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Ⅱ:神託 - 殺人鬼と殺人鬼 -

黒き神罰

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     ◇

 光の差さないような、本当に、暗い世界であった。
 人の呼吸はあるのだろう。
 しかし、表立って、姿が見えてこない。
 転がる空き瓶、樽、ガラスの破片の数々。
 薄汚れた建物の壁、ボロボロの住処、壊れた扉が多く目立つ。
 微かに香る、腐臭、血の香り。
 なるほど、コレでは、勘を頼りに探し出すのは困難であろう。
 ただ――。

「この歓迎されていない雰囲気といい。そう遠くないうちに。ヤツの方から姿を見せるんじゃないか?」
「そうかも知れないわね。襲いかかってくる人間は皆殺しにするわ。気分が悪いもの」
「恐ろしい子だね。キミは」
「十分に。知っているでしょう?」
「もちろん」

 遠巻きな視線を感じる。
 ソレが、誰のものであるかどうかは、分からない。
 が、ジメつくような殺気が、一つ、ずっと付いて離れない。
 気分が悪い。
 そう。
 アリスの言う通りである。

「さて――。鬼が出るか蛇が出るか。どっちだろうね?」
「まぁ。どうせ。大したコトはないのだから。安心なさいな」
「キミってヤツは。本当に――……」

 楽観視しすぎだろう、と、その言葉を口に出そうとした瞬間であった。
 まとわりつく殺気が、瞬時に、ユキトたちの意識から離れる。
 離れる。
 つまり、殺気の意思が、監視の意味合いからに変わったのだ。
 抜刀。
 直後、ユキトは腰にしていた白銀の剣を、瞬く間に鞘の中から抜き去った。

「殺してやるっていう意志が。さ。ソレはもう溢れていたよ。次があるなら改善すると良い」
「――――」

 ユキトの背後に迫っていたのは、ナイフを持つ、男の手であった。
 ソレを。
 ユキトは反射的に剣で防いだ。
 ぎりぎりっ、と、刃物がこすれ合う音が辺りには響き渡る。
 膠着状態。

「なるほど。なるほど。貴方が件のノエルさんね?」

 のんびり。
 ユキトと敵襲の接触を前にして、アリスは構えるコトすらせず、ふわふわ、笑みを浮かべながら男の顔をジッと見据えていた。
 いや――。

「戦いの構えくらいはさ……。ね。見せようよ。アリス」
「あらあら。そうね。そうだったわ」

 失念していたわ、と、小さく言葉を呟いて。
 それから。
 するり、と、ゴシックドレスの背中へ手を伸ばすアリス。
 直後。
 にょきっ、と、銃剣付きの突撃銃が現れた。
 おなじみ、アリスの愛機、黒鉄の銃身である。

「いつも思うんだけど。さ」
「なぁに?」
「ソレ。キミの銃身。いったい何処から出てくるの?」
「私の服の背中からだけれど?」
「いや。容量的におかしくないか?」
「神様の造った武器ですもの。どうとでもなるものよ。大きさなんて」
「滅茶苦茶だなぁ~……」

 いやはや、と、ユキトが剣を片手にアリスと語らう。
 と――。

「おい。貴様ら――……」

 ユキトがアリスと会話を楽しむ最中、一人、憤慨の表情を浮かべている男がいる。
 ノエル=ベヒッド。
 件の、その人、本人である。
 いつの間にかユキトの剣からナイフを外しており、距離を取って、二人を睨め付けていた。

「ああ。いけない。忘れるところだった」
「ふざけているのか。貴様」

 ユキトは小さく目を細め、嘆息、目の前の男を見据える。
 細身の身体に、両手のナイフ、黒いフードを被っており、細かな容姿までは確認できない。
 ただ。
 比較的に強い、血の香りが、その身体の周りから漂っている。
 デクレを揺るがす大罪人。
 連続大量殺人鬼。

「あら。貴方。随分とお怒りのご様子ね?」
「当然だ。我の足跡を嗅ぎ回り、付け回し、あまつさえこんなところにまで足を運んだのだ。気分が良いはずもあるまい」
「ええ。そうね。その通りだわ」

 くすくす、とアリスは小さく笑みを零した。
 取るに足らない。
 態度はそうであるコトを示している。
 ユキトは、小さく、息を吐いた。
 代わりに、ユキトの方が、ノエルと言葉を交わしていく。

「驚いたのは――。そうだね。ボクたちがアンタのコトを嗅ぎ回っているコト。ソレがバレていたコト。かな?」
「それは。当たり前だろう。我はこの街の暗部だ。闇から這い出る情報の出所など分かりやすい。それがどう出入りするかどうかも。当然に」
「なるほど。ね」

 恐らくだが、ノエルについて情報を喋った情報屋は、今頃この世にはいないのだろう。
 つまり。
 目の前の男、ノエル=ベヒッドが、情報の回収ついでに殺して回ったというコト。
 無茶をする。

「また。随分と派手に暴れるものだね。アンタも」
「我は。これでも慎重派でね。疑わしきは殺す。今までもそうやって何度も危機を乗り越えてきた。我なりの処世術という訳だ」
「いやいや。慎重派と言うよりは小心者と言うべきじゃないか?」
「ほう?」

