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2 10月25日
推しぬいツバくん
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放課後のチャイムが鳴る。
教室の中にはあたししかいない。秋の日差しはゆっくり落ちていき、校庭に校舎の影を長く伸ばしていた。窓から眺める景色にはとっくに慣れてしまったけれど、同じ画角の中に彼のことを発見してしまうと、一気に世界は広がっていく。
煌々と輝く夕陽を背に走る椿くんの姿に、釘付けになる。窓から3歩下がった位置から見える彼の姿は、決して大きくはない。それでも、視界の片隅に映り込むあの爽快に走りゆくフォームは、あたしの胸を熱くする。
「今日も眼福です」
ほぅっと、ため息を吐き出すように小さくつぶやいた。
しばらくそうして立ち尽くしていると、陽が山に隠れて校庭を全部影にした。同時に、教室も一気に暗くなった。
「帰ろう」
これはもう毎日の日課になっている。
あの日、運命的な出逢いをしてから、あたしは椿くんを推すことに決めた。
だけど、決してバレてはいけない。
だって椿くんは、大の人気者だから。
昇降口でスニーカーに履き替えていると、女の子たちの高いはしゃいだ声が聞こえてきた。
「椿くん今日もめちゃくちゃかっこよかったぁ!」
「手振ったら笑ってくれたのかわいかったぁ」
「それあたしにだよ?」
「無理、あたしにだってば」
笑い声と楽しそうに走っていく足音が、遠くなっていく。
陽光高校、1年C組の皐月椿くんは、入学当初から見た目のかっこよさと真面目で優しい人当たりのよさで人気者だ。
同級生に限らず、先輩からも同じようにモテている。同じ学年、同じクラスというだけでも奇跡なのに、あたしはあんな風に気持ちを声には決して出さない。いや、ああやって話せる度胸も友達もいないから、出せないだけなのだけど。
だから、あたしは密かに椿くんを推している。
校門まで歩く途中、まっすぐ前を見ているふりをしながら、視界の片隅で椿くんのことを捉える。あたしの日々の癒し。
そして、今日は25日。あたしにとっては特別な日。
家に帰る道から外れて、駅前に向かう。椿くんと出逢った公園の前を通って、美容室まりあを横切り、「太陽堂」に入る。
昔ながらの手芸屋さん。母も糸やボタンを買いにたまにくるから、何度も入ったことがある。いつもはスーパーの手芸コーナーで特売を狙って生地を買いに行くんだけど、今日はいい生地が欲しいから。
少しお小遣いは減るけど推しのためならどうってことはない。
「あら、ニコちゃん。いらっしゃい」
「こ、こんにちは」
太陽堂のヨリコさん。通称ヨリちゃん。母がそう呼んでいるから、あたしも同じように呼ばせてもらっている。
しかし、顔馴染みではあるんだけど、月に一度会うか会わないか程度の知り合いだから、毎回緊張してしまう。お店の中が静かすぎるのも相まって、あたしの声が響いてしまう気がするから余計に。
「今日はどんなのをお探しかしら?」
「えっと、あの、ハロウィンが近いので……それっぽい生地を」
「あら、いいわねぇ。どんな雰囲気で考えてる? 吸血鬼? 狼男?」
「ヴァ、ヴァンパイアです!」
「バー……ああ、吸血鬼の方ね。オッケー、オッケー」
すぐに、あたしが必要としているものを分かってくれるのは、助かる。ヨリちゃんは丸めた腰を一度伸ばして両手でオッケーサインを作ると、姿勢を正してから店の奥へ消えて行った。
思わず自分がイメージしていた「ヴァンパイア」と言葉にしてしまったけれど、考えてみれば吸血鬼もヴァンパイアも一緒だ。ヨリちゃんの選択肢にあったのに、ちゃんと吸血鬼と答えればよかったと、反省してしまう。
そっとスマホを取り出して、写真のホルダーの中から1枚を画面に表示した。
