調香師・フェオドーラの事件簿 ~香りのパレット~

鶯埜 餡

文字の大きさ
59 / 69
4.魔女の化粧水

過去と今と未来

しおりを挟む
 二人が支度して街に出ると、もう薄暗く、どこからかおいしそうなにおいが漂ってくる。
 街中央の広場に出店していた屋台の一つに入り、注文後、料理を待っている間、二人の間ではソープ・カービングの話が出ていた。
 ソープ・カービングとは石鹸ソープ飾り切りすることカービングであり、通常飾り切りするのは果物であるが、生もののためにあまり日持ちがしないこと、旬のものが必要になってくるため、一年を通して手に入れることは難しく、果物の代替品として選ばれたのだった。
 そのソープ・カービングは五大公会議とともに開かれる調香師会議において、フレグランスオイルなどのどれか一つのジャンルで競われ、来年はソープ・カービングの品評会が開かれることになっているのだ。

「お前は参加するのか」
「どうだろう? 専門職に比べて、専門知識があるかと言われればないからね。こないだのフレグランスコンテストはたまたま運が良かっただけで」

 ソープ・カービングの専門職は大公家や貴族の家にお抱えとして存在している。彫刻技術が必要であり、彫刻よりも柔らかいものを削るため、それを専門に扱う人でないと難しいといわれている。聴講するわけではないので、調香師資格がなくてもできるが、あるとより良いものだ。なぜなら使用している石鹸の素材の特性を見ることができるためであり、それを知っている石鹸彫刻師ソープ・カービング・マイスターの作品はそうでない彫刻師の作品と違って見えることが多い。

「そうか。でも、貴族御用達石鹸を作っているぐらいなんだから、やってみてもいいんじゃないのか?」

 ミールの言葉に時間があればとはぐらかすドーラ。
 たしかに今回みたいにある程度知識がある状態でならば、ラックはあるかもしれない。けれども、今まで全く手を付けてきていないことをするには一年という時間は短い。
 だから、それを専門としている人に対して、どこまでの差を埋められるのかはわからないから、挑戦してみたいという気と無理であるという気持ちが半々である。

「そういや明日、シーズン終わりの社交界に行くんだっけ」
「うん。コレンルファ伯爵夫人に誘われていて」
「《瑠璃色》の母君か」

 五大公会議つながりで思い出したのだろう、明後日の夜会にはポローシェ侯爵の秘書としてミールも給仕として手伝わせられるらしいが、ドーラは以前いろいろ手助けしたコレンルファ伯爵夫人に誘われていた。
 ミールの口から出てきたのはコレンルファ伯爵令嬢クララのあだ名。もう以前の彼女ではない。
 しかも、それはある理由で彼女を窮地に立たせるための別名。だから、彼女の“傷”をいやしたドーラにとってみれば、二度と口にしてほしくなかった名前だ。彼女は今、調香院で一から調香技術を学んでいるところ。
 彼女もドーラももう二度と社交界で惑わされてはならない。
 そう誓ったから。

「なあ、もし叔母さんが見つかったらどうする?」
「え?」

 ドーラがそれ以上、その話題を口にしたくないということに気づいたミールは今度は自分たち・・・・のことに話題を変えた。
 それにはドーラは少し目が点になったけれど、でも、彼の言いたいことがなんとなく理解できた。

「『ステルラ』はもともと叔母さんのだろ? 叔母さんが戻ってきたら、お前はそのまま店にいるのか?」
「そうだねぇ。あのときまでのように、叔母さんの下で働くっていうのもいいし、故郷に戻ってもいいし、ほかの大公国を見るために旅に出るっていう選択肢もあるかもね」

 ミールが言いたかったのは、もともと『ステルラ』はエリザベータ・フレッキのもの。だから、いつか彼女が戻ってきた場合には今、ドーラが接客している客の何割がエリザベータに流れていくのだろうかということ。
 もちろん「ドーラだから」『ステルラ』に来てくれている客もいるから、そういった客は離れていかないだろうが、三分の一くらいの客はエリザベータの突然の失踪前からだ。どういった理由で失踪したのかはわからないが、彼女が帰ってきたときにはおそらく三人の間で不穏な空気になるのは間違いないだろう。
 たとえそれをドーラが望まなくても。
 ドーラ叔母エリザベータの帰りを待っているが、同居人ミールの言いたいこともわからなくはない。おどけてそう言うドーラは心からの笑みだった。

「なあ、もし叔母さんが戻ってきたらさ――――」
「お待ちどうさま。ビーツと牛肉の煮込みだよ。ドーラ嬢ちゃんにはおまけで冬野菜の揚げ物フリッタ添えさ」

 空元気のドーラにミールがなにかを言おうとしたが、店員が運悪くできたての料理を持ってやってきた。この時期には最適な煮込み料理。鮮やかなピンクは独特であるけれど、いつもは街のはずれで営業しているこの店の味付けは最高なのを知っていた。

