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第一章
亡国へ至る物語
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亡国フィリッツィアーー
華の国と銘打たれる緑豊かな農業国であったが、ガルナ王国とアサンド帝国に軋轢が生じ始めた頃、両国からの搾取が始まり、数年後にはフリント川を挟んで南西部をアサンド帝国に、北東部をガルナ王国に平定された。
❇︎ ❇︎ ❇︎ ❇︎ ❇︎
フィリッツィア王には1人の息子と3人の娘がいた。
長女のアリシアはガルナ王家にすでに嫁ぎ、次女のアリアドネはアサンド帝国の公爵夫人となるべく、彼の国での妃教育が始まった。
秋には息子のヨシュアのデビュタントが控えており、その際に立太子の宣言も行われ、彼は正式な王太子となる。
懸念があるとすれば、今年で8歳になる末の娘、アイシスが少々お転婆に育った事くらいだ。
「案外、アイシスが男だったらヨシュアの王太子の座も危うかったかもしれんな」
「まあ、陛下ったら」
国王の座についてから、妻の部屋に訪れている時だけが、唯一、心癒せる時間だった。
「近衛の者から聞いたが、あの子は見習い騎士を相手に、毎日剣を振り回して居るそうだね」
「えぇ、刺繍や音楽には余り興味がない様子で、立派な淑女に育ってくれるかが心配ですわ」
正妃アルージェは細い指を頬に当てて憂う。4人の子を成しても、その美貌は衰えを知らず、社交界の華であり続けている。
そんな彼女に、フィリッツィア王はより一層の寵を捧げていた。
「あとしばらくは良いだろう‥王家の娘の行末は案外窮屈なものだ」
「あら、わたくしは窮屈なんて思ったこと、御座いませんわ。きっと陛下のお陰ですわね」
「ならばあの子の夫となる人物はしっかり見定めねばなるまいな」
「アイシス自身の選定眼もしっかり磨いて貰わないといけませんね」
2人の笑い声を夜風がやさしく運んでゆく。
当代フィリッツィア王は、王族には珍しく、恋愛結婚だった。
それは偶然の幸運。
好きになった女性が、身分も教養も資質も兼ね備えていたのだ。
だからこそ、他の王とは違い、側妃を迎えなかった。
正妃が立て続いて娘を産んだ頃には、側妃を迎えるべきとの声も上がったが、その後直ぐにヨシュアが生まれ、その声も収まった。
何より愛しい女性との時間を割いて、別の女性と関係をもつ必要性が感じられなかったのだ。
さて、私生活が順調であるのとは反対に、国政は困難を極める事態に陥りかけている。
ガルナ王国とアサンド帝国の双方から軍事支援の打診が来たのだ。
主に食料を輜重する事への求めだったが、これはどちらかを選べということだ。
ガルナにはアリシアが
アサンドにはアリアドネが居る
どちらかに味方をすれば、娘のうち1人の命の保障はない。
かといって、どちらの国にも支援を送るなどできるはずもない。
ならば取れる道はどこまでも中立であり続けるために、最小限の犠牲を払ってこの2国からの要求を退ける事となる。
「ーーよって、カリスト領をアリシアに帰属し、セラルカ領をアリアドネに帰属する事とする、これは王命である」
つまりは、2国に隣接する領地を、自身の娘に贈与することにより、その穀倉をそれぞれの国に渡す代わり、支援は行わないというのである。
これによって、一度は難を逃れることが出来たが、これが一時凌ぎである事は逃れられない事実であった。
葡萄の実りが、近年類を見ないほどの豊作であったこの年の晩秋、冬の訪れを感じる頃に開かれたデビュタントで、ヨシュア王子がついに立太子を迎えた。
正妃アルージェの蜜色の髪、アメジストの瞳をそのままに、しかし、その顔付きは確かにフィリッツィア王の精悍さを受け継いでいる。
