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4.魔女の化粧水
過去と今と未来
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二人が支度して街に出ると、もう薄暗く、どこからかおいしそうなにおいが漂ってくる。
街中央の広場に出店していた屋台の一つに入り、注文後、料理を待っている間、二人の間ではソープ・カービングの話が出ていた。
ソープ・カービングとは石鹸を飾り切りすることであり、通常飾り切りするのは果物であるが、生もののためにあまり日持ちがしないこと、旬のものが必要になってくるため、一年を通して手に入れることは難しく、果物の代替品として選ばれたのだった。
そのソープ・カービングは五大公会議とともに開かれる調香師会議において、フレグランスオイルなどのどれか一つのジャンルで競われ、来年はソープ・カービングの品評会が開かれることになっているのだ。
「お前は参加するのか」
「どうだろう? 専門職に比べて、専門知識があるかと言われればないからね。こないだのフレグランスコンテストはたまたま運が良かっただけで」
ソープ・カービングの専門職は大公家や貴族の家にお抱えとして存在している。彫刻技術が必要であり、彫刻よりも柔らかいものを削るため、それを専門に扱う人でないと難しいといわれている。聴講するわけではないので、調香師資格がなくてもできるが、あるとより良いものだ。なぜなら使用している石鹸の素材の特性を見ることができるためであり、それを知っている石鹸彫刻師の作品はそうでない彫刻師の作品と違って見えることが多い。
「そうか。でも、貴族御用達石鹸を作っているぐらいなんだから、やってみてもいいんじゃないのか?」
ミールの言葉に時間があればとはぐらかすドーラ。
たしかに今回みたいにある程度知識がある状態でならば、運はあるかもしれない。けれども、今まで全く手を付けてきていないことをするには一年という時間は短い。
だから、それを専門としている人に対して、どこまでの差を埋められるのかはわからないから、挑戦してみたいという気と無理であるという気持ちが半々である。
「そういや明日、シーズン終わりの社交界に行くんだっけ」
「うん。コレンルファ伯爵夫人に誘われていて」
「《瑠璃色》の母君か」
五大公会議つながりで思い出したのだろう、明後日の夜会にはポローシェ侯爵の秘書としてミールも給仕として手伝わせられるらしいが、ドーラは以前いろいろ手助けしたコレンルファ伯爵夫人に誘われていた。
ミールの口から出てきたのはコレンルファ伯爵令嬢クララのあだ名。もう以前の彼女ではない。
しかも、それはある理由で彼女を窮地に立たせるための別名。だから、彼女の“傷”をいやしたドーラにとってみれば、二度と口にしてほしくなかった名前だ。彼女は今、調香院で一から調香技術を学んでいるところ。
彼女もドーラももう二度と社交界で惑わされてはならない。
そう誓ったから。
「なあ、もし叔母さんが見つかったらどうする?」
「え?」
ドーラがそれ以上、その話題を口にしたくないということに気づいたミールは今度は自分たちのことに話題を変えた。
それにはドーラは少し目が点になったけれど、でも、彼の言いたいことがなんとなく理解できた。
「『ステルラ』はもともと叔母さんのだろ? 叔母さんが戻ってきたら、お前はそのまま店にいるのか?」
「そうだねぇ。あのときまでのように、叔母さんの下で働くっていうのもいいし、故郷に戻ってもいいし、ほかの大公国を見るために旅に出るっていう選択肢もあるかもね」
ミールが言いたかったのは、もともと『ステルラ』はエリザベータ・フレッキのもの。だから、いつか彼女が戻ってきた場合には今、ドーラが接客している客の何割がエリザベータに流れていくのだろうかということ。
もちろん「ドーラだから」『ステルラ』に来てくれている客もいるから、そういった客は離れていかないだろうが、三分の一くらいの客はエリザベータの突然の失踪前からだ。どういった理由で失踪したのかはわからないが、彼女が帰ってきたときにはおそらく三人の間で不穏な空気になるのは間違いないだろう。