手作りのオリジナル椿くんぬいぐるみ、ツバくん。裁縫が得意な母の真似をしているうちに、あたしも上手に作れるようになった。今月はハロウィンだから、ヴァンパイアの衣装を作って着せたいと思って、生地を買いに来たんだ。
「あったわよ、吸血鬼っぽいやつ」
ヨリちゃんは6月の25日から、毎月25日にあたしがここへ来ているから、すっかり顔を覚えてくれている。おまけに、いつも孫みたいに優しく対応してくれる。あたしが来るのを「楽しみ」だとも言ってくれているからつい、嬉しくて通ってしまうのだ。
ツバくんを一から太陽堂の材料で作って、着せ替えをしていることも、唯一母以外で知っている人物だ。
「今流行っているみたいよねぇ、推しぬいってやつ? おばさん調べたのよ。ふふ」
初めは、推し? ぬいぐるみなの? なにそれ? と、あたしのおばあちゃんと同じくらいの歳のヨリちゃんには言葉が通じなくて首を傾げていたけれど、最近は色々調べてくれて、あたしの趣味を受け入れてくれている。そして、毎回必要としているものまで分かってくれるから驚きだ。さすが手芸のプロ。と、あたしは尊敬している。
「でも、ツバくんってアイドルの子はどこ検索しても出てこないのよね。どこのグループ? それとも俳優さん?」
「え!?」
まさか、椿くんのことまで調べているなんて思わないから驚いた。
「い、いえ、あ、の、ツバくんは人気者だけどアイドルとかじゃなくって」
同じクラスの男の子です。なんて言えるはずもなくて、恥ずかしさに顔に熱が上がる。
「あらあら、ごめんなさいね。おばさんつい、ニコちゃんの好きなことに干渉しすぎちゃったわ。ツバくんのこと好きな気持ち、大切にしてね」
「……はい」
あんまり突っ込んで聞かれなくてホッとする。
ヴァンパイア用に黒いサテン生地とかぼちゃ柄の布を購入した。
「ありがとう。またおいでね」
「はい、ありがとうございます」
胸元に紙袋を抱えて、あたしはお辞儀した。
教室の中にはあたししかいない。秋の日差しはゆっくり落ちていき、校庭に校舎の影を長く伸ばしていた。窓から眺める景色にはとっくに慣れてしまったけれど、同じ画角の中に彼のことを発見してしまうと、一気に世界は広がっていく。
煌々と輝く夕陽を背に走る椿くんの姿に、釘付けになる。窓から3歩下がった位置から見える彼の姿は、決して大きくはない。それでも、視界の片隅に映り込むあの爽快に走りゆくフォームは、あたしの胸を熱くする。
「今日も眼福です」
ほぅっと、ため息を吐き出すように小さくつぶやいた。
しばらくそうして立ち尽くしていると、陽が山に隠れて校庭を全部影にした。同時に、教室も一気に暗くなった。
「帰ろう」
これはもう毎日の日課になっている。
あの日、運命的な出逢いをしてから、あたしは椿くんを推すことに決めた。
だけど、決してバレてはいけない。
だって椿くんは、大の人気者だから。
昇降口でスニーカーに履き替えていると、女の子たちの高いはしゃいだ声が聞こえてきた。
「椿くん今日もめちゃくちゃかっこよかったぁ!」
「手振ったら笑ってくれたのかわいかったぁ」
「それあたしにだよ?」
「無理、あたしにだってば」
笑い声と楽しそうに走っていく足音が、遠くなっていく。
陽光高校、1年C組の皐月椿くんは、入学当初から見た目のかっこよさと真面目で優しい人当たりのよさで人気者だ。
同級生に限らず、先輩からも同じようにモテている。同じ学年、同じクラスというだけでも奇跡なのに、あたしはあんな風に気持ちを声には決して出さない。いや、ああやって話せる度胸も友達もいないから、出せないだけなのだけど。
だから、あたしは密かに椿くんを推している。
校門まで歩く途中、まっすぐ前を見ているふりをしながら、視界の片隅で椿くんのことを捉える。あたしの日々の癒し。
そして、今日は25日。あたしにとっては特別な日。
