夜薔薇《ナイト・ローズ》~闇夜に咲く薔薇のように

椎名 将也

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第5章 火焔の王

8 女神の宿

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 冒険者ギルドから北に五タルほど歩いた上級宿『暁の女神亭』に入ると、アトロポスは昨夜と同様に受付で二部屋予約しようとした。
「待ってくれ、姉御。昨日みたいに、部屋が離れてたら護衛の役目が務まらねえ。寝台が二つある同じ部屋にしてもらえませんか?」
「え……? さすがに、それは……」
 バッカスの申し出を聞くと、アトロポスが困ったように顔を赤らめた。その様子を横目で見ながら、バッカスは受付嬢にミスリル製のギルド証を差し出しながら告げた。

「二人部屋を一室頼む。できれば、寝台が別になっている部屋を……」
「申し訳ございません。二人部屋は満室となっておりまして……。三階にある特別室スイートであればご案内できます。そちらでしたら、寝室が二部屋ございますが……」
 上級宿の特別室スイートは、一泊で白金貨十枚もする。バッカスは一瞬迷ったが、火龍の報酬があることを思い出すと、頷きながら告げた。

「では、その部屋を頼む。食事代は別かい?」
特別室スイートのお客様は、一階の食堂でこの鍵をご提示くださればすべて無料となります」
「分かった。ありがとう」
 受付嬢から金色の鍵を受け取ると、バッカスは強面の表情に笑顔を浮かべながら言った。そのやり取りを聞きながら、アトロポスは緊張に高まる鼓動を必死で抑えていた。
(大丈夫よ……。変なことにはならないわ。前にもバッカスは同じ部屋に泊まったことがあるし……)

「荷物を部屋に置いたら、食事にしましょう。どうやら、飲み放題みたいですぜ」
 嬉しそうにそう告げると、バッカスは三階への階段を上り始めた。
(よかった……、バッカスにも変な気はないみたいだし……)
 アトロポスは気を取り直すように小さく頷くと、バッカスの後に続いて階段を上っていった。


 上級宿である『暁の女神亭』の特別室スイートは、アトロポスが今まで泊まった中で最も広大で豪奢だった。二つの大きな寝室の他に、居間、客間、応接間があり、そのどれもが広く、洗練された優美な空間を醸し出していた。
 アトロポスが使わせてもらうことになった主寝室は三十平方メッツェ以上の広さがあり、その中央には豪華な天蓋付きの寝台が置かれていた。寝台の広さは大人三人が優に寝られるほどであった。白い壁に沿って置かれたクローゼットや寝台横のナイトテーブルは、美しい木目調で高級感と優雅さを両立させていた。

特別室スイートにシルヴァ以外の男の人と泊まるなんて……)
 アトロポスの脳裏に、愛しいシルヴァレートの怒った顔が浮かんだ。まるでバッカスに惹かれ始めたアトロポスに嫉妬しているようだった。
(大丈夫よ、シルヴァ。私が愛しているのはあなただけだから……。バッカスのことは好きだけど、そんな関係になるつもりはないわ……)
 アトロポスは自分を納得させるように大きく頷くと、ナイトテーブルの上に荷物を置いて寝室を出た。

「お待たせ、バッカス……」
「いえ……。それにしても、凄え部屋ですね。さすが一泊で白金貨十枚もするだけある。でも、寝室が真向かいなら、いざという時にいつでも飛び込んでいけるから安心だ」
 アトロポスが出て来た主賓室の扉に視線を移すと、バッカスが笑いながら告げた。
「ホントに夜這いなんてしたら、腕を斬り落とすからね」
 ジロリとバッカスを睨むと、アトロポスが<蒼龍神刀アスール・ドラーク>の柄を握りながら言った。

「そ、そんなこと、考えてませんって……。それよりも早く飯に行きましょうぜ。腹ぺこなんですよ」
 目の前で両手を振りながら後ずさると、バッカスが冷や汗を流して言った。
「分かったわ。行きましょう」
 バッカスの様子をじっと見つめると、アトロポスが安心したように微笑みを浮かべた。
(ほら、大丈夫よ、シルヴァ。バッカスにもそんな気はないんだから……)
 アトロポスは大きく頷くと、バッカスの後に続いて特別室スイートを後にした。


 夜の五つ鐘を過ぎていることもあり、一階の食堂は満席に近かった。唯一空いていたカウンター席に並んで座ると、アトロポスは店内を見渡した。
 上級宿の食堂だけあり、客層も貴族や大商人が大半を占めていた。背中の大きく開いたドレス姿の貴婦人や、盛装した男性客が果実酒ワインの入ったグラスを片手に談笑していた。

