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第8章 蒼氷姫
10 昇格試験失格
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「ぎゃあッ!」
冒険者ギルド・ダスガール支部の地下訓練場に、男の絶叫が響き渡った。蒼炎の神刃に両断された男の右腕が、鮮血を撒き散らしながら宙を舞った。
「そこまでッ! この勝負、イーディスの勝ちとする!」
審判を務めるギルドマスター、ジーナの声が勝敗を告げた。
ジーナは涙を流しながら地面を転げ回る男の顔をガッシリと左手で掴むと、その口に上級回復ポーションを挿し込んで無理矢理飲ませた。男の右腕が光輝に包まれ、その光が消え去ると何事もなかったように復元した。
「お疲れ様、イーディス。いよいよ次は決勝戦ね」
汗一つかくことなく二回戦を突破して戻ってきたイーディスに、アトロポスが笑顔で告げた。アトロポスとバッカスの特訓によって覇気による攻撃を修得したイーディスは、一回戦、二回戦ともに危なげなく短時間で勝ち進んだ。
「決勝の相手は、さっきの金属鎧の二刀流だな。風属性の覇気を使っていたから、気をつけろよ」
火、水、風、土の四大属性の中で、風属性は速度強化に特化しており、覇気の攻撃速度も四属性中最速と言われていた。
「大丈夫です。バッカスさんやアトロポスの動きと比べたら、止まって見えますよ」
バッカスの言葉をイーディスが笑って流した。実際に、バッカスの動きを視認することは、イーディスには未だに出来なかった。辛うじて気配を掴んで対応することが精一杯だった。アトロポスに至っては、その気配さえも掴むことが出来ないのだ。
「決勝なんてどうでもいいわ。問題はその後よ。あの女に一泡吹かせてやって!」
アトロポスがジロリと審判をしているジーナを睨みながら、イーディスに告げた。
「一泡って……。相手は拳士クラスSなのよ。勝てるはずないじゃない?」
「別に勝たなくてもいいわよ。あの女の腕の一本でも斬り落としてくれれば……」
アトロポスの言葉にため息をつくと、イーディスはバッカスを見つめた。バッカスも苦笑いを浮かべながら、肩を竦めた。
拳士クラスSのジーナが昇格試験の審判をやると聞いて、アトロポスはバッカスを連れて試験前にジーナに面会を求めた。そこで、バッカスに経験を積ませるために審判をやらせて欲しいと申し入れたのだ。その時のジーナの回答に、アトロポスは腹を立てていた。
「剣士クラスSになりたての冒険者に、昇格試験の審判なんて任せられるはずはないでしょう? まして、知り合いが出場するなら、尚更のことよ。もし、変なマネでもされたら、ギルドの信用に関わるわ」
「変なマネって、どういう意味ですか?」
ジーナの言い方にカチンときて、アトロポスが文句を言った。
「ひょっこり現れたあなたたちが信用できないって意味よ。審判は予定通り、あたしがやるわ。あなたたちは観戦席で大人しく見ていなさい。それに、どっちにしてもクラスDがいきなりクラスAになれるはずないでしょう? 受験料が無駄になっただけね」
そう言うと、ジーナは嘲笑うようにアトロポスを見据えた。
「な……ッ! そんな言い方……」
身を乗り出して文句を言おうとしたアトロポスの腕をバッカスが掴んだ。
「余計な申し出だったようだな、ギルマス。分かった。言うとおりに大人しく見ているよ」
「バッカス、ちょっと離してよ!」
「いいから、行くぞ。では、ギルマス。失礼します」
そう告げると、バッカスは不満げなアトロポスを引きずるようにギルドマスター室から退出した。
