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第一話
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「きみのためを思って云っているんだ、クレオーラ」
と、ドノヴァン王子は云いました。
広大な王宮の最奥、かれにあたえられた私室です。わたしとかれ以外に人はいません。
わたしは先ほど話があると呼び出され、いま、かれから一方的に説得されているところなのです。
これはきみのためだ。
このセリフは王子のちょっとした口癖で、このときも、お決まりのようにそこから話を開始したのでした。
「なあ、クレオーラ、云いたくはないが、きみはものすごい美人というわけじゃない。特別な能力も持っていない。ごくあたりまえの凡人だ。自慢できるところと云えば、その気の強さくらいのものじゃないか? そんなきみがこの上、聖少女のマリカをいじめていたなんて噂が立ってみろ、宮廷できみの味方をする者はだれもいなくなるぞ。だから、わたしはあくまできみのためを思って、断腸の思いで云うんだ。わたしの婚約者としての地位はあきらめろ。そして、宮廷を出て行け。そのほうがずっと幸せになれる。このわたしが保証しよう」
わたしは何を云われているのかよくわかりませんでした。宮廷を出て行け? そのほうが幸せになれる? それもこれもすべてきみのため? まったくわけがわかりません。
伯爵令嬢にして王子に選ばれた婚約者であるわたしが、異世界からやって来て、その神秘的な異能から〈聖少女〉と呼ばれているマリカ嬢に嫉妬し、彼女をいじめているという風説が流れていることは知っています。
しかし、ドノヴァン殿下ならそのくらいの噂は打ち消すことができるのではないでしょうか?
何しろ、事実がまったく存在しないのですから、きっちり真実を伝えていけばそのような話はいつか消えてなくなるはずです。
仮にいくらかわたしを疑う者が残ったとしても、そのくらいのことは甘受しましょう。だって、わたしは何も悪くないのです。それなのに、なぜ、わたしのほうが宮廷を出て行かなければならないのでしょう。
それもどうして、そのことを婚約者である王子から説得されなければならないのでしょうか。ええ、まるで納得がいきません。
「その顔を見ると、まだ理解していないようだな。すべてきみのためなのに」
王子はやれやれなどと云いながら大袈裟にため息を吐きます。
「いいか、ほんとうはもうすでに宮廷にきみの味方はいないんだ。なぜなら、だれもがマリカに魅了され、彼女の能力に期待しているのだからね。マリカは不思議な〈癒やし〉の力を持っている。これを錬金術師たちがうまく使えば、神秘の霊薬と云われるあの〈エリクサー〉の製作への道が拓けるとも云われているんだ。そんなものすごい力量を持った人間に逆らって、勝ち目があると思うかい? わたしは国のため、マリカと結婚するつもりだ。たしかにいまの婚約者であるきみにとっては災難だが、どうかそこは大人になって受け入れてくれないか。もともとはきみに責任があることなんだ。きみが自分から婚約破棄を申し出ていたらわたしから云われずに済んだんだからね。少しは責任を感じて、おとなしく去りたまえ」
わたしは、うな垂れるように視線を伏せ、王子の目を避けました。その双眸に映ったあまりにも醜悪な感情を見たくないと思ったからです。
あるいは、それを醜悪と見ることはわたし自身の歪みや愚かさを示しているのかもしれません。
でも、とにかく秀麗な美貌の王子の、しかしあまりに醜い感情の発露を目にしたくなかった。わたしのことを好きだと、そう云ってくれたこともある人なのですから。
わたしはその姿勢のまま問います。
「ひとつだけ教えてください」
「何だ?」
「殿下は、マリカさまがお好きなのですか?」
王子は顔を覆うようにそこに右手をあて、いらいらと足を踏み鳴らしました。
「いや、そういう小さな問題じゃないんだよ! こんなに懇切丁寧に説明してやっているのにまだわからないのか。ほんとうに愚かな女だな。良いか。何度も云うが、すべてはきみ自身のためなんだ。わたしは婚約者として、いや、元婚約者としてきみのことを心から思って忠告してあげているんだよ。いますぐこの宮廷を出て行け。そして、戻って来るな。それがきみにとって最高の選択肢だ。いつかはわたしの言葉に感謝する日が来ることだろう。そのとき、わたしがどんなに親切だったか思い出すんだな」
「――わかりました」
わたしはかってに潤んでくる目をこすり、涙をこらえながらうなずきました。
こんな裏切り者のために、ひと粒だって涙を流してやる意味はない。そう思ったのです。
王子の理屈は何と身勝手で自己中心的なのでしょう。すべてはわたしのためを思ってのことだと云いますが、ほんとうにそうでしょうか? 王子自身の利益のために過ぎないのでは?
