上 下
5 / 56
Ⅰ:殺戮少女の狂気的な日常 - 黒の青年と共に -

殺戮の終演

しおりを挟む

     ◇

 屋敷の中、二階、ひときわ大きな部屋の前でユキトとアリスは佇んでいた。
 カンテ伯爵。
 彼の行方を捜す中、ソレらしい、目立つ扉を発見したのである。

「ねぇ。ユキト。本当に伯爵はここにいるのかしら?」
「ボクの勘が。ここにいるって言っているから。合ってるんじゃないか?」
「勘なの?」
「もちろん」

 数多の経験、死線をくぐり抜けてきた――アリスとは違って理性的に――その経験に基づく、直感的な判断である。
 疑う余地はない。
 ここにいる。

「それ。当たるのかしらね?」
「さあね。ただ。実績は結構あるじゃないか?」
「そうねぇ。確かに。貴方の勘はよく当たるわ」

 からから、と、アリスは小さく笑う。
 美しく、人形のように、それでいて確実に生きている。
 ただ――。

「ねえ……。アリス?」
「なにかしら?」
「キミは。いったい。なにをしようとしているんだ?」
「そりゃもちろん。こうやって――」

 ジャキンッ、と、黒鉄の銃剣の先端を扉の前に突き立てて。
 どすんっ。
 瞬間、直後、目の前に在ったはずの扉は瞬く間に爆散して消え去った。

「…………」
「扉の前で押し問答するより。よっぽど。効率的でしょう?」
「そうだね――……。うん。間違っちゃいないよ」

 目の前に在ったハズの扉は、鍵がかかっていて、且つ、極めて頑丈そうな作りであった。
 少なくとも、銃剣を突き立てた程度の衝撃では、壊れるハズもない。
 言うまでもない。
 が。
 正気の沙汰とは思えない。

「ほら。さっさと入りなさいな。お仕事の締めの作業よ」
「はいはい……」

 強引な力で破壊された扉、ねじ曲がったような抜け方をした、その大穴から二人は歩みを進めていく。
 土埃が舞い上がる部屋だった。
 恐らくは相当に広いのだろうが、如何せん、煙が原因で、視界が上手く開かない。
 と。

「……――むっ」

 最初に気付いたのは、ユキト、彼の方であった。
 土煙の中。
 小さな揺らめきが、一つ、蠢いていたのだ。

「この、逆賊めが――ッ!!」

 ぼわっ、と、煙の中から突き出してきたのは一人の男だった。
 カンテ伯爵。
 その人。
 彼が手に握りしめているのは、一振り、長く伸びた剣であった。
 握りしめるように。
 剣を、脇に抱えるようにして、一目散に突撃をしてくる。
 狙いは――。
 少女。

 咄嗟の反応であった。

「……――アリス。よそ見をしちゃ駄目じゃないか。危ないだろう?」
「あらら?」

 狙い澄ました剣は、アリス、彼女の元にまで一直線に伸びていた。
 ハズだった。
 ソレを、打ち落としたのは、他でもないユキト自身である。
 剣閃。
 ユキトが反射的に伸ばした、白銀の刀身によって弾かれていたのだ。

「っ、ぅ……」

 伯爵、彼はたたらを踏んで、弾かれた剣の衝撃によって後ろに向かってよろめいていく。
 唯一、伯爵が手にしていた地の利、ソレを失った。
 剣すらも失い、ただ、つんのめったように尻もちを付いて倒れ込む。
 栄光。
 伯爵が持つ、そういった側面は、今となってはもう影を潜めている。
 愚かな。

「ふふっ。無様ね。伯爵様?」
「こらこら。アリス。そんなコトよりも」
「はい?」

 首をコテンと傾げ、なぁに、と、問いかける。
 反省の意思はなし。
 ユキトは、小さく、苦言を呈する。

「ちゃんと攻撃は避けないと駄目じゃないか。怪我をしてからじゃ。遅いんだよ?」
「あんな攻撃じゃ。当たっても死なないわ。私は」
「いつか。本当に死ぬような攻撃が来るかも知れない。そうだろう?」
「大丈夫。その時はちゃんと避けるから。ね?」
「やれやれ……」

