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第十章 盲目の神官
11-1 女神の恩恵を授かりし者
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弟の唇を介してとはいえ、そのあふれんばかりの慈愛と、包み込むような優しい想いの込められた口づけを受けるのは、これで二度目だった。子供の頃に受けた、慕わしくも懐かしい変わらぬ感触が遠ざかると同時に、弱々しい声が聞こえた。
「レオ……ン」
その瞬間、レオンハルトの意識は、幼い頃の母神との思い出から現実に引き戻る。
銀の瞳にしっかりと自我を宿したリュセルは、呟くように言った。
「何故だ…………、すごく眠い」
「リュセル?」
グラリと揺れた体を支えると、弟の目がゆっくりと閉じられ、意識が沈んでいったのを感じた。聞こえる安らかな寝息から、リュセルが本当に、ただ眠っているだけだという事がわかる。
地下教会跡地での同化の影響か、今の祈りの詩の影響かはわからないが、深い眠りにつくことで、体力と精神力の回復を図るのだろう。
「…………アルターコート神官?」
弟の体を抱き上げた時に、セフィの様子がおかしい事にレオンハルトは気づく。
「………………」
かの盲目の神官は、顔色を蒼白にしたまま、両耳を両手で押さえ、小刻みに震えていたのだった。
*****
創世の女神レイデュークと、その子供達に関する事柄は、文章で残されているものは少ない。それらのものは、女神の子供から子供へと、子供達の口を借りて伝えられていくのだ。
レオンハルトがそれを聞いたのは、確か八歳の頃。
アシェイラを訪ねて来た先代の玉鍵、カルティア……カルティア・セイントクロス・サンジェイラ。そう、彼女とその半身、銀色に輝く長い髪が印象的だった先代玉主、アリーナ・レイデューク・サンジェイラ。清らかな美しい容姿の姉妹が話したのだ。
「僕達の代ではいなかったのだが、先々代にはいたらしいぞ」
無骨な話し方が、まったく容姿に合っていない。その、ぬばたまの黒髪と黒曜石のような瞳を抜かせば、弟の婚約者とまったく同じ容姿をした少女だった。
「一番有名なのが、六代前の鏡主。かの詩姫ですね。彼女が、ディエラ国が芸術の都と謳われるようになった原点なんですよ」
自分の半身に寄り添うように立っていた、清楚でおとなしい銀髪の美少女は、いつものように優しくレオンハルトの頭をなでた。
「原因はわからない。何を基準にしているのかもわからない。でも、不意に我らの中に産まれ来るのだよ。その詩声を持つ者が……」
そこで言葉を切ると、感情のまったく表れぬ次代の剣主の顔を、カルティアはのぞきこんだ。
「ただ、おそらく女神に近しい者に、その恩恵は与えられるのではないかと僕は考えている。事実、今まで確認されている祈りの詩を詩える子供達は、皆、僕のように女神の容姿を受け継いだ子供ばかりなんだ」
まあ、僕は残念ながら詩えないケドね。そう言っておどけるように笑った、今はもういないあの先代の玉鍵の事が、レオンハルトは嫌いではなかった。
しかし…………。
「それなら、その恩恵を授かれるのは、ティアラ姫なはずだ」
先代の玉主玉鍵から聞いた話を思い出しながら、レオンハルトはそう呟いた。
気を失ったリュセルを連れて、レオンハルトは邪鬼に支配される以前の落ち付きを取り戻したスペル村の村長の家に今夜は泊まる事になった。
アイル村の村長宅と同じような広さの一室を借りて、木で出来た簡素な寝台にリュセルを下ろす。
それからずっと、寝台の近くに移動した椅子に腰を下ろして、眠り続ける弟の横顔を見つめている。見つめながら、過去の記憶を探っていたのだ。
先代玉鍵と先代玉主から聞いた、祈りの詩に関する事柄を。
「…………」
レオンハルトはおもむろに腰を上げると、弟の額にかかった前髪を払いのけてやりながら、その銀の髪にそのまま触れる。
先代玉主と同じ、月の色をした髪。
リュセルが創世の女神から受け継いだのは、この髪である。
レオンハルトは瞳を、ジュリナは声を、ティアラは容姿を、ローウェンは印(泣き黒子)を、アルティスは肌色を受け継いだ。
しかし、弟が受け継いだのは、髪色だけではなかったという事か……。
女神に近しい者。
過去にいたという、祈りの詩を詩えたという女神の子供達。祈りの詩とは、古の神々の詩だ。詩の中に込められたのは、万物に捧げられる祈りと慈愛の力。
人が聞けば心地よく響き、邪鬼が聞けば苦痛を伴うものとして、その身を苛むであろう。祈りの詩を授かった女神の子供が現れる代が続く事もあれば、何代もまったく産まれない時もある。
基準も原因もまったく解明されていないが、カルティアが確か、あの時言っていた。
「邪気の動きが活発になる代に、産まれ来る確率が高いようだと……」
その兆候はあった。
リュセルが帰還してからは、それが更に濃くなったのだ。間違いなく、邪鬼との戦いに大きな波乱が、自分達の代ではあるだろう。
弟が邪鬼に狙われているのは、やはり彼が女神に近い子供だからか?
