夜薔薇《ナイト・ローズ》~闇夜に咲く薔薇のように

椎名 将也

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第7章 戦慄の悪夢

5 魔の迷宮

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 一階層の入口で索敵を行った瞬間、アトロポスは蒼白になった。
「クロトー姉さんッ!」
「どうしたの、ローズ?」
 アトロポスの声から、ただ事でない気配を感じて、クロトーが眉をひそめた。
「一階層に、A級魔獣の魔力が……。それも、二十以上もッ!」
「何ですってッ!?」

 『風魔の谷』は、下級ダンジョンだ。一階層にいるのは、F級魔獣のゴブリンしかあり得なかった。A級魔獣が出てくるのは、十一階層以降の下層からのはずであった。五十階層を超える上級ダンジョンでさえも、一階層で遭遇するのはC級かD級魔獣だ。一階層から二十体以上ものA級魔獣が出現するなど、異常発生スタンピード以上の緊急事態であった。

「クロトーばあちゃん、作戦を変更した方がいい! この調子だと、二階層以降からS級魔獣が出る怖れもある。四人がばらけるのは良くない!」
「そうね。二人ずつ分かれるのは中止しましょう。片っ端から殲滅していくわよ!」
 レオンハルトのばあちゃん呼ばわりを怒ることも忘れ、クロトーが真剣な表情で三人に告げた。

「クロトー姉さん、一階層は私が掃除してきます!」
「ローズ、待ちなさ……」
 クロトーが止める間もなく、アトロポスの体がブレると地面に抉られた跡を残して消えた。一階層の奥から、轟音が何度も重なって聞こえてくると、三タルもしないうちにアトロポスが姿を現した。

「全部かたづけてきました」
 唖然とする三人にニッコリと微笑みながら、アトロポスが告げた。その整った顔には汗一つかいていなかった。
「ちょっと……。クロトーばあちゃん、何か言ってやって……」
 レオンハルトが疲れたように大きくため息をついた。その頭に、ゴツンとクロトーの魔道杖が振り落とされた。

「痛ッ……!」
「レオンハルト、さっきからばあちゃんって誰のことを言っているの?」
 美しい黒瞳がジロリとレオンハルトを睨みつけた。
「今、言うことはそれじゃないでしょ? ローズの殲滅速度、明らかに異常じゃない?」
 涙目で頭を擦りながら、レオンハルトが文句を言った。

「レオンハルト、アトロポスに常識を求める方が間違ってるぜ。非常識と書いてナイト・ローズと読むんだ」
 強面の顔に笑いを浮かべて告げたバッカスの言葉に、アトロポスが抗議した。
「失礼ね! 昔、常識外れのことばっかりしていたバッカスには言われたくないわ!」
「わ、悪い! 俺が悪かった!」
 慌てて謝るバッカスを見て、クロトーとレオンハルトが笑った。

「何だか知らないけど、完全にローズの尻に敷かれているみたいね」
「惚れた女の信用を得るのも大変みたいだね、バッカス」
 クロトーかアイザックから聞いたのか、バッカスがアトロポスに言ったセリフをレオンハルトが真似た。
「て、てめえ、レオンハルト……どこでそれを……!?」
「さあね? 僕の耳は盗賊クラスSなみなのさ」

「ぐうッ……」
 バッカスがクロトーの顔を見つめたが、まさかムズンガルド大陸最強の魔道士に文句も言えずに押し黙った。その様子を見て、クロトーが笑いながら告げた。
「あら、あたしは何も言ってないわよ。どっかのおしゃべりなギルマスじゃない? あたしは、子供を作らないようにってアドバイスしただけよ」
「ク、クロトー姉さんッ! もう、知らないッ!」
 アトロポスが真っ赤に染まった顔を両手で隠した。A級魔獣二十体以上を三タルもかからずに殲滅した女剣士も、『妖艶なる殺戮ウィッチ・マダー』にかかっては十六歳の少女と変わらなかった。