たとえそれをドーラが望まなくても。
姪は叔母の帰りを待っているが、同居人の言いたいこともわからなくはない。おどけてそう言うドーラは心からの笑みだった。
「なあ、もし叔母さんが戻ってきたらさ――――」
「お待ちどうさま。ビーツと牛肉の煮込みだよ。ドーラ嬢ちゃんにはおまけで冬野菜の揚げ物添えさ」
空元気のドーラにミールがなにかを言おうとしたが、店員が運悪くできたての料理を持ってやってきた。この時期には最適な煮込み料理。鮮やかなピンクは独特であるけれど、いつもは街のはずれで営業しているこの店の味付けは最高なのを知っていた。
「じゃ、食べるか」
不確かなこと――夢物語をしゃべり続けて料理が冷めてしまうのはよくない。そう判断したミールはそれ以上言わなかった。彼の言葉に気づいていなかったらしいドーラは、一目散に食べ始める。
その食事姿をミールは寂しそうな視線で見つめていた。
食事後にはもう祭りは終盤に差し掛かっていて、青年たちがどんちゃん騒ぎしているのを横目に見ながら帰途についていた。さっきまではいろんなことを話していた二人だったけれど、今は無言。ドーラは歩きながらふと上を見ると、無数の星が夜空を彩っていた。
「今日はきれいな星空だね」
「ああ。ここ数年の謝肉祭はどんよりとした曇り空だったらからな」
この数年、この祭りはいつも雨が降るか降らないかのぎりぎりの天気が多かった。だから、今年みたいな星空の謝肉祭は価値があるのだ。
「あ、流れ星だ」
「ほんとだな」
きれいな星空なうえに、流れ星まで。
ドーラは立ち止まって、すっと流れ星に祈ってしまった。ずっと、この平穏が保たれますようにと。ミールはその様子を見守るだけだったが、その視線は温かいものだった。
家に帰ったドーラは店の売れ残りの商品の中にあったかわいらしいアロマストーンを軒先につるした。流れ星の降る夜に石をつるすというものは『だれかとの再会を望む』というこの大陸での風習であり、たとえこの平穏な関係が崩れてもいいから、叔母に会いたい、心の中ではそう思っているドーラにぴったりのものであった。
街中央の広場に出店していた屋台の一つに入り、注文後、料理を待っている間、二人の間ではソープ・カービングの話が出ていた。
ソープ・カービングとは石鹸を飾り切りすることであり、通常飾り切りするのは果物であるが、生もののためにあまり日持ちがしないこと、旬のものが必要になってくるため、一年を通して手に入れることは難しく、果物の代替品として選ばれたのだった。
そのソープ・カービングは五大公会議とともに開かれる調香師会議において、フレグランスオイルなどのどれか一つのジャンルで競われ、来年はソープ・カービングの品評会が開かれることになっているのだ。
「お前は参加するのか」
「どうだろう? 専門職に比べて、専門知識があるかと言われればないからね。こないだのフレグランスコンテストはたまたま運が良かっただけで」
ソープ・カービングの専門職は大公家や貴族の家にお抱えとして存在している。彫刻技術が必要であり、彫刻よりも柔らかいものを削るため、それを専門に扱う人でないと難しいといわれている。聴講するわけではないので、調香師資格がなくてもできるが、あるとより良いものだ。なぜなら使用している石鹸の素材の特性を見ることができるためであり、それを知っている石鹸彫刻師の作品はそうでない彫刻師の作品と違って見えることが多い。
「そうか。でも、貴族御用達石鹸を作っているぐらいなんだから、やってみてもいいんじゃないのか?」
ミールの言葉に時間があればとはぐらかすドーラ。
たしかに今回みたいにある程度知識がある状態でならば、運はあるかもしれない。けれども、今まで全く手を付けてきていないことをするには一年という時間は短い。
だから、それを専門としている人に対して、どこまでの差を埋められるのかはわからないから、挑戦してみたいという気と無理であるという気持ちが半々である。
「そういや明日、シーズン終わりの社交界に行くんだっけ」