 彼女が言うように、ユキトが手を加えなくとも、アリスは無傷で済んだだろう。
 が。
 ユキトはそれでも心配だった。
 アリスは人を低く見積もる、そんな、分かりやすい油断というクセがある。
 いつの日にか、ソレが、大きな災いの元になるのでは。
 分からない。
 可能性として、ある、神に人が牙を刺す日が。
 訪れるかも知れない。
 と。

「さて。なにはともあれ。……――貴方がカンテ伯爵ですね?」
「……ッ」

 ユキトが、一歩前へ足を進め、尻餅をついて歯を噛みしめている初老の男性に声をかける。
 ギリッ、と、分かりやすい。
 悔しそうに、彼は、歯を鳴らすのであった。

「貴様らッ。こんなことをして。ただで済むと思うなよッ!?」
「残念ですが――……。ボクは。ボクたちは。貴方とお話を交わすつもりはありません」
「なんだとッ……」
「人身売買。貴方が生業としている。裏稼業の正体です」
「……っ!!」

 分かりやすく、顔を青ざめる、誰も知り得ない情報、であると思っていたのだろう。
 カンテ伯爵。
 その額に、焦りの色が、見え隠れしている。

「な、なぜ……!?」
「ボクらはすべてを知っている。文字通りに。神の視点から」
「神、だと……。笑わせるな。神などこの世には存在せぬわッ!!」

 その点には、同意を示したいところである、と、ユキトは内心で首肯をする。
 が。
 言葉にはしない、それは、心の内に留めておくべき物なのだ。

「……――言っても理解はされないでしょうが。神は実在します。そして。付け加えるなら、アリス、彼女は神様の遣いとしてこの世に生を受けた女の子です。人間の解釈で言うなら〝天使〟とでも言いましょうか」

 ボクは普通の人間ですけれど、と、ユキトは小さく付け足した。

「〝天使〟だと……ッ!?」
「ええ。にわかに信じがたいでしょうが。真実です」
「嘘を言うな……。あんな。血に塗れた天使が存在するかッ!!」

 初老、しかし、若作りの男性、カンテ伯爵は激昂するかのように、叫ぶ。
 そうだ。
 確かにその通りだな、と、ユキトは内心で納得している。
 〝血に塗れた天使〟という矛盾、ソレが、ユキトの中の連中に対する不信感へ繋がっているのだから。
 意志のある生命は、道具ではない、生き物なのだ。
 と。

「まあ。貴方が信じようが信じまいが。関係ないのですが。ね」

 ぽつり、ユキトは小さく言葉を呟いてから、伯爵の胸ぐらを強引に掴んで立たせた。

「っ、ぁ。……な、にを――……!?」
「別に。貴方を殺すだけのコト。それだけです」

 すっ、と、情も心も失ったかのように、冷めた、言葉であった。
 殺す。

「貴様。本当に。正気か……?」
「と。言いますと?」
「この私を殺して。ただで済むと思っているのか。と。そういうことだ」
「なにを今さら。笑わせないで下さいよ。……――伯爵如きが」

 ぶんっ、と、掴んでいた伯爵を投げ飛ばす。
 どすん、と、背中から落ちて。
 キッ、と、ユキトに向ける視線を、カンテ伯爵は強めていた。

「そもそも。貴様は。この私を知って――」
「貴方こそ。ボクのコトを。本当にご存じではない。と?」
「は……?」

 くすり、と、ユキトは小さく微笑み、自分の中に包み隠している、一つの真実を言葉にする。
 もっとも、その言葉を告げた以上、絶対に相手は死ななければならないが。
 死人に、なにを語っても、もはや問題は一つもない。