 第十階層までに出没したS級魔獣は、炎竜サラマンダー、怪鳥コカトリス、ドラゴニート、ロック・ゴーレムの四体だった。いずれも、『風魔の谷』には存在しないはずの魔獣であった。アトロポスがほぼ瞬殺で倒したものの、これらの魔獣が出現したこと自体が異常なことであった。

「どうなってるんだ、いったい? 下級ダンジョンにS級魔獣がいること自体が異常だし、それもこのダンジョンには現れるはずがない魔獣ばかりだ。クロトーばあちゃ……クロトーさん、どう思う?」
 『焔星イェンシー』レオンハルトが、眉間に皺を寄せながら訊ねた。

「ローズ、あなたたちは一昨日、このダンジョンに来たのよね? その時は何階層まで行ったの?」
 レオンハルトの言葉に眉を寄せると、クロトーが真剣な表情を浮かべながら訊ねた。
「十三階層です。そこで緑魔大蛇ヴェルデ・セルペンテと、ゴブリン・キング、ゴブリン・クイーンに遭遇しました。もともとゴブリン・キングの魔石を持ち帰る依頼だったので、それ以上は進んでません」
「クラスBも三人いたし、俺も緑魔大蛇ヴェルデ・セルペンテ相手に重傷を負ったので、そこで引き返しましたよ」
 アトロポスが告げた言葉をバッカスが補足した。

「そう……。でも、十二階層までは通常どおりゴブリンの上位種しかいなかったのよね?」
「はい。一階層からA級魔獣が出てくるような異常な状態ではありませんでした」
 クロトーに頷くと、アトロポスが真剣な表情で告げた。
「やはり、考えられるとしたら混沌龍カオス・ドラゴンがいた十五階層に巨大な魔素だまりができているわね。そこから、強力な魔獣が際限なく生み出されているとしか思えないわ」

「魔素だまりって、どうやって浄化するんですか?」
 『風魔の谷』に入る前、クロトーが魔素だまりを浄化することが目的だと告げたことを思い出し、アトロポスが訊ねた。
「知っての通り、魔素だまりは闇属性なのよ。だから、光属性魔法でしか浄化は出来ないわ。浄化魔法は得意だから、任せておきなさい。何なら、バッカスの不埒な考えも一緒に浄化してあげるわよ」

「それはいいですね。ぜひ、お願いします」
 クロトーの言葉に、アトロポスがバッカスの顔を見つめてニヤリと微笑んだ。強面の顔を引き攣らせると、バッカスが慌ててクロトーに告げた。
「か、勘弁してください、クロトーの姉御」
 その態度を見て、アトロポスたちは声を立てて笑った。


 十一階層、十二階層と進むにつれて、S級魔獣の出現頻度は高まっていった。十一階層では二体だったのが、十二階層では四体のS級魔獣と遭遇した。それも、上位のS級魔獣と呼ばれるドラゴン・デストロイヤーとオリハルコン・ゴーレムの姿もあった。

 ドラゴン・デストロイヤーは四大龍を人型にしたような魔獣で、全長五メッツェにも及ぶ巨体を硬質な鱗で覆っている凶悪な魔獣だった。その衝撃波ブレスは真空の刃で巨大な木々をも粉砕し、強靱な爪は岩をも斬り裂いた。
 レオンハルトが覇気の神刃しんじんで牽制し、バッカスが深江色クリムゾンの奔流を放って爆散させた。その破壊力を直接眼にして、クロトーがバッカスに告げた。

「バッカス、やはりずいぶんと覇気の使い方が上達したわね。以前に火龍狩りに行ったときと比べたら、別人のようよ」
「そうですか? まあ、緑魔大蛇ヴェルデ・セルペンテとの戦いでコツを掴んだ気はしますが……。でも、まだこの<火焔黒剣フレイム・エスパーダ>に頼るところが大きいですよ」
 左腰に差した<火焔黒剣フレイム・エスパーダ>のグリップを握りながら、バッカスが照れくさそうに笑った。

 オリハルコン・ゴーレムはロック・ゴーレムの上位種で、全高は十メッツェ以上もあり、その名の通り全身がオリハルコンから出来ている最硬度の魔獣だ。巨体に似合わず動きも俊敏で、その強靱な握力は巨岩さえも握りつぶした。
 唸りを上げて襲いかかる拳を避けながら、バッカスは深江色クリムゾンの神刃を放ったが、オリハルコンの体に弾かれて傷一つ与えることが出来なかった。