「お兄様、この度は立太子おめでとうございます」
「ありがとう、アイシス」
両手を伸ばしてきた妹を、いつもの調子で抱き上げる。
「式典に参加できなかったのは悔しかったけど、でも、実はあそこから観てたの」
クスクスっと笑って、アイシスは窓の外を指す。ヨシュアは呆れて口をパクパクさせ、ようやく言葉を絞り出した。
「アイシス‥君はお猿さんだったのかな?」
「アイシス、お猿さんじゃないもん。ちゃんとしたレディよ」
「ちゃんとしたレディは、夜に寝室を抜け出さないし、木登りもしないんだけどな」
「そんなことより、お兄様素敵だったわ。深緑の礼服、とってもお似合いだった‥同じ色のドレスを着ていた方が、私のお義姉様になるの?お顔までははっきり分からなかったけど」
「目敏いね‥その通りだよ。今度、ゆっくり紹介するからね」
「楽しみ!お義姉様は私と仲良くしてくれるかしら?」
「きっと大丈夫、待っておいでね」
そっと床に降ろすと、楽しみにしていると言い残して、妹は走り去ってしまった。
それを見送りながらヨシュアはここ数日に思いを巡らせた。
デビュタント、立太子、婚約。
自分を取り巻く環境が、目紛しく変わっていく。
国や、自分の置かれた状況が芳しくない事は理解しているし、だからといって、まだ自分に出来ることは少ない。
(姉2人がここを去って、寂しがっている妹の心くらい救ってやりたいな)
窓の外では常緑樹の葉がカサカサと音を立て、冬の風の匂いが鼻先をくすぐる。
フィリッツィア王国の終わりが、刻一刻と迫っていた。
❇︎ ❇︎ ❇︎ ❇︎ ❇︎
年が明け、春が訪れた頃、ガルナ王国より再度支援の申請が来た。
旧カリスト領は元より雪深い地ではあったが、今年は殊更の豪雪であった。
雪解けのこの時期、各所で甚大な雪崩や地崩れの被害が起きており、今後の作物の供給に支障をきたすどころか、災害復旧の対応などで、ガルナ国にとっては赤字領地となっていたのだ。
これに対し、フィリッツィア王は補償をせざるを得なかった。
災害復旧のために人を派遣し、自国の穀倉から見合うだけの食料を支援した。
こうした動きにアサンド帝国が即座に反応を示した。
旧セラルカ領を起点に両隣の領地を占領したのだ。
「言い分としては、中立を破ってガルナ王国に支援を行った事への報復ということですな」
「その様だ、こうなってはこのままガルナ王国と盟約を結び、アサンド帝国の進軍を抑えるしかあるまいか?」
宰相の言葉に頷きらフィリッツィア王はその場に集う者達に問うた。
「父上!いえ、陛下‥そうするとアサンドの大公妃となったアリアドネ姉様は」
「私情は控えよ。いまは国の大事、民達の明日を考えるのだ」
「ーーはい」
それからも会議を重ねては見たものの、名案は浮かばず、時流に流されるままガルナ王国と盟約が結ばれた。
彼の国を後ろ楯に、ついにフィリッツィア王は南西部の山岳地帯で、アサンド帝国と開戦の日を迎えたのである。
この先陣は王太子ヨシュアが指揮を取り、しばらくは膠着状態を維持していた。
しかし、突然の知らせがこの状況を一変させる。
「急襲!急襲!ヨシュア殿下、我が軍の後方より敵兵およそ5千が迫っております」
「後方から!?なぜ敵が回り込むのに気づかなかった!」
「違います、違うのです」
斥候兵は肩で呼吸をしながら、声を張る。
「彼らはアサンドの兵ではなく、旧セラルカ領主の私兵が主とみられます、反乱軍かと!」
「なんてことだ‥各陣散開し、なんとしてでも逃れよ!フリントの辺りまで退却後、立て直して応戦する。ツィツェリーへの早馬を用意し、陛下に伝えよ!」
領地を奪われた元領主の反乱はこれだけではなかった、示し合わせたかの様に、もう一つの火の手が上がる。
「カリストめ‥よもやお前がアサンドに付くとは」
南西部の動きが知らされるよりも早く、王城は旧カリスト領の私兵に取り囲まれていた。