「どういうことよ、バッカス! あんなこと言われて黙っているなんて!」
ギルマス室から出た途端に、アトロポスがバッカスに文句を言った。
「ギルマスにも色々いるってことさ。レウルーラ本部だって、アルフレードさんの前任は酷い奴だった。いちいち相手をしていたら馬鹿を見るぞ」
「そうは言っても……」
バッカスの言いたいことを理解したが、それで感情が落ち着くはずはなかった。アトロポスはギルドマスター室の扉を蹴り飛ばしたい気持ちを何とか抑えた。
「それに、イーディスの力なら間違いなく優勝できる。あのジーナってギルマスと対戦するイーディスの身になってみろ。戦う前から敵対心を持たれたら、苦労するのはイーディスだぞ」
「……。分かったわよ……」
渋々とアトロポスはバッカスの言葉に従った。だが、その黒曜石の瞳は、明らかにジーナを敵として認定していた。
イーディスの決勝の相手は、全身に金属鎧を身につけた二十代半ばの男だった。名前はセルゲイといい、百八十セグメッツェくらいの背丈に広い肩幅を持つ俊敏な男性であった。兜は被っておらず、短く切り上げた焦げ茶色の髪に、鷹のように鋭い光を浮かべる濃茶色の瞳が印象的だった。
(二回戦を見る限りでは、動きは相当速かったわね。それでも、バッカスさんの半分の速度もなかった。問題は覇気攻撃ね。あたしの力では、彼の覇気を相殺出来ない。攻撃を避けながら、神刃を放つしかなさそうね)
覇気の相殺は、相手より数段上の実力がないと難しかった。瞬時に相手の覇気の威力を見極め、それとまったく同等の覇気をぶつけなければならないからだ。現在のイーディスには不可能な芸当だった。
「二人とも準備いいか? 三つ数えたら開始しなさい。三……二……一……始めッ!」
ジーナが上に掲げた右手で手刀を打ち下ろした。その瞬間、セルゲイの体がブレて消えた。同時に、イーディスの左側から鋭い突きが襲いかかった。
「……!」
イーディスは左前方に大きく跳躍すると、一回転しながら着地して距離を取った。だが、着地地点を予測していたかのように、セルゲイが肉迫してきて連撃を放った。右手の両手長剣が右上段から袈裟懸けを放ったと思えば、左手の刺突剣がイーディスの右横腹を鋭く突いてきた。両手長剣を鏡月冰剣で受け流し、体を開いて刺突剣を避けたイーディスに、セルゲイの連撃は切れ間なく襲いかかった。
左下からの逆袈裟、右からの薙ぎ払い、鋭い刺突、上段からの唐竹割り……。息をつく暇もないほどの連撃に、イーディスは後方へ宙返りをしながら大きく距離を取った。
(やっぱり、二刀流って面倒ね。攻撃が途切れる暇がないわ。こうなったら、一気に決めるしかないわね)
イーディスは再び後方へ大きく跳び退くと、セルゲイから距離を取った。そして、全身に蒼炎の覇気を纏わせると、鏡月冰剣を右肩に掲げて刺突の姿勢に入った。
「ハァアアッ!」
イーディスの全身から、蒼青色の覇気が一気に噴出した。高さ十メッツェ以上の蒼炎が、地下訓練場の天井を灼き焦がした。
その凄絶な蒼炎の覇気が急速に鏡月冰剣に収斂された。鏡月冰剣の白銀の刀身が、濃厚な青色に染まっていき、直視できないほどの蒼い閃光を放った。
「まずいぞ、アトロポスッ!」
鏡月冰剣に収束された蒼炎の覇気を見て、バッカスが叫んだ。そのまま放出したら、セルゲイを殺すだけに留まらず、地下訓練場さえも破壊しかねない威力だった。
「分かったッ!」
アトロポスは天龍の革鎧に覇気を流すと、速度強化と筋力強化を解放した。天龍の革鎧が二百五十倍に高めたアトロポスの速力と筋力を、ブラック・ダイヤモンドの首飾りがさらに二倍に強化した。五百倍となった漆黒の覇気を纏うと、次の瞬間アトロポスの姿が消失した。
