ナナイの青春生存戦略

しぼりたて柑橘類

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45.分からないから、怖い

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 その後もコズハをかばいながらしばらく歩き、家庭科室までやってきた。懐中電灯で辺りを見回すも、特段変わったところは見当たらない。

 食器は行儀よく棚に納まっているし、シンク付きの大きなテーブルには木の板で蓋が被せられている。パッと見、差し迫った異常は無さそうだ。

 だがしかし、開けてみたら化け物が飛び出るなんてよくある話。慎重に動いた方がいいだろう。


 「と、とりあえず着きましたね……」


 コズハの方に目をやると、相変わらず足がすくんでいる。内股で俺の左腕にしがみつくように着いて来ている。


 「……そうだな」

 
 平静を装って一言だけ返した。

 声が裏返っていないだろうか。引き攣らず、上手く表情を保てているだろうか。表に出さないよう努めたが、俺の内心はささくれるを通り越し毛羽立っていた。

 
 俺は、俺の腕にしがみついている女が怖くて仕方ない。

 コズハはエイリアンが怖いと言ったのだ。何度脳内で反芻しても嘘だとしか思えなかった。 

 苦手なものを克服するため、無知故恐怖する対象を知るため。嫌悪感のあるものに触れるなんてことは大いに有りうる。


 しかし、コズハはSF映画を見るのが日課、部屋中にエイリアンやら怪物のグッズが置かれ、エイリアンと化生探しをルーティンワークとしていた。日常生活を妨げるほどの恐怖を感じるものをずっと傍に置いておくだなんて、正気の沙汰ではない。なぜ俺はこの事実に気が付かなかった?

 俺が空っぽな人間だとするなら、俺を振り回して空っぽにしたこいつには何が詰まっているんだ?


 俺はコズハが怖い。正確に言えば、『コズハのことが分からない』のだ。


 「……ナナイ君」


 コズハが俺の腕を引っ張ってきた。
 

 「な、なんだ!?」


 慌てて答えて声が裏がえる。
 

 「いえ……なにか違和感でもあったのかと思いまして」

 
 違和感と言えば違和感なのだが、今の状態のコズハに質問したところで無駄に消耗させてしまうだけだ。俺の好奇心は俺の手で解決しなくては。


 「……鏡って話してたけどよ、黒板あたりも怪しいなって思ってたんだよ」


 なけなしの根性を振り絞って、俺は無知の恐怖に立ち向かった。


 「そうですね。ここの黒板は昇降式ですから、何かが隠されていても不思議ではありません」

 「そうだよな。そうだと思ったんだよ」


 俺は震えるコズハを引っ張って家庭科室へ侵入した。そして、1番近くの机の上にコズハをちょこんとのせた。体が震えすぎていて、足の減っている丸椅子では転んでしまいそうだったからだ。


 「それではナナイくん。黒板をお願いします」

 「黒板動かしてみるからそこで見てろ」

 「何を仰っているのですかナナイ君」



 コズハは、俺を見上げつつ両腕を伸ばしてきた。


 「……なんのつもりだ」

 「この有事において、我々は片時も離れるべきでは無いのでは?」

 「お前さっきまで引っ付いてただろ。いや、腕上げるから手頃な高さに掴まれるものがねえってことか?」

 「ご名答です。私は今、致命的なまで弱体化しています。具体的に言えば、素手でナナイ君の体にしがみつくことができません」

 「……それで?」

 「言わせないでください、恥ずかしい」

 
 眉毛すら1ミクロンも動かさず、コズハは手をさらに伸ばしてきた。人が動揺していると言うのに、なんて呑気な女だ。いや、こいつにとってはいつも通りなのかもしれないのか?どっちなんだ?

 
 色々考えた結果、俺はコズハに背中を向けてしゃがんだ。


 「……すぐ終わるぞ。俺が乗せてやるから、とっとと黒板下げろ」

 「ナナイ君の素直じゃないところ、私好きですよ」

 「今言う言葉かよそれが……」


 文句を口にしつつもコズハを背負い、足を抱えて立ち上がった。紛うことなきおんぶの構えである。


 「手、届くか?」

 「見くびらないでください。こう見えて手を伸ばして届かなかったものはありません……よっ」


 コズハの掛け声と同時に、頭上でガラガラと滑車の音がした。そして、


 「ぎゃっ──」


 断末魔みたいなものが聞こえて体が後ろに引っ張られた。


 「な、何だ何だ!?」


 急いで後退し、バランスを取る。コズハの顔が俺の頭のすぐ横にしなだれかかってきた。

 
 「……」


 コズハの顔を見てみたが、息が上がって虚空を見つめている。

 
 「……あ?上か?」


 見上げると顕になった黒板いっぱいに、赤い手形が着いていた。良かったーこれなんもねえと思って見てたらビビり散らかしてたな。


 「うーわこりゃ掃除大変だな」


 ボソリとつぶやくと、


 「……」

 
 コズハの口がかすかに動いた。
 

 「大丈夫か?」

 「……こ」

 「こ?」

 「これ、暗号じゃないでしょうか」

 「は?」


 懐中電灯を当てて、目を凝らしてみる。確かに指が開かれた手、閉じた手が無作為に押されていると言うよりは列を成している感じだ。薄目で見れば脳トレとかにありそうな気がする。

 問題は、俺はいくらこの模様を見ても手がいっぱい押されてんなってことしか分からないことだ。
 

 「なんかわかったか?」

 「私も分かりません。しかし長く見ていると怖すぎて正気でいられないのでとりあえず次です、次。鏡を見てみようでは無いですか」


 コズハは震える手で、俺の頬を軽く叩いた。


 「……そろそろ下ろしていいか?」

 「ダメです。足が動く気がしませんので。それに私は絹のような軽さをしているため、問題など無いはずですが」

 「……」


 正直な話、コズハは強靭な筋肉の塊である。着痩せもするし、同じ体格の常人より些か重い。しかし俺は今、そのコズハに頸動脈を抱えられている。余計なことに口を出すべきではなかろう。


 「とりあえず見てみるぞ」


 恐る恐る、俺が両手を広げたのと同じくらい大きな鏡の前に立ち、ゆっくり上にかかった布を寄せた。


 「……」

 「……はぁ」


 そこに貼られていたのはおびただしい数のメモ用紙であった。ざっと数えて百枚以上、全てに走り書きが書かれ、まるで呪いの札の類のようだ。

 この中のどれかに、問題文があるとでも言うのか。それか全部が問題に関係あるのか……。

 途方も無い作業が始まろうとしていた。
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