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Track 10: Cum / To / Lack
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キャブで埋め尽くされたストリート、ぶら下がった黄色い信号、その下を走る白い車。
白い車体に青い二本のライン。その間には四文字のアルファベット。
NYPD,New York Police Department.
紺色の制服を着た屈強な黒人が車から降りてくる。ボビーというそいつは真っ白の歯を剥き出しにして笑いながら大声で俺に言う。
「ヨースケ・サカキ! 何しに舞い戻ってきやがった?」
俺は辺りを見回そうとしたが、どういう訳か自分がどこに立っているかも分からなかった。様々な風景が映写機のように断片的に見えては消える。ユニオンスクエアパーク、アスタープレイスの黒いオブジェ、ワシントンスクエアパークの凱旋門、セントラルパークサウス、グランドセントラル、下水道臭い夏のタイムズスクエア。
「おいサカキ、アンディはどうしてる?」
突然ボビーの顔が俺の視界を埋める。その黒い肌以外何も見えなくなる。俺は汗をかく。声が出ない。喉が渇いてるからだ。汗をかきすぎるせいだ。
「お前らコンビは最高なんだ、また二人で楽しませてくれよ」
「うるさい」
俺が必死の思いで言うとボビーは悲しそうな顔をした。
「バディ、おまえ疲れてんだよ、日本からの長旅で」
うるさい。
「これは夢だ。俺はもうNYCには居ないんだからな」
突然マンハッタンの夜景が見えた。星くずを散りばめた世界一有名な高層ビル群が。
「何言ってんだよ、おまえはここに居るじゃないか」
誇り高きエンパイアステイトビルが、美しきクライスラービルが。
「夢だよ。だってボビー、おまえは」
そしてあの双子の……。
「おまえは9.11で死んだじゃねえか」
瞬間、ボビーの顔が何かに吸い込まれるように遠ざかっていった。それと同時に、意識が覚醒するのを感じた。うなじが汗でじっとりしている。起きあがって額を拭う。
帰りたい。そう思っている自分に気づく。
俺と林野は奴の仕事場の上にある喫茶店に居た。こいつには今朝早く事件の詳細と全被害者の資料を送っておいた。当初は話すつもりはなかったが、こいつならプロファイリングみたいな真似くらいしてくれるんじゃないかと思ったまでだ。奴は特に驚いた様子もなく、『僕の他の患者が居なくてよかった』とだけ言った。
「人食っていう行為には様々な理由があるよ」
林野は例によって白衣を脱ぎ眼鏡を外して椅子にだらしなくもたれかかった。
「確かどこかの民族は征服行為として敵の肉を食ってたな」
「ああ。敵の霊魂を完全に支配して復讐を避けるためにやってたという説もある。宗教的な理由も多いね。インドのある民族は病人と子供を食べると女神が喜ぶと信じていたそうだし、生け贄を神の元に届ける儀式として行ってた場合もある。飢饉によってやむおえなく人肉を食うこともあった。最近でも山中に墜落した飛行機の乗客が救助を待つ間死体を食べて生き延びたし」
そう言うと林野は目をこすった。
「ただ注意しないといけないのは、昔の文化風習におけるカニバリズムには信憑性がないって事だ。敵対する部族が特定の部族を『奴らは野蛮人だ』という意味合いで食人人種呼ばわりしてたっていう可能性が極めて高いからね」
俺は頷きながらアイスティーに四つ目のシロップを注いだ。
「でもな、榊。俺は臨床心理士だけど犯罪心理学専門じゃない。何を期待してたかは知らないけどさ、この事件の犯人が被害者の肉を食うことに関して専門的なことは何も言えないよ」
俺は苦笑せざるを得なかった。
「まあ個人的に思うのは、この犯人は果たして本当に『殺人鬼』なんだろうかって事だ」
林野はいまいち間の抜けた声でそう言った。
「どういう意味だ?」
「意味も何もそのまんまだよ。殺す気ないんじゃないのかな。十人とも結果的には死んでるけど、例えば心臓を刺したり、致命傷は受けてないだろ? 骨にまで達する傷を受けてるのは四人だけだ。それも肉を切り取るためで、息の根を止めるためじゃない」
言葉に詰まり、あわてて手元の資料に目をやる。
「でも、この銀行員は先に喉をかっさばいてあるぞ。他の連中だって食われてるところ以外にも傷を受けてる」
「その銀行員、確か柔道二段かなんかだったろ? 力じゃ敵わないからやむを得ずそうしたのさ。他の被害者もそう。この女の子は下腹部を刺されてるけど傷は浅いし井上君は軽く頭を殴られてるだけだ。抵抗されるのを防ぐためだよ。つまり……」
一瞬の間。
「食べることだけが目的ってことか」
「……話は最初に戻るな。何故食べるのか」
林野が苦笑混じりに言った。
「悪いけどもう午後の診察が始まる。大した力になれなくてすまない」
「とんでもない」
俺は白衣を着て出ていく林野を後目に煙草に火をつけた。
食べる、食べたいと思う。何故だ?