「バッカス、交替しよう。手本を見せてあげるよ」
 そう告げると、レオンハルトが凄絶な覇気の奔流を神槍<ラグナロック>に収斂し、オリハルコン・ゴーレムに向けて突き放った。壮絶な深江色クリムゾンの覇気が螺旋を描きながらオリハルコン・ゴーレムの体を貫通し、巨大な風穴を開けてオリハルコン・ゴーレムを爆散させた。

「さすが、槍士クラスSSだ……。凄まじいな……!」
 濃茶色の瞳を驚愕に大きく見開きながら、バッカスが感嘆の声を上げた。
「レオンハルトさん、前よりも強くなってませんか?」
「ローズに触発されて、こっそりと訓練していたみたいだからね」
 アトロポスの驚きの声に、クロトーが笑いながら告げた。

「バラさないでよ、クロトーばあちゃん」
「だから、誰がばあちゃんだって?」
 戻ってきたレオンハルトの頭を魔道杖で殴ると、クロトーがギロリとレオンハルトを睨みつけた。
「ご、ごめんなさい、クロトーお姉様……」
 涙目になりながら殴られた頭を擦るレオンハルトを見て、アトロポスたちが笑った。オリハルコン・ゴーレムを瞬殺した槍士クラスSSも『妖艶なる殺戮ウィッチ・マダー』の前では単なる若造に過ぎなかった。



 十四階層に足を踏み入れた瞬間、アトロポスは蒼白になって横に立つクロトーの美貌を見つめた。凄まじい魔素が階層全体を席巻していた。慌てて索敵を使ったアトロポスの脳裏に、巨大な七つの赤い光が映った。
「ク、クロトー姉さんッ!」
「分かってる……。この魔素、間違いなく水龍よ。ローズ、数は七体で間違いない?」
「は、はい……! 水龍までいるなんて……」
 クロトーの言葉にバッカスは驚愕し、レオンハルトが真剣な表情を浮かべた。

 四大龍序列第二位の水龍は、紛れもなく天災である。個々の強さは序列第一位の天龍と同等と言われ、数百種を超える魔獣のまさしく頂点に君臨する兇悪な存在であった。個体数が極端に少ない天龍と違い、水龍は群れを成す習性がある。以前にアトロポスが辛うじて倒した混沌龍カオス・ドラゴンと同等の力を持つSS級魔獣が、十四階層には七体も群れていたのだ。

(これが水龍か……? 冗談だろう? この魔気の大きさ、火龍なんて比べものにならねえじゃないか……?)
 火龍狩りに行ったとき、アトロポスが火龍の覇気の大きさが混沌龍カオス・ドラゴンの半分もないと告げたことをバッカスは思い出した。そして、それが事実であることを、バッカスは実感を持って理解した。

混沌龍カオス・ドラゴンは天龍や水龍と同等だと言っていたな……。アトロポスはこんな化け物を一人で倒したのか……!?)
 通常、同じ魔獣が二体いれば、その強さは相乗効果で四倍になると言われている。その理屈からすれば、七体の水龍は単体と比べて二の七乗で百二十八倍の強さに相当する。天災以外の何ものでもなかった。

「レオンハルト、ローズッ! 攻撃は任せるわ! あたしは結界を張ってバッカスを護るッ!」
「ハイッ!」
「分かった!」
 クロトーの指示に、アトロポスとレオンハルトが頷いた。現在のバッカスの覇気がSS級魔獣である水龍に通じないことを、全員が知っていた。

「待ってくれッ! 俺はアトロポスの護衛だッ! 俺も一緒に戦うッ! アトロポスを護るのが、俺の役目だッ!」
「そういうことは、これを破ってから言いなさいッ!」
 厳しい視線でバッカスを見据えると、クロトーは右手に持った魔道杖を天に向かって掲げた。