「うん。コレンルファ伯爵夫人に誘われていて」
「《瑠璃色》の母君か」
五大公会議つながりで思い出したのだろう、明後日の夜会にはポローシェ侯爵の秘書としてミールも給仕として手伝わせられるらしいが、ドーラは以前いろいろ手助けしたコレンルファ伯爵夫人に誘われていた。
ミールの口から出てきたのはコレンルファ伯爵令嬢クララのあだ名。もう以前の彼女ではない。
しかも、それはある理由で彼女を窮地に立たせるための別名。だから、彼女の“傷”をいやしたドーラにとってみれば、二度と口にしてほしくなかった名前だ。彼女は今、調香院で一から調香技術を学んでいるところ。
彼女もドーラももう二度と社交界で惑わされてはならない。
そう誓ったから。
「なあ、もし叔母さんが見つかったらどうする?」
「え?」
ドーラがそれ以上、その話題を口にしたくないということに気づいたミールは今度は自分たちのことに話題を変えた。
それにはドーラは少し目が点になったけれど、でも、彼の言いたいことがなんとなく理解できた。
「『ステルラ』はもともと叔母さんのだろ? 叔母さんが戻ってきたら、お前はそのまま店にいるのか?」
「そうだねぇ。あのときまでのように、叔母さんの下で働くっていうのもいいし、故郷に戻ってもいいし、ほかの大公国を見るために旅に出るっていう選択肢もあるかもね」
ミールが言いたかったのは、もともと『ステルラ』はエリザベータ・フレッキのもの。だから、いつか彼女が戻ってきた場合には今、ドーラが接客している客の何割がエリザベータに流れていくのだろうかということ。
もちろん「ドーラだから」『ステルラ』に来てくれている客もいるから、そういった客は離れていかないだろうが、三分の一くらいの客はエリザベータの突然の失踪前からだ。どういった理由で失踪したのかはわからないが、彼女が帰ってきたときにはおそらく三人の間で不穏な空気になるのは間違いないだろう。
たとえそれをドーラが望まなくても。
姪は叔母の帰りを待っているが、同居人の言いたいこともわからなくはない。おどけてそう言うドーラは心からの笑みだった。
「なあ、もし叔母さんが戻ってきたらさ――――」
「お待ちどうさま。ビーツと牛肉の煮込みだよ。ドーラ嬢ちゃんにはおまけで冬野菜の揚げ物添えさ」
空元気のドーラにミールがなにかを言おうとしたが、店員が運悪くできたての料理を持ってやってきた。この時期には最適な煮込み料理。鮮やかなピンクは独特であるけれど、いつもは街のはずれで営業しているこの店の味付けは最高なのを知っていた。
「じゃ、食べるか」
不確かなこと――夢物語をしゃべり続けて料理が冷めてしまうのはよくない。そう判断したミールはそれ以上言わなかった。彼の言葉に気づいていなかったらしいドーラは、一目散に食べ始める。
その食事姿をミールは寂しそうな視線で見つめていた。
食事後にはもう祭りは終盤に差し掛かっていて、青年たちがどんちゃん騒ぎしているのを横目に見ながら帰途についていた。さっきまではいろんなことを話していた二人だったけれど、今は無言。ドーラは歩きながらふと上を見ると、無数の星が夜空を彩っていた。
「今日はきれいな星空だね」
「ああ。ここ数年の謝肉祭はどんよりとした曇り空だったらからな」
この数年、この祭りはいつも雨が降るか降らないかのぎりぎりの天気が多かった。だから、今年みたいな星空の謝肉祭は価値があるのだ。
「あ、流れ星だ」
「ほんとだな」
きれいな星空なうえに、流れ星まで。
ドーラは立ち止まって、すっと流れ星に祈ってしまった。ずっと、この平穏が保たれますようにと。ミールはその様子を見守るだけだったが、その視線は温かいものだった。
家に帰ったドーラは店の売れ残りの商品の中にあったかわいらしいアロマストーンを軒先につるした。流れ星の降る夜に石をつるすというものは『だれかとの再会を望む』というこの大陸での風習であり、たとえこの平穏な関係が崩れてもいいから、叔母に会いたい、心の中ではそう思っているドーラにぴったりのものであった。
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