。
「あー。ちぃーっと違ぇな。」
男の目が細くなる。
その瞬間、空気が変わった。
笑みでも怒りでもない、ただ純粋な興味が男の中に灯ったのが分かる。
「……なんだと?」
その問いには、脅しも警告も含まれていない。
ただ、先の言葉の続きを求めるような、重たい間が流れた。
その無言の圧に、誰もが息をひそめる。
だが、メイは一歩も退かない。
足を動かさずとも、その場に立つ彼女の存在が明確に前へと出てくる。
大地をつかむ足裏の感覚。
体の芯から湧き上がる、明確な意志の熱。
この女は、強い。
巨漢の男は本能的にそれを悟る。
剣を交える前からわかる“何か”を、彼は長年の戦場で幾度となく見てきた。
そしてその“何か”を持つ者との戦いだけが、彼の心を沸き立たせる。
風が吹いた。
戦場の熱気とは違う、夜明け前の冷たい風が、メイの髪を揺らす。
彼女の瞳がわずかに揺れた――過去の残響が、ふいに心をよぎる。
動けなかった自分。
傍にいたはずの誰かを守れなかった自分。
その時の無力感と、やるせなさと、自責と――そして、怒り。
目の前のこの男は、それとは関係ない。
けれど、彼女の中の業火は、それを理由に燃え続けている。
だから、彼女は戦う。
その心の奥底から湧き上がるものを、抑えることはできない。
言葉にすれば簡単だが、言葉で語れるようなものではない。
それでも、彼女はそれを一言で形にしてみせた。
「私は、ダチの為に動けなかった自分にムカついて戦ってる、ただの一般人さ」
―――
「……よもや、こんな再会になってしまうとはな……」
レリックの若い女の英雄、エルミナはただただ悲しそうな声でそう呟く。
彼女の視線の先には、血塗られた不気味な仮面と、何人の返り血を受けたか分からない少女の姿があった。
しかしその少女はあまりにも異質過ぎた。
返り血を受けているとはいえ、服には全く血の跡が見えなかった。だが仮面だけにはべっとりと人間の血と肉と脂肪が付着している。
一体どのような動きをすればそのような状態になるのか、エルミナにも理解できなかった。
「……アミナさん、なんだろ」
アミナは答えない。
確証を持っているエルミナはアミナが何も答えなくても言葉を続ける。
「何故、ここにいるんだ」
その問いへもアミナは答えない。
「……あくまで他人を装うのか。まぁ、自己犠牲の塊である貴女らしいな……」
エルミナは少し眉毛を下げると、腰に携えた剣の柄頭に置かれていた手を持ち上げ、その後すぐに口角を少しだけ上げて口を開いた。
「そうだ。お店の経営は上手くいっているかい?一応私達が宣伝をした訳だし、何かしら効果はあっただろうか」
風の音と方々から聞こえる悲鳴と怒号。その中で一際、エルミナの明るい声はよく通っていたように感じられた。
「お店では何を売っているのだ?やはりアミナさんの得意としていた回復薬だろうか。……いや、きっと貴女は私の想像などゆうに超えているだろうから、もっと色々な物を売っているに違いない。厄介事に巻き込まれてはいないか?もし困った事があればいつでも言ってくれ。数秒数分は無理でも、きっとすぐに駆けつけてみせるさ」
エルミナは明るく振る舞いながらただ沈黙しているアミナに語りかける。
対するアミナは一歩――それどころか、風の影響以外で髪や服も動かしていない。
黙ったまま陽気を取り繕っているエルミナを、血濡れた仮面の奥から見据えているだけだった。
「フィー殿は元気か?彼は大物だからきっとアミナさんも世話が大変だろう。それだったらケイとギーラが手伝いたいと言っていたぞ。2人共、猫を飼っていた経験は無いが、ララバイの件でギーラはすっかりフィー殿を気に入ってな。きっとアミナさんの役に立ってみせるだろう。……私は、あまり細かい作業が得意で無くてな……。きっとアミナさんに迷惑をかけてしまうだろうから、フィー殿と遊ぶ役に就任しよう。なぁに、体は人一倍頑丈だから、いくら危険度ランクS+のフィー殿の戯れと言えど、耐えてみせるさ」
身振り手振りをしながらエルミナは拙い笑顔でアミナへと次々に言葉をかける。
いつか、この言葉のどれかにきっと反応を示してくれるだろうと信じて、彼女は言葉を吐き続けるのだ。
「そういえば、一度だけ手紙を送ってくれた事があったな。紙など高いだろうにわざわざすまない。手紙は今でもよく見返すんだ。……ほら、今も肌見放さず持ち歩いている」
エルミナは洋服の内ポケットから手紙を取り出す。
それは数ヶ月前、アミナが収穫祭を終えてからしばらくして差し出した手紙だった。
「色々大変だったようだな。謎の老婆から謎の魔道具を受け取ったり、街を救ったのに借金を背負わされたり、とんでもない強さをした殺し屋が居候になったりと。だがまぁ、楽しそうな日々を送っているようで何よりだ。………そうだ、その手紙に書いてあった、カイドウという人は元気か?やけに彼の事を褒めていたから、私も――会ってみたいものだ」
不意にエルミナがそう言うと、アミナが初めて反応を示した。
握り拳を作り、それが強く肌にめり込んでいる。
その様子を見たエルミナは何かアミナの事情を察したのか、楽しそうだった口調から一変し、アミナに問いを投げた。
「……もう一度訊こうか。何故、アミナさんはここにいるんだ?」
「………」
やはりアミナは口を開かない。
いや、口だけではない。短い間だったがそれなりに濃い付き合いをしたエルミナだが、今のアミナは心すらも閉ざしているように感じ取れた。
そして遂にアミナは、短剣を持ち上げて静かに構えを取った。もう喋る事は無いだろうと言わんばかりに。
エルミナの目が潤む。
何故、自身とアミナが戦わなければならないのか。到底理解し難い事実を目の前にしたからだった。
国同士の戦争――どちらも譲れない信念の元にこの場に立っている。
アミナは魔人会と、それを利用したククルセイの横暴によって傷つけられたカイドウの為に。
エルミナは、今までずっと活躍してきたレリック王国と、一度信じると決めた相手である国王のセディウス・ヴェル=レリック為に。
アミナを救いたいという気持ちと己の信念が定めた相手への思いで板挟みになったエルミナは、表情に出る全てを押し殺して腰の黒い剣を引き抜いた。
「改めてどうして……こんな再会になってしまったのだろうな……」
黒い刃が日の光を反射し、仮面に付着した血飛沫が地面へと垂れる。
呟きは風に溶けるように、誰にも届かず消えていった。
だが、その声には込められていた。悲しみもやそして覚悟が。
この瞬間、逃げ場はもうなかった。
信念と情、過去と現在、矛盾を抱えながら、それでも彼女は立つ。
―――両国の最高戦力による戦いが今、始まろうとしていた。
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