しかも、王子はその欺瞞に気づこうとすらしないのです。
いままで、どうにかこの人とうまくやっていけるのではないかと思っていましたが、どうやらそれは間違いだったようです。
出て行けと云うのなら、出て行きましょう。わたしも、これ以上こんなところにいたくはない。どこへ行くことになるとしても、その場所のほうがよほどマシです。
わたしはこの日、決意しました。
どのようなことになるとしても、二度とこの王宮へ戻って来ることはない。たとえ泥を啜り草を食むことになるとしても、この屈辱を忘れて呑気にここで暮らすことはしない、と。
たしかにわたしはただの凡人です。しかし、その凡人にも凡人なりの矜持がある。それを踏みにじる者を赦しはしない。心の底から、熱く、そう思ったのでした。
と、ドノヴァン王子は云いました。
広大な王宮の最奥、かれにあたえられた私室です。わたしとかれ以外に人はいません。
わたしは先ほど話があると呼び出され、いま、かれから一方的に説得されているところなのです。
これはきみのためだ。
このセリフは王子のちょっとした口癖で、このときも、お決まりのようにそこから話を開始したのでした。
「なあ、クレオーラ、云いたくはないが、きみはものすごい美人というわけじゃない。特別な能力も持っていない。ごくあたりまえの凡人だ。自慢できるところと云えば、その気の強さくらいのものじゃないか? そんなきみがこの上、聖少女のマリカをいじめていたなんて噂が立ってみろ、宮廷できみの味方をする者はだれもいなくなるぞ。だから、わたしはあくまできみのためを思って、断腸の思いで云うんだ。わたしの婚約者としての地位はあきらめろ。そして、宮廷を出て行け。そのほうがずっと幸せになれる。このわたしが保証しよう」
わたしは何を云われているのかよくわかりませんでした。宮廷を出て行け? そのほうが幸せになれる? それもこれもすべてきみのため? まったくわけがわかりません。
伯爵令嬢にして王子に選ばれた婚約者であるわたしが、異世界からやって来て、その神秘的な異能から〈聖少女〉と呼ばれているマリカ嬢に嫉妬し、彼女をいじめているという風説が流れていることは知っています。
しかし、ドノヴァン殿下ならそのくらいの噂は打ち消すことができるのではないでしょうか?
何しろ、事実がまったく存在しないのですから、きっちり真実を伝えていけばそのような話はいつか消えてなくなるはずです。
仮にいくらかわたしを疑う者が残ったとしても、そのくらいのことは甘受しましょう。だって、わたしは何も悪くないのです。それなのに、なぜ、わたしのほうが宮廷を出て行かなければならないのでしょう。
それもどうして、そのことを婚約者である王子から説得されなければならないのでしょうか。ええ、まるで納得がいきません。
「その顔を見ると、まだ理解していないようだな。すべてきみのためなのに」
王子はやれやれなどと云いながら大袈裟にため息を吐きます。
「いいか、ほんとうはもうすでに宮廷にきみの味方はいないんだ。なぜなら、だれもがマリカに魅了され、彼女の能力に期待しているのだからね。マリカは不思議な〈癒やし〉の力を持っている。これを錬金術師たちがうまく使えば、神秘の霊薬と云われるあの〈エリクサー〉の製作への道が拓けるとも云われているんだ。そんなものすごい力量を持った人間に逆らって、勝ち目があると思うかい? わたしは国のため、マリカと結婚するつもりだ。たしかにいまの婚約者であるきみにとっては災難だが、どうかそこは大人になって受け入れてくれないか。もともとはきみに責任があることなんだ。きみが自分から婚約破棄を申し出ていたらわたしから云われずに済んだんだからね。少しは責任を感じて、おとなしく去りたまえ」
わたしは、うな垂れるように視線を伏せ、王子の目を避けました。その双眸に映ったあまりにも醜悪な感情を見たくないと思ったからです。
あるいは、それを醜悪と見ることはわたし自身の歪みや愚かさを示しているのかもしれません。
でも、とにかく秀麗な美貌の王子の、しかしあまりに醜い感情の発露を目にしたくなかった。わたしのことを好きだと、そう云ってくれたこともある人なのですから。
わたしはその姿勢のまま問います。
「ひとつだけ教えてください」
「何だ?」
「殿下は、マリカさまがお好きなのですか?」
王子は顔を覆うようにそこに右手をあて、いらいらと足を踏み鳴らしました。
「いや、そういう小さな問題じゃないんだよ! こんなに懇切丁寧に説明してやっているのにまだわからないのか。ほんとうに愚かな女だな。良いか。何度も云うが、すべてはきみ自身のためなんだ。わたしは婚約者として、いや、元婚約者としてきみのことを心から思って忠告してあげているんだよ。いますぐこの宮廷を出て行け。そして、戻って来るな。それがきみにとって最高の選択肢だ。いつかはわたしの言葉に感謝する日が来ることだろう。そのとき、わたしがどんなに親切だったか思い出すんだな」
「――わかりました」
わたしはかってに潤んでくる目をこすり、涙をこらえながらうなずきました。
こんな裏切り者のために、ひと粒だって涙を流してやる意味はない。そう思ったのです。
王子の理屈は何と身勝手で自己中心的なのでしょう。すべてはわたしのためを思ってのことだと云いますが、ほんとうにそうでしょうか? 王子自身の利益のために過ぎないのでは?
しかも、王子はその欺瞞に気づこうとすらしないのです。
いままで、どうにかこの人とうまくやっていけるのではないかと思っていましたが、どうやらそれは間違いだったようです。
出て行けと云うのなら、出て行きましょう。わたしも、これ以上こんなところにいたくはない。どこへ行くことになるとしても、その場所のほうがよほどマシです。
わたしはこの日、決意しました。
どのようなことになるとしても、二度とこの王宮へ戻って来ることはない。たとえ泥を啜り草を食むことになるとしても、この屈辱を忘れて呑気にここで暮らすことはしない、と。
たしかにわたしはただの凡人です。しかし、その凡人にも凡人なりの矜持がある。それを踏みにじる者を赦しはしない。心の底から、熱く、そう思ったのでした。
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