「いや……、もしかすると、歴代の女神の子供の中で最も近いのかもしれぬ」
ずっと考えていた疑問が、確信に変わった瞬間だった。
邪気の源である邪神は、姉神たる創世の女神を恋い続けている。
もし、邪神が蘇っていたとしたら?
「馬鹿な……」
ありえない想像にレオンハルトはそう吐き捨てるが、しかし、任務で接してきた最近の邪気の濃密さは、そう考えると納得がいく。
そして、邪気の動きが活発になる時に産まれ来るという祈りの詩を授かった女神の子供が、こうして現れたのはまぎれもない事実だ。
ー邪気にしろ、邪鬼にしろ、今までの動きと違う。なんだか、組織的なものを感じないかい? いや……というより、奴らを束ねる親玉がいるような……ー
ジュリナ、ティアラとの共同任務時に、ディエラ国領内のアムルの宿屋にて、ジュリナがこぼした言葉を思い出す。
ティアラを監視していたという、邪鬼のターゲットがリュセルに移ったのは知っていたが、さすがに結界強固な王都にいるリュセルに手出しは出来ないらしく、最初の襲撃以来、特に何もなかった。それでも警戒は怠らなかったが。
しかし、その邪鬼……、名前は確か、”サイレン”。彼がマスターと呼んでいた者が、もしかすると。
「スノーデューク」
レオンハルトは厳しい目を上げると、この世の理すべての源となっている、神の片われの名を呟いたのだった。
そして、そんな状況の中、行動を起こした者がいた。
人の気配に敏く、大陸一の剣士として名を馳せる当代の剣主は、気を失った半身と祈りの詩の事を気にしている為、自分が例えそっと家を出、村を離れたとしてもきっと気づかないだろう。
それを見越して、彼はスペル村を後にしたのだ。
スペル村より少し離れた場所に位置する隣村。アイル。
スペル村が元に戻った事はその日の内に知らされ、行方不明になっていた娘、メアリは衰弱していて動かせなかった為、両親の方が隣村の方に出向いていた。
霧がはれ、ようやく明るい月の光が地上へと降り注ぐようになった村を守るのは、女神の子供が王都より連れてきた騎士一人。
女の騎士の方は、まだ復帰できる状態にない。
今がチャンスである。
スペル村に手出しはもう出来ない。恐ろしい神剣を持つ、女神の子供がいるからだ。だが、人間の騎士一人位なら、邪気の大部分ともう一つの人格を浄化され、力の弱った自分でも捻じ伏せる事は可能なはず。
そう考えると同時に、自分の肉体を形作る。
細かい霧状だった漆黒の邪気の塊は、ゆっくりと一人の青年の姿を形成した。
背を流れる、乱れに乱れた黒髪、復讐に燃える黒い瞳、自慢の美貌はなりを潜め、その様はまるで幽鬼のようである。
アイル村まであと一歩といった道中で、青年体をとったローゼフは憎々しげに顔を歪めた。
「おのれ、女神の子供っ! 必ず血の一滴までも飲み尽し、その肉を喰らい尽くしてやる!」
その為に、邪気の少ない体に鞭打って、アイル村の村人達を襲いに来たのだ。
そう、すべての村人の血を飲み尽せば、力は戻るはずだ。そうして力が戻った後、もう一人の自分を失う元凶となった、あの憎らしい二人の神子を屠る。
「必ず、その身を引き裂いてくれる!」
そう怒鳴った瞬間、のんびりとした柔らかな声が返ってきた。
「それは困るんですよ」
「っ!?」
誰かがいるとは、思いもしなかった。まったく気配がなかったのだ。
「誰だっ!?」
手負いの獣のようにギラギラとした目をして怒鳴ったローゼフの前に、不可思議な文字の描かれた円陣が現れる。
「お前は……」
「レオ……ン」
その瞬間、レオンハルトの意識は、幼い頃の母神との思い出から現実に引き戻る。
銀の瞳にしっかりと自我を宿したリュセルは、呟くように言った。
「何故だ…………、すごく眠い」
「リュセル?」
グラリと揺れた体を支えると、弟の目がゆっくりと閉じられ、意識が沈んでいったのを感じた。聞こえる安らかな寝息から、リュセルが本当に、ただ眠っているだけだという事がわかる。
