夜薔薇《ナイト・ローズ》~闇夜に咲く薔薇のように

椎名 将也

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第5章 火焔の王

6 火龍の鎧

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 冒険者ギルドを出て西に五タルほど歩くと、『銀狼の爪』が見えてきた。三階建ての立派な店構えをした『銀狼の爪』の入口で、アトロポスがバッカスに向かって微笑んだ。
「この天龍の革鎧ヘルムドラーク・ハルナスは、この店で買ったんですよ。その時には、滅茶苦茶アイザックさんに怒られたんですけど……」
 笑いながら告げたアトロポスの言葉に、バッカスは首を傾げながら訊ねた。
「何で怒られたんですか? 冒険者が自分で買った鎧に対して、ギルマスがとやかく言うことなんてないんじゃないですか?」

「これ、剣士クラスAに昇格したお祝いだと言って、アイザックさんが買ってくれたんです。もっとも、アイザックさんは普通の革鎧のつもりでせいぜい白金貨数枚のつもりだったみたいなんですが……」
(いや、普通の革鎧って、白金貨数枚もしねえぞ? 俺の革鎧なんて、金貨三枚でお釣りが来たぞ……)
 顔を引き攣らせながらアトロポスの話を聞くと、バッカスはイヤな予感にとらわれた。

「ちなみに、その鎧、いくらだったんですか?」
「白金貨五千枚ほど割り引いてもらって、全部で三万一千枚でした」
「サンマンイッセンマイ……」
 思わず棒読みになりながら、バッカスはアイザックが激怒するのも当然だと納得した。その時の情景が目に浮かぶようだった。バッカスは大きなため息をつくと、アトロポスに続いて『銀狼の爪』の中に足を踏み入れた。


「すみません、店主のベイルートさんはいらっしゃいますか? 先日、この天龍の革鎧ヘルムドラーク・ハルナスを購入したローズと言います」
 『銀狼の爪』に入ると、入口近くにいた女性店員にアトロポスが声を掛けた。ザルーエク随一の武具屋に勤めているだけあり、天龍の革鎧ヘルムドラーク・ハルナスの価値を一目で見抜くと、女性店員はアトロポスを上客認定して丁寧に頭を下げた。

「ローズ様でございますね。ベイルートが参るまで、三階の応接室にてお待ちください。ご案内いたします」
「はい、ありがとうございます」
 アトロポスとバッカスは女性店員に続いて、三階へと階段を上がっていった。バッカスは三階の入口付近に飾られている革鎧の値札を見て驚いた。
(この辺りに展示しているのが、たぶん三階で一番安いヤツだよな? それで、白金貨七百枚だと……? 姉御の天龍の革鎧ヘルムドラーク・ハルナスほどじゃないにしても、火龍の革鎧フレイムドラーク・ハルナスっていくらくらいするんだ?)

「こちらでお待ちくださいませ。ただいま、ベイルートを呼んで参ります」
 女性店員はアトロポスたちを立派な応接室に通すと、深く一礼してから入口の扉を閉めた。天龍の革鎧ヘルムドラーク・ハルナスを受け取りに来た時と同じ部屋だった。

「鎧を買いに来てこんな部屋に通されたのは初めてですよ」
 キョロキョロと落ち着かない様子で部屋の中を見渡しながら、バッカスが言った。三十平方メッツェほどの広さがある応接室には、アトロポスたちが座っている本革の応接セットの他に、高価そうな絵画や装飾品などが並べられていた。
(さっきは火龍の売上から鎧を買うと言ってたけど、いくらになるのか予想もつかねえぞ。クロトーの姉御は鱗だけで二万は確実だって言ったけど、本当なのか?)

「姉御、火龍っていくらくらいの買取になるんですか? 本当に鎧を買えるほどの収入があるんですかい?」
 さすがに不安になって、バッカスが訊ねた。考えてみれば火龍はもちろん、他のS級魔獣のほとんどはアトロポスが倒したのだった。バッカス自身が倒したのは、A級魔獣までだった。

 冒険者パーティでは討伐した魔獣の部位を売って得た報酬は、パーティ・メンバーで均等に分配することが一般的だった。だが、今回は正式なパーティでないだけでなく、倒した魔獣のレベルに著しい差があった。普通に考えれば、バッカスが得られる報酬はA級魔獣二十数体の魔石だけのはずだった。A級魔獣の魔石は一つで白金貨五十枚から百枚くらいが相場だ。どんなに多くても、白金貨二千枚程度しかバッカスには入らない計算だった。