「ハッ……!!」
裂帛の気合いとともにイーディスが鏡月冰剣で刺突を放った。凄まじい蒼炎が爆発するように膨張すると、超絶な奔流となって螺旋を描きながらセルゲイに襲いかかった。
「な……ッ!」
想像を遥かに超えるイーディスの攻撃に、ジーナは驚愕の表情を浮かべながら凍りついた。拳士クラスSである自分の覇気でさえ凌駕する蒼炎の奔流に、ジーナは為す術もなくセルゲイと自分の死を実感した。
「そんなッ……!?」
急速に襲いかかる死の蒼炎に、セルゲイは濃茶色の瞳を大きく見開きながら恐怖した。逃げる暇さえもない絶望の中で、セルゲイは目の前に漆黒の滝が流れるのを眼にした。
その滝が女の髪だと認識したのは、蒼炎の奔流が跡形もなく消え去った後だった。
五百倍に強化した速度でセルゲイの前に移動すると、アトロポスは<蒼龍神刀>で居合抜きを放った。イーディスの蒼炎の奔流とまったく同じ大きさの漆黒の奔流が激突し、轟音とともに地下訓練場を震撼させながら対消滅を起こした。
その状況を確認することもなく、アトロポスはイーディスに向かって怒鳴った。
「何考えてるの、イーディスッ! このダスガール支部を崩壊させる気ッ!?」
「え……? 崩壊?」
自分が放った蒼炎の覇気の威力に気づかず、イーディスが呆然とアトロポスの顔を見つめた。
「今の覇気はセルゲイさんやジーナさんを殺すだけじゃなく、この建物を崩し去るだけの威力よ! あれほど覇気の扱い方を教えたのに、全然制御できていないじゃないッ!」
アトロポスの言葉を聞いて、イーディスは初めて彼女が怒っている理由を理解した。
「イーディス、今の攻撃は明らかに過剰攻撃です! ローズが止めなかったら、セルゲイもあたしも死んでいた! それだけじゃなく、この建物も崩れて数え切れないほどの犠牲者が出たわ! よって、あなたは剣士クラスA昇格試験を失格とします!」
ジーナが厳しい表情でイーディスを見据えながら告げた。
「ジーナさんッ!」
ジーナの厳しい決定に、思わずアトロポスが声を荒げた。
「これはギルドマスターとしての決定よ。異論は認めないわ。イーディスは失格。セルゲイは力不足により不合格。今回の昇格試験合格者はなしよ」
「くッ……」
ジーナの告げた内容は正論だった。致死攻撃をした場合には、昇格試験が失格になることはギルドの規約にも明記されていた。アトロポスは抗議の言葉を呑み込んだ。
「それから、イーディス、ローズ、ギルドマスター室に来なさい。バッカスも一緒に連れてきなさい」
そう告げると、ジーナは踵を翻して地下訓練場の階段に向かって歩き去って行った。その後ろ姿を見ながら、イーディスはアトロポスに謝罪した。
「ごめんなさい、アトロポス。あなたの言うとおり、覇気の制御が出来なかった……」
悄然と頭を下げるイーディスを見据えて、アトロポスが告げた。
「今回は仕方ないわ。次の試験でまた挑戦すればいいわよ」
「うん……。ごめん……」
左肩に置かれたアトロポスの右手に、イーディスは自分の手を重ねながら頷いた。
冒険者ギルド・ダスガール支部で行われた剣士クラスA昇格試験は、一名の合格者も出さずに終了した。
「何で呼ばれたか、分かるかしら?」
応接ソファに足を組んで座り、肩に掛かる赤い髪を右手でかき上げながらジーナが訊ねた。三十代半ばの成熟した女の色気に満ちたジーナに、アトロポスは敵意を剥き出しにしながら答えた。
「イーディスの過剰攻撃に対する罰則ですか?」
アトロポスの答えを聞いて、ジーナは口元に笑いを浮かべながらイーディスの顔を見据えた。