「この時を待っていたのです、分かりますか?先祖代々受け継がれてきた土地を、自身が受け継いだ時の誉を。どれだけ私か領地経営に心を砕いたかを!貴方は我が娘可愛さに、それを簡単に私から奪いとったのですよ。許さない!許されることではない!」
ガランと音を立てて、剣の鞘が床に跳ねる。抜き身の刃がフィリッツィア王の首に当てられた。
「ですから、貴方にはこの国を失って頂きます。ここで一緒に、この国の終わりを眺めましょう、陛下」
玉座から引きずり倒され、拘束を受ける。
「陛下!」
「アルージェ」
ほどなく、全ての捕虜が大広間に集められた。王妃はそこにアイシスの姿がないことに気付き、どうか逃げ果せていて欲しいと祈った。
❇︎ ❇︎ ❇︎ ❇︎ ❇︎
王城が占拠されて数日、フィリッツィアは各地で争いが繰り広げられていた。
国王派の貴族を頼りながらツィツェリーに戻ってきたヨシュアは選択に迫られていた。
父や母は捕らえられ、頼みの綱のガルナ王国からの援軍はまだない。
「まずは、王城の奪還が優先です」
「密偵を向かわせて敵の隙を探りましょう」
国王の奪還に向け、軍事は紛糾している。
誰一人諦めてはいない、自分が選択から逃げてはいけない。生きている限り、進み続けなければならない。
「精鋭数人を選んでくれないか、私が城に乗り込む」
「なりません、殿下!たとえ王が倒れたとて、貴方さえ生きていればまだ‥」
軍師の言葉を掌で遮り、ヨシュアは続けた。
「もう、決めたんだ。どうせここでガルナの援軍を待っていたとしても、敵に場所が知れれば、袋叩きに合うだろう?」
思考を止めてはならない、この国のために命をかけてくれる家臣がいる限り、彼らを守るためにも。
(父ならこんな時どうするか?否、自分が考える最良の手段はなんだ?)
「ーー王族のみに知らされている脱出路がある。それを逆にたどり、城内に入り込んで内側から敵を崩そう」
「ならば、その入り口を教えて頂ければ精鋭のみに向かわせます」
「それが出来ないから私が向かうんだよ、扉を開くには王族の血が必要なんだ」
しばらく軍師は黙り込み、そして観念した様子で静かに次の策を告げた。
「では、残りの者は、外から敵を減らしましょうーー‥」
その夜、ヨシュアは市街地から少し外れた墓地に居た。
百合の紋様が彫られた墓石の前に立ち、手の平にナイフの刃を走らせた。
ポタリと墓石の上に血が滴り、百合の紋様が仄かに発光する。
「解錠」
声を合図に、石の擦れる音が低く続き、地下への道が開かれた。
「さあ、行こう。必ず城を奪還せねば」
湿気に満ちたカビ臭い地下道を直走り、ようやく城側の扉にたどり着く。
乾きかけた掌の傷を、なすりつける様に扉の紋に押し当てた。
「ーーここは?」
共についてきた兵が当たりを見渡す。
彼らはこの場所を知らない。
それもそのはずだ、ここは後宮なのだから。
「ここは母の部屋でね、私も久々に来たよ」
「王妃様の‥なるほど、姿見の裏に通路が隠されていたのですか」
感心した様子で、別の兵が声を上げた。
「そうだね、では、始めようか」
いくつかの場所で制圧を繰り返すうちに、どうやら王太子が城内に潜入していた事が伝わったらしく、次から次へと敵兵が湧いてくる。
その度に狭い部屋や通路へ逃げては戦った。
目の端に、窓の外でも争いが起こっているのが見えた。
おそらく軍師が残りの兵をまとめて城門を突破したのだろう。
(本当に、城が奪還できるかも知れない)
一筋の光明が差し込んだ気がした。
打ち倒した敵兵は、捕虜にされた城の住人達は、大広間に集められているのだと白状した。
おそらく、そこには今までにない数の敵が居る。そして、今までのように狭い場所で、敵の数を活かせないような戦い方をするのは難しい。
(今、行くべきか?外の味方に加勢するべきか?)