「生命(いのち)を司る森の精霊たちよ、見えざる鎧となりて、ものを包みたまえ! スピリット・シールド!」
 クロトーの全身が光輝に包まれ、直視しがたいほどの閃光を放った。その光が魔道杖の天龍の宝玉に集束していき、バッカスの頭上に巨大な光の玉を形成した。その光が弾けるように広がり、バッカスの周囲に光の滝となって流れ落ちた。ムズンガルド大陸最強の魔道士による光属性障壁魔法が、バッカスを取り囲むように形成された。

「……ッ! クロトーの姉御ッ!」
 厚さ一メッツェを超える光の壁を前に、バッカスが叫んだ。
「今のあなたでは、ローズの足手まといよ! そこで大人しくしていなさい!」
 そう告げると、クロトーはその美しい黒瞳で前方を見据えた。七百メッツェほど先の上空に、巨大な七体の巨龍が群れを成して羽ばたいていた。
(ローズ、レオンハルト……、頼むわね!)


「レオンハルトさんは右の三体を! 私は左の四体をやります!」
「分かったッ! 気をつけろ!」
 アトロポスの言葉にレオンハルトは頷くと、右前方を飛翔している三体の水龍に向かって駆け出した。距離は四百メッツェほどだった。地上から三十メッツェくらいの高さを、円を描きながら水龍は旋回していた。

 グッギャアァアアア……!

 そのうちの一体が、レオンハルトに気づいて咆吼した。大気を震撼させるその叫びで、残りの二体も、金色に輝く虹彩で迫り来るレオンハルトを見据えた。
 三体が同時に巨大な牙に覆われた口を開けた。その口腔の中で、蒼青色の魔気が渦を巻いた。次の瞬間、凄まじい破壊力を秘めた蒼炎の波動が螺旋を描きながらレオンハルトに向かって放たれた。

 三本の波動が重なり、バチバチと蒼炎の稲妻を放ちながら、巨大な一本の奔流と化した。直径二十メッツェを遥かに超える蒼青色の魔覇気が螺旋状に渦巻きながらレオンハルトに襲いかかった。
 水龍の衝撃波ブレスは絶対零度の氷結の嵐だ。全ての物を凍らせて、粉々に粉砕する死の波動そのものであった。広大な森をも氷の凍土に変える衝撃波ブレスが、三本重なりながら相乗効果で破壊力を高めながらレオンハルトめがけて急迫してきたのだ。

「『焔星イェンシー』を舐めるなッ!」
 レオンハルトの全身が深江色クリムゾンの覇気に包まれ、巨大な火柱となって燃え上がった。その紅蓮の炎が急速に収斂し、右腰に構えた神槍<ラグナロック>の穂先に収束していった。神槍<ラグナロック>の穂先が濃厚な深江色クリムゾンの閃光を放ち、周囲の大気が高熱によって陽炎かげろうとなった。

「ハァアアッ!」
 裂帛の気合いとともに、レオンハルトが神槍<ラグナロック>を突き出した。次の瞬間、その穂先から直視できない深江色クリムゾンの覇気が爆発し、超絶な奔流となって水龍の衝撃波ブレスめがけて襲いかかった。

 焔星イェンシー……。

 その二つ名そのものの如く、恒星の超熱火焔に比肩するほどの紅蓮の波動が、絶対零度の衝撃波ブレスを瞬時に蒸発させながら呑み込んだ。

 ズッドオォーン……!!

 大気を激震させながら、水蒸気爆発が起こった。絶対零度の氷が水となり瞬時に蒸発したため、一瞬のうちに体積が数千倍に増加して大爆発を起こしたのだ。だが、レオンハルトの放った紅蓮の波動は、その衝撃波さえも席巻して超絶な奔流と化し、その破壊力を吸収しながら三体の水龍に激突させた。

 断末魔の絶叫さえ上げることも出来ずに、三体の水龍が轟音とともに爆散した。
 神槍<ラグナロック>を頭上で回転させてから背中に戻すと、レオンハルトは左の戦場を見据えた。そして、驚愕にその碧眼を見開くと、ニヤリと満足そうな笑みを浮かべた。
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