地下教会跡地での同化の影響か、今の祈りの詩の影響かはわからないが、深い眠りにつくことで、体力と精神力の回復を図るのだろう。
「…………アルターコート神官?」
弟の体を抱き上げた時に、セフィの様子がおかしい事にレオンハルトは気づく。
「………………」
かの盲目の神官は、顔色を蒼白にしたまま、両耳を両手で押さえ、小刻みに震えていたのだった。
*****
創世の女神レイデュークと、その子供達に関する事柄は、文章で残されているものは少ない。それらのものは、女神の子供から子供へと、子供達の口を借りて伝えられていくのだ。
レオンハルトがそれを聞いたのは、確か八歳の頃。
アシェイラを訪ねて来た先代の玉鍵、カルティア……カルティア・セイントクロス・サンジェイラ。そう、彼女とその半身、銀色に輝く長い髪が印象的だった先代玉主、アリーナ・レイデューク・サンジェイラ。清らかな美しい容姿の姉妹が話したのだ。
「僕達の代ではいなかったのだが、先々代にはいたらしいぞ」
無骨な話し方が、まったく容姿に合っていない。その、ぬばたまの黒髪と黒曜石のような瞳を抜かせば、弟の婚約者とまったく同じ容姿をした少女だった。
「一番有名なのが、六代前の鏡主。かの詩姫ですね。彼女が、ディエラ国が芸術の都と謳われるようになった原点なんですよ」
自分の半身に寄り添うように立っていた、清楚でおとなしい銀髪の美少女は、いつものように優しくレオンハルトの頭をなでた。
「原因はわからない。何を基準にしているのかもわからない。でも、不意に我らの中に産まれ来るのだよ。その詩声を持つ者が……」
そこで言葉を切ると、感情のまったく表れぬ次代の剣主の顔を、カルティアはのぞきこんだ。
「ただ、おそらく女神に近しい者に、その恩恵は与えられるのではないかと僕は考えている。事実、今まで確認されている祈りの詩を詩える子供達は、皆、僕のように女神の容姿を受け継いだ子供ばかりなんだ」
まあ、僕は残念ながら詩えないケドね。そう言っておどけるように笑った、今はもういないあの先代の玉鍵の事が、レオンハルトは嫌いではなかった。
しかし…………。
「それなら、その恩恵を授かれるのは、ティアラ姫なはずだ」
先代の玉主玉鍵から聞いた話を思い出しながら、レオンハルトはそう呟いた。
気を失ったリュセルを連れて、レオンハルトは邪鬼に支配される以前の落ち付きを取り戻したスペル村の村長の家に今夜は泊まる事になった。
アイル村の村長宅と同じような広さの一室を借りて、木で出来た簡素な寝台にリュセルを下ろす。
それからずっと、寝台の近くに移動した椅子に腰を下ろして、眠り続ける弟の横顔を見つめている。見つめながら、過去の記憶を探っていたのだ。
先代玉鍵と先代玉主から聞いた、祈りの詩に関する事柄を。
「…………」
レオンハルトはおもむろに腰を上げると、弟の額にかかった前髪を払いのけてやりながら、その銀の髪にそのまま触れる。
先代玉主と同じ、月の色をした髪。
リュセルが創世の女神から受け継いだのは、この髪である。
レオンハルトは瞳を、ジュリナは声を、ティアラは容姿を、ローウェンは印(泣き黒子)を、アルティスは肌色を受け継いだ。
しかし、弟が受け継いだのは、髪色だけではなかったという事か……。
女神に近しい者。
過去にいたという、祈りの詩を詩えたという女神の子供達。祈りの詩とは、古の神々の詩だ。詩の中に込められたのは、万物に捧げられる祈りと慈愛の力。
人が聞けば心地よく響き、邪鬼が聞けば苦痛を伴うものとして、その身を苛むであろう。祈りの詩を授かった女神の子供が現れる代が続く事もあれば、何代もまったく産まれない時もある。
基準も原因もまったく解明されていないが、カルティアが確か、あの時言っていた。
「邪気の動きが活発になる代に、産まれ来る確率が高いようだと……」
その兆候はあった。
リュセルが帰還してからは、それが更に濃くなったのだ。間違いなく、邪鬼との戦いに大きな波乱が、自分達の代ではあるだろう。
弟が邪鬼に狙われているのは、やはり彼が女神に近い子供だからか?