劣勢となったカリストが、どんな手に出るか分からない。
「皆、すまない。後ひと働きして欲しい。大広間に急ごう」
死を覚悟して大広間までの長い回廊を進む。
どんどん敵が増えると思っていたが、この回廊に踏み入れてからは誰にも出くわさない。
不気味に静まり返った控えの間、赤絨毯の大広間に続く豪奢な廊下にも鼠一匹見当たらない。
嫌な予感が頭に浮かび、首を振ってそれを払う。
そうしているうちに、遂に大広間の扉の前に至った。
二人の兵士が扉の前からこちらを伺う。
頷きを返すと、2人の兵も頷き、目配せの後に勢い良く扉を開いた。
灯りが灯されない部屋
むせ返る血の臭い
広間の絨毯を染める黒い血溜まりの海
(間に合わなかった‥?)
心臓の音が煩くて、視界が狭まっていく感覚に襲われた。
乱戦の終わりを告げるように、窓辺から朝焼けが差し込んでくる。
屍を積み上げた黒い山の頂に、血染めの少女が立っていた。
白い髪、白い肌、白い夜着にべったりと染み込んだ血がその白を引き立てる。
彼女の手に握られた、なんの装飾もない無骨な剣が、ギラリと朝日を反射したが、彼女の瞳に光は宿らない。
「アイシス‥なのか?」
その少女が妹であると認識するまでには、少し時間を要した。
容姿があまりにも変貌していたからだ。
(どうしたら、父譲りの亜麻色の髪が白髪になるのか?母から譲られたアメジストの瞳が、なぜ薄灰色になるのか?本当に、あれは妹か?)
戸惑いから動けないでいるうちに、兵士達は広間に飛び出していく。
屍の山の奥、玉座に国王の姿を見つけたからだ。
「陛下!ご無事‥で?」
「これは‥」
胸のあたりから服をベッタリと血が汚している。
「弑し奉られている」
国王は死後、何者かによって、大事に玉座に納められたのだ。
隣の席には王妃も同様に、ドレスの皺まできっちりと伸ばされて安置されていた。
「お父様に触らないで!」
驚くほどよく通る声が響き、少女が死体の間から飛んだかと思うと、瞬きの間に一閃が走る。
選りすぐりの精鋭の首が、剣を抜く隙も無く飛んだ。
「アイシス!何をする?!」
現実に引き戻され、反射的に走る。
(なんだこれは!8歳の子供に出来る動きではない)
彼女が持つ剣は、軍人用の量産品に見える。
あんな重たい代物、子供には振り上げることすら困難なはずだ。
(普通ではない、何がどうなってこうなった)
「ひぇっ?!」
アイシスの次の標的が短い悲鳴を上げる。
今の彼女には敵も味方も区別がつかない様子だ。
「アイシス!」
もう一度彼女の名を呼んで、剣身ごと彼女を身体で受け止める。
「アイ‥シス、大丈夫‥大丈夫だから。良い子だね」
そのまま優しく頭を撫でた腕がだらりと垂れる。肺から込み上げる咳とともに、口から血が溢れた。
「殿下!殿下ぁぁっ!」
外を制圧し終え、ようやく広間にたどり着いた軍師の声が木霊する。
アイシスの瞳が揺めき、視界に変わり果てた兄の姿が映った。
「お‥サマ?いやぁ、、、お兄様ぁ!」
手から零れた剣が、がらぁんと音を立てた。
壊れた機械人形が動かなくなるように、以降、アイシスはまったく喋ることも、動くことも出来なくなってしまった。
奇しくも、この日の夕刻、ガルナ王国からの親書にて、援軍の知らせが舞い込むのであった。
❇︎ ❇︎ ❇︎ ❇︎ ❇︎
その後、王と王太子を失ったフィリッツィアの覇権は、王女を保護し大義名分を得たガルナ王国と、多くの領主の信任を得ていたアサンド帝国の間で長く争われた。
今はガルナ王国の二人の騎士の活躍によって、フリント川を挟んで南西部をアサンド帝国が、北東部をガルナ王国が平定している。
そして、心の壊れた王女はアサンド帝国の側妃と、ガルナ王国の大公妃の根回しを経て、中立都市エデルナに送られたのだった。