家に帰る道から外れて、駅前に向かう。椿くんと出逢った公園の前を通って、美容室まりあを横切り、「太陽堂」に入る。
昔ながらの手芸屋さん。母も糸やボタンを買いにたまにくるから、何度も入ったことがある。いつもはスーパーの手芸コーナーで特売を狙って生地を買いに行くんだけど、今日はいい生地が欲しいから。
少しお小遣いは減るけど推しのためならどうってことはない。
「あら、ニコちゃん。いらっしゃい」
「こ、こんにちは」
太陽堂のヨリコさん。通称ヨリちゃん。母がそう呼んでいるから、あたしも同じように呼ばせてもらっている。
しかし、顔馴染みではあるんだけど、月に一度会うか会わないか程度の知り合いだから、毎回緊張してしまう。お店の中が静かすぎるのも相まって、あたしの声が響いてしまう気がするから余計に。
「今日はどんなのをお探しかしら?」
「えっと、あの、ハロウィンが近いので……それっぽい生地を」
「あら、いいわねぇ。どんな雰囲気で考えてる? 吸血鬼? 狼男?」
「ヴァ、ヴァンパイアです!」
「バー……ああ、吸血鬼の方ね。オッケー、オッケー」
すぐに、あたしが必要としているものを分かってくれるのは、助かる。ヨリちゃんは丸めた腰を一度伸ばして両手でオッケーサインを作ると、姿勢を正してから店の奥へ消えて行った。
思わず自分がイメージしていた「ヴァンパイア」と言葉にしてしまったけれど、考えてみれば吸血鬼もヴァンパイアも一緒だ。ヨリちゃんの選択肢にあったのに、ちゃんと吸血鬼と答えればよかったと、反省してしまう。
そっとスマホを取り出して、写真のホルダーの中から1枚を画面に表示した。
手作りのオリジナル椿くんぬいぐるみ、ツバくん。裁縫が得意な母の真似をしているうちに、あたしも上手に作れるようになった。今月はハロウィンだから、ヴァンパイアの衣装を作って着せたいと思って、生地を買いに来たんだ。
「あったわよ、吸血鬼っぽいやつ」
ヨリちゃんは6月の25日から、毎月25日にあたしがここへ来ているから、すっかり顔を覚えてくれている。おまけに、いつも孫みたいに優しく対応してくれる。あたしが来るのを「楽しみ」だとも言ってくれているからつい、嬉しくて通ってしまうのだ。
ツバくんを一から太陽堂の材料で作って、着せ替えをしていることも、唯一母以外で知っている人物だ。
「今流行っているみたいよねぇ、推しぬいってやつ? おばさん調べたのよ。ふふ」
初めは、推し? ぬいぐるみなの? なにそれ? と、あたしのおばあちゃんと同じくらいの歳のヨリちゃんには言葉が通じなくて首を傾げていたけれど、最近は色々調べてくれて、あたしの趣味を受け入れてくれている。そして、毎回必要としているものまで分かってくれるから驚きだ。さすが手芸のプロ。と、あたしは尊敬している。
「でも、ツバくんってアイドルの子はどこ検索しても出てこないのよね。どこのグループ? それとも俳優さん?」
「え!?」
まさか、椿くんのことまで調べているなんて思わないから驚いた。
「い、いえ、あ、の、ツバくんは人気者だけどアイドルとかじゃなくって」
同じクラスの男の子です。なんて言えるはずもなくて、恥ずかしさに顔に熱が上がる。
「あらあら、ごめんなさいね。おばさんつい、ニコちゃんの好きなことに干渉しすぎちゃったわ。ツバくんのこと好きな気持ち、大切にしてね」
「……はい」
あんまり突っ込んで聞かれなくてホッとする。
ヴァンパイア用に黒いサテン生地とかぼちゃ柄の布を購入した。
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「はい、ありがとうございます」
胸元に紙袋を抱えて、あたしはお辞儀した。
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