「さあ……? でも、鱗だけで二万なら、全部で四、五万は行くんじゃないですか? それだけあれば、火龍の革鎧フレイムドラーク・ハルナスを買ってもお釣りが来ますよ」
 天龍の革鎧ヘルムドラーク・ハルナスを買う時に聞いた話だと、火龍の革鎧フレイムドラーク・ハルナスは白金貨一万五千枚からだと言っていたはずだ。女性用と男性用の違いはあるにせよ、大きな価格差はないはずだとアトロポスは考えた。


「失礼します。いらっしゃいませ、ローズ様。天龍の革鎧ヘルムドラーク・ハルナスにはもう慣れましたでしょうか?」
 ノックの音にアトロポスが返事をすると、ベイルートが入室してアトロポスたちに一礼してから訊ねてきた。
「はい。おかげさまで、思うように天龍の革鎧ヘルムドラーク・ハルナスの性能を引き出せるようになりました」
 魔法付与の効果が十倍ではなく二百五十倍に変わっていることは、秘密にしておこうとアトロポスは心に決めた。

「それはよろしゅうございました。ところで、本日はどのようなご用件でしょうか?」
 バッカスが身につけている年季の入った傷だらけの鎧に視線を移しながら、ベイルートが訊ねてきた。すでに、来店の理由を察しているようだった。
「その前に紹介させてください。彼の名前はバッカス、剣士クラスAの冒険者です」
「バッカスです。よろしくお願いします」
「『銀狼の爪』の店主をしているベイルートです。よろしくお願いいたします」
 お互いに自己紹介をすると、ベイルートはバッカスが差し出した手を握りしめた。

「今日は、バッカスの鎧を見に来ました。彼は火属性なので、できれば火龍の革鎧フレイムドラーク・ハルナスを見せていただきたいのですが……」
 身内を呼び捨てるのは、どの世界でも常識とされていた。バッカスはアトロポスが自分を身内と認めてくれたことが嬉しかった。

「かしこまりました。男性用の火龍の革鎧フレイムドラーク・ハルナスは、いくつかご用意がございます。売り場までご足労いただき、直接手に取ってご覧になった方が良いかと思いますが、いかがでしょうか?」
「はい。バッカスさん、それでいいですか?」
「もちろんです。ベイルートさん、よろしくお願いします」
(そのまま呼び捨てで構わねえのに……)
 再びさん・・付けで呼ばれて、バッカスは苦笑いを浮かべながら答えた。


 案内された一角には、男性用の高級革鎧が多数展示されていた。その中で赤銅色の革鎧が着せられた人形マネキンを差しながら、ベイルートが言った。
「こちらの五着が、火龍の革鎧フレイムドラーク・ハルナスとなります。いずれも、クロトー様による重量軽減とサイズ調整の魔法は付与済みです」
「性能に違いはありますか?」
 五つの鎧を見比べながら、アトロポスが訊ねた。

「大きな違いはありません。強いて言えば、手甲があるかないか、マントが付属しているかどうかなど、デザインと付属品の有無によって価格が多少変わります。左側から、白金貨一万七千枚、二万一千枚、二万八千枚、一万九千枚、二万四千枚となっております」
 ベイルートの告げた価格に、アトロポスは内心で頷いた。値段が高い物ほどデザインも凝っており、手甲やマントなども付属していた。

「姉御……、ちょっと向こうに……」
「何ですか、バッカスさん? すみません、ベイルートさん、ちょっと……」
 バッカスに右腕を掴まれ、アトロポスは彼の後に続いてベイルートの元を離れた。十メッツェほどベイルートから距離を取ると、バッカスはアトロポスに小声で告げた。
「ちょっと耳を貸してください」
「はい?」
 アトロポスが頷くと、バッカスは顔をアトロポスの右耳に近づけ、声が漏れないように左手で囲いながら囁いた。

「ちょっと高すぎやしませんか?」
「ひゃあッ!」
 唇が触れるほど耳元近くで熱い息とともに囁かれた瞬間、ゾクリとした官能が背筋を走り抜け、アトロポスは思わず悲鳴を上げた。慌てて右耳を押さえると、アトロポスは顔を真っ赤に染め上げてバッカスを睨みつけた。

