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第1章過去と前世と贖罪と
外伝・エドナとベアトリクス②
しおりを挟む計画は順調に進んだ。
エドナは剣術道場で暮らすようになり、剣術の才能を磨いている。
彼女は道場では100年に1人の人材と言われている。
それは全てベアトリクスが、計画したことだった。
エドナに冒険者になるうえで様々なことをしておいた。
元々エドナは努力家でもあるのだが、
肉体を大幅に強化する魔法薬を食事の中に度々混入させておいたので、
普通の少女より身体能力はかなり高くなっている。
エドナはそれを健康な食事を与えられたおかげだと思っているが、
実を言うとベアトリクスの魔法薬の効果が大きかった。
まぁその才能に嫉妬した人間が多く居たらしいが、
エドナはその程度のことでは潰れないだろう。
魔法薬はあくまで補助的なものだ。
彼女自身が努力しなければそれは意味のないものになる。
エドナはきっと優れた剣士になるだろう。
だが予想外のことが起こった。
剣術道場の師範が急死したのだ。
元々心臓が弱かったということもあり、それで倒れてしまった。
エドナは師範が死んでからすぐに剣術道場を出たようだった。
「全くあの子は…」
ベアトリクスは新月の日になったので、エドナの所に向かう。
つくづく予定通りにはいかないものだ。
エドナは本来の人生のルートとは、大きく外れた道を歩んでいたが、
それでも彼女は懸命に生きる努力をしていた。
まだ10歳かそこらだというのに、
魔物を倒し、その魔石で稼いでいるようだった。
さすがにもう浮浪者ではなく、
部屋を1つ借りてそこに住んでいるようだった。
それを見てベアトリクスは安心した。
彼女はもう放って置いても大丈夫だろう。
魔法薬の効果で、彼女の身体能力は普通の人間より高いし、
別に魔法薬を与えなくとも、
元々努力家ではあるので、これからどんどん強くなっていくだろう。
そして安心すると、冥府の業務に戻ることにした。
◆
「さてと」
ベアトリクスは足元で転がっている男たちを一瞥すると歩き出した。
彼らは冒険者になったエドナを闇に乗じて襲いかかり、
彼女を暴行した男達だった。
そして酷い噂を広めた張本人だった。
大方エドナの才能に嫉妬したのだろう。
閉鎖的な田舎町では男尊女卑の思考が根強い。
エドナの存在は彼らにとって目の上のたんこぶだったに違いない。
だからこそ彼女を痛めつけると言う選択を取ったのだ。
だが彼らは知らなかった。
エドナが赤ん坊の時からベアトリクスは側で見守ってきていた。
そのためかなり愛着を抱いていたし、
自分の娘のように可愛く思っていた。
そのエドナに危害を加えることは、
すなわち幻月神ベアトリクスの逆鱗に触れることだと。
「どんな気分ですか」
ベアトリクスは嘲笑するような笑みを浮かべる。
彼女は血気盛んな地獄の神々の中では比較的温厚な性格だと言われている。
多産の女神でもあり、女性の守護者であり、
父である地獄神アビスからは病的と言われる程、子供好きだ。
だが彼女は女性に暴力を振ったり、
酷い目に合わせる男は蛇蝎のごとく嫌っていた。
女性を力ずくでどうこうしようと思う男など、
みんな地獄に落としてやればいい。
それだけは絶対に許せない。それだけは何があっても――。
「さすがに五分も持ちませんでしたか」
ベアトリクスによって、
地獄で実際に受ける苦痛を追体験させられた男たちはピクリとも動かない。
苛烈な罰により、彼らの精神は廃人同然になっていた。
最早食事を摂ることも出来ない、放っておいてもすぐに死ぬだろう。
ベアトリクスはその場から立ち去ると、エドナの元に向かった。
エドナは山の中にこもって特訓しているようだった。
愚痴もこぼさずに、ただひたすらの戦い続ける彼女の姿は痛ましく見えた。
何も出来ないことが口惜しい。
せめてベアトリクスが新月の日以外でも、
地上に現れることが出来たならばこんなことにはならなかった。
ベアトリクスは冥府の女王とも呼ばれる女神であるが、
多くの弱点を持っていた。
一番の弱点は、魔力が月の満ち欠けによって作用されることだ。
これについては本人の努力ではどうしようも出来ない。
自分で魔力をコントロールすることも出来ない。
1万年間、コントロールする方法を探してみたが、結局見つからなかった。
月食の日であれば、新月に関係なく地上に出ることが出来るが、
それは滅多に起こる事では無い。
「……」
ただ物陰で見守ることしか出来なかった。
セツナと出会うまで、エドナとベアトリクスは出会ってはいけない。
あれだけ勘が鋭い子なのだ。
すぐにベアトリクスが人間でないということも見破られるかもしれない。
だが見守ることしか出来ないというのは何という歯がゆさだろうか。
「あなたの幸せを祈っていますよ…」
そう言うとベアトリクスは闇の中に消えた。
◆
「…ということです」
