調香師・フェオドーラの事件簿 ~香りのパレット~

鶯埜 餡

文字の大きさ
61 / 69
4.魔女の化粧水

フェアリーテイル

しおりを挟む
 大公邸の大広間で開かれる夜会にはいつものように貴族たちが思い思いの服を着て参加している。調香師になってもう何年もたっているけれど、今日はいつも以上にそわそわしてしまう。それは伯爵夫人にセットアップをしてもらったからという部分によるものだろうと結論付けていた。
 とはいえ、着ているものや髪形が違ったところで、しょせんはただの平民・・。調香師という立場があるからこの夜会に出席させてもらっているが、貴族というコミュニティーにはなじむことができず、ただ一人、伯爵夫人の後ろについてあいさつをしているだけだ。
 何人もの貴族たちとあいさつした後、見覚えのある紳士がドーラたちの目の前にやってきた。

「おや、別嬪さんだと思ったら、ラススヴェーテ嬢。今日のあなたは花の妖精みたいだな」
「ポローシェ侯爵、お戯れを」
「これはこれは、まいりましたな」

 冗談のような軽さで笑ったのは『ステルラ』のパトロンでもあり、エルスオング大公国調香院理事、エルスオング大公アンゼリムの番犬とも称されるポローシェ侯爵。
 あまり接点がないように見えたアンナとはウン十年前の成人の夜会以来の仲であるのだと前の事件の後に明かしていて、とくに社交界シーズンの間は頻繁に連絡を取り合っているのだとアンナが言っていた。

「お前さんがまさかコレンルファ伯爵夫人に気に入られるとはな」
「全くです。世の中、どうなるものかわかりませんね」

 生来、ドーラの運は悪いほうだと自分では思っている。
 小さいころに地主の娘というだけで何度、誘拐されそうになったかわからないし、公都に出てきてからも調香技術以外の部分ではからっきしだった。調香技術の師匠である叔母が失踪したのも、おそらくドーラの運の悪さのせい。
 それなのにこの一年、半年の間はがいい。
 ひょんなことからアイゼル=ワード大公国の女大公閣下と知り合い、外国の知己を得ることができた。そのおかげで調香師会議という場でやり取りするという度胸もついたのではないかと思える。

「しかし、今日の夜会は匂いがよりきついと思いませんか」

 とはいえ、まだ引っ込み試案であることには変わりはない。こんなきらびやかな場にいるのは間違いじゃないのかと思ってしまうくらいには。
 でも、“貴族”と“平民”という関係でなければ話は違う。
 アンナがちょっとほかの人と話してくるわと言って、ポローシェ侯爵とドーラのそばから離れた後、そっとドーラは侯爵に尋ねてしまった。すると苦笑いして、そうだなと肯定されてしまった。

「やっぱりお前さんもそう感じたか」
「はい。さすがにフランキンセンスやミルラの香りは少しであるからこそいいのであって、こうまで強いとむせ返してしまいそうで」

 ドーラが肩をすくめると、侯爵はまったくだとあきれたように頷いて、お前さんも知ってるかもしれんがと前置きしてから昔話をしだした。

「どの国でもそうだが、こういった夜会を催すときには絶対に武器・・としてフレグランスオイルは使われてきたのだが、今ほどきちんと香りの害というものが認知されていなかった。だから、百年ぐらい前に五大公国全体で夜会における香水やフレグランスオイルの厳禁令が出たことがあるんだが、そのたびに闇取引がひどくなってな」

 その話はドーラも調香技術を学んでいるときに聞いたことがあった。
 ハーブの利権の問題は調香師試験にはほとんど出ないところだが、こちらは精油の配合割合にも関わってくるところなので、かなり重要な歴史でもある。

「あまりにも匂いがきつすぎて、食事の香りさえ分からなくなる状態だったんでしたっけ?」
「その通りだ。それに訓練で汗をかいた後の香水と混じった匂いはとんでもなかった。だから、調理師と武官は職務中について香水の使用を禁じられたが、それ以外のときやそれ以外の職業の人間はどんなときでも問題ない。今でこそましになったが、十五年ぐらい前なんかは大公邸の廊下は大変な匂いだったぞ」
「……想像したくありませんね」

 人々の生活を豊かにする香り。
 それを使いすぎることによって、人々を害する香りに変わる。その移り変わりを知っているポローシェ侯爵はうんざりとしながらもきちんと説明してくれる。

「ああ、想像したくないだろうな。あれは悪夢のような場所だったから。だが、今のアンゼリム閣下が大公につかれてからすぐに、公共の場所での香害こうがい対策として、香水とフレグランスオイルの製造販売の免許制度ができたのさ」
「あれって、ごく最近だったんですね。叔母さまがとっていたので『ステルラ』ではなにも考えずに香水やフレグランスオイルを置いてましたけれど」

 質素倹約を家訓とするエルスオング大公家。
 五大公家の中でもっとも家格が劣るといわれるアイゼル=ワード家の前大公よりも一般人に近い感覚を持つ大公は、真っ先に手を付けたのが夜会において服飾以上に経済が回るとされている利権・・のはく奪。それは貴族だけではなく多くの調香師たちからも反発があっただろうが、断行した功績は大きい。
 しかし、それを知らない世代であり、自分の店ではなく成り行きで師匠おばの店を継いだだけの彼女にとっては、その功績は計り知れない。