「ユキト=フローレス。ええ。それがボクの本当の名前ですから」
「ユキト――……。フローレス――……。ユキト=フローレスだとッ!?」

 驚愕の表情を浮かべるカンテ伯爵。
 今日一番の面白い表情である。
 くすくす、と、ユキトは楽しそうに笑っていた。

「と。言う訳で。最後の仕事はキミに任せるよ。アリス」
「ええ。任せなさいな」

 すたすた、と、アリスは黒鉄の銃身を携えて、少しずつ、足を近づけてくる。
 死の足音。
 間違いなく、カンテ伯爵にとっては、そういう物であろう。

「まったく。貴方が話し込むものだから。入り込むタイミングが分からなかったわ」
「悪い。ちょっと昔の都合で。ね」
「まぁ。良いけれど。今回は許してあげるわ」

 チャキン、と、突撃銃を片手でカンテ伯爵の方へ向ける。
 その先。
 背中から倒れ込み、地に尻を着けている、情けない男の姿だった。

「ふふっ。貴方はこの私に殺されるのだから。光栄に思いなさいね?」
「ま、待て……ッ!!」
「ん……?」

 伯爵の目は、殺そうとしているアリスの方ではなく、なぜかユキトの方を向いていた。
 間違いなく、これから、殺される。
 その瞬間だと言うのに、随分と、呑気な話である。
 アリスを相手に。
 愚行だ。

「ふふっ。カンテ伯爵殿。どうかなさいましたか?」
「ユキト=フローレス殿。どうか。一つだけ私めにお教え頂きたい!」

 急に丁寧な言葉遣いになったカンテ伯爵。
 確かに。
 当然と言えば当然か。

「フローレスの家は。既に。瓦解したと聞き及んでおります」
「ええ。主立った一家が殺されて。家の名を維持できなくなりましたので」
「なら――……。なぜ。なぜ貴方様が生きていらっしゃるのですかっ!?」

 〝
 そう。
 カンテ伯爵は、ユキトに向けて、言葉を投げかけたのだ。
 冷笑わらう。

で。唯一。ボクだけが死体として見つかっていない。それはご存じでしょう?」
「――――。……――ッ。まさかッ!?」
「まあ。そこから先はご想像にお任せしますが。貴方は自分のご心配をなさった方がよろしい」
「は……?」

 ユキトが言葉を口にする、その直後、アリスはカンテ伯爵の太ももを銃で撃ち抜いていた。
 絶叫。
 響き渡る銃声と、悲鳴と、舞い上がるのは紅い色の雫である。

「ぅ、ッ、が、ァ……」
「貴方――……。誰の許可を得て。私のコトを無視しているのかしら?」

 ざくり。
 と。
 銃剣を突き刺す、肩口、その深くに思いきり肉ごと抉る勢いで先端を差し込んでいた。
 身体が千切れる、ギリギリ、その境目を彼女は理解して、意図的にやっている。
 伯爵を眺めるアリスの視線、それは、塵芥を見下ろす冷酷なものであった。
 狂気。
 その所業はまさに〝悪魔〟そのものであった。
 嘆息。

「殺しても良いのだけれど。少し。痛め付けてからの方が良いかしらね?」
「駄目だよ。アリス。時間に余裕はないんだから。ね?」
「ええ。分かっているわ。ユキト」

 〝だから――〟と、アリスは、小さく笑うのだ。
 すっ、と、アリスが銃口を向けた。
 その先は、脳天から少しだけ外れた、致命傷には違わない場所である。

「可能な限り。一撃で一番苦しいところへ。貴方を誘ってあげるから」
「ひっ……!?」

 アリスは、つまり、こう言いたいのだ。
 人間如きが図に乗るな。
 殺されるコトを、光栄に思いながら、頭を垂れて死んで行け。
 傲慢。
 神々とは、つまるところ、そういう存在なのだろう。

 つんざくように響く銃声、千切れるような悲鳴がなり、瞬間、屋敷の一室は瞬く間に紅く色が染まっていた。

「さて。ユキト。終わったわよ?」
「ん。お疲れ様」
「ええ。だから。私を褒めて頂戴な?」
「よしよし」
「ふふっ――……」

 ぽんぽんっ、と、アリスの頭を撫でるユキト。
 ふわり。
 子どものような容姿、そして、容姿相応の振る舞いを見せる少女。
 顔に付く鮮血。
 漂う腐臭。
 それだけが、ただ、異常な光景である。

 なにが、どう、何処までが異常なのか――……。

 もう、今となっては、誰にも分からない。
 ただ。
 最後に、青年が少女を甘やかす、それがこの事件の結末だった。
しおりを挟む

処理中です...