華の国と銘打たれる緑豊かな農業国であったが、ガルナ王国とアサンド帝国に軋轢が生じ始めた頃、両国からの搾取が始まり、数年後にはフリント川を挟んで南西部をアサンド帝国に、北東部をガルナ王国に平定された。
❇︎ ❇︎ ❇︎ ❇︎ ❇︎
フィリッツィア王には1人の息子と3人の娘がいた。
長女のアリシアはガルナ王家にすでに嫁ぎ、次女のアリアドネはアサンド帝国の公爵夫人となるべく、彼の国での妃教育が始まった。
秋には息子のヨシュアのデビュタントが控えており、その際に立太子の宣言も行われ、彼は正式な王太子となる。
懸念があるとすれば、今年で8歳になる末の娘、アイシスが少々お転婆に育った事くらいだ。
「案外、アイシスが男だったらヨシュアの王太子の座も危うかったかもしれんな」
「まあ、陛下ったら」
国王の座についてから、妻の部屋に訪れている時だけが、唯一、心癒せる時間だった。
「近衛の者から聞いたが、あの子は見習い騎士を相手に、毎日剣を振り回して居るそうだね」
「えぇ、刺繍や音楽には余り興味がない様子で、立派な淑女に育ってくれるかが心配ですわ」
正妃アルージェは細い指を頬に当てて憂う。4人の子を成しても、その美貌は衰えを知らず、社交界の華であり続けている。
そんな彼女に、フィリッツィア王はより一層の寵を捧げていた。
「あとしばらくは良いだろう‥王家の娘の行末は案外窮屈なものだ」
「あら、わたくしは窮屈なんて思ったこと、御座いませんわ。きっと陛下のお陰ですわね」
「ならばあの子の夫となる人物はしっかり見定めねばなるまいな」
「アイシス自身の選定眼もしっかり磨いて貰わないといけませんね」
2人の笑い声を夜風がやさしく運んでゆく。
当代フィリッツィア王は、王族には珍しく、恋愛結婚だった。
それは偶然の幸運。
好きになった女性が、身分も教養も資質も兼ね備えていたのだ。
だからこそ、他の王とは違い、側妃を迎えなかった。
正妃が立て続いて娘を産んだ頃には、側妃を迎えるべきとの声も上がったが、その後直ぐにヨシュアが生まれ、その声も収まった。
何より愛しい女性との時間を割いて、別の女性と関係をもつ必要性が感じられなかったのだ。
さて、私生活が順調であるのとは反対に、国政は困難を極める事態に陥りかけている。
ガルナ王国とアサンド帝国の双方から軍事支援の打診が来たのだ。
主に食料を輜重する事への求めだったが、これはどちらかを選べということだ。
ガルナにはアリシアが
アサンドにはアリアドネが居る
どちらかに味方をすれば、娘のうち1人の命の保障はない。
かといって、どちらの国にも支援を送るなどできるはずもない。
ならば取れる道はどこまでも中立であり続けるために、最小限の犠牲を払ってこの2国からの要求を退ける事となる。
「ーーよって、カリスト領をアリシアに帰属し、セラルカ領をアリアドネに帰属する事とする、これは王命である」
つまりは、2国に隣接する領地を、自身の娘に贈与することにより、その穀倉をそれぞれの国に渡す代わり、支援は行わないというのである。
これによって、一度は難を逃れることが出来たが、これが一時凌ぎである事は逃れられない事実であった。
葡萄の実りが、近年類を見ないほどの豊作であったこの年の晩秋、冬の訪れを感じる頃に開かれたデビュタントで、ヨシュア王子がついに立太子を迎えた。
正妃アルージェの蜜色の髪、アメジストの瞳をそのままに、しかし、その顔付きは確かにフィリッツィア王の精悍さを受け継いでいる。
「お兄様、この度は立太子おめでとうございます」
「ありがとう、アイシス」
両手を伸ばしてきた妹を、いつもの調子で抱き上げる。
「式典に参加できなかったのは悔しかったけど、でも、実はあそこから観てたの」
