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第十五章 試練
13-3 嘆きの詩(うた)
しおりを挟むそれとほぼ同時刻頃。
「ルナ姫様、どうされたのですか?」
不意に掛けられた女騎士の声に反応し、ルナはようやく顔を上げた。
「ううん、なんでもないの。クレア」
ディエラ国、王都内にある孤児院。
その庭の一角にて行われたパーティ。長テーブルの中央、主賓席についていたルナは、慌てて目の前に用意されていた食事に手を伸ばした。
ルナの管轄である孤児院訪問は月に一度行われるが、今回の訪問は定期訪問ではなく、孤児院の子供達からお礼のパーティにお呼ばれしたのだ。
ルナの計らいで孤児院の経費が増え、新しく迎え入れた子供達もお腹いっぱいご飯が食べられるようになった。そのお礼がしたいと、子供達が手作りの会を開いてくれたのである。
クレアを通してその可愛らしい招待状を渡されたルナは、もちろんすぐに出席の返事を出した。
祖母から受け渡された孤児院の運営は分からない事だらけで、周囲の者達から助けてもらってばかりだが、とてもやりがいのある尊い仕事であると思い始めていた。
その矢先の出来事だった。
シルヴィアからルナ一人だけ呼び出しを受け、その話をされたのは……
「あなたには、ディエラ国とサンジェイラ国の為、王位継承権を放棄し、”ディエラ”の名を捨ててもらいます。今まで行っていた王位継承者教育を取り止め、王妃教育を受けてもらう事になります」
「え……?」
いつもの柔和な顔を厳格なものにして、一国の王の顔でそう言ったシルヴィアは、既に決定していたそれを口にしたのである。
「ルナ、あなたはサンジェイラ王妃になるのです。サンジェイラの正妃としてアサギ王の元へ嫁ぐ準備を進めなさい」
国王の決定に、ルナは否と言えるはずもない。
でも、嫌だった。
ディエラを離れる?
この城を離れ、見知らぬ地に嫁ぐ?
産まれてから一度も王都を出た事がないのに……。
優しい長姉と次姉と離れ、再会したばかりの父母とまた離れるのか?
孤児院の管理だって、ようやくやりがいを見出してきた頃だというのに。
でもそれよりも…………
そう、それよりも耐えがたいのが、産まれた時からずっと一緒にいた三つ子の姉妹、ルイとルカと離れて生きなくてはならない事。
シルヴィアとの話の後、部屋に戻ったルナが寝室にこもりきりになり、一人シクシクと泣き続けているのを、理由を知らぬルイとルカはオロオロと戸惑い、意味も分からないまま慰め続けた。
「お母様、何故、ルナなのですか? あの娘(こ)は姉妹の中でも一番大人しい性格です。ルイのように勝気でもなければ、ルカのように活発でもない。ただ、気の優しい娘。そんな子が一国の正妃として国の母になれるのでしょうか?」
母として娘を心配するルカイナに、シルヴィアは王として答えた。
「なれるかどうかではなく、ならなくてはならないのです。サンジェイラ国の王宮は今、陰謀が渦巻き、王でさえ暗殺の危機に瀕しているといいます。このまま再び内紛で国が荒れれば、もうサンジェイラ国は終わりです。そうさせない為に、アサギ王は必死に踏ん張っておられる。先代、先々代と続いた貴族派の権力は強大なものでしょう。内部は腐敗しきっているといいます。自国の民の為、自分の代で王宮内部を変革させようとしている若き王を、隣国の王として見捨てる事は出来ません。彼が姫を望んでいるというのなら、直系姫のいないアシェイラに代わり、我がディエラがその望みを叶えるのは当然の事です。それに私は、ルナがそんなに弱い娘であるとは思ってはいないのよ、ルカイナ」
王としての話の後、ようやく祖母としての顔に戻ったシルヴィアは、娘を諭すように言う。
「この数か月、私の仕事のほんの一部、あの子達でも出来そうなものをそれぞれ引き継いだのだけれど、その中で最も成果を出したのがルナだったわ」
孤児院の子供達が過ごしやすい環境をつくる為にどうしたらいいか。院を出た後の子供達の就職先の世話。そして、最もルナが考えていたのが、孤児になるような子供を作らぬ様にするにはどうしたらいいのかという事だ。
