箱庭の乙女

羽野 奏

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プロローグ

少女へ至る物語

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ガルナ王国の西端に位置する針葉樹林の森を抜け、しばらく岩ばかりの平地を進むと、突如として広大な砂漠が現れる。
この砂漠を挟んだ向かいの国は、古くより敵対関係にあるアサンド帝国があるが‥
黄土色のサラサラとした砂は騎馬での行軍を拒み、真昼の灼熱の太陽は容赦なく体力を奪い去る。
転じて夜は、冴え冴えと輝く月の下、身を斬る寒さに心を折られる事だろう。
つまり進軍には適さない地理条件なのだがーーー‥

「うーん、うゔーん」
「おーい、どうした?おーい!」
背中を揺すられる感覚に、遠のいていた意識が呼び戻される。
本の見開きいっぱいに羅列された文字群から顔を上げれば、見慣れた幼馴染の顔があった。
紅色の癖っ毛と榛色の瞳に褐色の肌、上背の高さと、鍛え上げられた筋肉質な体つきが視界を遮って、なんとも暑苦しい。
爆炎のフィンドレイク、近衛第3連隊の隊長を務めている騎士爵家の次男とは、二十年来の腐れ縁だ。
「どうしたも何も、見てわからないか?読書中にうたた寝をしてしまっただけだよ」
重い瞼を擦りながら、アイゼンは憮然とした態度を隠さずに、幼馴染を睨み付けた。
「怖ぇ、美人の睨み付けは凶器なんだぜ?うなされてたから心配しただけだっつーのにその態度はどうよ」
「心配の前に、フィン、君は許可もなく上官の私室に入り込むのかい?」
アイゼンは、空色より明るい碧の瞳を細め、白金のストレートヘアに大理石の彫刻を思わせる白く繊細な指を埋め、無駄な肉の一つもない身体中から絞り出すようにため息を吐いた。
幼馴染は意に介さず、ニシッと笑った。
「今は仕事中じゃないぜ?ちょっと街で遊ぼうと誘いに来て何が悪い」
「悪いに決まってるだろう」
もう一度、深い、深いため息をついてアイゼンは扉を示し、二の句を告げた。
「私は扉に鍵をかけていたはずだが?」
「俺様に開けられねぇ扉は存在しないのさ!」
怒気を孕んだ空気を一切感知することなくフィンは告げた。
「ちなみに俺には秘密も通用しねぇぜ!アイジーが、文章を3行以上読むと睡魔に襲われるってのを部下に知られたくなくて、もう何年もこっそり訓練中って事も知ってるぜ?」
今にも爆発しそうなアイゼンの肩に手をやって更に宣った。
「でも、うなされるまで根を詰めると体に触るぞ?だから、さぁ!街に‥っ?!」
最後まで言い終わる前に腕を捻られるのと、足払いを受け体制を崩すのが同時だった。
アイゼンの背の上を面白いように自分の身体が通過する。
投げられたフィンを受け止めた扉は、内側から爆ぜるようにたわみ、その重みに耐えきれず、派手な音を立てて開く。
「ひぇぇっ?!」
ゴロンと外にまろびでたフィンの巻き添えを食らった不幸な見習い騎士の悲鳴が廊下に響いた。
床に尻餅をついて、フィンに覆い被さられるような形になり、立ち去ることもできず、氷蝕のアイゼンと二つ名を持つ司令官の怒りの表情を真正面から受け止めてしまったのだ。
「ーー君、名前は?どこの子かな?」
アイゼンは犠牲者を見とめると、ニィィッと口角を上げて微笑んだ。
(微笑まないで下さい!余計に怖いですぅぅぅっ)
心で叫んで涙目になりながら見習い騎士のミシェルは震える声で名乗る。
「ぼっ、ボクはミシェル・メルグと申しますりフィンドレイク連隊長の下部部隊で、みなっ‥見習いをさせて頂いてますぅっ」
「そう、フィンの部隊の子なんだ?丁度いいね」
(こ、こっち来ないで下さい、お願いです、怖いぃっ)
「そこのデリカシー皆無の"火蜥蜴野郎"のお陰で、私の部屋の扉が痛んでしまってね、調達部に修理依頼をして貰えないかな?」
「はいっ、はいっ、すみません、はいっ!」
「"はい"は一回だよ、ミシェルくん」
「はぃぃいっ!」
「よろしい、あ、請求はこのバカに回すように言伝も頼むね」
アイゼンはフィンの首根っこを掴んでミシェルから引き剥がした。
「はぃぃいっ!」
最後に一礼を残して、まさに脱兎の如く駆け出すミシェルを見送って、フィンは快活に笑う。
「おおー。早い早い、アイツにこんな特技がねぇ‥で?アイジー、街に行く?」
「ーー行く」


❇︎  ❇︎  ❇︎  ❇︎  ❇︎


強大な2国間に挟まれた砂ばかりの土地にも人々の営みがある。
城塞都市エデルナはオアシスを基点に作られた、決して豊かではないが平和な都市である。
砂の民や他国からの流れ者など多種族が身を寄せ合って暮らしているこの地の主な財源は、都市の中心部に突如現れる巨大な真四角の建造物が大いに関わっている。
難攻不落の収容所クワット、そう、エデルナには、かの有名な収容所があるのだ。
開所以来二百年余り、未だ1人と脱獄を許したことがない巨大な四角い箱。
そこに勤める看守や職員、その家族、それらを目当てにやってくる交易商や芸人たち、衣食住を支える農家や職人と、ぐるりと経済は循環していく。
だからこそ、決して豊かではないが人々は比較的平和に暮らしていけるのである。