「何か、場違いじゃねえすか、俺たち?」
 以前に首都レウルーラにある上級宿『銀の白鳥亭』でアトロポスが感じた雰囲気と同じものを、バッカスも感じているようだった。やはり、上級宿の食堂で革鎧姿は浮いてるように見えた。
「気にしないでいいわ。貴族が着ている盛装よりも、あなたの火龍の革鎧フレイムドラーク・ハルナスの方がずっと高価なんだから……」
「そりゃそうだ。姉御の天龍の革鎧ヘルムドラーク・ハルナスはもっと高いですがね」
 笑顔で告げたアトロポスの言葉に、バッカスも笑いながら言った。

「ご注文はお決まりでしょうか?」
 カウンターの内側から、白いドレスシャツ姿の男性店員が声を掛けてきた。銀髪を短く刈り上げた五十代半ばの紳士風の男だった。物静かな雰囲気は、上級宿の食堂によく溶け込んでいた。
「私は紅桜酒を……。バッカスは?」
「俺はエールで……。ツマミはどうします?」
 羊皮紙に書かれたメニューを見ながら、バッカスがアトロポスに訊ねた。

「子牛のフィレステーキと緑黄野菜のサラダ、あとはこの小籠饅頭ショーロン・マントーをお願いします。バッカスも好きな物を頼んでね」
「じゃあ、アッガス牛の骨付き肉とガリー鶏の旨辛煮うまからに、ビレネ豚の生姜焼きを頼みます!」
 聞くだけで胸焼けしそうな肉料理の羅列に、アトロポスは呆れながら言った。
「少しは野菜も食べなさいよね」
「分かりましたよ。じゃあ、子羊の肉野菜炒めも追加で……」
 更に肉料理を注文したバッカスに、アトロポスは小さくため息をついた。


「では、バッカスの<星月夜スターリー・ナイト>加入を祝って、乾杯!」
「ありがとうございます、姉御。乾杯!」
 バッカスが掲げたエールのグラスに紅桜酒のグラスをぶつけると、カチンと言う音色とともに店内の灯りを映して桜色の液体が美しい煌めきを放った。アトロポスは微笑みを浮かべると、よく冷えた紅桜酒を一口飲んだ。優しい甘さの中にほろ苦さが残り、冷たい紅桜酒が喉元を流れ落ちていった。

「美味しい……。やっぱり私、紅桜酒これが一番好き。見た目も綺麗だし、甘くて飲みやすいから……」
「飲み過ぎないでくださいよ、姉御。また部屋までおぶるのは勘弁ですぜ」
 ニヤリと笑いを浮かべたバッカスに、アトロポスは赤くなりながら言った。
「わ、分かってるわよ。あの時は、ちょっと飲み過ぎただけなんだから……。今日は絶対に大丈夫よ」
 『銀の白鳥亭』での失敗を思い出し、アトロポスは気を引き締めた。あの時は記憶が無くなるまで飲んで、バッカスをシルヴァと間違えて何度も抱きついたらしかった。

「先に明日の予定を確認しておきましょうか。午前中は火龍の材料をドゥリンさんに届けるわ。それと午後は私、ちょっとレウルーラに行ってくるから、明後日の待ち合わせを決めておきましょう」
「は? ちょっとレウルーラって……? 何でまた?」
 このザルーエクから首都レウルーラまでは、通常は馬で六ザンかかる距離だった。ちょっと行ってくる感覚では決してなかった。

「私が元々レウルーラに行ったのは、マントを新調するためだったのよ。予定通りなら、一昨日の夜には出来上がっているはずだから、急いで取りに行かないと……」
「つまり、予定があるのに、俺のために『破魔の迷宮』に付き合ったってことですか? まったく……、それならそうと言ってくださいよ。そうしたら、火龍狩りを延ばしたのに……」
 ハアッとバッカスがため息をついた。アトロポスの予定を潰してまで自分の用事を優先させてしまったことに、バッカスは責任を感じた。

「そうも行かないわよ。バッカスの剣は、あのドゥリンさんが打ってくれるのよ。『神明の鍛治士ゴッド・スミス』との約束は、何よりも優先させる必要があるわ。あの人の信用をなくしたら、二度と私の頼みなんて聞いてくれなくなってしまうわよ」
 気に入らなければ、王族の依頼さえも断るというドゥリンだった。いくらクロトーの伝手つてとは言え、一度なくした信用は二度と取り戻せないことは確実だった。