今の時代飢餓で人肉を食べるなんてのはありえないし、宗教的な儀式にしてはそんな集団の気配もない。
単純な食欲なんだろうか? だが何故人間を?
或いは個人的な、食べなければならない理由。
そして対象がこの十人でなければならなかった理由。
目の前には林野が食べ残したショートケーキ。
食べ残し。生ゴミだ。ゴミはゴミ箱へ。
ゴミはゴミ箱へ?
この十人の死体に唯一共通するのは全て生ゴミとして遺棄されていること、即ちそれは犯人にとって『食べ残し』が価値のない物だということを示唆している。
犯人の興味は対象を殺害することでもその肉を切り取ることでも無惨な残骸でもなく、その一部を食すことにある。
食べること、摂取、咀嚼し嚥下し体内に吸収する、それは犯人の身体の一部となる。一つになる。十人と犯人は一つに。
一つに?
つまり犯人は被害者と一つになりたがってるってことか?
待て、じゃあその理由は?
思考が暴走し自分でも予想できない結果をはじき出していく。神経細胞がもの凄いスピードで何かに辿り着こうとする。その結果を俺が望むと望まずに関わらずだ。この感じは知ってる、あの頃よくあった、そうNYPDの頃だ。知りたくない事を看破してしまう時の感じだ。落ち着け、こんなのただの推論に過ぎない。俺が一人で考えを巡らせてるだけにすぎないんだ。
俺は身動き一つできずテーブルに拳を乗せたまま空を見つめていた。煙草の灰がテーブルに落ちる。
若い男女が俺の前の席に座っていた。男が女を見つめる。その目は形容しがたい幸福感に満ちている。
犯人は何故この十人を食べた?
「もう行かなきゃ」
男が立ち上がる。
「もう行っちゃうの?」
女が男の手を掴む。
「明日また会えるじゃないか」
男が女の髪を撫でる。
「明日まで会えないじゃない」
愛し合う二人。
この人と離れたくないんだ常に一緒に居たいんだ離れることが絶えられないんだ。
ああこの体が一つだったら!
その瞬間全身に震えが走り俺は煙草を投げ捨てて飛び上がっていた。
白い車体に青い二本のライン。その間には四文字のアルファベット。
NYPD,New York Police Department.
紺色の制服を着た屈強な黒人が車から降りてくる。ボビーというそいつは真っ白の歯を剥き出しにして笑いながら大声で俺に言う。
「ヨースケ・サカキ! 何しに舞い戻ってきやがった?」
俺は辺りを見回そうとしたが、どういう訳か自分がどこに立っているかも分からなかった。様々な風景が映写機のように断片的に見えては消える。ユニオンスクエアパーク、アスタープレイスの黒いオブジェ、ワシントンスクエアパークの凱旋門、セントラルパークサウス、グランドセントラル、下水道臭い夏のタイムズスクエア。
「おいサカキ、アンディはどうしてる?」
突然ボビーの顔が俺の視界を埋める。その黒い肌以外何も見えなくなる。俺は汗をかく。声が出ない。喉が渇いてるからだ。汗をかきすぎるせいだ。
「お前らコンビは最高なんだ、また二人で楽しませてくれよ」
「うるさい」
俺が必死の思いで言うとボビーは悲しそうな顔をした。
「バディ、おまえ疲れてんだよ、日本からの長旅で」
うるさい。
「これは夢だ。俺はもうNYCには居ないんだからな」
突然マンハッタンの夜景が見えた。星くずを散りばめた世界一有名な高層ビル群が。
「何言ってんだよ、おまえはここに居るじゃないか」
誇り高きエンパイアステイトビルが、美しきクライスラービルが。
「夢だよ。だってボビー、おまえは」
そしてあの双子の……。
「おまえは9.11で死んだじゃねえか」
瞬間、ボビーの顔が何かに吸い込まれるように遠ざかっていった。それと同時に、意識が覚醒するのを感じた。うなじが汗でじっとりしている。起きあがって額を拭う。
帰りたい。そう思っている自分に気づく。
俺と林野は奴の仕事場の上にある喫茶店に居た。こいつには今朝早く事件の詳細と全被害者の資料を送っておいた。当初は話すつもりはなかったが、こいつならプロファイリングみたいな真似くらいしてくれるんじゃないかと思ったまでだ。奴は特に驚いた様子もなく、『僕の他の患者が居なくてよかった』とだけ言った。
「人食っていう行為には様々な理由があるよ」
林野は例によって白衣を脱ぎ眼鏡を外して椅子にだらしなくもたれかかった。
「確かどこかの民族は征服行為として敵の肉を食ってたな」