クスクスっと笑って、アイシスは窓の外を指す。ヨシュアは呆れて口をパクパクさせ、ようやく言葉を絞り出した。
「アイシス‥君はお猿さんだったのかな?」
「アイシス、お猿さんじゃないもん。ちゃんとしたレディよ」
「ちゃんとしたレディは、夜に寝室を抜け出さないし、木登りもしないんだけどな」
「そんなことより、お兄様素敵だったわ。深緑の礼服、とってもお似合いだった‥同じ色のドレスを着ていた方が、私のお義姉様になるの?お顔までははっきり分からなかったけど」
「目敏いね‥その通りだよ。今度、ゆっくり紹介するからね」
「楽しみ!お義姉様は私と仲良くしてくれるかしら?」
「きっと大丈夫、待っておいでね」
そっと床に降ろすと、楽しみにしていると言い残して、妹は走り去ってしまった。
それを見送りながらヨシュアはここ数日に思いを巡らせた。
デビュタント、立太子、婚約。
自分を取り巻く環境が、目紛しく変わっていく。
国や、自分の置かれた状況が芳しくない事は理解しているし、だからといって、まだ自分に出来ることは少ない。
(姉2人がここを去って、寂しがっている妹の心くらい救ってやりたいな)
窓の外では常緑樹の葉がカサカサと音を立て、冬の風の匂いが鼻先をくすぐる。
フィリッツィア王国の終わりが、刻一刻と迫っていた。
❇︎ ❇︎ ❇︎ ❇︎ ❇︎
年が明け、春が訪れた頃、ガルナ王国より再度支援の申請が来た。
旧カリスト領は元より雪深い地ではあったが、今年は殊更の豪雪であった。
雪解けのこの時期、各所で甚大な雪崩や地崩れの被害が起きており、今後の作物の供給に支障をきたすどころか、災害復旧の対応などで、ガルナ国にとっては赤字領地となっていたのだ。
これに対し、フィリッツィア王は補償をせざるを得なかった。
災害復旧のために人を派遣し、自国の穀倉から見合うだけの食料を支援した。
こうした動きにアサンド帝国が即座に反応を示した。
旧セラルカ領を起点に両隣の領地を占領したのだ。
「言い分としては、中立を破ってガルナ王国に支援を行った事への報復ということですな」
「その様だ、こうなってはこのままガルナ王国と盟約を結び、アサンド帝国の進軍を抑えるしかあるまいか?」
宰相の言葉に頷きらフィリッツィア王はその場に集う者達に問うた。
「父上!いえ、陛下‥そうするとアサンドの大公妃となったアリアドネ姉様は」
「私情は控えよ。いまは国の大事、民達の明日を考えるのだ」
「ーーはい」
それからも会議を重ねては見たものの、名案は浮かばず、時流に流されるままガルナ王国と盟約が結ばれた。
彼の国を後ろ楯に、ついにフィリッツィア王は南西部の山岳地帯で、アサンド帝国と開戦の日を迎えたのである。
この先陣は王太子ヨシュアが指揮を取り、しばらくは膠着状態を維持していた。
しかし、突然の知らせがこの状況を一変させる。
「急襲!急襲!ヨシュア殿下、我が軍の後方より敵兵およそ5千が迫っております」
「後方から!?なぜ敵が回り込むのに気づかなかった!」
「違います、違うのです」
斥候兵は肩で呼吸をしながら、声を張る。
「彼らはアサンドの兵ではなく、旧セラルカ領主の私兵が主とみられます、反乱軍かと!」
「なんてことだ‥各陣散開し、なんとしてでも逃れよ!フリントの辺りまで退却後、立て直して応戦する。ツィツェリーへの早馬を用意し、陛下に伝えよ!」
領地を奪われた元領主の反乱はこれだけではなかった、示し合わせたかの様に、もう一つの火の手が上がる。
「カリストめ‥よもやお前がアサンドに付くとは」
南西部の動きが知らされるよりも早く、王城は旧カリスト領の私兵に取り囲まれていた。