「イーディス、二つ名を決めなさい」
「え……? 二つ名……?」
ジーナの言葉の意味が分からずに、イーディスは驚きの表情を浮かべた。冒険者にとって二つ名は、クラスAから名乗れる第二の呼称のようなものだ。剣士クラスA昇格試験を失格になったイーディスには不要のものだった。
「それって、まさか……!?」
黒曜石の瞳を驚愕に大きく見開きながら、アトロポスがジーナに訊ねた。『夜薔薇』を驚かせたことに満足げな微笑を浮かべると、ジーナが告げた。
「イーディスは、剣士クラスA昇格試験を失格となった。だから、ギルドマスター権限での特別昇格を適用するわ」
そう告げると、ジーナはイーディスの碧眼を真っ直ぐに見据えながら告げた。
「イーディス、あなたをたった今から剣士クラスSに認定します」
「け、剣士クラスS……!?」
美しい碧眼を大きく見開くと、イーディスが驚きの声を上げた。その様子を楽しそうに見つめると、ジーナが笑いながら言った。
「あの覇気は、拳士クラスSであるあたしを明らかに超えていたわ。本来であればセルゲイを助けなければならないあたしが、一歩も動けなかった。それほどの覇気を持つ者を、剣士クラスDのままにしておけるわけないでしょ?」
「ジーナさん! ありがとうございます!」
呆然として固まったままのイーディスに変わり、アトロポスがジーナに礼を言った。
「礼を言うのはあたしの方ね。ローズ、あなたがいなければ、あたしもセルゲイも死んでいたわ。イーディスの昇格は、あなたへのお礼も含めてのことよ」
「そんな……」
第一印象よりも遥かに話が通じる相手だったと、アトロポスはジーナに対する好感度を急上昇させた。
「イーディスは何か名乗りたい二つ名があるのか?」
成り行きを見守っていたバッカスが、強面の顔に獰猛な笑みを浮かべながらイーディスに訊ねた。この表情が嬉しさを表していることを、イーディスは最近気づいた。
「いえ。昇格試験に合格することで頭がいっぱいだったので、二つ名まで考えていませんでした」
「そうか。それなら、俺がつけてもいいか? 『蒼氷姫』なんてどうだ?」
バッカスが告げた二つ名に、イーディスが瞳を輝かせた。失恋したとは言え、未だに焦がれているバッカスに二つ名をつけてもらえることが、イーディスには純粋に嬉しかった。
「『蒼氷姫』ですか? いいですね」
「何で『蒼氷姫』なの、バッカス?」
喜びの表情を浮かべているイーディスと正反対に、アトロポスが不機嫌そうにバッカスを見据えた。
「蒼とか氷って、水属性のイメージだろ? それに、イーディスは美人だから姫が似合うと思ってな」
バッカスの言葉に、イーディスの顔が見る見る赤く染まった。
「美人って……」
熱くなった頬を両手で押さえながら、イーディスが恥ずかしそうに告げた。
「ふーん。たしかにイーディスは美人よね。私と違って胸も大きいし……」
「胸は関係ないだろう? どうだ、イーディス? 『蒼氷姫』は?」
焼き餅を焼いたアトロポスに肩をすくめると、バッカスが再びイーディスに訊ねた。
「はい。気に入りました。二つ名は、『蒼氷姫』にします」
「では、受付に行って新しいギルド証を発行してもらいなさい。昇格辞令は出来上がり次第、掲示板に貼っておくわ」
三人のやり取りを面白そうに見ていたジーナが、話を纏めるように告げた。アトロポスたちは改めてジーナに礼を言うと、ギルドマスター室を後にした。
【昇格辞令】
氏名 :イーディス=ヴァルキリア
二つ名:『蒼氷姫』
クラス:剣士クラスS(前、剣士クラスD)
パーティ名:<守護天使>
所属 :ザルーエク支部
