ドルススタッドの鐘を鳴らして

ぜじあお

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2章 無垢な黒

神秘とエンバーと 【ガヨ】

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 扉がノックされた。トニーが立ち上がって扉を開けると、そこにはガヨがいた。奥にはエンバーが見える。
「入っていいか」
 ガヨの小さな声にトニーは頷いた。扉の前で立ち止まったエンバーをトニーが案内しようと手を取ると、エンバーが即座に手繰り寄せ、その腕にトニーを収めた。宝物を見つけた子供のような直截的な動きだ。エンバーの胸に埋まるトニーの表情は、珍しく困惑の色を隠さない。ジブやエイラスが同じようなことをすれば、表面上は感情を抑制し、迷惑そうに眉を顰めただろうに。トニーがここまで素直に心情を顔に出すのをガヨは驚きを持って見つめていた。が、腕の隙間からガヨに向かって控えめに伸びたトニーの手を見て、ガヨは口を開いた。
「エンバー、離してやれ。トニーが……お前の腕の中にいる男が困ってる」
 エンバーは包帯だらけの顔をガヨに向けた。強烈な執着心を見せるエンバーは意外にもエンバーは素直にトニーから体を離した。

「座ってくれ」
 解放されたトニーは一息ついてから、エンバーの手を取り椅子の背と机を触らせる。エンバーはこれまた素直に椅子に座った。盲目の患者の介助もしたことがあるのだろうか、ガヨから見て段取りが良く慣れている風だった。
「包帯を……」
 トニーが言葉をかけながら手を伸ばしたが、それが触れる前にエンバーは自身の手で包帯を引きちぎった。

 ぶちりという音とともに現れた彼の目はーー皮膚が爛れて波打ち、まつ毛もなく、まぶたは落書きのようなガタガタのラインで固着していた。へこんだ皮膚は眼球自体がない事を示している。

「……っ」
 さすがのガヨも息を飲んだ。目を抉った上で焼き付けられている。この傷跡は人為的なものーーしかも、過去の騎士団が行っていた拷問の手法だ。人道的ではないと廃止された過去があるとは聞いていたが、ガヨも見る機会はいままでなかった。だがそれよりもーー痛々しい傷が治療魔法で治せる範疇ではないことは、魔法の心得がないガヨにも理解できた。
 ガヨは横目でトニーの様子を見る。彼はいつもと変わらず、感情を抑え込んだ表情でエンバーを見下ろしている。

「触ります」
 トニーの声からは、その内面は読み取れない。
 静かに伸びた手はエンバーの長い前髪を割って、傷ついた目を優しく覆った。その行為自体は何でもなかった。音もなく、治療魔法のように患部や施術者の瞳が光ることもない。ただただトニーが触れているだけだ。
 ほんの数秒経ってトニーがそっと手を離す。
 切れ長のはっきりとしたラインに長いまつ毛がびっしりと生え、窪んで大きな影が落ちていた部分に膨らみが甦っている。長い前髪の下でゆっくり開いたその瞳はーー黄金色だった。

「これが、神秘……」
 ーー『神秘は人智を越えた神の力である』。
 国教である神秘の女神教の教えの一説。それをガヨは思い出した。実際に目の当たりにすると、神秘は神の力というのが真実だと言わざるを得ない。

 ふっと。立ち尽くすガヨの視界の端でトニーの体がぐらついた。大きく前に足を踏み込んで倒れることはなかったが、今度は力が抜けたように膝から崩れていく。
「トニー!」
 ガヨが伸ばした手は空を握った。椅子を倒した大きな音がしたかと思うと、すでにエンバーがトニーを抱きかかえていた。
「う、あ……」
 ほとんど意識のないトニーは熱に浮かされたように呻いた。だらりと出た鼻血はとめどなく流れ、顔色が暗くくすんでいく。
「エンバー、トニーをベッドに……」
 ーー運んでやれ。続く言葉が発されることはなかった。エンバーの肉厚な舌が鼻血を舐めとるのを見たからだ。彼の大きな喉ぼとけが上下に動く。硬直するガヨには目もくれず、今度は唇を緩く開いて顔を近づけていく。意識の欠けたトニーの口の端から零れそうになっている唾液を、黄金色の瞳が見ている。
 しかしエンバーの唇もまた目的の柔らかさに行き着くことはなかった。
 当たったのは、冷たく鋭く磨かれた剣身。ガヨが糸を通すような狭い隙間を縫って、自身の剣を通していた。刃を辿ってこちらを見たエンバーの瞳は黄金に煌めいているが、そこには何の思考も感じられない。異常な行動であるのに、エンバーには欲も意思も、自らの考えさえない虚無が広がっているように思えてくる。
 ガヨの首筋はぞわり粟立ったが、表には出さずに一歩前へと進んだ。
「エンバー、トニー引き渡せ」
 抵抗されるかと思ったがエンバーは頷くと、むしろガヨが抱き寄せやすいように腕を退ける。ガヨは牽制したまま片腕でトニーを受け取った。
「座れ」
 さらにガヨが命令すると、エンバーはその通りに従う。

 言われた通りに動くだけの人形のようだ。剣を仕舞いながらガヨは思った。
 彼の行動原理はそれ以外にないのかもしれない。魔獣を討伐しろと言われれば討伐し、トニーを渡せと言われれば渡す。であれば——トニーの血を舐めたり唾液を啜ろうとしたのは、”神秘”の体液を摂取しろと言われていたからーー?

 考え込んでいると、ガヨは胸元が温かく湿ってきていることに気づいた。
 止まらないトニーの鼻血が口の端を伝って顎から滴り、ガヨの制服を汚している。
 エンバーに”敵意”はない。そもそもの意思がない状態だ。それならばと、ガヨはエンバーに向かって言った。
「普通は他人の血を舐めたりしない。わかったな。体調が悪い奴は、寝かせておくもんだ」
 エンバーは黒い髪を垂らして子供のように頷いた。やはり命令や指示を忠実に守るように言いつけられたとしか思えない。だが、今はエンバーの生い立ちに思いを馳せる余裕はない。

 治療魔法の使い手で、トニーが神秘持ちだと知っている人物。彼に頼るしかない。
「カタファを呼ばなければ」
 ガヨの独りごつと、エンバーが反応して踵を返し、扉に向かっていく。
「待て。お前はカタファを知らないだろう」
 エンバーは振り返った。
「……頭に飾りのついた男。軽い足音。二階の東側、階段から三番目の部屋」
 目を丸くしたガヨを置いて、エンバーは去っていった。
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