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第五話
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また数日して、魔法使いの弟子としての生活は開始した。
もっとも、とくべつ変わったことを習いはじめたわけでもない。日々の大半は、ただあたりまえの家事をこなすだけである。
アナベルの仕事は、まず、あらゆるところに埃が降り積もった屋敷を掃除するところから始まった。
彼女はとくべつ綺麗好きではない。しかし、それにしても、館に堆積した汚れには閉口した。とても人が暮らしている建物とは思えない。
いったいどれくらい放置すれば、これほど分厚い塵と埃が床を覆うのだろう。そう、疑問に思えてくるほどに、ルーフレッドが暮らす生活空間は薄汚れていた。
「この様子でどこに暮らしていたのかしらね。カエルは怖いのに、ネズミは平気なのかな」
このようにひとりごとを呟いてしまうのも、昼間でも薄暗い空間が少々怖いからである。
むろん、うららかな陽ざしが差し込む部屋もあるのだが、半分以上の空間はどこかしら暗かった。設計の段階でどこか問題があるのではないかと思えるほど。
その暗い部屋を端から掃除してゆく。まずは桶に水を入れ、床を雑巾拭きだ。
塵と埃が積もった床を拭いて、雑巾を絞ると、何やら黒々とした汁が出て気持ちが悪い。それも一度では綺麗にならない。くりかえし拭く必要がある。
爽快感がなくはないが、やはりなかなか辛い作業ではある。
しかし、アナベルは約束を違えるつもりはなかった。ルーフレッドはだれにも相手にされなかった自分を弟子にしてくれた恩人なのだから。
「よし、やるぞ! がんばれ、わたし!」
自分に云い聞かせつつ、地味な作業を続けていく。
くわしくは知らないが、魔法の修行はもっと辛いに違いない。この程度でめげてはいられない。
とはいえ、すぐに作業を終えられる広さでないこともたしかだった。
ひと月はかからないにしても、十日では終わらないものと考えておかなければならない。地道に続けるより他ない。
他にも、料理や、洗濯、繕い物など、やるべきことはいくつもある。家事とは、いつまでも終わりのない戦いだとあらためて思う。
ルーフレッドは自分にこの作業を割り振っておいて、どうやら遊びに行ったらしい。女遊びである。
〈グリフォンの翼亭〉の客のひとりが云っていたことを思い出す。
女たらしのルーフレッド。
ひとりの年ごろの少女として、かれの女性に対する態度を不快に感じることはたしかだ。
また、先日、云い争ったときの偏見とも差別とも受け止められる発言も、心に、じくじくと痛む小さなとげのように刺さったままである。
まあ、だれか女性に騙されたあとのようだったから、女性全般に対する不満がたまっていたのかもしれないが、それにしても、一方的だと思う。
ひとり、物思いに耽るうち、随分と長い時が過ぎていた。どうにかあるひと部屋の清掃を一応は終えられた。
ほんとうは本の上に載った埃も払った上で、本そのものを乾拭きしたいのだが、本に関しては触れない約束なので、しかたなく放置する。
いずれ、許可を得られたら必ず本も綺麗にしよう。貴重な書籍も混ざっているなら、なおさらこの惨状を放置できない。
と。
かん高く鐘が鳴る音が聴こえた。客人のようだ。
「はい」
なるべく大きく答えて、かけ足で急ぐ。玄関にたどり着いた。ひとりのすらりと背の高い若者が悠然と佇立している。
やわらかな金色の巻き毛と、澄み切った碧眼のもち主で、ほとんど神話めいた健全さを感じさせる美形である。
肩幅が広く、四肢の筋肉が隆々と盛り上がっていて、ひと目見て、相当に躰を鍛え抜いていることがわかった。
しかも、それでいて、身にまとう雰囲気はやわらかく、男性的な威圧感がない。目が優しいのだ。
眩しいような美貌であった。
「どうぞ、いらっしゃいませ」
接客業の癖で、ついそんなふうに対応してしまった。その人物は、ちょっと首をかしげた。
「あなたは?」
「はい、わたしはルーフレッド師匠の弟子で、アナベル・パールです」
「ルーフレッドが、弟子を? そうですか」
不思議そうにアナベルの顔を見つめて来る。何かに気づいたようで、かるく一礼した。
「失礼。自分から名のるべきでしたね。わたしはルーフレッドの友人で、王立騎士団の筆頭騎士バーナード・ウォルタムと申します。よろしくお願いします」