「この時を待っていたのです、分かりますか?先祖代々受け継がれてきた土地を、自身が受け継いだ時の誉を。どれだけ私か領地経営に心を砕いたかを!貴方は我が娘可愛さに、それを簡単に私から奪いとったのですよ。許さない!許されることではない!」
ガランと音を立てて、剣の鞘が床に跳ねる。抜き身の刃がフィリッツィア王の首に当てられた。
「ですから、貴方にはこの国を失って頂きます。ここで一緒に、この国の終わりを眺めましょう、陛下」
玉座から引きずり倒され、拘束を受ける。
「陛下!」
「アルージェ」
ほどなく、全ての捕虜が大広間に集められた。王妃はそこにアイシスの姿がないことに気付き、どうか逃げ果せていて欲しいと祈った。
❇︎ ❇︎ ❇︎ ❇︎ ❇︎
王城が占拠されて数日、フィリッツィアは各地で争いが繰り広げられていた。
国王派の貴族を頼りながらツィツェリーに戻ってきたヨシュアは選択に迫られていた。
父や母は捕らえられ、頼みの綱のガルナ王国からの援軍はまだない。
「まずは、王城の奪還が優先です」
「密偵を向かわせて敵の隙を探りましょう」
国王の奪還に向け、軍事は紛糾している。
誰一人諦めてはいない、自分が選択から逃げてはいけない。生きている限り、進み続けなければならない。
「精鋭数人を選んでくれないか、私が城に乗り込む」
「なりません、殿下!たとえ王が倒れたとて、貴方さえ生きていればまだ‥」
軍師の言葉を掌で遮り、ヨシュアは続けた。
「もう、決めたんだ。どうせここでガルナの援軍を待っていたとしても、敵に場所が知れれば、袋叩きに合うだろう?」
思考を止めてはならない、この国のために命をかけてくれる家臣がいる限り、彼らを守るためにも。
(父ならこんな時どうするか?否、自分が考える最良の手段はなんだ?)
「ーー王族のみに知らされている脱出路がある。それを逆にたどり、城内に入り込んで内側から敵を崩そう」
「ならば、その入り口を教えて頂ければ精鋭のみに向かわせます」
「それが出来ないから私が向かうんだよ、扉を開くには王族の血が必要なんだ」
しばらく軍師は黙り込み、そして観念した様子で静かに次の策を告げた。
「では、残りの者は、外から敵を減らしましょうーー‥」
その夜、ヨシュアは市街地から少し外れた墓地に居た。
百合の紋様が彫られた墓石の前に立ち、手の平にナイフの刃を走らせた。
ポタリと墓石の上に血が滴り、百合の紋様が仄かに発光する。
「解錠」
声を合図に、石の擦れる音が低く続き、地下への道が開かれた。
「さあ、行こう。必ず城を奪還せねば」
湿気に満ちたカビ臭い地下道を直走り、ようやく城側の扉にたどり着く。
乾きかけた掌の傷を、なすりつける様に扉の紋に押し当てた。
「ーーここは?」
共についてきた兵が当たりを見渡す。
彼らはこの場所を知らない。
それもそのはずだ、ここは後宮なのだから。
「ここは母の部屋でね、私も久々に来たよ」
「王妃様の‥なるほど、姿見の裏に通路が隠されていたのですか」
感心した様子で、別の兵が声を上げた。
「そうだね、では、始めようか」
いくつかの場所で制圧を繰り返すうちに、どうやら王太子が城内に潜入していた事が伝わったらしく、次から次へと敵兵が湧いてくる。
その度に狭い部屋や通路へ逃げては戦った。
目の端に、窓の外でも争いが起こっているのが見えた。
おそらく軍師が残りの兵をまとめて城門を突破したのだろう。
(本当に、城が奪還できるかも知れない)
一筋の光明が差し込んだ気がした。
打ち倒した敵兵は、捕虜にされた城の住人達は、大広間に集められているのだと白状した。
おそらく、そこには今までにない数の敵が居る。そして、今までのように狭い場所で、敵の数を活かせないような戦い方をするのは難しい。
(今、行くべきか?外の味方に加勢するべきか?)