「そう言われるとそうだな……。分かりました、姉御。じゃあ、明日ドゥリンさんに材料を届けたら、俺も一緒にレウルーラに行きます。何しろ、俺は姉御の護衛をあの『妖艶なる殺戮ウィッチ・マダー』から命じられたので……」
 ニヤリと笑いながら、バッカスが告げた。クロトーの名前を出されたら、アトロポスも強く断ることができなかった。
(クロトー姉さんも余計なことを……。単なる護衛ならまだしも、いかなる時も一緒にいろだなんて……。まるで、夫婦みたいじゃない?)
 自分の考えに驚いて、アトロポスはカアッと赤くなった。慌てて頭を振ると、紅桜酒のグラスを掴んで一気に飲み干した。

「ちょ……姉御! どうしたんですか? まだツマミも来ていないのに、ペース速すぎですよ?」
「大丈夫です、このくらい……。おかわりお願いします」
「まあ、いいか……。今日は俺の加入祝いだし……」
 笑いながらそう告げると、バッカスも一気にエールを飲み干した。
「こっちもおかわりだ! 姉御、部屋も取ってあるし、今日はとことん飲みましょうぜ!」
「そうね……。パアッと行きましょうか?」
 目の前に置かれた新しいエールと紅桜酒のグラスを持つと、二人は再び乾杯をした。


(やっぱり、こうなったか……)
 三階の特別室スイートまでアトロポスを背負って運ぶと、バッカスは主賓室の扉を開いて彼女を豪奢な寝台に横たえた。
「姉御、大丈夫ですか? 水でも持ってきますか?」
「うーん……、らいじょーぶ。のどかわいた……」
「まったく……。ちょっと待っててください。水、取ってきます……」
 大きくため息をつくと、バッカスは急いで洗面台に向かって歩き出した。

(同じ部屋にしておいて良かったぜ。こんな状態で別の部屋じゃ、心配で眠れねえぞ)
 水を注いだグラスを片手に、バッカスは主賓室に戻ってきた。そこには、天龍の革鎧ヘルムドラーク・ハルナスを脱ぎ捨て、下着姿になったアトロポスが寝台に座っていた。どうやら、網掛けブーツが脱げなくて苦戦しているらしかった。

「バッカス、脱げないの……」
「まったく、男の前で何て格好してるんですか? しょうがねえな。今、脱がせてあげます」
 グラスをナイトテーブルに置くと、バッカスはアトロポスの前に跪いて編みかけブーツを脱がし始めた。アトロポスは楽しそうに足をパタパタと動かした。
「こら、動かないでください! 脱がせられないでしょうが……!」
 文句を言おうと顔を上げたバッカスの目の前に、十六歳にしては豊かな双乳が、白い下着に包まれながら揺れていた。

(おいおい……。夜這いどころか、誘われてるみたいじゃねえか? これで手を出したら、明日斬り殺されるぞ)
「脱げましたよ、姉御……。水、飲みますか?」
 脱ぎ散らかした天龍の革鎧ヘルムドラーク・ハルナスを寝台の脇に纏めて置くと、バッカスがナイトテーブルからグラスを取りながら訊ねた。

「うん……、飲ませて……」
「え……?」
 驚いて視線を移すと、アトロポスは潤んだ黒瞳でバッカスを見つめていた。それは、十六歳とは思えない濃艶な色香を映した瞳だった。
「ダンジョンで私がしてあげたように……、口移しで……飲ませて……」
 そう告げると、アトロポスは目を閉じて上を向いた。濡れたように艶やかな唇が艶めかしかった。

(やべえぞ、バッカス! 手を出したら、マジでやべえ!)
 ゴクリと唾を飲み込むと、バッカスは理性を総動員して告げた。
「ほら、冗談言ってないで、自分で飲んでください」
 その時、アトロポスが黒瞳を開いて、バッカスを睨んだ。
「嘘つき……」
「え……?」
 アトロポスの言葉の意味が分からずに、バッカスは彼女の顔を見つめた。

「大人の口づけ……教えてくれるって言ったのに……」
「あ、姉御……あれは……」
 驚きのあまり言葉を失ったバッカスの首に、アトロポスが両手を廻した。
「教えて……バッカス……」
 柔らかい唇が押しつけられると、小さくて熱い舌が入ってきた。甘い唾液とともにその舌が絡められた瞬間、バッカスの理性が溶けた。

 お互いの唾液を貪るような濃厚な口づけを交わすと、アトロポスが鼻にかかった甘い声を出し始めた。
「んっ……んぁっ……はっ……んはぁ……んあっ……」
 バッカスの右手がアトロポスの白い胸当てをずり上げ、形の良い左胸を包み込んだ。硬く尖り始めた蕾を手の平に感じながら、バッカスは優しく揉みしだき始めた。そして、ビクンッと震えるアトロポスの体をゆっくりと寝台に押し倒すと、バッカスは濃密に舌を絡めた。

 夜のとばりが下りた特別室スイートの一室に、アトロポスの切ない嬌声が響き渡った。
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