その日、レウルキア王国すべての冒険者ギルドに、一枚の昇格辞令が掲示された。
冒険者ギルド・ダスガール支部の地下訓練場に、男の絶叫が響き渡った。蒼炎の神刃に両断された男の右腕が、鮮血を撒き散らしながら宙を舞った。
「そこまでッ! この勝負、イーディスの勝ちとする!」
審判を務めるギルドマスター、ジーナの声が勝敗を告げた。
ジーナは涙を流しながら地面を転げ回る男の顔をガッシリと左手で掴むと、その口に上級回復ポーションを挿し込んで無理矢理飲ませた。男の右腕が光輝に包まれ、その光が消え去ると何事もなかったように復元した。
「お疲れ様、イーディス。いよいよ次は決勝戦ね」
汗一つかくことなく二回戦を突破して戻ってきたイーディスに、アトロポスが笑顔で告げた。アトロポスとバッカスの特訓によって覇気による攻撃を修得したイーディスは、一回戦、二回戦ともに危なげなく短時間で勝ち進んだ。
「決勝の相手は、さっきの金属鎧の二刀流だな。風属性の覇気を使っていたから、気をつけろよ」
火、水、風、土の四大属性の中で、風属性は速度強化に特化しており、覇気の攻撃速度も四属性中最速と言われていた。
「大丈夫です。バッカスさんやアトロポスの動きと比べたら、止まって見えますよ」
バッカスの言葉をイーディスが笑って流した。実際に、バッカスの動きを視認することは、イーディスには未だに出来なかった。辛うじて気配を掴んで対応することが精一杯だった。アトロポスに至っては、その気配さえも掴むことが出来ないのだ。
「決勝なんてどうでもいいわ。問題はその後よ。あの女に一泡吹かせてやって!」
アトロポスがジロリと審判をしているジーナを睨みながら、イーディスに告げた。
「一泡って……。相手は拳士クラスSなのよ。勝てるはずないじゃない?」
「別に勝たなくてもいいわよ。あの女の腕の一本でも斬り落としてくれれば……」
アトロポスの言葉にため息をつくと、イーディスはバッカスを見つめた。バッカスも苦笑いを浮かべながら、肩を竦めた。
拳士クラスSのジーナが昇格試験の審判をやると聞いて、アトロポスはバッカスを連れて試験前にジーナに面会を求めた。そこで、バッカスに経験を積ませるために審判をやらせて欲しいと申し入れたのだ。その時のジーナの回答に、アトロポスは腹を立てていた。
「剣士クラスSになりたての冒険者に、昇格試験の審判なんて任せられるはずはないでしょう? まして、知り合いが出場するなら、尚更のことよ。もし、変なマネでもされたら、ギルドの信用に関わるわ」
「変なマネって、どういう意味ですか?」
ジーナの言い方にカチンときて、アトロポスが文句を言った。
「ひょっこり現れたあなたたちが信用できないって意味よ。審判は予定通り、あたしがやるわ。あなたたちは観戦席で大人しく見ていなさい。それに、どっちにしてもクラスDがいきなりクラスAになれるはずないでしょう? 受験料が無駄になっただけね」
そう言うと、ジーナは嘲笑うようにアトロポスを見据えた。
「な……ッ! そんな言い方……」
身を乗り出して文句を言おうとしたアトロポスの腕をバッカスが掴んだ。
「余計な申し出だったようだな、ギルマス。分かった。言うとおりに大人しく見ているよ」
「バッカス、ちょっと離してよ!」
「いいから、行くぞ。では、ギルマス。失礼します」
そう告げると、バッカスは不満げなアトロポスを引きずるようにギルドマスター室から退出した。
「どういうことよ、バッカス! あんなこと言われて黙っているなんて!」
ギルマス室から出た途端に、アトロポスがバッカスに文句を言った。