劣勢となったカリストが、どんな手に出るか分からない。
「皆、すまない。後ひと働きして欲しい。大広間に急ごう」
死を覚悟して大広間までの長い回廊を進む。
どんどん敵が増えると思っていたが、この回廊に踏み入れてからは誰にも出くわさない。
不気味に静まり返った控えの間、赤絨毯の大広間に続く豪奢な廊下にも鼠一匹見当たらない。
嫌な予感が頭に浮かび、首を振ってそれを払う。
そうしているうちに、遂に大広間の扉の前に至った。
二人の兵士が扉の前からこちらを伺う。
頷きを返すと、2人の兵も頷き、目配せの後に勢い良く扉を開いた。
灯りが灯されない部屋
むせ返る血の臭い
広間の絨毯を染める黒い血溜まりの海
(間に合わなかった‥?)
心臓の音が煩くて、視界が狭まっていく感覚に襲われた。
乱戦の終わりを告げるように、窓辺から朝焼けが差し込んでくる。
屍を積み上げた黒い山の頂に、血染めの少女が立っていた。
白い髪、白い肌、白い夜着にべったりと染み込んだ血がその白を引き立てる。
彼女の手に握られた、なんの装飾もない無骨な剣が、ギラリと朝日を反射したが、彼女の瞳に光は宿らない。
「アイシス‥なのか?」
その少女が妹であると認識するまでには、少し時間を要した。
容姿があまりにも変貌していたからだ。
(どうしたら、父譲りの亜麻色の髪が白髪になるのか?母から譲られたアメジストの瞳が、なぜ薄灰色になるのか?本当に、あれは妹か?)
戸惑いから動けないでいるうちに、兵士達は広間に飛び出していく。
屍の山の奥、玉座に国王の姿を見つけたからだ。
「陛下!ご無事‥で?」
「これは‥」
胸のあたりから服をベッタリと血が汚している。
「弑し奉られている」
国王は死後、何者かによって、大事に玉座に納められたのだ。
隣の席には王妃も同様に、ドレスの皺まできっちりと伸ばされて安置されていた。
「お父様に触らないで!」
驚くほどよく通る声が響き、少女が死体の間から飛んだかと思うと、瞬きの間に一閃が走る。
選りすぐりの精鋭の首が、剣を抜く隙も無く飛んだ。
「アイシス!何をする?!」
現実に引き戻され、反射的に走る。
(なんだこれは!8歳の子供に出来る動きではない)
彼女が持つ剣は、軍人用の量産品に見える。
あんな重たい代物、子供には振り上げることすら困難なはずだ。
(普通ではない、何がどうなってこうなった)
「ひぇっ?!」
アイシスの次の標的が短い悲鳴を上げる。
今の彼女には敵も味方も区別がつかない様子だ。
「アイシス!」
もう一度彼女の名を呼んで、剣身ごと彼女を身体で受け止める。
「アイ‥シス、大丈夫‥大丈夫だから。良い子だね」
そのまま優しく頭を撫でた腕がだらりと垂れる。肺から込み上げる咳とともに、口から血が溢れた。
「殿下!殿下ぁぁっ!」
外を制圧し終え、ようやく広間にたどり着いた軍師の声が木霊する。
アイシスの瞳が揺めき、視界に変わり果てた兄の姿が映った。
「お‥サマ?いやぁ、、、お兄様ぁ!」
手から零れた剣が、がらぁんと音を立てた。
壊れた機械人形が動かなくなるように、以降、アイシスはまったく喋ることも、動くことも出来なくなってしまった。
奇しくも、この日の夕刻、ガルナ王国からの親書にて、援軍の知らせが舞い込むのであった。
❇︎ ❇︎ ❇︎ ❇︎ ❇︎
その後、王と王太子を失ったフィリッツィアの覇権は、王女を保護し大義名分を得たガルナ王国と、多くの領主の信任を得ていたアサンド帝国の間で長く争われた。
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