「な、何するんですかッ!」
「何って……、ああ、すみません。感じちゃいましたか?」
「な……ッ!」
 恥ずかしさのあまり、アトロポスは右足でバッカスの左脛をガツンと蹴飛ばした。
「痛ッ!」
「か、感じてなんていませんッ! 馬鹿なこと、言わないでくださいッ!」
 バッカスの無神経な言葉に図星を突かれて、アトロポスは耳まで赤くなりながら叫んだ。

「す、すみません、姉御……。ちょっと高いって言いたかったんですよ、痛、ててッ!」
「そ、それならそうと、普通に話してくださいッ!」
 右耳に感じた快感を散らすように、アトロポスは右手で耳を擦りながら言った。
(悪気があったわけじゃなさそうだし……。でも、びっくりした!)
 ハッと我に返って後ろを振り向くと、ベイルートが笑いを噛み殺しながらこちらを見ていた。

「お、お見苦しいところをお見せしてすみません……」
 左脛を押さえているバッカスの手を引きながらベイルートの元に戻ると、アトロポスは顔を赤らめながら頭を下げた。
「いえいえ……。仲のいいご様子を拝見しただけですので、お気になさらずに……」
「は、はい……」
 笑いを堪えながら告げたベイルートの言葉に、アトロポスは再びバッカスを睨みつけた。
(まったく、バッカスの馬鹿……。いい恥かいちゃったじゃない!?)

「ところで、お値段ですが、ローズ様にはその天龍の革鎧ヘルムドラーク・ハルナスをお買い上げいただいたことですし、できるだけ勉強させていただきます。ご興味のある鎧がございましたら、ぜひ試着をなさってください」
 ベイルートの言葉に気を取り直すと、アトロポスは中央の鎧を指差しながら告げた。
「バッカスにはこれが似合います! 着てみてください!」
「でも、これ二万八千……」
「似合うといったら似合うんです! 早く試着してください!」
 恥ずかしさのあまり、バッカスを呼び捨てにしたことにも気づかずにアトロポスが叫んだ。

「では、バッカス様、こちらの試着室にどうぞ。今、火龍の革鎧フレイムドラーク・ハルナスをお持ちいたします」
 困惑顔のバッカスを試着室に案内すると、ベイルートは人形マネキンから鎧を外して試着室へと運んだ。
(まあ、この五つの中ではあれが一番格好いいし、少しくらい高くてもいいわよね?)

 しばらく待っていると、試着室の扉が開いて火龍の革鎧フレイムドラーク・ハルナスを身につけたバッカスが姿を現した。
「どうですか、姉御?」
「……」
 アトロポスはポカンとした表情でバッカスを見つめた。自分の頬が熱くなっていき、顔が赤くなるのを感じた。
(か、格好いい……)
 無意識のうちに、アトロポスはバッカスの雄姿に魅入っていた。

 火龍の革鎧フレイムドラーク・ハルナスを着たバッカスは、別人のようだった。強面だが彫りの深い容貌の中で、自信に満ちた濃茶色の瞳が真っ直ぐにアトロポスを見据えていた。短めに刈り上げた焦げ茶色の髪は男らしい精悍さを引き立て、太い首に続く強靱な大胸筋は赤銅色の鎧を押し上げるほど見事に発達していた。ガッシリとした三角筋に続く上腕筋はアトロポスの太ももよりも太く、赤銅色の肘当てや手甲に覆われながらも力強さに満ちていた。

 逆三角形に引き締まった上半身を支える腰は赤銅色の直垂ひたたれに覆われ、太い大腿筋を包み込む腿当てと膝当ては漆黒に染められていた。膝から下は鱗を重ねた赤銅色の脛当てと靴が一体となっており、堅牢さとともに動きやすさも追求されていた。
 マントの裏地は鎧と同じ赤銅色だったが、表面は漆黒に染色されており、豪奢な金糸で縁取りをされていた。
 火龍そのもののような赤銅色の鎧に身を包み、金糸に縁取られた漆黒のマントを羽織ったバッカスの姿は、どこから見ても一流の剣士そのものだった。

