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Ⅶ:詰まる世界 - 想いの咎 -

想いの形 / 無人の小屋

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     ◇

「ただいま。アリス。帰ったよ」
「…………」

 二人が身を寄せた場所、そこは、ローナの街からほんの僅かに離れた森の奥地、ボロボロと言って差し支えないほどの、無人の小屋である。
 無論、無人であるかはここに滞在してからの話であるからして、本当は持ち主がいるのかも知れない。
 が。

「(その時は――。容赦なく殺してやれば良い。ソレだけの話だろう)」

 もはや、周りの人間の善悪など判断材料に入れてやれる余地がない、ユキトは「アリスを守る」という以外のコトを考えていない。
 本当に、小屋の持ち主が現れたのなら、相手が誰であろうと殺すだろう。
 彼の本質は、人間、そのものと言えるのだろうか?
 ともかく――。

「……――アリス。そんなところで膝を抱えていても。なにも始まらないよ」
「……ぐすっ」

 慈しむ心。
 今のユキトにはその感情だけがすべてであった。
 泣いている少女を支える。
 それだけであった。

「……――神様が。ねぇ。ユキト?」
「ん?」
「神様がね。私の声に応えてくれないの。あの日からずっと」
「…………」

 そう告げる少女は、まるで、拠り所を失ったかのように。
 泣く。

「私。神様に迷惑をかけちゃったから。嫌われちゃった」
「……――そうかも知れない。でも。そうじゃないかも知れない」
「でも。あの日から〝神託〟は来ないの。一回も」

 そう。
 一切、彼女の元に、その言葉は降りてこない。
 その事実が、きっと、彼女を不安にさせているのだろう。
 嘆き、悲しみ、塞ぎ込む毎日を送っている。
 ユキトとアリスが対峙をした、目撃者を逃し、世間に〝殺戮少女〟の存在が決定的な情報として広まったあの日から。
 彼女は、壊れてしまったかのように、ずっと、塞ぎ込んでいる。
 不遜な態度は何処へやら、若干ではあるが、幼児退行のような――コレ以上の幼児退行は何歳を指すのか――そんな現象に陥っている。
 当事者であるからして当然であるのだが、ただ、その動揺っぷりはユキトのソレを遥かに凌駕していた。

 死ぬ、という現実は、ユキトとて同様であるのだが。

 今の彼女に、ソレを告げようという気分には、ユキトもなってはいなかった。
 どうやって彼女アリスを元気にしてあげようか。
 ソレだけである。

「私。捨てられちゃったかな。神様に」
「もしも。神様がキミを捨てたのだとしたら。相当な薄情者だけれどね」
「でも。神様だって。きっと必死なのよ」

 世界をするために、ありとあらゆる犠牲を払いながら、ここまで神々は足を進めてきた。
 アリスというを使って、自らは世界に姿すらも見せず、どこまでもである。
 ユキトには「必死だから」という免罪符など通用しない。

「私。この世界に。独りぼっちかな」

 アリスにそう思わせる。
 やはり。
 神々は忌むべき存在だ。

「……――ボクが側にいる。最後の最後まで。ボクがキミを支え続ける」
「え……?」

 ふわり、と、アリスの手を優しく包み込む。
 小さい。
 人を殺すための手とはとても思えない、否、本来であればアリスには別の幸せが在って良かったのではないか。
 そう。
 初めから知らないからこそ、彼女は、幸せという概念を理解できなかった。
 すべて、神々が成した、神々の業である。
 〝哀しみ〟。
 そう言わずとしてなんと言うか。

「……――ぅ。ぅぅ~……」
「…………」

 ユキトの胸の中にうずくまるアリス。
 弱々しい。
 高々に笑みを携えていたあの頃のアリスはもう見えない。
 〝悲しい〟。
 ソレはユキトとて同じコト。

「大丈夫。大丈夫だから――。安心して?」
「っ、ぅぅ~……」
「ふむ。泣き虫なキミも新鮮で良いけど。やっぱり笑っていて欲しいよね」
「ぐすっ……」

 どうしようか、と、ユキトは考え込む。
 アリスの肩を抱きながら、ぽんぽん、と、背中を撫でる。
 ふと――。

「ん……?」
「(ジーッ……)」

 不意に、アリスがユキトの瞳を見つめる、その紅い深い瞳で。
 吸い込まれそうなほど。
 深い色である。

「ユキトは。私を。捨てない……?」
「捨てる訳がないだろう。なにを言っているんだか。キミは」
「ほんとうに?」
「本当に」
「じゃあ。一つだけ。お願いを聞いてくれる?」
「ああ。ボクにできるコトなら。なんだって良いよ」

