水鏡に照らされた嘘

鶯埜 餡

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『大雨のち、満天の星空』

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「早速だけど、君はストーカー被害に遭っているんだって?」
 出された茶を一服すると、康太の正面に座った八月朔日教授は本題をいきなり出してきた。
 康太は一瞬、戸惑った。それは予想とは違う問いであり、そして、その話は“誰”から聞いた話なのだろうか。答えによっては殺される。というか、言葉を発した時点で殺される。康太の戸惑いに、八月朔日教授は意味ありげな笑みを浮かべる。
 八月朔日教授の通り名である“笑顔の悪魔”とも評される彼の笑みは怖い。学部長だけあって、一筋縄ではいかない笑みを浮かべる。
 じっと答えを出さずにいると、やっぱり君って、口堅いねぇ、スパイなんかに向いているんじゃない、なんて言いながら、自分も半生菓子を頬張っていた。

「実はさ、前から優木から君が研究室内でストーカー被害に遭っているっていう話を聞いていてね」
 八月朔日教授の語りだした内容に康太は驚きを禁じ得なかった。いつも他人の事なんてどうでもいいと思っているような優木教授が、気にしていたのか。
「ストーカー加害者は現在学部四年の成績優秀者。大学院進学も決まっている彼女を大学側としては成績優秀者を囲っておきたいだろうし、そもそも大学のイメージが下がるって言って、大事にしたくないから彼女を警察に突き出すことはないだろうっていうところから、僕らが声をあげたところで、動かないだろうね。それに、ストーカーの被害者である君が訴えなければいけない。
 だけども、君の気持ちが分からなかった。君は大東紗栄子に付きまとわれて、どう思っているのかが分からなかった。でも、ある事情があって、ようやくこうやって君と向き合えることになった」
 八月朔日教授はつらつらとしゃべる。自分から話さなくて済むのはありがたいが、一体どこまでばれているのだろうかとソワソワしてきた。
「ある事情、とは何でしょうか――――」
 そっと尋ねると、待っていましたとばかりに、にこやかになった。
「おとといの夜、文学部の仁科準教授と心理学部の蓼科講師が血相を変えてこの研究室に駆け込んで来たんだよ」
 なんか聞き覚えのある名前に背筋が凍った。お茶碗を持っていた手が動かせなくなった。というか、なぜこの人を訪ねて来たんだと、考えてしまった。
「なんでも、うちの娘がふさぎ込んでいて、なんだかんだと。まあ、彼女たちと僕は接点なかったけれど、君のことを調べたら僕に繋がったんだって」
 教授の相変わらずの笑みが消えない。というか、康太の考えていることは見通されていた。
「で、彼女たちからの情報と前から知っていたものを統合した。
 そのあと、優木に学会中に何かなかったか電話で聞いたんだ。そしたら、いろいろ喋ってくれたねぇ。
 最終的な結論として、君が大東紗栄子からストーカー被害に遭っていることで、はい確定、と結論付けたんだよ。間違っていないでしょ?」
 教授の言い草に唖然としてしまった。だが、間違っていないので、否定せず、むしろ頷いてしまった。そして、補足説明した。すると、教授は大げさに身震いした。もちろん、康太もその気持ちは分かったので、何も言わなかった。
「なるほどねぇ。少しでもいい男の気を惹こうとする女って怖いねぇ。うちの蓮――ああ、甥っ子ね――そいつがこんなことに巻き込まれないことを祈るよ――――それはともかく、佐々木君の証言もとれたよ。これで彼が完全に被害者っていうことになったんだけれど、いいよね?」
 と教授は康太の後ろの壁に向かって叫んだ。一瞬、どういう意味かと思ったが、すぐに彼女たちはやってきた。
 見慣れた姿の二人は教授の隣に座り、康太の姿を見て少しため息をついた。だが、何も言わなかった。八月朔日教授は百合さんと梓さんにもお茶を出した。
「まあ、二人が佐々木君にいろいろ言いたい気持ちもわかるが、ストーカー被害として立件させる以上、これはもう君たち個人の問題じゃなくなっちゃうね」
 席についた教授は、二人に釘を刺すように言った。二人とも何も言わずに出されたお茶を啜っていた。
「ということで、佐々木君。まず君に確認」
 八月朔日教授の先ほどまでとは打って変わって真剣な言葉に康太は背を伸ばした。

「君は同じ研究室の後輩である大東紗栄子に一方的な好意を寄せられていて、君自身の意志とは反して、毎日のように付きまとわれた。挙句に、空港内で騒ぎを起こされた。君自身は、彼女に対する被害を訴える気はあるんだね?」

 その言葉にすぐに頷いた。
「わかった。じゃあ、諸々の手続きを手伝うよ。そして、仁科百合准教授と蓼科梓講師」
 教授は二人の方に目を合わせずに名前を呼んだ。二人もすっと背筋が伸びた。
「二人は、何も関係ないように大東紗栄子に接触しなさい」
 教授の言葉に二人だけでなく、康太も驚いた。
「――――――と言いたいけれど、君たちの事だろうからきっと冷静にはいられないだろうね。だから、君たちは何もしないでいいよ」
 教授の言葉に一瞬、むすっとした梓さんに対して、百合さんは落ち着いていた。梓さんの性格を知っている康太は、大惨事だけは回避できたと思えた。
「いざ必要だったら、君たちにも手伝ってもらうから。まあ、仁科君は委員会の方で同席するだろうから、それが手伝いになってしまうかもね。そして、蓼科君はここに駆け込んできた時点ですでに役立ってくれているんだよ?」
 続けて言った言葉に、梓さんは首をかしげた。
「この場では言えないけれど、これが本当に立件できれば僕の役に立つんだよ」
 八月朔日教授は笑顔だったが、それは三人とも凍り付かせる笑みだった。
「ということで、学内のことは任せておいて」
 教授は一瞬の後、いつもの笑みに戻った。
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