「そうだ。とはいえ、また最近では五大公国のどこかから、もしくは帝国から禁薬きんやくと呼ばれるものが、闇市場に出回っているらしいから気をつけねばな」
「禁薬ってまさか――――」
「その通り。おそらく《堕ちたアザミ》関連の仕業だろうな」

 禁薬。
 調香用語の一つで、人々を惑わすための香りを放つものすべてを指す。
 それを使うことだけでなく、それを作り出すことは『調香典範』によって禁じられており、作った人間は調香師を示すバッジからとられた《堕ちたアザミ》と呼ばれる。彼らは調香師の世界から追放されるため、この禁薬を作り出す人間はなかなか現れない。
 五十年くらい前に帝国南部から五大公国との国境沿いにかけて活動をしていた組織を摘発して以来、禁薬は出回っていないとされていたが、どうやらまた出現してしまったらしい。
 禁薬の市場経路からしても、調香師だけの活動ではないことは確実とされていて、そういったものたちを一網打尽にする必要がある。

「ま、今は諜報員たちに探らせている最中だ。また手伝ってもらいたいときは声を掛ける」

 ポローシェ侯爵が動くということは、調香院所属の調香師も民間の調香師たちも動く可能性がある。
 しかし、まだそのときではないと暗に言われたドーラは、すっと意識をやかいに戻す。

「今は“華”を楽しんでなさい。せっかく伯爵夫人にドレスを作ってもらったんだから、ポローシェ侯爵という後見バックとコレンルファ伯爵という銘柄ブランドの広告塔としてしゃきっとしていなさい」

 今日はいつも以上にスポンサーが多い。
 その言葉にドーラはしっかりと頷き、ポローシェ侯爵の後ろについて貴族たちへの挨拶に回った。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?

青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。 最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。 普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた? しかも弱いからと森に捨てられた。 いやちょっとまてよ? 皆さん勘違いしてません? これはあいの不思議な日常を書いた物語である。 本編完結しました! 相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです! 1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

魅了だったら良かったのに

豆狸
ファンタジー
「だったらなにか変わるんですか?」

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

クラス最底辺の俺、ステータス成長で資産も身長も筋力も伸びて逆転無双

四郎
ファンタジー
クラスで最底辺――。 「笑いもの」として過ごしてきた佐久間陽斗の人生は、ただの屈辱の連続だった。 教室では見下され、存在するだけで嘲笑の対象。 友達もなく、未来への希望もない。 そんな彼が、ある日を境にすべてを変えていく。 突如として芽生えた“成長システム”。 努力を積み重ねるたびに、陽斗のステータスは確実に伸びていく。 筋力、耐久、知力、魅力――そして、普通ならあり得ない「資産」までも。 昨日まで最底辺だったはずの少年が、今日には同級生を超え、やがて街でさえ無視できない存在へと変貌していく。 「なんであいつが……?」 「昨日まで笑いものだったはずだろ!」 周囲の態度は一変し、軽蔑から驚愕へ、やがて羨望と畏怖へ。 陽斗は努力と成長で、己の居場所を切り拓き、誰も予想できなかった逆転劇を現実にしていく。 だが、これはただのサクセスストーリーではない。 嫉妬、裏切り、友情、そして恋愛――。 陽斗の成長は、同級生や教師たちの思惑をも巻き込み、やがて学校という小さな舞台を飛び越え、社会そのものに波紋を広げていく。 「笑われ続けた俺が、全てを変える番だ。」 かつて底辺だった少年が掴むのは、力か、富か、それとも――。 最底辺から始まる、資産も未来も手にする逆転無双ストーリー。 物語は、まだ始まったばかりだ。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

拾われ子のスイ

蒼居 夜燈
ファンタジー
【第18回ファンタジー小説大賞 奨励賞】 記憶にあるのは、自分を見下ろす紅い眼の男と、母親の「出ていきなさい」という怒声。 幼いスイは故郷から遠く離れた西大陸の果てに、ドラゴンと共に墜落した。 老夫婦に拾われたスイは墜落から七年後、二人の逝去をきっかけに養祖父と同じハンターとして生きていく為に旅に出る。 ――紅い眼の男は誰なのか、母は自分を本当に捨てたのか。 スイは、故郷を探す事を決める。真実を知る為に。 出会いと別れを繰り返し、命懸けの戦いを繰り返し、喜びと悲しみを繰り返す。 清濁が混在する世界に、スイは何を見て何を思い、何を選ぶのか。 これは、ひとりの少女が世界と己を知りながら成長していく物語。 ※週2回(木・日)更新。 ※誤字脱字報告に関しては感想とは異なる為、修正が済み次第削除致します。ご容赦ください。 ※カクヨム様にて先行公開(登場人物紹介はアルファポリス様でのみ掲載) ※表紙画像、その他キャラクターのイメージ画像はAIイラストアプリで作成したものです。再現不足で色彩の一部が作中描写とは異なります。 ※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

処理中です...