ナナイの青春生存戦略

しぼりたて柑橘類

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62.月下、川辺に揺蕩い

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 俺はコズハに手を引かれるまま、河川敷まで連れてこられた。土手の上、俺はコズハと並んで川を眺めている。アスファルトの敷かれた一本道からでも、月の光が反射して川のせせらぎが感じられた。

 
 「着きました。……ようやく」


 息を切らしながら、コズハは言う。しかし、雑木林と河川敷は大して離れていない。せいぜい200メートルで、体力おばけがバテるはずもない。


 「何言ってんださっき走り始めたばっかだろ」

 「いいえ、十年かかりましたから。ようやくですよ。ようやく、ここに戻れました」


 肩で息をするコズハが、震えている理由は疲れているからではない。
 
 十年前、俺の記憶喪失。コズハのように活発な俺。執拗に川を避け、俺を連れ回したコズハ。コズハが宇宙人を避ける理由。コズハが口にした『二度と忘れられないため』。

 察しの悪い俺ですら気付いてしまいそうなほど、状況証拠は揃っていた。


 俺は思い付いたことを、口走りそうになった。


 「……なあ、コズハ」

 「どうしたのですか?ナナイ君」


 いつものように問いかけるコズハの顔は、相変わらず無表情だった。

 しかし、無愛想ではない。普段はメガネの裏に隠れる目が、ぱっちりと開かれている。


 「……」


 反射的に口を押さえた。
 俺は気付くべきでない。気が付いたとしても、俺が言うべきではない。十年の苦しみを、恩情を、悔恨を、軽々しく俺が口にして流してはならない。十年も忘れていた俺には、このくらいしかできない。

 覚悟は決まりきっていた。


 「だから、どうしたのですか?」

 「お前的に、どの辺がいいんだ?この川」


 質問に質問を返す。コズハは目を丸くして首を傾げる。


 「……と、言いますと?」

 「ベストポジションはどこだよ。下のベンチか?それとも橋の下か?」

 「……」


 数秒間、キョトンとした様子で俺の顔を見つめると、


 「なるほど、そういうことですか。教えてしんぜましょう」


 コズハは川上に向かって、俺の手を引きらじめた。

 歩いては立ち止まり、また歩いてはキョロキョロと周りを見回す。風景が変わった訳では無い。

 川沿いなんて詳しくないやつから見れば、石とかベンチの有無しか違いが分からないのだ。


 「……もう少し先ですね。着いてきてください」

 「ああ。わかった」


 だが、違うのだ。

 十年も経てば川沿いの様子なんて変化して当然だ。川の形は変わり、石は持ち去られ、増水すれば流木が横たわり、ベンチも撤去されるかもしれない。

 でも、違うのだ。


 「ありました」


 コズハは立ち止まり、振り返って俺を見上げた。


 「ここです。ここのアスファルトに座って、土手に足を垂らしてください」


 指さしたのは、何の変哲もない土手の途中。きっと俺は次やってきても、コズハの助けなしでは探し当てることができない。

 しかし、指さすコズハの顔はあまりに晴れやかで、光り輝いているようだった。


 「ああ。ありがとよ」

 「あ、ナナイ君はもっと右です。私が先に座っていて、ナナイ君が横に座ってきたので」

 「そうか、じゃあこの辺だな?」

 「はい。まさにそこです」


 俺は指定席に腰を下ろした。アスファルトだし、座り心地は良くない。対岸は月の光に照らされて青白く見えるが、俺には思い入れが無さすぎる風景だ。今や、かつての『和唐ナナイ』に思いを馳せることしか出来ない。

 
 「綺麗だな」


 率直に呟いた。


 「……はい。本当に」


 声が震えている。

 俺は知らない川のせせらぎを、揺れる山の木々の影を、流れゆく薄い雲の行方をただ眺めていた。

 
 「私は臆病で、卑屈で、ちっぽけで、自分が無くて。目が悪いのに、幼稚園で分厚いメガネをバカにされるのが嫌で。私、目が良くなるって聞いたから山を眺めてたんです。ひとりぼっちで」


 コズハは言う。


 「メガネをかけずに毎日ずーっと山を眺めてたら、声が聞こえたんです。『楽しいのか、それ』って。……私男の子とお話するのが初めてで、咄嗟に出たんです……敬語が。『近付かないでください』って」


 そして滔々と続ける。
 

 「お願いは聞き入れられませんでした。『あ、鳥が飛んだ!』とか『魚が跳ねた!』とか、『あの雲、なんて雲なんだ?』とか色々話してくれたんです。でも私にはなんにも見えません、全部ぼやぼやです。
 幸い、私の趣味は図鑑を読むことでした。ページ数が多くて、大きくて、難しいから、読んでいるあいだは誰も話しかけてこなくなるんです。
 だから特徴を教えてもらって、私の知っている鳥とかお魚とか雲の名前を教えてあげました。
 男の子はそれから、毎日私のところに来て色んなことを聞いてくれました。私はもう楽しくって、毎日のように本を読みあさりました」