「ギルマスにも色々いるってことさ。レウルーラ本部だって、アルフレードさんの前任は酷い奴だった。いちいち相手をしていたら馬鹿を見るぞ」
「そうは言っても……」
バッカスの言いたいことを理解したが、それで感情が落ち着くはずはなかった。アトロポスはギルドマスター室の扉を蹴り飛ばしたい気持ちを何とか抑えた。
「それに、イーディスの力なら間違いなく優勝できる。あのジーナってギルマスと対戦するイーディスの身になってみろ。戦う前から敵対心を持たれたら、苦労するのはイーディスだぞ」
「……。分かったわよ……」
渋々とアトロポスはバッカスの言葉に従った。だが、その黒曜石の瞳は、明らかにジーナを敵として認定していた。
イーディスの決勝の相手は、全身に金属鎧を身につけた二十代半ばの男だった。名前はセルゲイといい、百八十セグメッツェくらいの背丈に広い肩幅を持つ俊敏な男性であった。兜は被っておらず、短く切り上げた焦げ茶色の髪に、鷹のように鋭い光を浮かべる濃茶色の瞳が印象的だった。
(二回戦を見る限りでは、動きは相当速かったわね。それでも、バッカスさんの半分の速度もなかった。問題は覇気攻撃ね。あたしの力では、彼の覇気を相殺出来ない。攻撃を避けながら、神刃を放つしかなさそうね)
覇気の相殺は、相手より数段上の実力がないと難しかった。瞬時に相手の覇気の威力を見極め、それとまったく同等の覇気をぶつけなければならないからだ。現在のイーディスには不可能な芸当だった。
「二人とも準備いいか? 三つ数えたら開始しなさい。三……二……一……始めッ!」
ジーナが上に掲げた右手で手刀を打ち下ろした。その瞬間、セルゲイの体がブレて消えた。同時に、イーディスの左側から鋭い突きが襲いかかった。
「……!」
イーディスは左前方に大きく跳躍すると、一回転しながら着地して距離を取った。だが、着地地点を予測していたかのように、セルゲイが肉迫してきて連撃を放った。右手の両手長剣が右上段から袈裟懸けを放ったと思えば、左手の刺突剣がイーディスの右横腹を鋭く突いてきた。両手長剣を鏡月冰剣で受け流し、体を開いて刺突剣を避けたイーディスに、セルゲイの連撃は切れ間なく襲いかかった。
左下からの逆袈裟、右からの薙ぎ払い、鋭い刺突、上段からの唐竹割り……。息をつく暇もないほどの連撃に、イーディスは後方へ宙返りをしながら大きく距離を取った。
(やっぱり、二刀流って面倒ね。攻撃が途切れる暇がないわ。こうなったら、一気に決めるしかないわね)
イーディスは再び後方へ大きく跳び退くと、セルゲイから距離を取った。そして、全身に蒼炎の覇気を纏わせると、鏡月冰剣を右肩に掲げて刺突の姿勢に入った。
「ハァアアッ!」
イーディスの全身から、蒼青色の覇気が一気に噴出した。高さ十メッツェ以上の蒼炎が、地下訓練場の天井を灼き焦がした。
その凄絶な蒼炎の覇気が急速に鏡月冰剣に収斂された。鏡月冰剣の白銀の刀身が、濃厚な青色に染まっていき、直視できないほどの蒼い閃光を放った。
「まずいぞ、アトロポスッ!」
鏡月冰剣に収束された蒼炎の覇気を見て、バッカスが叫んだ。そのまま放出したら、セルゲイを殺すだけに留まらず、地下訓練場さえも破壊しかねない威力だった。
「分かったッ!」
アトロポスは天龍の革鎧に覇気を流すと、速度強化と筋力強化を解放した。天龍の革鎧が二百五十倍に高めたアトロポスの速力と筋力を、ブラック・ダイヤモンドの首飾りがさらに二倍に強化した。五百倍となった漆黒の覇気を纏うと、次の瞬間アトロポスの姿が消失した。
「ハッ……!!」
裂帛の気合いとともにイーディスが鏡月冰剣で刺突を放った。凄まじい蒼炎が爆発するように膨張すると、超絶な奔流となって螺旋を描きながらセルゲイに襲いかかった。