「わあっ、カッコいい!騎士様だっ」
「あのマントの紋章、月と蔦はガルナ王国のものだって!父ちゃんに聞いた」
初めて訪れる土地では、アイゼンは、まず子供たちの反応を確認する。
(遠巻きだが、好意的な反応だ‥)
子供の様子を見れば、国や軍人に対して友好的な地域なのかどうかが分かるのだ。
ーー肩の力が少し抜けた気がする。軍人というだけで怖がられ避けられる事も多い。
「おねぇさん、リンゴ2個!」
自分より頭ひとつ背の高い幼馴染が声を張った。
「調子がいいねぇ、こんなオバサン捕まえて」
「いんや、ぜーんぜん俺ならイケるぜ」
(何がどうイケるんだか‥)
露天の婦人と、その後も楽しげに言葉を交わすフィンにいつもの事ながら呆れる。
目線を道の先に向ければ、立ち並ぶ露天は活気があり、品数も多い。流石に生の海産物は無いが、それでも砂漠の地にあって、果実や野菜までもが店先に並んでいる事には驚いた。
「ほれ、お1つどーぞ」
鼻先に突き出されたリンゴを受け取って口に運ぶ。どうやら値引きに成功したらしいフィンは上機嫌だ。
他愛のない話をしながら露天を冷やかして歩く。
ぽつぽつと露天の数が減り始め、家並みが途切れると、突如として視界を埋め尽くす巨大な壁が現れた。
「これがクワット‥」
見上げてもなお見渡せないほどのそれには、窓どころか、継ぎ目の一つも見当たらない。
風砂と陽光にさらされて、白い壁の色は少し黄ばんで、ザラリとした質感だ。
「あーあ、明日からはこの中で三交代制のお勤め、宿舎との往復だけの日々。息が詰まりそうだぜ」
「上手くすれば数ヶ月、長くても1年程度じゃないか、山岳地帯の小競り合いで何年も王都に帰還できない隊に比べれば楽なものだよ」
うんざりした様子の幼馴染に、気持ちはわかるけどね、とアイゼンは応じた。

エデルナは中立都市ではあるが、ガルナ、アサンドの両国からの軍人を看守として受け入れている。
それと言うのも、この場所に収容される者の多くが、互いの国から流刑された元貴族や政府の要人、戦争犯罪者なのである。
それぞれの国の軍人達は睨み合いつつも、衝突した際の被害の甚大さを理解しているため、大きな騒動はあまり起こらない。
この危うい均衡の上に、今の平和な暮らしがあるのだ。


❇︎  ❇︎  ❇︎  ❇︎  ❇︎


「ーーさて、ここでご案内は以上でございます、何かご質問は?」
派遣されたガルナ王国近衛騎士団の精鋭を案内し終え、エデルナの長であるネネムは広い額の汗を拭った。
(今回の派遣看守に"爆炎"が来ているなんて聞いていなかったぞ!それから‥)
思考をぶった斬って、よく通る声が響く。
「一つよろしいでしょうか、ネネム首長?」
「なぁーんでしょうか?アイゼン殿下」
(それから、なんで王族が軍人になってここに来てるんだ?面倒ごとにならぬといいが)
ネネム首長は悪い男ではないが、小心者である。肝の縮む思いで"氷蝕"の言葉を待った。
「どうやら、最上階がまだあるようですね。案内はないのでしょうか?」
ヒクッと片眉が痙攣するのを覚え、またつぅーっと嫌な汗が走った。
「いやぁー!ご慧眼、感服するばかりでございます。確かに最上階にはお連れしておりません、が、その必要はないかと」
「何故でしょう、誰も居ないという事でしょうか?」
「実は‥申し上げにくい事なのですが、さる高貴なお方のご縁者に、最上階はお貸ししているのです。」
シルクのハンカチを忙しなく動かして、マシュマロの化身のような恰幅のいい身体をくねらせる。
「は?収容所を貸し出し‥ですか」
予想外の回答にアイゼンは眉を顰める。
「その階には誰がいるんだ?ズバッと言っちゃおうぜ」
「やー、その、少女が1人居るだけで、"爆炎"殿が気にかける必要はございません、ええ。あ、そーだ、そろそろ正餐の時間ですなっ、食堂に参りましょう」
そうしましょう、と、姿に似合わぬ素早さでネネム首長は騎士団の間を縫って廊下へと逃れた。
アイゼンとフィンは互いに視線を交わし、どちらともなく上を見上げた後、そそくさと食堂へ急ぐ首長の背中を追った。


ーージャリンッ


緩慢な動きを一つ取るたびに、部屋に鎖の擦れる音が響く。表情に生気はなく、瞳は人形のようにどこを見据えて居るか分からない。

ーー幾日、幾年こうしているのだろう?いつまで、こうしているのだろう?

伸び放題のばさばさに傷んだ髪、よれてシワシワの囚人服、肌も、唇までもが、壁に溶けて消えそうなくらい白い。
その四肢は鎖で繋がれて、扉まで到達できないようになっている。

まだ10代の中頃と思しき自身のみがこの階の住人。
朝と晩に質素な食事を運んでくる看守は決まり文句以外一言も声を発さない。
3日に一度、身を清めてくれる修道着の老婆は耳が遠いのか、何かを尋ねても、礼を言っても、モゴモゴと要領を得ない返答を返すのみだった。

ーー私は何故生かされて居るのだろう。

そう感じて居るのに、死ぬことはできず、ただ狂いそうなほど退屈な時間をここで過ごす。寝れる間は寝て、眠れぬ時間は過去の記憶を掘り起こしたり、空想を広げてみたりした。
「わたしは、姫じゃないーー」
小さな呟きは、1人には広すぎる空間に溶けて消えてしまう。
(だから、誰もわたしを助けたりしない)
あまりに虚しいと、一度広げた妄想の世界をそっと消し去った。
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