確かに、考え方はまだ幼く、拙い。
それでも、たった十歳の子供が考えられる事ではない。
ルナは大人しいのではない。
あまり口に出して自分の意見を言わないだけで、彼女はとても思慮深い性格をしていた。三人の王女の中で、最も頭がよく、大人びた子なのだ。
そして、とてもねばり強い。
失敗して失敗して、それにくじける事なく学び、成功に結びつけていく。
すべては、民の為に。
三つ子の姫達の中で、最も良王の気質を持った者。
シルヴィアは、あえてその者を手放す決意をしたのだ。
王妃として彼女なら他国でもやっていける。
そう信じたから……。
しかしどんな言い方をしても、ルナを危険な場所に嫁がせる事は変わらない。政治の駆け引きの駒として孫娘を差し出すのだ。
「ごめんなさいね、ルカイナ」
そう娘に謝罪したシルヴィアの瞳は、涙で濡れていた。
そんな祖母の想いなど知る由もないルナは、小さな胸を痛めていた。
ずっとずっと、この王都で暮らしていくものだと思っていた。
それが、いきなり隣国へ嫁がなくてはならないなんて。
アサギ王は二十六歳。自分よりも十六歳も年上だ。前の婚約者、イズミ王弟は年も近かったし、優しそうな少年で、前に一度対面した時も、ルイやルカ程ではないが、きちんと話をする事も出来た。
でも、そんな年上の大人の人となんて……。
政略結婚は王族の姫としての責務。分かってはいたが、悲しかった。
「どうしたの、ルナ姫様? つまらない?」
また俯き気味になってしまったルナに、このパーティを主催した孤児院でも年嵩の子供達、モニカとマーシュは不安そうな顔をした。
「え? ううん、そんな事ない。とても楽しいし、料理もおいしいわ。このアップルパイ、モニカが作ったって聞いたけど、本当?」
慌てて首を横に振ったルナは、嬉しそうな表情を浮かべる二人を見て、どうにか気持ちを切り替えようとした。
今は仕事中だ。
子供達を悲しませる訳にはいかない。
幼い姫の様子をじっと見守っていたクレアは、ふと憂うような表情を浮かべる
今はいない真の主。ジュリナとティアラがこの事を知ったらどう思うだろう。彼女の父代わり母代わりをしてきたあの美しい姉妹は、一体なんてこの小さな肩の持ち主に声をかけるのか。
たった十歳で、大きな荷を背負う事になってしまった妹に……。
「ねえねえ、姫様。今度は、新しくきた子達が歌を歌ってくれるんだって!」
モニカが膝に抱いていた小さな女の子がそう言ってルナに笑いかける。
「楽しみね」
それににっこりと笑い返したルナは、テーブルの前に作られた手作りの檀上に上がった子供達に目を向けた。
いつぞやの訪問時にルナをじっと凝視していた、空虚な瞳をした子供達。
歌が歌える程に心の傷が回復したのか。
(本当に良かった)
ほっと胸を撫で下ろしたルナの視線の先で、子供達はいっせいに小さな口を開けた。
そして
その場に
闇の旋律が溢れる。
ー我ら闇の子ー
不可思議な旋律の、聞いた事もないような言葉。
ーすべてに響く安らぎの
すべてを覆う慈しみの
我らの心は悲哀に溢れるー
それは、嘆き。
闇の神に捧げる、”嘆きの詩”。
ー宿命の渦に捕らわれて
逃れられぬ運命(さだめ)恨みぬくー
ルナの意識は、唐突にそこで途切れる。
いや、ルナだけではない。
クレア、モニカ、マーシュ。孤児院の子供達、孤児院に勤める大人達。
すべての者が己の中の時を止めていた。
滑らかな肌は石に覆われ、まるで精巧な石像がそこにあるかのようである。
一瞬で石化し、石像となった彼らの前で詩を歌い続ける子供達の瞳の色は、いつしか妖しい紫電に色を変えていたのだ。
そうして、人々に石化を促す呪いの詩を詩い続けた後、邪混鬼の出来そこないの子供達は消滅した。
そしてその詩は、風に乗って王都中を駆け巡り、たった数刻の時間で王都中の人々は石になってしまったのだった。
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