「な……ッ!」
想像を遥かに超えるイーディスの攻撃に、ジーナは驚愕の表情を浮かべながら凍りついた。拳士クラスSである自分の覇気でさえ凌駕する蒼炎の奔流に、ジーナは為す術もなくセルゲイと自分の死を実感した。
「そんなッ……!?」
急速に襲いかかる死の蒼炎に、セルゲイは濃茶色の瞳を大きく見開きながら恐怖した。逃げる暇さえもない絶望の中で、セルゲイは目の前に漆黒の滝が流れるのを眼にした。
その滝が女の髪だと認識したのは、蒼炎の奔流が跡形もなく消え去った後だった。
五百倍に強化した速度でセルゲイの前に移動すると、アトロポスは<蒼龍神刀>で居合抜きを放った。イーディスの蒼炎の奔流とまったく同じ大きさの漆黒の奔流が激突し、轟音とともに地下訓練場を震撼させながら対消滅を起こした。
その状況を確認することもなく、アトロポスはイーディスに向かって怒鳴った。
「何考えてるの、イーディスッ! このダスガール支部を崩壊させる気ッ!?」
「え……? 崩壊?」
自分が放った蒼炎の覇気の威力に気づかず、イーディスが呆然とアトロポスの顔を見つめた。
「今の覇気はセルゲイさんやジーナさんを殺すだけじゃなく、この建物を崩し去るだけの威力よ! あれほど覇気の扱い方を教えたのに、全然制御できていないじゃないッ!」
アトロポスの言葉を聞いて、イーディスは初めて彼女が怒っている理由を理解した。
「イーディス、今の攻撃は明らかに過剰攻撃です! ローズが止めなかったら、セルゲイもあたしも死んでいた! それだけじゃなく、この建物も崩れて数え切れないほどの犠牲者が出たわ! よって、あなたは剣士クラスA昇格試験を失格とします!」
ジーナが厳しい表情でイーディスを見据えながら告げた。
「ジーナさんッ!」
ジーナの厳しい決定に、思わずアトロポスが声を荒げた。
「これはギルドマスターとしての決定よ。異論は認めないわ。イーディスは失格。セルゲイは力不足により不合格。今回の昇格試験合格者はなしよ」
「くッ……」
ジーナの告げた内容は正論だった。致死攻撃をした場合には、昇格試験が失格になることはギルドの規約にも明記されていた。アトロポスは抗議の言葉を呑み込んだ。
「それから、イーディス、ローズ、ギルドマスター室に来なさい。バッカスも一緒に連れてきなさい」
そう告げると、ジーナは踵を翻して地下訓練場の階段に向かって歩き去って行った。その後ろ姿を見ながら、イーディスはアトロポスに謝罪した。
「ごめんなさい、アトロポス。あなたの言うとおり、覇気の制御が出来なかった……」
悄然と頭を下げるイーディスを見据えて、アトロポスが告げた。
「今回は仕方ないわ。次の試験でまた挑戦すればいいわよ」
「うん……。ごめん……」
左肩に置かれたアトロポスの右手に、イーディスは自分の手を重ねながら頷いた。
冒険者ギルド・ダスガール支部で行われた剣士クラスA昇格試験は、一名の合格者も出さずに終了した。
「何で呼ばれたか、分かるかしら?」
応接ソファに足を組んで座り、肩に掛かる赤い髪を右手でかき上げながらジーナが訊ねた。三十代半ばの成熟した女の色気に満ちたジーナに、アトロポスは敵意を剥き出しにしながら答えた。
「イーディスの過剰攻撃に対する罰則ですか?」
アトロポスの答えを聞いて、ジーナは口元に笑いを浮かべながらイーディスの顔を見据えた。
「イーディス、二つ名を決めなさい」
「え……? 二つ名……?」
