枕元に備忘録を

桧山トキ

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夕暮れの肝試し(ホラー)

1夜

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1夜 夕暮れの肝試し



 廃校になった建物に、幽霊が出るらしい。

 街中に溶け込む、コンクリート製の古い校舎。どこにでもある普通の学校にも見えるが、どういう訳か、見ているだけで緊張する。
 あいつに連れられてやってきたんだが、正直この手の話は苦手だ。それでもあいつが必死に頼み込むもんだから、断りきれずにのこのことついてきた訳だ。

 乾いた校庭を横切り、開けっ放しの玄関から中に入る。時刻は夕方で、窓からはオレンジ色の光が容赦なく降り注いでいる。肝試しといったら普通夜中だろうが、とは思ったが、授業の帰り道に突然決まったことだから仕方ない。

 廊下は埃が溜まり、蜘蛛の巣が至るところにある。教室を手当たり次第に捜索していき、二階に差しかかる。ここまでは何も起きなかった。やっぱり噂はただの噂だったか、と薄々感じていた。
 二階も同じように捜索しようと、目の前の教室のドアを開けた。そこもやはり、ただの教室。奥の掃除用具ロッカーが開いていて

『きみたち、そこで何してるの?』

 耳元で突然囁かれ、一気に恐怖が走る。振り向くと、金髪の少年がいた。熱中症になりそうなくらい暑いはずだが、黒い学ラン姿だ。年は同じか、それとも一学年上か。
 真っ黒な瞳で物珍しそうに見てくるが、こいつは、人間じゃない。無意識にそう思ったんだ。

『ふぅん、気付かれちゃったか』

 人懐こそうな笑みは凶悪なものに変わる。もう遅い。ここにいると殺される。今すぐ逃げても、きっと、殺される。

『ぼくと、ゲームしない?』

『それ』は、ロッカーのドアを手で弄ぶ。

『無事に帰りたければ、ぼくの真似をするの。とっても簡単だよ?』
「ま、間違えたら、どうなる?」

 あいつが問う。だが、『それ』はにんまりと笑うだけ。生きてここを出るには、おとなしく従った方がよさそうだ。

『じゃあ始めるよー』

『それ』はロッカーのドアを閉じて、開けて、中に入ってドアを閉じた。十秒程経った後、ロッカーのドアはゆっくりと、自動的に開く。『それ』の姿はない。
 あいつと顔を見合せた。逃げようと思えば逃げられるが、行動する勇気はない。あいつは一歩踏み出すと、『それ』の真似をしてロッカーに入った。十秒後、またドアが開く。中は空っぽだった。

 体が震え出す。怖くて仕方なかったが、頑張って『それ』と全く同じ動作をして、中に入った。
 ドアを閉めて、真っ暗になる。何も起きない。十秒経って恐る恐るドアを開けると、『それ』とあいつがいた。さっきまでいた教室とは別の部屋だ。

『それ』はくすくす笑いながら、部屋の隅にあった別のロッカーまで近寄る。そして今度は二回開閉し、中に入ってドアを閉めた。
 あいつも自分も、順番に真似してロッカーに入る。また、別の部屋に繋がっていた。こちらの姿を確認すると、『それ』は満足げに笑って、次のロッカーに手をかけた。

 いつまで続くんだろう。そう思った矢先、壁がピシッと音を立てた。斜め前に立つあいつは肩を震わせ、目線を一瞬壁際に向けた。その間『それ』は右手を挙げる動作を入れ、更に二回ドアを開閉して中に入った。
 あいつ、右手を挙げる動きは見えていたのか? 急に不安になって声をかけようとすると、あいつは急いでドアを二回開閉し、ロッカーに入ってしまった。

 全身から冷や汗が噴き出した。手を震わせながら右手を挙げ、更に二回開閉しロッカーに入る。すぐにドアを開けるとまた別の部屋に飛び、『それ』は声を上げて笑っていた。あいつは、いない。
 恐怖と怒りで体が硬直した。だが『それ』は気にする様子もなく急かしてくる。

『まだまだ。終わってないよ?』

『それ』は目の前の蛇口をひねり、水を一秒流して止める。続いて右隣の蛇口をひねり、水を二秒流した後に止め、さっきの蛇口に戻って水を一秒流した。『それ』は蛇口をひねりながら、楽しそうに顔を覗き込んできた。
 あいつが突然消えて、訳が分からない。それでも、恐怖に突き動かされるように『それ』の真似をするしかなかった。

『それ』は動きを見届けると、部屋の隅に置かれたロッカーまで歩いていき、何の動作もなく中に入った。
 誰もいない部屋をふらふらと横切り、ロッカーに入ってドアを閉める。再び開けると、更衣室だろうか、狭い場所に繋がっていた。窓からオレンジ色の光が差し、眩しくて暑い。この場所は、壁一面に大きさも種類も色もばらばらなロッカーが置かれていた。

『ゲームは終わりだよ』

 背後から声が聞こえ、思わず飛び上がる。怖くて振り返ることができない。『それ』は、耳元で静かに囁いた。

『出口に繋がるロッカーはひとつだけ。きみがそれを見つけるのが先か、ぼくがきみを殺すのが先か』

 気付いたら、走り出していた。目に入ったロッカーに入り、急いでドアを閉める。しかし、暗闇の中でロッカーごとガタガタと揺らされる。ここじゃない、もっと奥だ。
 ロッカーのドアを乱暴に開け、『それ』にドアをぶつける。その隙に奥まで走るが、行き止まりに当たった。
『それ』は甲高い声で笑いながら、ゆっくりと近寄ってくる。ロッカーを手当たり次第に探るが、どれも外ればかりだ。そうしているうちに、『それ』はとうとう目の前に立ち塞がった。

『そろそろ死んでもらおうかな』

 もう、だめだ。
 床に崩れ落ちると、『それ』の足の間から、部屋の端が見えた。ここに来る時に通ったロッカーが、開けっ放しだった。

 考える余裕もなく、最後の力を振り絞って走り出した。『それ』が低い声で唸るのが聞こえる。間違いない、出口はあのロッカーだ!
 全速力で走るが、背後から凄まじい勢いが迫る。泣きながらロッカーに突撃し、ドアを閉めようとする。

 しかし、あと少しのところで、『それ』の左手がロッカーの内側を掴んだ。

 思わず悲鳴を上げた。普通なら骨折してもおかしくない強さで挟んだはずなのに、『それ』の手は痛みを感じていないのか、ドアをギリギリと引いていく。このままじゃ、開けられる。
 覚悟を決め、『それ』の手をおもいっきり、蹴りつけた。『それ』はおぞましい声で泣き叫び、手を離す。ドアが勢いよく閉まると視界が真っ暗になり、その瞬間、全ての音が途切れた。


 長い時間、ドアを握りしめたまま動けなかった。
 何も見えない。何も聞こえない。助かったのかどうかも分からなくて、ただひたすら怖かった。


 どれくらい時間が経ったんだろう、だんだんと、セミの鳴き声が遠くから聞こえてきた。もう、恐怖は感じない。それに気付いて、ようやく力が抜けた。
 ロッカーのドアをそっと開けると、見慣れた風景が目に映った。ここは、あの廃校じゃない。通っている学校の廊下だ。

 大きな窓から西日が差している。人気のない廊下の真ん中で、倒れるようにして座り込んだ。


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