「どうですか、姉御?」
 ボウッとしたまま返事がないアトロポスを不審に思ったバッカスが、再び訊ねてきた。
「あ……は、はい! に、似合ってます、バッカス……さん」
「さん付けはいいですよ、バッカスって呼んでください」
 ニッコリと笑みを浮かべたバッカスの顔を見つめて、アトロポスは更に顔を赤く染めた。
「は、はい、バッカス……」
 自分が何を言っているのかさえ分からずに、アトロポスは高鳴る鼓動がバッカスに聞こえないかという心配だけをしていた。

「動きやすさや着心地はいかがですか、バッカス様?」
「まったく問題ないですね。これが重量軽減の効果ってヤツですか? 軽すぎて着ている感じさえしねえくらいです」
 ベイルートの問いかけに、バッカスは満足そうに答えた。着心地に関しては、最高とも言えた。まるで自分の体の一部のように、鎧を身につけた時の違和感が全くないのだ。さすがにムズンガルド大陸随一と呼ばれるクロトーの魔法付与だけあった。

「き、気に入ったなら、それにしましょう。ベイルートさん、私のギルド証で決済をお願いします」
 首からプラチナ製のギルド証を外してベイルートに渡そうとしたアトロポスを、バッカスが慌てて止めた。
「ち、ちょっと待ってくれ、姉御! その前に値段を確認しましょうぜ! ベイルートさん、この鎧、いくらまで値引いてもらえるんですか?」
 挙動不審なアトロポスを抑えながら、バッカスがベイルートに訊ねた。

「白金貨二万八千枚から、一割値引かせていただいて二万五千二百枚ですが、キリのいいところで二万五千枚でいかがでしょうか?」
「じゃあ、それで……」
 再びギルド証を差し出そうとしたアトロポスを止めると、バッカスがベイルートに告げた。

「姉御は少し黙っていてください。ベイルートさん、もう少し何とかなりませんか? さすがに大きく予算をオーバーしているので……」
「そうですか……。ローズさんには天龍の革鎧ヘルムドラーク・ハルナスもお買い上げいただきましたことですし、特別に白金貨二万四千枚でいかがですか? さすがに、これが限界です」
 黒髪の美少女に後ろから襲いかかっている赤鬼を見つめると、ベイルートが苦笑いを浮かべながら告げた。

「ありがとうございます、ベイルートさん。では、それでお願いします」
 頭上から聞こえるバッカスの言葉を耳にして、アトロポスは右手に握ったプラチナ製のギルド証をベイルートに差し出した。正直なところ、アトロポスには二人の会話がまったく頭に入っていなかった。
(何で私、バッカスに抱きしめられているの……? やだ、この腕、胸に当たっているじゃない……?)
 陶磁のように白く滑らかな顔を真っ赤に染めながら、アトロポスはドキドキと高鳴る鼓動が聞こえないかと緊張していた。

「バ、バッカス……い、いつまで抱きしめてるのよ……。は、早く離して……」
「ああ、すんません、姉御。そんなことより、姉御のギルド証で決済して良かったんですか? 考えたら、ギルド証から送金されるのは七日後だから、俺のギルド証の方が良かったんじゃないっすか?」
 バッカスの言葉に、アトロポスはキッと彼を睨みつけた。
(私を抱きしめていたのが、そんなこと・・・・・……?)
「ど、どっちでも同じですッ! 後で精算すればいいだけの話じゃないですかッ!」

「どうしたんです、姉御? 何か機嫌悪いっすね? あ、やっぱり高すぎましたか? すみません……」
 思いの外きつい口調のアトロポスに、バッカスが慌てて謝った。
(何よ……。私だけが意識して、馬鹿みたいじゃない? 普段通りにしないと……)
「いえ……。似合っているので構いませんよ。そのまま着ていきましょうか? 前の鎧は処分してもらいましょう」
「そうっすね。これ、凄え動きやすいんですよ。着心地もいいし、最高です!」
 満面の笑みを浮かべながら、バッカスが嬉しそうにアトロポスを見つめた。

「……!」
(今、そんな顔で見つめないでよ……)
 アトロポスは慌ててバッカスから視線を逸らすと、熱くなった頬を両手で押さえた。心臓が早鐘を打つように激しく鳴り響いていた。
「ごめん、バッカス……。ちょっと、小用に……」
 バッカスの顔も見ずに小声で告げると、アトロポスは急いでその場を逃げ出した。
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