ジーナの言葉の意味が分からずに、イーディスは驚きの表情を浮かべた。冒険者にとって二つ名は、クラスAから名乗れる第二の呼称のようなものだ。剣士クラスA昇格試験を失格になったイーディスには不要のものだった。
「それって、まさか……!?」
黒曜石の瞳を驚愕に大きく見開きながら、アトロポスがジーナに訊ねた。『夜薔薇』を驚かせたことに満足げな微笑を浮かべると、ジーナが告げた。
「イーディスは、剣士クラスA昇格試験を失格となった。だから、ギルドマスター権限での特別昇格を適用するわ」
そう告げると、ジーナはイーディスの碧眼を真っ直ぐに見据えながら告げた。
「イーディス、あなたをたった今から剣士クラスSに認定します」
「け、剣士クラスS……!?」
美しい碧眼を大きく見開くと、イーディスが驚きの声を上げた。その様子を楽しそうに見つめると、ジーナが笑いながら言った。
「あの覇気は、拳士クラスSであるあたしを明らかに超えていたわ。本来であればセルゲイを助けなければならないあたしが、一歩も動けなかった。それほどの覇気を持つ者を、剣士クラスDのままにしておけるわけないでしょ?」
「ジーナさん! ありがとうございます!」
呆然として固まったままのイーディスに変わり、アトロポスがジーナに礼を言った。
「礼を言うのはあたしの方ね。ローズ、あなたがいなければ、あたしもセルゲイも死んでいたわ。イーディスの昇格は、あなたへのお礼も含めてのことよ」
「そんな……」
第一印象よりも遥かに話が通じる相手だったと、アトロポスはジーナに対する好感度を急上昇させた。
「イーディスは何か名乗りたい二つ名があるのか?」
成り行きを見守っていたバッカスが、強面の顔に獰猛な笑みを浮かべながらイーディスに訊ねた。この表情が嬉しさを表していることを、イーディスは最近気づいた。
「いえ。昇格試験に合格することで頭がいっぱいだったので、二つ名まで考えていませんでした」
「そうか。それなら、俺がつけてもいいか? 『蒼氷姫』なんてどうだ?」
バッカスが告げた二つ名に、イーディスが瞳を輝かせた。失恋したとは言え、未だに焦がれているバッカスに二つ名をつけてもらえることが、イーディスには純粋に嬉しかった。
「『蒼氷姫』ですか? いいですね」
「何で『蒼氷姫』なの、バッカス?」
喜びの表情を浮かべているイーディスと正反対に、アトロポスが不機嫌そうにバッカスを見据えた。
「蒼とか氷って、水属性のイメージだろ? それに、イーディスは美人だから姫が似合うと思ってな」
バッカスの言葉に、イーディスの顔が見る見る赤く染まった。
「美人って……」
熱くなった頬を両手で押さえながら、イーディスが恥ずかしそうに告げた。
「ふーん。たしかにイーディスは美人よね。私と違って胸も大きいし……」
「胸は関係ないだろう? どうだ、イーディス? 『蒼氷姫』は?」
焼き餅を焼いたアトロポスに肩をすくめると、バッカスが再びイーディスに訊ねた。
「はい。気に入りました。二つ名は、『蒼氷姫』にします」
「では、受付に行って新しいギルド証を発行してもらいなさい。昇格辞令は出来上がり次第、掲示板に貼っておくわ」
三人のやり取りを面白そうに見ていたジーナが、話を纏めるように告げた。アトロポスたちは改めてジーナに礼を言うと、ギルドマスター室を後にした。
【昇格辞令】
氏名 :イーディス=ヴァルキリア
二つ名:『蒼氷姫』
クラス:剣士クラスS(前、剣士クラスD)
パーティ名:<守護天使>
所属 :ザルーエク支部
その日、レウルキア王国すべての冒険者ギルドに、一枚の昇格辞令が掲示された。
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