 つぶらな瞳が、ゆらり、僅かに揺れた。
 不安定な様相で。
 それでも、絞り出すように、彼女は自分の気持ちを告げた。

「……――想いの〝形〟を。頂戴。今だけで良いから」

 薄れるように、終わりの方は掠れるように、自信の欠片もない様子だった。
 くすり、と、ユキトは小さく微笑む。
 そのエモーションを、アリスは、別の意味に捉えたようだ。

「ど、どうして、笑うの……?」

 悲壮感を漂わせる少女の姿であった。
 ただ。
 ひとえに言えばソレは〝誤解〟である。

「キミが、容姿相応に素直なものだから、少しだけ面白くて。ね」
「え……?」
「キミが〝神の遣い〟という責務に就いていなかったら。きっと。そういう子に育ったのだろうね」
「……――それは、どういう意味??」
「なんでもないよ。忘れて良い。どうせ叶わない夢だから」

 アリスが〝神の遣い〟にならない未来。
 イフストーリー。
 考えるだけ無駄な思考だと、ユキトはそう考える、極めて合理主義且つ残酷で冷徹な彼だからこそ至る境地であろう。

 を考える、そんなヤツは、過去に逃げる愚か者だ。

「ああ。良いよ。アリス」
「ふぇ?」

 きゅっ、と、アリスの手を引いて。
 ふわり、と、小さな唇に口を付ける。
 想いの形と言えば――さて。なんだろうか――足りない経験の果てに彼は考えた。
 愛情表現の最上級。
 違いない。
 答えとして正しいかどうかは分からないとしても。
 それでも――。

「な、にゃ、なな――……っ!!」
「あら。ミスったかな。コレは」

 ぷるぷる、と、アリスは目に見えて紅潮している。
 恥ずかしい……!!
 言わなくても伝わってくるようだった。

「いや、ちがっ、わたしが言いたかったのは、そういう意味じゃなくて――」
「ふむ。ボクはそういうのに疎いんだ。悪いけどハッキリと言ってくれ」
「いえ、その、違うって訳じゃないの……」
「はい?」

 しどろもどろ、と、アリスはとにかく狼狽えている。
 そして――。

「でも、わたし、はじめてだから、わかんない――……」

 照れる。
 紅い頬を、そのまま携えて、顔を下に向けてしまう。

「ソレは。まあ。ボクも同じだよ」

 社交的な〝お付き合い〟はユキトとて多く重ねて来たのだが、その先、本当の交際という行為はさっぱり分からない。
 計略と打算による付き合い。
 ソレがユキトにとっての〝普通〟であった。
 故に――。

「だからこそ。キミがどうして欲しいのか。ソレが大事な〝形〟になる」
「…………」
「キミは。ボクに。どうして欲しいの?」

 教えて、と、ユキトは小さく首を傾げる。
 微笑む。

「……――私は、ずっと、ユキトと一緒にいたい」
「……ふむ」

 難問である。
 前提として、アリスとユキトは別の生き物であり、窮地に立たされる現実でもなおアリスの方が長生きするだろう。
 そういう摂理なのだ。
 〝神の子〟と〝人の子〟である。
 永遠に変わらない。
 ただ――。

「貴方と想いを交わしたい。私は――。そういう関係になりたい」
「そっか。――うん。分かったよ」

 そもそも、他にできるコトなど、今の状況ではほとんど残っていない。
 想い人で同士なのだ。
 ならば――。

「貴方を私は受け入れたいの。そうするコトで。きっと前へ進めるから」
「……――ソレで。キミが笑っていられるなら。いくらでも」

 迷いはない。
 泣いている女の子を慰めるだなんて、結局、そういう行為以外にないだろう。
 言葉は要らない。
 そう。
 お互いの想いを確認するだけで良い。

「アリス。おいで」
「うん」

 ふわり、と、彼女の方からユキトの身体に絡みつく。
 幸いにして。
 背後は――ボロボロであるが――ベッドである。

 束の間の、終わるまでの時間を噛みしめる、数少ない機会であろう。

 彼女は小さく笑う。
 雰囲気を――。
 壊す。

「ユキト。とりあえず。まずは着替えなさい?」
「ん……?」
「貴方はやっぱり黒スーツが似合うもの。だから。早く着替えてきて」

 ムードなど何処吹く風である。
 ああ。
 きっと、ソレが、正しいのだろう。

「……――ふふっ」
「あら。笑うのね?」
「ああ。キミはやっぱりそっちの方が似合ってるなって。そう思ったから」

 ……――不遜なキミが、やっぱり、一番に美しいから。

 想う。
 真っ直ぐに、抱える、そういう気持ちだ。
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