 そこまで言うとコズハは立ち上がり、土手を下って行った。慌てて俺も斜面を下りていく。


 「ある日、男の子は川について聞いてきました。私は上流から下流まで、石の特徴から海に繋がることまで、勉強したことを沢山話したんです。
 でも、男の子の方が沢山のことを知ってました。水の冷たさ、苔の感触、生臭い匂い、急に深くなってることまで。彼、ダメって言われてた川遊びの常習犯だったんです」


 コズハは川辺までやってくると、おもむろに靴を脱いで石だらけの岸に揃えて置いた。そしてざぶざぶと川の中に入っていくのだ。


 「危ねぇぞ!靴脱ぐな!」


 俺も慌てて川に入る。四月の川は肌を刺すような冷たさだ。瞬く間に足を芯から冷やし、しびれさせる。苔の生えた石はヌメヌメと滑りやすくところにより尖っている。砂利の床は俺の重心を不規則に動かした。

 俺には全てが未知であり、刺激的だ。悴む足先も、膝上まで淡水に浸かる感覚も。月明かりに照らされたコズハの顔が、この上ないくらい満足そうなことも。腹の底から浮ついた感覚になる。


 「……はぁ、この感覚。この冷たさ。動く度に張り付いた服に引っ張られる感じ。変わりませんね」


 コズハは目を閉じて、息をいっぱいに吸った。そして、俺の方を向いた。


 「私は彼に手を引かれるまま、人目のつかない上流に行って、人生初の川遊びをしました。こんな風に」


 不意に、川の水が俺にかかった。


 「……うぶっ!?」


 口と鼻に飛び込む川の水の甘い匂いと冷感。砂なのか、苔なのか、はたまた虫か、異物感が点々と肌に残る。

 冷たい水のかかったTシャツとズボンはゆっくりと水を染み込ませていき、下着と素肌を濡らしていく。

 遅れて理解した、コズハが川の水を俺にかけたのだ。

  
 「お前……!」
 

 ふと、思った。川の雑菌の多さを。音を立てることで誰かに気づかれる可能性を。あまりにも暗く、何が流れ着いていても分からない恐ろしさを。

 
 「ああっ、知らねえからな!」


 それら全ての懸念を水泡に帰すように、コズハに向けて水をかけた。


 「ふふっ、やりましたね。お返しです」

 「ぐっ、テメェ!!」

 「ふふふ、中々筋がいいですね。ですが」

 「ぎゃあっ!冷たっ!!」


 俺らは息が上がるまで、水をかけ合い続けた。


 頭から水を大量に被り、俺らは体の芯まで冷えきったというのに未だに川の流れの中にいる。

 
 コズハは呆然と月を見上げ、頬を緩ませた。


 「あー……楽しかった……久しぶりですね。また、やりましょう」

 「……はぁ……せめて、夏にやろうぜ。ゴールデンウィークですらねえのに川遊びとか、死にかねねぇ……」

 「ふふふ、そうですね。私も先程から歯の根が全然合いません」


 身を震わせながら笑うコズハは、傍目から見たら自殺企図者にしか見えなかった。そいつに向き合って笑い返す、俺もおかしい人間に違いなかった。


 「……じゃあ続きそろそろ話せるか?」

 「続き?ああ、そういえば途中でしたね。あとちょっとですし、このまま話してしまいましょう」

 「ちょっと、って今の所川遊びした話までしか聞いてねえぞ?もっと……こう……」


 俺が言い淀むと、コズハが俺の手を握ってきた。


 「私が言いたいのは、あとほんのちょっとなのです。すぐ、終わりますから、ね?」


 コズハの濡れた手は小さく、そしてふやけ、微かに震えていたが暖かみを感じた。見上げてくる顔は寒さに引きつっている。しかし、ぎこちなく歯を出して笑っていた。

 こうなったコズハを俺は止められない。


 「ああ。好きにしろ」


 コズハは目を細めて、俺の手を支えにするようにさらに強く握った。


 「……川遊びの最中に底が見えなくて足を取られたんです。彼は溺れかけた私の手を掴んで引き上げてくれました」


 コズハは続ける。


 「それだけではなく見えないだろうからって、私が持ち歩いていたメガネを掛けてくれました。可愛いって、頭良さそうって、沢山褒めてくれました。
 以来、私はずっと、メガネを外していません寝る時だって一緒です。こうなった私は、可愛いので」