 にたり、と、嫌な笑みを携えるノエル。

「殺しの自由を与えられた我を。貴様らが。小心者であると論ずるか?」
「ふむ……?」
「……――〝殺しの自由〟?」

 ピクリ、と、ずっと余裕の笑みを携えていたアリスが、唐突に、その表情を曇らせた。
 もちろん。
 ノエルは、そのコトに気付かない、微塵も気にしていない。

「ふむ――……。アンタの言う〝殺しの自由〟とやら。ボクは興味があるね」

 ユキトは純粋な興味と、アリスへの配慮を兼ねて、ノエルに対しての疑問を投げかける。
 聞かせてみろ。
 〝神々〟に繋がるかも知れない――が、その可能性は極めて低い――という、興味、その気持ちを心に抱えている。

「この街に精通していない。貴様らのような外来人に。こんなことを話しても無駄だろうが――。まぁ。良い。聞かせてやろう」

 ノエル=ベヒッドは静かに笑みを携えながら、両腕をバッと広げ、声を高らかに上げたのだ。
 宣言。
 まるで、高尚な意志でも、称えるように。

「我は――。我はッ! によって〝死〟を与えることを赦された存在なのだッ!!」

 高揚。
 狂気的な笑みを浮かべながら、なお、言葉を強くする、リッパー・ジ・ノエル。
 己の過ちに――気付いてはいまい。
 幸福と言えよう。
 己の馬鹿さ加減に感謝をした方が良い、とさえ、ユキトは心の中で思っていた。
 手遅れである。

「神々に殺しを赦された。ね。それで?」
「?」
「アンタは自分が気に食わない存在を。自分が持っていないという理由で。一方的に殺し続けている訳だが。それは――。神々が赦したコトなのか?」
「ああ――。神々はこの地に蔓延る〝差別〟という概念を滅ぼす。そのために我という存在を生み出した。我には分かる。そうでなければ。我が生まれた意味が、意義が、何処にも存在しないということになってしまう」

 そう言葉を口にして、空、曇った星の見えない夜空を眺める。

「そうだ――。我は。そういう価値を自分の人生の中に見出したのだ」
「なるほど。ね」

 ただ、ユキトは、その言葉をあまり深く聞いている余裕はなかった。
 隣。
 ユキトの横にいる、少女、アリスの方から鋭い殺気――もとい、狂気――が感じられている。
 不届き者。
 と。
 アリスは、間違いなく、そう解釈をしている。
 殺されるだろう。
 この男は。

「馬鹿だねえ。アンタは。本当に」
「なんだと……?」
「神々ってのは。ね。アンタのような学のない矮小で愚かな存在を遣わすほど。意味のない時間を割く存在じゃないんだよ。ノエル」
「どういう――。意味だ?」

 ノエルはナイフを構えながら、ユキトの方を睨みつつ、殺意を明確に向けている。
 ああ。
 流石に、ここまでの馬鹿は、〝神の遣い〟にもいないだろう。
 そもそも――。
 〝神の遣い〟とは〝少女アリスたち〟以外に存在せず。
 故に。
 目の前のこの男はただの狂人である。

「……――嘘は良くないわ。嘘は駄目。ノエル=ベヒッドさん」

 ゆらり、と、アリスが揺らめくように、動きを見せる。
 限界。
 どうやら、『神の名を騙る不届き者』に対する、我慢の状態は続かなかったようだ。
 元より、神々云々の話は、この男の狂言だろう。
 ユキトの興味も失われた。
 大した意味もあるまい。

「なんだ――。小娘」
「嘘は。駄目。神様を穢す者には。死を。与えるべき」

 そう、うつろな目で言葉を口にした、直後、アリスはその細い足で、
 蹴り込んだのだ。
 直後。
 ノエルの身体は、弾丸の如き勢いを付けながら、二、三十メートル先の家屋に向かって突き刺さっていた。
 比喩的な表現ではない。
 文字通りの意味だ。

「――――」

 衝撃の痕。
 立ちこめる煙。
 その中で、アリスは、暗い表情を浮かべながら。家屋の方向へと足を進めていく。
 ユキトは、ただ、静かにソレを眺めているだけであった。
 否定も肯定もしない。
 地雷を踏み抜いたのは、むしろ、相手方ノエルの方であるのだから。

「貴方は一つ。大きな罪を犯した。ソレは謝って済むような問題ではないの」
「っ……、ぁ、が、はッ……!」

 吹き飛んだ先、ノエルは、がれきの中で激痛に苦しんでいた。
 あの衝撃である。
 骨が砕け散っていてもおかしくはない。
 だが――。
 アリスはなおも容赦はしない。

「〝神の子〟である私が。愚かな貴方へ――。真実を一つ教えてあげる」
「……――ッゥ!!」

 倒れ込んだまま、ノエルは、向かって歩いてくるアリスに向けて、ナイフを二振り投げつけた。
 反抗する、その精神力は、褒められる。
 だが。
 愚かな男は気付かない。
 抵抗は、逆に怒りを、より強くするだけのものであると。

「な、なぜだ……ッ!?」

 ノエルが投げたナイフは、アリスの身体、そこから
 否、止まっているという表現が、一番の妥当だろう。
 ナイフはアリスの身体にまで届かなかった。

「貴方のような人間に。私の身体は傷つけられない。残念なコトでしょうけれど。ね」

 コレが、本物の、神様の力なの。
 ふわり、と、恐ろしささえ感じさせるような、冷たい表情、それでもアリスは明確に笑みをたくわえたのだ。
 そう。

「神様の名を騙っては。駄目。――ソレは私が絶対に赦さない」
「ひ――……っ!!」

 ノエルが息を呑んで言葉を失った。
 無理もない。
 名前を付ける表情が見つからないのだ。
 黒い。
 ただ、ソレだけの、形容すらできないナニか。

 長年を連れ添った、ユキトですら、ソレを恐怖と感じさせる。

 アリスとは、元来、そういう存在なのかも知れない。
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