「ああ。敵の霊魂を完全に支配して復讐を避けるためにやってたという説もある。宗教的な理由も多いね。インドのある民族は病人と子供を食べると女神が喜ぶと信じていたそうだし、生け贄を神の元に届ける儀式として行ってた場合もある。飢饉によってやむおえなく人肉を食うこともあった。最近でも山中に墜落した飛行機の乗客が救助を待つ間死体を食べて生き延びたし」
そう言うと林野は目をこすった。
「ただ注意しないといけないのは、昔の文化風習におけるカニバリズムには信憑性がないって事だ。敵対する部族が特定の部族を『奴らは野蛮人だ』という意味合いで食人人種呼ばわりしてたっていう可能性が極めて高いからね」
俺は頷きながらアイスティーに四つ目のシロップを注いだ。
「でもな、榊。俺は臨床心理士だけど犯罪心理学専門じゃない。何を期待してたかは知らないけどさ、この事件の犯人が被害者の肉を食うことに関して専門的なことは何も言えないよ」
俺は苦笑せざるを得なかった。
「まあ個人的に思うのは、この犯人は果たして本当に『殺人鬼』なんだろうかって事だ」
林野はいまいち間の抜けた声でそう言った。
「どういう意味だ?」
「意味も何もそのまんまだよ。殺す気ないんじゃないのかな。十人とも結果的には死んでるけど、例えば心臓を刺したり、致命傷は受けてないだろ? 骨にまで達する傷を受けてるのは四人だけだ。それも肉を切り取るためで、息の根を止めるためじゃない」
言葉に詰まり、あわてて手元の資料に目をやる。
「でも、この銀行員は先に喉をかっさばいてあるぞ。他の連中だって食われてるところ以外にも傷を受けてる」
「その銀行員、確か柔道二段かなんかだったろ? 力じゃ敵わないからやむを得ずそうしたのさ。他の被害者もそう。この女の子は下腹部を刺されてるけど傷は浅いし井上君は軽く頭を殴られてるだけだ。抵抗されるのを防ぐためだよ。つまり……」
一瞬の間。
「食べることだけが目的ってことか」
「……話は最初に戻るな。何故食べるのか」
林野が苦笑混じりに言った。
「悪いけどもう午後の診察が始まる。大した力になれなくてすまない」
「とんでもない」
俺は白衣を着て出ていく林野を後目に煙草に火をつけた。
食べる、食べたいと思う。何故だ?
今の時代飢餓で人肉を食べるなんてのはありえないし、宗教的な儀式にしてはそんな集団の気配もない。
単純な食欲なんだろうか? だが何故人間を?
或いは個人的な、食べなければならない理由。
そして対象がこの十人でなければならなかった理由。
目の前には林野が食べ残したショートケーキ。
食べ残し。生ゴミだ。ゴミはゴミ箱へ。
ゴミはゴミ箱へ?
この十人の死体に唯一共通するのは全て生ゴミとして遺棄されていること、即ちそれは犯人にとって『食べ残し』が価値のない物だということを示唆している。
犯人の興味は対象を殺害することでもその肉を切り取ることでも無惨な残骸でもなく、その一部を食すことにある。
食べること、摂取、咀嚼し嚥下し体内に吸収する、それは犯人の身体の一部となる。一つになる。十人と犯人は一つに。
一つに?
つまり犯人は被害者と一つになりたがってるってことか?
待て、じゃあその理由は?
思考が暴走し自分でも予想できない結果をはじき出していく。神経細胞がもの凄いスピードで何かに辿り着こうとする。その結果を俺が望むと望まずに関わらずだ。この感じは知ってる、あの頃よくあった、そうNYPDの頃だ。知りたくない事を看破してしまう時の感じだ。落ち着け、こんなのただの推論に過ぎない。俺が一人で考えを巡らせてるだけにすぎないんだ。
俺は身動き一つできずテーブルに拳を乗せたまま空を見つめていた。煙草の灰がテーブルに落ちる。
若い男女が俺の前の席に座っていた。男が女を見つめる。その目は形容しがたい幸福感に満ちている。
犯人は何故この十人を食べた?
「もう行かなきゃ」
男が立ち上がる。
「もう行っちゃうの?」
女が男の手を掴む。
「明日また会えるじゃないか」
男が女の髪を撫でる。
「明日まで会えないじゃない」
愛し合う二人。
この人と離れたくないんだ常に一緒に居たいんだ離れることが絶えられないんだ。
ああこの体が一つだったら!
その瞬間全身に震えが走り俺は煙草を投げ捨てて飛び上がっていた。
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