「全く次から次へと…」
部下から報告を聞いたベアトリクスは椅子から立ち上がると、すぐに移動した。
彼女の眼前にあるのは1つの川だった。
ステュクス川と呼ばれる川は、冥府とこの世を通っている川だった。
俗に言う三途の川とよく似た川であり、人が死んだ時、必ず人はこの川を通る。
逆に言えば、この川を越えなければ、死なずに生き返ることも多い。
それが俗に言う臨死体験である。
「急がないと…」
ベアトリクスは魔力を駆使して、エドナの位置を探る。
今エドナは危険な状態にあった。
魔物に攻撃され、右腕と背中を負傷したらしい。
すぐに仲間が助けたみたいだが、
血を流し過ぎたせいで、今彼女は死ぬ瀬戸際にいた。
ステュクス川を渡ってしまえば、最早後戻りは出来ない。
このままではエドナはセツナと出会い、
セツナを助けると言う本来の使命が遂行出来ない。
急いで地上に送り返さなければ…。
「居た…!」
エドナは川の前でボーとたたずんでいた。
きっと彼女の目には、花畑が見えたり、
人が呼んでいるように見えているだろうが、
それは幻覚である。
ステュクス川の出す霧は強力な幻覚作用がある。
そしてその誘惑に逆らえず、川を渡ってしまう人間も多い。
実際にエドナも何かに惹かれるかのように、足を進めた。
その腕をベアトリクスはがしっと掴んだ。
「あなたはこっちに来る予定はありません。即刻帰りなさい」
そう言うと有無を言わさずにエドナを川から引き離した。
そして彼女の魂を肉体の元に戻した。
「はぁ…やれやれ」
そう安堵のため息をベアトリクスはつく。
しかし一体どういうことだろうか。
死の危機に瀕する程の重傷をエドナが負うなどありえない。
彼女自身の肉体は魔法薬で強化しているため、
動体視力も反射神経も、普通の人間よりかなり高い。
例え魔物に襲われたとしても、怪我をすることも無いはずだ。
あったとしても、魔法薬の効果で普通の人間より頑丈なため、
あそこまで重症になることもないだろう。
それに……最近エドナの身に奇妙なことばかり起きている。
普通なら経験し得ないことが、彼女の身に降りかかっているのだ。
例えば地上最強と呼ばれ、現在では数も減り、
幻の存在とも言われるドラゴンと出会ったことや。
武道会で計14回も勝利したにも関わらず、優勝出来なかったことなど。
普通ならばこれだけ勝利すれば、民意を優先させ、優勝させるはずなのに、
彼女は永遠と再試合をされることになった。
そして一番の疑問が――、
どうしてエドナが勘当されることになってしまったのか。
これは本来の彼女の人生では起こりえないことだった。
本来エドナは両親から愛されて幸せに育つはずだった。
だが父親は彼女を疎み、母親は死んでしまった。
今の彼女は本来の予定とは、全く別の人生を歩んでいる。
それもこれも父親の勝手な思い込みのせいだが、
どうして次から次へと、本来のエドナの人生から大きく逸れているのだろうか、
まるで何かに妨害されているように、計画が順調に進まない。
「妨害?」
ふと心に浮かんだ疑問だったが、何となく腑に落ちる気がした。
アーウィンは確かに罪を犯していたが、
そのカルマでもこれほど不幸を呼び寄せないだろう。
だが一体誰が、何のためにエドナの人生を妨害する?
「まさかセツナ様?」
ベアトリクスの脳裏に一つの可能性が浮かんだ。
エドナはこの先、セツナを助けるための人生を歩むことになる。
そのエドナがセツナと出会ってしまうという事を、
望まない者がいるのではないだろうか。
だからそのためにエドナの人生を妨害しているのか?
いや、セツナの存在は、ごく一部の人間や神しか知らないはず。
だとしたら地獄の神々の中に裏切り者がいる?
いやそれはいくら何でもありえない。
そんな存在が居れば心が読めるアビスが気付かないはずがない。
「考えすぎですね…」
別に何かに妨害されなくとも、
本来の予定より早く死んでしまうことはよくあることだ。
それぐらいに人生というのは予定通りにいかない事は多々ある。
とりあえずベアトリクスは何か起きた時のために様子を見ることにした。
このことはアビスに伝え、
そして念のためにエドナの様子を見に、度々地上に出ることにした。
幸いにしてエドナは一命をとりとめたようだが、
彼女にとってはショックなことに、右腕が使い物にならなくなってしまった。
だがそれでも冒険者を続けているようだったが、
住み慣れた王都から離れてしまうぐらいに、精神的ショックが大きかったらしい。
国王陛下から武道会の詫びとして献上された大剣も、
見るのも嫌だと売ってしまったぐらいだ。
もう剣士であったこと自体も逃げたいのかもしれない。
その様子をベアトリクスは遠くから見守っていた。
見守ることしか出来なかった。
そしてとうとう、その日がやってきた。
応援ありがとうございます!
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