 
 手の握る力がいっそう強くなった。震えがさらに大きくなってきて、コズハは俺の方に身を寄せた。
 
 
 「……あれから沢山のことがありました。辛いことも、楽しいことも、悲しいことも、喜ばしいことも。
 でも、ナナイ君の人の良さには驚きました。危険から遠ざけるために沢山のことを知ろうとしたら、私が心配だって勝手に寄ってくるんですもん。ユーちゃんと友達になったのも含めて、嬉しい誤算でしたね。
 あっという間の十年でした。私はナナイ君のおかげで退屈しませんでした」


 コズハは軽く頭を下げてきた。


 「俺もだよ。色々あったけど、今はすげえ晴れやかだ。ありがとな」

 「……へ、へへっ……」 

 「なんだよその笑い方は」

 「その……ちょっと力みすぎたら、素が出て……力抜けちゃって……へへっ」


 力の抜けた笑みを浮かべて、コズハは照れ隠しをするように笑った。

 そして先程まで俺と向き合っていた目線をわずかに逸らし、蚊の鳴くような声で話し始めた。
 
 
 「……そ、その。それと、これから……私が言うことを、どうかその……ちゃんと聞いていてくださいね」

 「……」
  
 「へ、返事……お願いします……!」

 「は、はい!」


 コズハは俺の手を握ったまま、自分の胸に手を置いて息を吸った。そして、俺を真っ直ぐ見つめる。


 「い、言いますよ……」

 「……おう」

 「ほ、ほ、ほんとに、言っちゃいますからね……!」


 青白い月明かりに照らされているのに、目に見えてわかるほどコズハの顔は真っ赤だ。俺も正直、隠せている自信はない。

 コズハの体は信じられないくらい震えている。俺も同じくらい震えている。寒さなのか恐怖なのか、緊張なのかまるで分からない。


 息を吸って、吐いて、少しずつ整えてから、コズハは今まで聞いたことの無いような声量で叫んできた。


 「な、ナナイ君っ……!」

 「は、はい」


 その勢いに思わず、俺の口調も引っ張られる。


 「わわわっ、私!あなたのことが!ず、ずっと前から!」

 「はい……!」
 
 「す、すっ!!」


 コズハは懸命に息を吸い込み、俺目掛けて大きく口を開いた。


 「す「おーい!!ナナイにコズハー!」!」


 思わず、固まる。

 揃って対岸に目をやると、そこには能天気に手を振るユーの姿。文字通り、冷水をかけられたのだ。


 「ナナイもコズハも早く帰ってきてって言ってたから、すぐ終わらせてそのまんま帰ってきたゆー!!そんなところに居ないで、早くご飯食べようゆー!!」


 ぴょんぴょん飛び跳ねてこちらにアピールを続けている。一体あいつは、この短時間でどんな偉業を成してきたのだろうか。


 「は、はは……今かよ。よりによって……」

 「あ……あ、あああっ……」

 「……コズハ?」


 コズハは声を漏らしながら手を離すと、流れを掻き分けて大股でユーの方に向かった。


 「お、コズハ!ナナイと何してたんだゆー?わざわざ出迎えてくれるなんて嬉しいゆー!」

 「……なんで」

 「ゆ?」


 コズハはユーの触手を正面から握り、巻き取るように引っ張った。


 「なんでよりにもよって今なんですか!!バカっ!バカユーちゃん!ほんとバカ!バカ!ばーかっ!!」

 「痛だだだだ!!ちぎれるっ!裂ける!!!」

 「うるさいですユーちゃんのバカ!おかえりなさい!許しませんよ!!」
 
 「ぎゃああああっ!!!痛い!!なんでこんなに怒ってるんだゆー!?!?」


 ユーはコズハの手を解こうと躍起になっているが、そのせいで引っ張られる二重苦を受けているらしい。コズハの足で背中を踏まれ、ダンボールをまとめる時の引っ張る動作よろしく縛られている。普通に痛そうだ。

 ……でも今回ばかりは、止めなくていいか。


 「……へへっ」


 力が抜けたせいで変な笑いが出た。ざぶざぶと、俺も岸から上がる。四月の寒さが身に染みるようだ。


 「あ、ナナイ!ナナイも上がったのかゆー!?助けて欲しいゆー!!なんでこんなにコズハは怒ってるんだゆー!?」

 「……おかえり。待ってたぞ」

 「ただいま!
 じゃなくて今はコズハをどうにかしてくれゆー!!ぎゃああああっ!!!」


 その後、コズハの気が済むまでユーは引っ張られ続けて膝丈まで触手が伸びたらしい。俺とコズハは仲良く風邪をひいた。
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