椿の唇

幸介~アルファポリス版~

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~校医~

椿ノ花ノ愛ノ章

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「冴木、お前が選べ」


「…何を、ですか」


「俺にここでキスされるかどうかをだ」


先生の眼差しが私を捕らえる。


息をするのも


はばかられるような至近距離


先生の指先が


優しく私の唇に触れた。



「逃げねえと…奪っちまうぞ」



【椿の唇~椿ノ愛ノ章】





「ほら、そっち、土見えてんぞ」


先生は唇で器用に煙草を咥えて


私に語りかけながら


公園の土の上に椿の花を散りばめる。



私は促されるまま、



先生が指摘した辺りに



椿の花を慣らしていった。


手のひらを土と埃だらけにして


私たちは黙々と作業を続ける。



「結婚式」をすると言ったのは


聞き間違いだったのかと思う程


自然に時は流れていく。



私は先生の姿を


窺いみては心臓を高鳴らせた。





「先生…」


「んー?」



「先生って、」


「ん」


「煙草…吸うんですね」


「あー、まあたまにな」



たまにという割には


ひっきりなしに煙草に


火はつけられる。


これじゃまるで


ヘビースモーカーだ。



「保健医なのに」



「保健医ってのはストレスたまるもんでね」



そんな話をしながら、


椿の花を並べ続けていると



「ま、こんなもんだろ」



先生は立ち上がる。



「冴木も立って見てみろ」



校医らしくなく


土のついた手をズボンで


パンパンと払いながら


満足気に眼前の景色を眺めた。



先生の表情につられて


私も立ち上がる。




「これって……」



言われるままに作業していた時には


全く、気付けなかった。




目の前には


たくさんの椿の花で


一直線に引かれた道…。


「バージン、ロード…」


先生に、真っ直ぐ伸びている。



“結婚式でもするか”



やがて先生が言った、



その言葉に行き着いて


一気に顔が紅潮していく。



「ご名答」



先生は口の端を上げて笑うと


大袈裟に手を叩いて


もう1つ、言葉を重ねた。




「歩いてこい、冴木」


「……はい」



この遊びは


何の遊びなんだろう。


もしかして、先生


私のことを


からかっているんだろうか。



そんなこと思いながらも


心臓は跳ねっぱなし。


私は、打ち震える体を


なんとか保ち、


一歩を踏み出す。



すると先生は


こう、言った。



「冴木、お前何があった?」


「え」


「何か辛いことでもあったんだろ」


「なん、で」


口から転げた疑問符。


先生はすくい上げ、


丁寧に答えをくれる。



「高校生の頃と何一つ変わんないじゃないか、その顔。辛いことがあるとよくそんな顔して俺の城に潜り込んできた」



煙草の煙を


またひとつ吐き出して


先生は遠い目をした。




覚えていてくれた。


私は先生の心の中に


一年間、居させてもらえた。



忘れられたと思っていたのに。



そう思えば、ああ


この人なら信じられると


そう心から思える。





「…私、お母さんの…本当の子どもじゃなかったんです」


また一歩踏み出しながら


私は先生に笑いかけた。



「へぇ」


「私の名前、椿でしょ?お母さんの嫌いな花の名前なの、きっとお母さん…私のこと」



でもどうした事だろう。


笑い話で済ませたかったはずの事なのに


先生のまっすぐな眼差しを浴びて


吐露し始めた想いに涙は溢れ出す。



「私のこと……嫌いだったんです」



「そうか」


そう呟いて、一呼吸分の間をあけ


先生はため息と共に告げた。



「じゃあ冴木は、どうなんだよ」



「え…?」



「お前は、母親のこと好きか」



先生が一際優しく、私に尋ねた。



既にしゃくり上げて泣いている私は、


言葉に出来ず、頷くだけの返事を


先生に返した。



お母さん…


好きに決まってる…。


嫌いになんかなれない。



私を育ててくれた人だ。


私に生きる術を教えてくれた人だ。




だから恐かった。


辛く当られることが痛かった。




「1番大事なのはな冴木」



先生は陽だまりみたいな笑顔で


私に語り続ける。



「人がお前をどう評価するかより、お前がどう思うかだ」



先生から紡がれる言葉が


冷めきっていた心を彩っていく。





「好きなら、好きでいりゃいいじゃないか」



先生の言葉はまるで


椿の花みたいだ。



「考え方次第だろ、こんな綺麗な花を墓に入れて涙流すなんてもったいないじゃねえか。こうすりゃ、ほら、誰かのバージンロードだ」


先生は、そうだろ、と言うように


肩をすくめておどける。


心が安らいでいった。







母を好きなら母がどうあっても


自分を変える必要なんかない。



無理に嫌いになる必要なんかないんだ。







私は拭っても拭っても


零れ落ちてやまない涙をそのままに


先生の元へと一歩一歩、歩み寄る。



そして、先生の前に来た時だ。




「冴木、お前は、自分が薄いんだ」



先生は、僅かに厳しい視線を


私に向けて言った。



「自分が……薄い?」


首を傾げて問うと


先生は私の手首を掴んだ。




「人の顔色ばかり窺って、嫌な事を嫌だと言えない。それじゃあ、これからの人生、大変だぞ…」



私の手は、先生の手に引かれ


事もあろうに先生の口元へと誘われる。



「せ、せんせ…?」



一瞬、目を閉じて


先生は私の手の甲を


食むようなくちづけを落とした。




「あ、せ、せせせせんせ」



ちゅ、ちゅ、と


わざとらしく音を鳴らせるから


私の頭はさらにパニックだ。




「なあ…嫌なら嫌って言えよ」



嫌なわけなんてない。


だってずっと好きだった。


拒む理由なんて何も無い。




「嫌じゃ…ありません……」



心臓がどこにあるか分からないほど


その言葉を告げるには勇気が必要だった。



どくどくと高鳴る鼓動


身体中が研ぎ澄まされる。



嫌じゃないと言ったことが


意外だったのか


先生は目を見開いて、私を眺めた。



「……マジかよ」


「……はい」


「それは予想外だ」



く、っと笑みが零れたかと思うと


それは先生を一頻り大笑いさせた。



何かそんなにおかしかった?


聞くに聞けない私に


先生は咳払いをひとつ。


あー…っと、頭をかき


そして、また私を見つめた。



熱い、眼差しだった。





「冴木、お前が選べ」



先生は、言う。



「…何を、ですか」



「俺にここでキスされるかどうかをだ」



先生の眼差しが完全に私を捕らえ



先生はおもむろに私の腰を引き寄せた。





息をするのも


はばかられるような至近距離


先生の指先が


優しく私の唇に触れる。




「逃げねえと…奪っちまうぞ」



心臓が壊れそう。


ふと気付けば


先生の鼓動も駆けていく。




もう、言葉はいらないみたい。




私は先生の瞳の奥を



見つめたまま目を閉じる。



震える唇同士が


躊躇いながら触れ合う。



先生の濡れた唇は



男の色気に満ちていた。



「なぁ」


触れるだけのキスを


三度ほど啄んだ先生は



小さな声で呟く。


「椿の……花言葉、知ってるか」


「…知りません」


「…申し分ない愛らしさ。だとさ」



鷲掴みにされたように


高鳴る心臓が苦しい。



そして先生はもう一言


「可愛いと思うよ、俺は。椿」



とつけ加えて


私に何か言わせない為の


策を高じたのか


再び、くちづけを落とした。





……ねえ先生


それは、花の椿?


それとも……私ですか?




切なくなるような愛しさを胸に抱いて



私は先生の口付けに身を焦がした。


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