これが、アナベルと若き騎士バーナードとの出逢いであった。
もっとも、とくべつ変わったことを習いはじめたわけでもない。日々の大半は、ただあたりまえの家事をこなすだけである。
アナベルの仕事は、まず、あらゆるところに埃が降り積もった屋敷を掃除するところから始まった。
彼女はとくべつ綺麗好きではない。しかし、それにしても、館に堆積した汚れには閉口した。とても人が暮らしている建物とは思えない。
いったいどれくらい放置すれば、これほど分厚い塵と埃が床を覆うのだろう。そう、疑問に思えてくるほどに、ルーフレッドが暮らす生活空間は薄汚れていた。
「この様子でどこに暮らしていたのかしらね。カエルは怖いのに、ネズミは平気なのかな」
このようにひとりごとを呟いてしまうのも、昼間でも薄暗い空間が少々怖いからである。
むろん、うららかな陽ざしが差し込む部屋もあるのだが、半分以上の空間はどこかしら暗かった。設計の段階でどこか問題があるのではないかと思えるほど。
その暗い部屋を端から掃除してゆく。まずは桶に水を入れ、床を雑巾拭きだ。
塵と埃が積もった床を拭いて、雑巾を絞ると、何やら黒々とした汁が出て気持ちが悪い。それも一度では綺麗にならない。くりかえし拭く必要がある。
爽快感がなくはないが、やはりなかなか辛い作業ではある。
しかし、アナベルは約束を違えるつもりはなかった。ルーフレッドはだれにも相手にされなかった自分を弟子にしてくれた恩人なのだから。
「よし、やるぞ! がんばれ、わたし!」
自分に云い聞かせつつ、地味な作業を続けていく。
くわしくは知らないが、魔法の修行はもっと辛いに違いない。この程度でめげてはいられない。
とはいえ、すぐに作業を終えられる広さでないこともたしかだった。
ひと月はかからないにしても、十日では終わらないものと考えておかなければならない。地道に続けるより他ない。
他にも、料理や、洗濯、繕い物など、やるべきことはいくつもある。家事とは、いつまでも終わりのない戦いだとあらためて思う。
ルーフレッドは自分にこの作業を割り振っておいて、どうやら遊びに行ったらしい。女遊びである。
〈グリフォンの翼亭〉の客のひとりが云っていたことを思い出す。
女たらしのルーフレッド。
ひとりの年ごろの少女として、かれの女性に対する態度を不快に感じることはたしかだ。
また、先日、云い争ったときの偏見とも差別とも受け止められる発言も、心に、じくじくと痛む小さなとげのように刺さったままである。
まあ、だれか女性に騙されたあとのようだったから、女性全般に対する不満がたまっていたのかもしれないが、それにしても、一方的だと思う。
ひとり、物思いに耽るうち、随分と長い時が過ぎていた。どうにかあるひと部屋の清掃を一応は終えられた。
ほんとうは本の上に載った埃も払った上で、本そのものを乾拭きしたいのだが、本に関しては触れない約束なので、しかたなく放置する。
いずれ、許可を得られたら必ず本も綺麗にしよう。貴重な書籍も混ざっているなら、なおさらこの惨状を放置できない。
と。
かん高く鐘が鳴る音が聴こえた。客人のようだ。
「はい」
なるべく大きく答えて、かけ足で急ぐ。玄関にたどり着いた。ひとりのすらりと背の高い若者が悠然と佇立している。
やわらかな金色の巻き毛と、澄み切った碧眼のもち主で、ほとんど神話めいた健全さを感じさせる美形である。
肩幅が広く、四肢の筋肉が隆々と盛り上がっていて、ひと目見て、相当に躰を鍛え抜いていることがわかった。
しかも、それでいて、身にまとう雰囲気はやわらかく、男性的な威圧感がない。目が優しいのだ。
眩しいような美貌であった。
「どうぞ、いらっしゃいませ」
接客業の癖で、ついそんなふうに対応してしまった。その人物は、ちょっと首をかしげた。
「あなたは?」
「はい、わたしはルーフレッド師匠の弟子で、アナベル・パールです」
「ルーフレッドが、弟子を? そうですか」
不思議そうにアナベルの顔を見つめて来る。何かに気づいたようで、かるく一礼した。
「失礼。自分から名のるべきでしたね。わたしはルーフレッドの友人で、王立騎士団の筆頭騎士バーナード・ウォルタムと申します。よろしくお願いします」
これが、アナベルと若き騎士バーナードとの出逢いであった。
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