「じゃ、食べるか」

 不確かなこと――夢物語をしゃべり続けて料理が冷めてしまうのはよくない。そう判断したミールはそれ以上言わなかった。彼の言葉に気づいていなかったらしいドーラは、一目散に食べ始める。
 その食事姿をミールは寂しそうな視線で見つめていた。



 食事後にはもう祭りは終盤に差し掛かっていて、青年たちがどんちゃん騒ぎしているのを横目に見ながら帰途についていた。さっきまではいろんなことを話していた二人だったけれど、今は無言。ドーラは歩きながらふと上を見ると、無数の星が夜空を彩っていた。

「今日はきれいな星空だね」
「ああ。ここ数年の謝肉祭はどんよりとした曇り空だったらからな」

 この数年、この祭りはいつも雨が降るか降らないかのぎりぎりの天気が多かった。だから、今年みたいな星空の謝肉祭は価値があるのだ。

「あ、流れ星だ」
「ほんとだな」

 きれいな星空なうえに、流れ星まで。
 ドーラは立ち止まって、すっと流れ星に祈ってしまった。ずっと、この平穏が保たれますようにと。ミールはその様子を見守るだけだったが、その視線は温かいものだった。

 家に帰ったドーラは店の売れ残りの商品の中にあったかわいらしいアロマストーンを軒先につるした。流れ星の降る夜に石をつるすというものは『だれかとの再会を望む』というこの大陸での風習であり、たとえこの平穏な関係が崩れてもいいから、叔母に会いたい、心の中ではそう思っているドーラにぴったりのものであった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?

青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。 最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。 普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた? しかも弱いからと森に捨てられた。 いやちょっとまてよ? 皆さん勘違いしてません? これはあいの不思議な日常を書いた物語である。 本編完結しました! 相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです! 1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

クラス最底辺の俺、ステータス成長で資産も身長も筋力も伸びて逆転無双

四郎
ファンタジー
クラスで最底辺――。 「笑いもの」として過ごしてきた佐久間陽斗の人生は、ただの屈辱の連続だった。 教室では見下され、存在するだけで嘲笑の対象。 友達もなく、未来への希望もない。 そんな彼が、ある日を境にすべてを変えていく。 突如として芽生えた“成長システム”。 努力を積み重ねるたびに、陽斗のステータスは確実に伸びていく。 筋力、耐久、知力、魅力――そして、普通ならあり得ない「資産」までも。 昨日まで最底辺だったはずの少年が、今日には同級生を超え、やがて街でさえ無視できない存在へと変貌していく。 「なんであいつが……?」 「昨日まで笑いものだったはずだろ!」 周囲の態度は一変し、軽蔑から驚愕へ、やがて羨望と畏怖へ。 陽斗は努力と成長で、己の居場所を切り拓き、誰も予想できなかった逆転劇を現実にしていく。 だが、これはただのサクセスストーリーではない。 嫉妬、裏切り、友情、そして恋愛――。 陽斗の成長は、同級生や教師たちの思惑をも巻き込み、やがて学校という小さな舞台を飛び越え、社会そのものに波紋を広げていく。 「笑われ続けた俺が、全てを変える番だ。」 かつて底辺だった少年が掴むのは、力か、富か、それとも――。 最底辺から始まる、資産も未来も手にする逆転無双ストーリー。 物語は、まだ始まったばかりだ。

魅了だったら良かったのに

豆狸
ファンタジー
「だったらなにか変わるんですか?」

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

拾われ子のスイ

蒼居 夜燈
ファンタジー
【第18回ファンタジー小説大賞 奨励賞】 記憶にあるのは、自分を見下ろす紅い眼の男と、母親の「出ていきなさい」という怒声。 幼いスイは故郷から遠く離れた西大陸の果てに、ドラゴンと共に墜落した。 老夫婦に拾われたスイは墜落から七年後、二人の逝去をきっかけに養祖父と同じハンターとして生きていく為に旅に出る。 ――紅い眼の男は誰なのか、母は自分を本当に捨てたのか。 スイは、故郷を探す事を決める。真実を知る為に。 出会いと別れを繰り返し、命懸けの戦いを繰り返し、喜びと悲しみを繰り返す。 清濁が混在する世界に、スイは何を見て何を思い、何を選ぶのか。 これは、ひとりの少女が世界と己を知りながら成長していく物語。 ※週2回(木・日)更新。 ※誤字脱字報告に関しては感想とは異なる為、修正が済み次第削除致します。ご容赦ください。 ※カクヨム様にて先行公開(登場人物紹介はアルファポリス様でのみ掲載) ※表紙画像、その他キャラクターのイメージ画像はAIイラストアプリで作成したものです。再現不足で色彩の一部が作中描写とは異なります。 ※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

処理中です...