「いや……、もしかすると、歴代の女神の子供の中で最も近いのかもしれぬ」
ずっと考えていた疑問が、確信に変わった瞬間だった。
邪気の源である邪神は、姉神たる創世の女神を恋い続けている。
もし、邪神が蘇っていたとしたら?
「馬鹿な……」
ありえない想像にレオンハルトはそう吐き捨てるが、しかし、任務で接してきた最近の邪気の濃密さは、そう考えると納得がいく。
そして、邪気の動きが活発になる時に産まれ来るという祈りの詩を授かった女神の子供が、こうして現れたのはまぎれもない事実だ。
ー邪気にしろ、邪鬼にしろ、今までの動きと違う。なんだか、組織的なものを感じないかい? いや……というより、奴らを束ねる親玉がいるような……ー
ジュリナ、ティアラとの共同任務時に、ディエラ国領内のアムルの宿屋にて、ジュリナがこぼした言葉を思い出す。
ティアラを監視していたという、邪鬼のターゲットがリュセルに移ったのは知っていたが、さすがに結界強固な王都にいるリュセルに手出しは出来ないらしく、最初の襲撃以来、特に何もなかった。それでも警戒は怠らなかったが。
しかし、その邪鬼……、名前は確か、”サイレン”。彼がマスターと呼んでいた者が、もしかすると。
「スノーデューク」
レオンハルトは厳しい目を上げると、この世の理すべての源となっている、神の片われの名を呟いたのだった。
そして、そんな状況の中、行動を起こした者がいた。
人の気配に敏く、大陸一の剣士として名を馳せる当代の剣主は、気を失った半身と祈りの詩の事を気にしている為、自分が例えそっと家を出、村を離れたとしてもきっと気づかないだろう。
それを見越して、彼はスペル村を後にしたのだ。
スペル村より少し離れた場所に位置する隣村。アイル。
スペル村が元に戻った事はその日の内に知らされ、行方不明になっていた娘、メアリは衰弱していて動かせなかった為、両親の方が隣村の方に出向いていた。
霧がはれ、ようやく明るい月の光が地上へと降り注ぐようになった村を守るのは、女神の子供が王都より連れてきた騎士一人。
女の騎士の方は、まだ復帰できる状態にない。
今がチャンスである。
スペル村に手出しはもう出来ない。恐ろしい神剣を持つ、女神の子供がいるからだ。だが、人間の騎士一人位なら、邪気の大部分ともう一つの人格を浄化され、力の弱った自分でも捻じ伏せる事は可能なはず。
そう考えると同時に、自分の肉体を形作る。
細かい霧状だった漆黒の邪気の塊は、ゆっくりと一人の青年の姿を形成した。
背を流れる、乱れに乱れた黒髪、復讐に燃える黒い瞳、自慢の美貌はなりを潜め、その様はまるで幽鬼のようである。
アイル村まであと一歩といった道中で、青年体をとったローゼフは憎々しげに顔を歪めた。
「おのれ、女神の子供っ! 必ず血の一滴までも飲み尽し、その肉を喰らい尽くしてやる!」
その為に、邪気の少ない体に鞭打って、アイル村の村人達を襲いに来たのだ。
そう、すべての村人の血を飲み尽せば、力は戻るはずだ。そうして力が戻った後、もう一人の自分を失う元凶となった、あの憎らしい二人の神子を屠る。
「必ず、その身を引き裂いてくれる!」
そう怒鳴った瞬間、のんびりとした柔らかな声が返ってきた。
「それは困るんですよ」
「っ!?」
誰かがいるとは、思いもしなかった。まったく気配がなかったのだ。
「誰だっ!?」
手負いの獣のようにギラギラとした目をして怒鳴ったローゼフの前に、不可思議な文字の描かれた円陣が現れる。
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